ITエンジニアとしての人生を諦めず、子育てしながらチャレンジを続ける

文と写真 平愛美さん(IT系母ちゃん)

ITエンジニアになったきっかけは「ブログ」だった

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(故郷・熊本の風景)

それは10年前の春だった。私は地元・熊本の大学を卒業して上京した。ITエンジニアになる夢を捨てきれず、両親の反対を押し切り東京のIT企業に就職した。

最初は些細なことがきっかけだった。学生時代にシンガーソングライターの鬼束ちひろさんが好きで、同じく鬼束ちひろさんのファンである伊藤直也さんのサイトが情報収集先だった。そのサイトが日本でいち早くブログ(MovableType)の導入をした。私もまねしてサーバーを動かして、ブログを作ったのがきっかけで、ITエンジニアとして仕事をしたいと思った。

就職先ではその熱意を買ってもらい、インフラエンジニアとしてECサイトの業務に配属された。繁忙期には残業が続いて大変なこともあったけれど、やりがいのある仕事で毎日が刺激的だった。良い先輩にも恵まれた。「この仕組みは変えた方が良い」「こうした方がもっと良くなるはず」といった私の意見について「じゃあ、やってみよう」とチャレンジするチャンスを幾度となく与えてもらえた。

女性エンジニアは結婚・出産でキャリアを諦めるしかないのか?

仕事のキャリアを積んでいる真っただ中に、突然崖から突き落とされたような衝撃に襲われ、目の前が真っ暗になった。

そう、私の人生を大きく変えた日が突然訪れたのだ。

これまでの成果が認められ、ITエンジニア5年目にして大規模案件のプロジェクトリーダーに抜擢され異動することに。しかし、同時に婚約者との子供を妊娠したことが発覚し、既に切迫流産の状態になっていた。絶対安静を余儀なくされた私は、プロジェクトリーダーのポジションを降りるしかなかった。「プロジェクトリーダーの代わりは居ても、このお腹の子を守るのは私だけなんだ」と自分に言い聞かせながら、行き場の無い悔し涙が流れた。

それに追い打ちをかけるように産休前の上司との面談で「育児休業明けで復帰したとしても、子持ちの女性は元のエンジニアのポジションには戻れない。前例が無いから諦めてほしい」と告げられた。

もともと女性エンジニアが少ない職場だったこともあり、そのような対応にショックを受けたが、それでも私はエンジニアとして仕事を続けることを諦めたくなかった。たった1%の希望を持って、育児休業中に行動することを決めた。

子育てしながらチャレンジした4つのこと

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(1)資格取得

長男を出産後、スキルアップのため資格取得にチャレンジした。産後は勉強時間を捻出するのが大変だったが、無事試験に合格することができた。

LPIC304に合格。産休・育休中のスキルアップについて - Mana Blog Next

(2)技術勉強会の開催

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結婚・出産などのライフスタイルの変化があってもずっと働き続けたい女性エンジニアは私だけではないはず。何か力になりたくて、女性エンジニアが参加しやすい技術勉強会を有志で開催した。女性エンジニアが社外で学べるきっかけを作り、スキルアップへ繋げていけたらと思い、無償で開催。私は講師と会場探しに奔走したが、参加者が熱心に学ぶ様子を見て達成感があった。それが男女共学の勉強会「Linux女子部」だった。

私自身も、勉強会やイベントを通して沢山の仲間ができた。仕事と子育てを両立している先輩エンジニアから有益なアドバイスをもらったことで、自信へと繋がっていった。

技術勉強会の開催が人生を変えた、と言っても過言ではない。同志の存在に何度助けられただろう。私は独りじゃないんだ。仲間との出会いに、これまでの生きづらさは綺麗さっぱり消えていった。同じように仕事と子育ての両立に悩みながらも、前向きに生きている仲間がいるだけで、こんなにも心救われるのだと気付いた。

(3) チャレンジしたことをブログに公開

これまで自分が何にチャレンジしてきたのか、それをブログに公開した。アウトプットすることでその結果を報告することになるので、続けやすいと思ったからだ。

そしてブログでの発信がきっかけでチャンスが次々と巡ってきた。キーワード検索でブログ記事がヒットし、取材や執筆の機会が立て続けに舞い込んできたのだ。自分の得意なこと・チャレンジしていることを公開することで、その情報が欲しい人(組織)との繋がりができた。

