地方のリアル――“育児女性の有業率1位” 島根で働き、子育てをする女性たち

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はたらく女性の深呼吸マガジン『りっすん』では、子育てと仕事を両立する難しさや楽しさなどについて“リアルな声”を発信したいと考えています。島根県へUターンし、島根県江津市のNPO法人での地域づくり事業に従事しつつ“高校のコーディネーター“として働く本宮理恵さんに、「島根県で働く女性の姿」、そして自らの育児・仕事について、寄稿いただきました。


 子育てしながら働く女性にとって、育児・家庭・仕事のバランスをどうとっていくかは大切なテーマ。どんな家庭を築き、どんな仕事をしたいのか。夫は何を望んでいるのか、仕事と子育てをどう両立していくか。そこには人の数だけストーリーがある。

 総務省「 平成24年就業構造基本調査 」によると、都道府県別で見た25歳~44歳の「育児をしている女性」の有業率1位は島根県である。しかし、それが「女性の社会進出が進んでいること」「働く環境が整っていること」と単純に結びつくわけではない。総務省「 労働力調査 」の働く女性の雇用形態をみると、約30年前には女性のおよそ3人に1人が非正規雇用であったが、現在はおよそ2人に1人へと増加した。

 島根県も同じ傾向だが、やむを得ず非正規雇用の職に就く人もいれば、家事を優先させるために積極的に非正規雇用を選ぶ人もいる。みんなどんな思いで仕事をしているのか。夫の給料だけではやっていけないから? 両親に育児の協力をしてもらえるから? 「地方で暮らす子育てママ」が、これまでどんなキャリアを築き、地方で今どんな生活を送っているのか。そのリアルな思いを、私の友人・知人に聞いてみた。

夫の実家をリフォームして同居生活。専業主婦A子。

 島根県は、女性の有業率だけでなく、3世代同居率も全国では上位である。高校時代からの友人A子は、夫の実家をリフォームして、義理の母、4歳と2歳の2人の子供と暮らしている。夫は公務員で、土日の出張も多い。専業主婦として家事と子育ての大半を彼女が担っている。

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 結婚前は服飾加工の仕事に就いており、社交的で明るい性格を活かして、テレビの取材対応や海外出張もこなしていた。そんな彼女が結婚後、迷うことなく退職したのは、「楽しい家庭をつくりたい」という気持ちが強かったからだ。彼女は幼い頃に父親を亡くし、母親も病気がちで苦労も多かった。一人っ子で育ったため、にぎやかな家庭に憧れを持っていたという。結婚後は子供の誕生日に部屋いっぱいバルーンの装飾をしたり、特技を活かして洋服をハンドメイドしたりと、とにかく一生懸命だ。

 それでも、ひとりの時間がないのはストレスだと口にする。そんなときは子供を連れて実家に帰り、子供の世話を親に任せ、ミシンで服を作ってリフレッシュするという。車で行ける距離に実家があって良かったといつも言う。気分転換はもちろんだが、親に何かあったときに駆けつけられるのは自分しかいない、という責任感もそこにはある。

 また、同居する前は「義理のお母さん、とってもいい人だから、大丈夫だと思う」と言っていたが、やはり毎日顔を合わせる生活は、たまに会う程度とは全く違うようだ。例えば、調味料のしまい方、調理器具の選び方、どんな洗剤を使ってどう洗うか。自分好みの食器をそろえたいと思っても、義理の母に「わざわざ買わなくても、あるものを使えば」と言われ、我慢する。ささいなことだけれど、台所は専業主婦の仕事場でもある。自分の城を築きたいが、それが叶わないのが同居生活である。

 最近のA子の悩みは、再度働きに出るかどうかについて。「3人目が欲しいと旦那に言ったら、『教育費のことを考えると共働きでないと無理』って笑いながら言われてしまった。確かにお金のことを考えると悩ましい。仕事が嫌いなわけじゃないけれど、今の生活を大切にしたい気持ちもあるんだよね」

 今後のことはまだ何も決まっていない。夫は妻に働いて欲しいと思いつつ、彼女の家庭を大事にする気持ちも理解してくれている。きっと子供の成長とともに一歩ずつ前に進み、A子らしい家庭のあり方を見つけるだろう。

雑誌のモデルもしていたB美が夫と一緒に島根へ。ギアチェンジ。

 B美は若い頃からスタイルの良い美人。雑誌のモデルをしていたこともある。20代後半でヘアサロンなどを展開するグループ経営の会社に勤務し、エステサロンの店長を務め、29歳で結婚・出産。保育園の送り迎えを夫婦で分担しながら岡山で仕事を続けていた。夫は島根出身で、以前から「いつか地元に帰りたい」と話しており、さまざまなタイミングが重なって1年前に島根へ移住した。夫の就職先はすぐに決まったが、B美の再就職はすぐには決まらなかった。

