エッセイスト・紫原明子さんが試行錯誤した「専業主婦から社会人へ」の可能性《前編》

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はたらく女性の深呼吸マガジン『りっすん』では、女性が普段の仕事や生活で感じるさまざまな思い――楽しさも苦しさも、“考え事”も“もやもや”も――について、もっと誰かと気軽に話し合えるような土壌を整えていきたいと考えています。そこでまずお話を伺い、記事として届けたいと考えたのが、エッセイストの紫原(しはら)明子さんです。

18歳でIT起業家と結婚し、19歳で出産。その後、社会人経験のないまま2人の子どもを持つ専業主婦、奔放な起業家の妻として過ごした明子さんは、離婚に直面してから31歳で「初めての就職」をしました

一般的に、職歴のない主婦の就職活動には困難が伴います。ロールモデルもわかりやすいキャリアパスもそこには存在しません。そんな中、明子さんはどのように前へ進んでいったのか。そして、人気となった明子さんの個人ブログ「手の中で膨らむ」では、自分のことを表現するために何を意識したのか――その中から、「女性が働くこと」を考えるヒントを得てみたいと思います。

専業主婦として31歳まで過ごした紫原さんの「社会人デビュー」

明子さんの今のお仕事について教えてください。

エッセイやコラムなどの執筆活動と並行して、業務委託で週2回、ニュースアプリの運営会社で働いています。スポットでPRの仕事、例えばイベントの運営などを引き受けることもあります。

長く専業主婦として過ごしたあと、31歳で「初めての就職」をされました。最初の勤め先はどのようなきっかけで見つけられたのでしょうか。

元夫との離婚を視野に入れたとき、東京での生活費を維持するために「とにかく働かないといけない」と考えました。「資格がなくて大卒じゃなくてもできる、パートではない仕事」を探そうと思ったんですが、そういう仕事は何かのご縁がないと無理かなと。そこで、いろいろな人を招いてホームパーティーをしていました。そしたら、少しずつ本当に知り合いが広がっていって。ボランティアではあったんですが、IT系向けのイベントを運営する非営利団体に所属することになったんです。

その団体でのイベントで、講演をしてくださる方々のアテンド役として、出版社の経営者とお話しする機会がありました。そのときに「ちょっとうちの会社手伝ってくれない?」と言われまして。願ってもない話が来た、こんな話ほかにない!と思って、その出版社に入社しました。男性ばっかりの会社だったので、食器を洗ったりとかの雑用係です。

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働こうと思ったときに、いいタイミングで話が舞い込んできたんですね。

そうなんです。非営利団体にいたころ「仕事を探しています。もしよかったら仕事をください」と常々言っていて、初めて声をかけてもらったんです。しかも講演者のアテンドの仕事が、私が主婦としてやっていたことの延長でできたので、そこでベストパフォーマンスを発揮した(笑)。お茶を出すタイミングがばっちりとか、のどが渇いていそうだなと思ったらお水を出すとか、「お弁当そろそろ食べますか」と声をかけるとか、そういう部分で「あっ、できる」と実感して。自分が動けばことはぽんぽんと運ぶんだ、ということが結構自信につながりましたね。

出版社はやっぱりすごく忙しくて、1年ほど働いていたら、体調を崩してしまいました。それで辞めてからは、フリーランスとして友人・知人経由の依頼で仕事を受ける形をとっています。気づけばIT業界に長くいるようになって、その領域でのつながりを生かしてイベントの登壇者を見つけてくるなど、自分の強みを求められる仕事をしています。

ずっと知り合いを通じて輪が広がっているイメージですね。

出版社での仕事がすごく人脈を広げてくれて、そこで培ったものが次へ、次へと生かされていると感じます。すごく忙しかったけれど、その分、濃い時間を過ごせたことも事実で、とてもありがたいことでした。なかなかない突飛なケースだとは重々承知しておりますが……。

「子どもに申し訳ない」という自分の気持ちが、子どもを“かわいそう”にしていた気がする

専業主婦から順調にワーキングマザーへとシフトできた……と捉えられることもあるかと思います。それに対して思うことはありますか?

振り返ってみれば順調にいったなぁという気持ちはあります。ただ、スタートが遅かったぶん、やっぱり大変なこともありました。30歳を過ぎて初めて仕事を覚えるという状況で、「今を逃したらもう次のチャンスはない」と思っていて、そのときは本当にがむしゃらに頑張りましたね。

環境がそれまでと大きく変わってお子さんはどう感じられていたのでしょう。

いま息子が中3で、娘は小5です。当時は下の子どもが小学校に入ったばかりで、子育てとの両立は結構悩みました。私が「仕事楽しい!」とハイになってどんどん忙しくなっていくにつれて、子どもが家でだんだん無気力になっていくんです。帰宅してみたら子どもがソファに横になってテレビを見ていて、あんまりしゃべらないし、不思議なことに虫歯も増えるし。

お子さんが直接、明子さんに「働かないでほしい」「家にいてほしい」と言うことはあったんでしょうか。

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「生活のためにお母さんが働いている」ということは伝えていましたし、納得しているかどうかはさておき一応「わかった」と言います。でも「仕事だから」と言うと「また仕事?」って返ってくることはありました。

直接的なことはあまり言わない?

そうですね。それは言わなかったかなぁ。

子どもだって学校から帰ってきて疲れているから、ソファでテレビを見ていたってよかったと、いまは思えるんですが、当時は私の中に負い目が大きくて。誰から責められているわけでもないのに気持ちが板挟みになってしまい、体調を崩すこともしょっちゅうありました。

離婚をしてシングルマザーになった、結婚せずにシングルマザーになった、結婚していてもお父さんが育児にあまり参加しないなど、いろいろな立場での「働くお母さんと子ども」の関係性があるかと思います。明子さんはその点で工夫をされたことはありますか?