(4) 夫婦の情報共有と時間の有効活用

子育てをしていると、時間がどうしても足りなくなっていく。夫婦で協力し合いながら家庭の課題を解決していくために、情報共有ツールの必要性を感じた。時間を有効的に活用するため、プロジェクト管理ツール「Backlog」を導入。移動中などのスキマ時間に家庭のタスクを確認し、夫婦間の情報共有や担当割りを行った。

家庭にプロジェクト管理ツールを導入してみた - Mana Blog Next

ちなみに夫もIT系のエンジニアで、プロジェクト管理ツールには抵抗がなく、むしろ積極的に活用してくれている。

エンジニア人生を諦めずに子育てをするために働き方を変えていった

残念ながら育児休業明けに会社に戻れるポジションが無く、職場復帰は叶わなかったけど、これまでの成果が認められ、クラウドエンジニアとして転職することができた。それは私が諦めなかったこともあるけれど、かけがえのない仲間との出会いと、夫の理解と協力があったからだと感じた。

転職後の試練。そして退職

しかし、転職した後も、子育ての試練は続いた。長男が2歳の頃、RSウイルス感染症が悪化し肺炎になって立て続けに4回入院をしたのだ。

私は仕事を続けたい気持ちがあったが、これ以上頑張ると私自身も倒れてしまいかねない。やむを得ず、長男の看病に専念するため退職を決意した。

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(長男が入院していた病室からの夜明け)

明けない夜は無い。長男はいつかきっと元気になってくれることを信じて、快復するまで寄り添った。

息子の肺炎と退職について - Mana Blog Next

自分のエンジニア人生を繋げていくために、これまでの経験を活かした

長男の看護をする中でも、仕事を続けることを諦めたくなかった。フリーランスとしてテクニカルライターの仕事をしながら仕事を続けていき、次男を出産後にエンジニアとして復帰することができた。振り返れば、育児休業中にチャレンジしたことが自分の強みとなって、活かされた形になったのだと気付いた。

働き方を変えていけば仕事は続けられることが分かり、働き方の視野が広がった。

子育てがあったからこそ得られたIoTの世界

子育てがきっかけで得たものも多い。

当時3歳だった長男がある日、「ママはなんで壊れたプラレールを直すことができないの? パパじゃ無いとできないの?」と放った一言がきっかけで「ママだって直せるよ!」と条件反射で答えてしまいそれがきっかけで電子工作に目覚め、IoT(Internet of Things)を知ることにも繋がった。

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子育てがあったからこそ、小さなコンピューター「Raspberry Pi」と出会えた。やがてRaspberry Piでプラレールを操作できるようになり、長男と一緒に「IoTプラレール」を楽しむようになった。

母ちゃんがプログラミングでプラレールを操作できるようになったとき - Mana Blog Next

子育てによって、これまでの経験では得られなかった電子工作の世界を知ることができた。子育てしながら、また新しい可能性を見付けることができた。

子育てはいつか終わるもの

現在、長男は5歳、次男は1歳8ヶ月になった。病弱だった長男は、今ではすっかり丈夫な身体になり、元気に走り回っている。次男も保育園に入った頃は病気を沢山もらってきたが、次第に体力が付いてきている。そう、育児で大変な時期は長い人生でみると一時的なものである。

過去の私のように、時には我慢が必要なときもあるだろう。けれど、キャリアを絶やさないように行動し続けることで、チャンスは必ず巡ってくる。だから、諦めないでほしい。

働き方をより良くして、次の世代に繋げていきたい。私はこれからも、ブログを通じて発信を続けていく。


文と写真:平 愛美 (id:mana-cat)

平 愛美

1983年生まれ、熊本県出身のITエンジニア。二児の母で、趣味は写真とグルメ。最近はRaspberry Pi、Arduinoを使った家庭内IoTについて日々研究するIT系母ちゃんとして活躍中。著書に『OpenStack 構築手順書 Mitaka 版』(共著、インプレス)など。『改訂3版 Linuxエンジニア養成読本』(技術評論社)に寄稿。

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