 移住した後程なく、お茶を飲みながらB美と仕事の話をした。「接客業は土日には休めないし、夜も遅い。もっと普通の仕事ができたらと思うけれど、かといって島根で何の仕事をすればいいのかイメージが湧かなくて」

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 都市部の場合、派遣会社に登録したり、求人サイトを検索したりすると、B美がイメージするような事務や営業補助の仕事がある。しかし、地方での求人サイトでは、その数は圧倒的に少なく感じた。結局B美は、半年間職業訓練校に通いながら事務系資格の勉強をして、夫の親族が経営する歯科医院の受付の仕事に就いた。

 「土日祝日は休みで、15時には上がらせてもらえる。2人目の妊娠も考えているし、融通が利くのが一番かと思って」 前職で活躍した姿を知っていると、もったいないなと勝手ながら思ってしまう。けれども、B美はこう笑顔で話す。「前の仕事は不規則で、子育てとの両立はハードだったけれど、上司も職場のみんなも尊敬できる素敵な人ばかりで、だからこそ頑張れた。自分にとってあれ以上の恵まれた職場はないって思っている。今は勤務時間が短くて、マイペースに働くことができる。これはこれで楽しいから」

 前の仕事でやりきったことが自分を支えている。だからこそ、今の生活を楽しむことができるようだ。

地方でもキャリアOLの道を歩むC子。働く彼女に夫の家族が全面協力。

 都市部の大手商社で働き、激務から体調を崩して、たまたま訪れた冬の島根の景色と人柄に惹かれて単身で移住したC子。団体職員の仕事に就き、仕事の早さや対応力の高さ、人当たりの良さを評価された。その後、飲食店を経営する年上の男性と結婚し、長女を授かった。結婚相手は長男で、田舎の大きな家で義理の父母との同居生活が始まった。

 周囲の人々はC子がしばらくは家庭に入って育児中心の生活をするだろうと思っていた。しかし、出産後まもなく、C子は女性社長が起業した企画会社の社員として採用され、周囲の驚きをよそに、以前と変わらず仕事をしていた。

 東京出張に行くという彼女に、子供の世話について尋ねると、少し恥ずかしそうに話してくれた。「実は、子育てはほとんど義理のお母さんとお父さんがしてる。私の仕事中も、保育園じゃなくて家で面倒をみてもらっている。旦那の兄弟は男ばっかりで、女の子の誕生がうれしかったみたい。今度の出張も、C子ちゃんも疲れるだろうから1泊していらっしゃいって言われて」

 C子は会社で観光業務をするために旅行主任者の資格を取得したり、中学生を対象にした起業体験プログラムの事業を行ったりと、新しい業務にも果敢にチャレンジしている。C子は、意図して今の環境を作り上げたわけではない。「こんな生き方をしたい」「仕事は、子育てはこうあるべき」といった気負いはなかったという。周囲から求められるものに柔軟に対応し、自分ができる最大のパフォーマンスをする。

やりたい仕事にこだわり、家庭も大切にする欲張りな私。

 専業主婦のA子、無理のないペースで仕事をするB美、バリバリ働くC子の3人に共通するのが、自分で選んだ子育てや仕事のあり方を、自分自身で肯定しているように見えること。もちろん、ときには周りと比較して焦ることもあるが、結局は自分が何を守りたいかに向き合うことで前に進んできた。

 さて、私は何を守りたいのか。

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 私は島根出身で夫は東京出身。夫が海外に単身赴任中ということもあり、島根の実家に子供と身を寄せているが、この先東京で暮らす可能性もゼロではない。今手掛けている「高校のコーディネーター」という仕事は、自分の経験を活かせるし、以前から興味があった教育に関わることができて、とてもやりがいがある。その一方で非正規雇用であるため、各種手当やボーナス、育休制度はない。

 そんな中で守りたいのは、「やりたい仕事を続けていく」「家族の健康」の2つだ。やりたい仕事と、家族との時間の両方を求めるのは欲張りな働き方かもしれない。

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 新卒で入社した広告営業の世界でがむしゃらに働き、成果も出した。一区切りついた27歳のときに島根へUターン。退職時には「新しいチャレンジを地方でしたい」と強気で言ったが、内心は「東京で出会った人と結婚したら、地元に帰る選択肢はなくなるかもしれない。一応、ひとり娘だし……」と考えた上での決断だった。結局3年後、島根で東京出身の男性と出会って結婚することになったのだから、不思議なものである。

 創業支援や商店街事業を行うNPO法人で働き始めて2年目に、妊娠が分かった。職場の人たちに迷惑をかけないようにと、出産ギリギリまで働いた。出産直後も仕事が気になり、子供が寝た隙を見計らってパソコンを開いた。

 できる限り仕事を続けようと思っていたが、初めての育児で精神的にも体力的にも追いつめられ、地域づくりという活動の性質上欠かせない土日のイベントへの参加も難しくなった。このままでは出産前のようなパフォーマンスは出せない。夫が転職を考えていたこともあり、一度リセットしようと、夫婦で私の実家近くに引っ越すことに決めた。

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 そして保育園探しと就職活動を始めることになる。地方といっても、0~1歳児の保育園入所は簡単ではない。通える範囲の保育園全てに電話をかけ、空きが出るまで複数の保育園の一時保育をかけもちで利用した。就職活動では、保育園のお迎えに間に合う勤務時間、土日出勤なし、残業なしなどの条件で探していたが、3ヶ月以上見つからなかった。

 その間、収入がないことへの焦りはあった。しかし、自分がどんな仕事をしたいか、どう子育てをしたいか、じっくり考える十分な時間を持てた。条件が合えば何でもいいわけじゃない。自分がやりたいと思えることをする。収入が低くても、正社員でなくてもいい、保育園への送り迎えができて、家族と一緒に夕食を食べる生活を日々したい。そういう仕事を見つけたい。

 自治体から、これまでの経験を買われて「高校のコーディネーター」という仕事への誘いを受けた。コーディネーターとは、教員でもなく、事務職でもない、学校と地域・行政との調整役。勤務条件については有り難いことにかなり融通してもらえた。子供が1歳半のときから週3日で仕事を始め、保育園の入所が決まってからほぼフルタイムで仕事に復帰した。最初は残業できないことについて周囲への申し訳なさがあったが、定時きっかりに帰る代わりに、勤務中はコミュニケーションを積極的に取り、次第に仕事のスタンスを同僚や上司に理解してもらえるようになった。また、学校現場は子育て中の教員も多く、子供が急な病気になったときにも休みやすい環境があった。

地方の女性の子育て環境

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 冒頭で、育児をしながら働く女性の有業率1位が島根県であることを紹介した。でも、都市部と比べて、夜間保育や病児保育、ベビーシッターなど、保育園以外の保育環境の選択肢は限られる。島根県内の夜間保育は、病院勤務者向けの院内保育園を除くとわずか2件。ベビーシッターも、紹介会社のサービスエリア外だったり、マッチングサイトで検索しても島根県では0件だったりする。

 自治体が運営する「ファミリーサポートセンター」という制度はある。援助を依頼するための会員登録をすると、援助を行う会員の自宅に短時間預かってもらえて、しかも1時間あたり600円前後(島根県の場合)と比較的低価格。非常に有り難い制度だ。

 私も、周りの友人たちの多くも、夫か親の助けを借りて子育てをしている。それが地方の子育ての利点だと思う。逆にいえば、地方で親の助けなしに核家族として生活する家族にとっては、子供の発熱や病気など急な対応が必要なとき、病児保育の少なさなどに不便さを感じるかもしれない。

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 最初から家族との時間と両立させるために、パートや非正規雇用をあえて選んでいる女性も多くいる。私のように。

 でも、地方で子育てをすることに今、満足している。その理由は自然が豊かだからとか、食べ物が美味しいとか、環境のことだけではない。車のガソリン代はかかるが満員電車のストレスはないし、住居費は都市部と比べて安く収まる。

 実は両親からは、仕事でパフォーマンスを発揮することよりも、もっと家庭的な母親の役割を求められている。母から「3歳までは自宅で子育てをするべき」「子供がかわいそう」「遠方への出張なんてまだ早い」という意見をもらうことは多々ある。そこを理解してもらうにはまだまだ時間がかかる気がする。

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 しかし時代は変化する。母が生きてきた「結婚したら専業主婦に」という時代は過去のものであり、共働きが当たり前の時代に突入している。母は、私にはぶつぶつ小言を言いつつも、かけがえのない存在である孫の遊び相手になっている。

 夫の単身赴任先に同行せず、地方で両親の力を借りながら仕事と子育てをすることは、自分が選び、納得して決めたこと。今の仕事は自治体の予算で人件費を捻出しているため、3年後にこの職務があるのかどうか分からない。でもそこに対する不安は全くない。これまでもそうであったように、今の職場で成果を出すことで、次の仕事につながる可能性や、新しい仕事のチャンスが来ると信じ、日々を楽しんでいる。

著者:本宮理恵(もとみやりえ)

本宮理恵

NPO法人てごねっと石見 理事/横田高校魅力化コーディネーター

1983年島根県生まれ。大学卒業後、株式会社リクルート入社。都会に憧れ、地方には何もない、つまらないと嘆く同世代や、それに同調する地域全体に疑問を持ち、自らの挑戦をもって、これからの生き方を描こうと島根にUターン。江津市に移住し、「若者が挑戦する地域を作りたい。帰って来れる島根を作りたい」と創業支援、人材育成、商店街活性を目指すNPO法人てごねっと石見を設立。地域の様々な関係者を巻き込んだ若者の定住に向けた創業支援の取り組みが評価され、同法人は地域再生大賞を受賞。
2014年より、高校魅力化コーディネーターに就任。島根県奥出雲町にある県立横田高校で、地域、行政、学校をつなぎ、地域と連携したキャリア教育などに取り組む。