仕事が理由で子どもと100%関われないことへの後ろめたさを持つか持たないかは、自分次第だったんじゃないかな……と思います。私は「申し訳ない、申し訳ない」という子どもへの気持ちが強すぎて、子どもをかわいそうだと思いながら見る自分自身が、子どもを“かわいそう”にしていたのかなって思うことがあります。

子どもは良くも悪くも私が家にいない間に好き勝手できて、楽しいこともきっとあったはずなんですよ。好きなだけゲームやったり、お友達をいっぱい呼んで子どもだけで遊んだり。

自分ができる範囲で最大限の配慮をしていることを自分で認めて、割り切らないといけなかったな、って思います。子どもに対して100%のケアをすること、四六時中子どものそばにいることが、子どもにとって本当に良いことなのかどうか、それはわからないし。

子どもにも自分の世界がありますもんね。

「自分を楽にする方法」「余裕がある状態」を自分で試してみよう

私の母は自宅で英語の先生をやっていたんですね。仕事のほかにPTAの活動で家にいないこともあったけれど、それでも自分は母からちゃんとしたケアを受けていたなと思い返すことがあって。それに比べて、私は母がしてくれていたことを、自分の子どもに対してできていないかも、と考えてしまうんです。

自分の生い立ち、育った環境をすべてのお手本や基準のように考える節がどうしてもあって、ついそれをいまの社会にも当てはめようとしちゃうんですけど、昔と今とではライフスタイルはかなり違いますよね。なんだかんだいってみんな、自分が育てられたように子どもを育てれば安心って思ってしまうところ、あるじゃないですか。

自分がよかれと思ったことが実は……というのは普段の生活でもよくある気がします。

働くお母さんとしてうまくいく方法が決まっているわけではないし、うまくいかなければ新しい仕組みを自分で作っちゃうとか、いろいろ試すといいんじゃないかと思うんです。自分を楽にする方法を考えて、生きやすい方法、後ろめたくないやり方を子どもに示しておくと、きっと子どもが大人になったときに、同じように子育てができると思うから。

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自分を楽にする方法を考えるというところに、いままさに悩むお母さんにとっては思考の飛躍が必要かな?とも思いました。柔軟に考えられるコツはありますか?

自分の能力を、6~7割ぐらいで見積もることでしょうか。隙を残しておくというか……。具体的には、「今日はこれから家に帰って晩ごはんを作る余裕はあるけど、そこで晩ごはんを作っちゃうと8割くらいまで疲れちゃうから、お総菜を買って帰ろう」という感じですかね。

常に余裕がある状態にしておかないと、子どもが夜中に急に熱を出して不慮の対応に迫られるときに、すぐキャパシティオーバーになっちゃう。手を抜くことに対してポジティブになって、頼れるものには頼ればいいんじゃないかなって。

ブログを拝見していると、出版社を辞めてからは“働くこと”から少し距離を置いているように伺えました。おいしそうなパンの写真が連日登場していましたが、どういったきっかけでパン作りを?

疲れて仕事を辞めて、崩してしまった体調を立て直すために、パンを焼くのはすごく有効でした。人肌で発酵するし、こねると感触がどんどん手の中で変わっていくし、自分の思い通りになっているという実感がすぐ得られるから、精神安定にすごくいいんですよ。

前から焼いてはいたんですが、当時の疲れた心にすごくフィットしました。癒やされたい気持ちが強かったときはとりつかれたように焼いていて、1日に2回焼いたり、夜10~11時くらいに焼き始めて午前3~4時まで焼いたり。

パンを焼くのは気持ちいい。 - 手の中で膨らむ

パンを焼くのは気持ちいい。 - 手の中で膨らむ

仕事に疲れてしまったということは、たぶんそれまでのやり方がどこか違っていたんだろうと思いました。だから、それまでやっていなかったことをやろうと、ブログも書くようになったんですよ。

「やっていなかったこと」としてブログを選んだ理由は何でしょう?

出版社で広報をやっていた頃は、商品やコンテンツが何よりも前に出るべきで、自分が主張してはいけないという気持ちが強くあったんです。だからその時期は何となくブログを書くような気持ちになれなかったんですよね。

もともと文章を書くのは好きでした。10代の頃にホームページを作って、中二病っぽい感性で文章を書くなんていうこともしていました(笑)。自己主張ができないと感じた状況にいたから、ブログで自分を目立たせていかないと、次の縁が来ないと思ったんです。人に面白いと言ってもらえるのがとても好きなので、いつもウケを狙って書いて、笑ってもらえたらうれしくて。

ブログでは、お子さんがプレゼンをしたことやPlayStation(プレステ)型のケーキを作った記事がネット上でバズっていましたよね。

akikomainichi.hatenablog.com
akikomainichi.hatenablog.com

あー、忘れていました。そうでしたね! この2つの記事は反響が大きかったにもかかわらず好意的な反応ばかりだったという奇跡を感じました(笑)。

プレステケーキは、自分が作ったもので狙った通りにウケてもらえたということがすごく楽しかったですね。質感がセメントっぽいところがよかったんですよね。もしきれいに作れていたらウケは狙わなかったかもしれないけど……。

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インタビュー後編では、ブログを書いていた明子さんがどのように文筆業へ進んでいったのか、離婚と家族観、「主婦業からキャリアを作る」ことへのヒントなどを伺います。

www.e-aidem.com

文・万井綾子/写真・赤司聡

お話を伺った人:紫原明子 (id:akikomainichi)

紫原明子

エッセイスト。1982年、福岡県生まれ。高校卒業後、音楽学校在学中に起業家の家入一真氏と結婚。後に離婚し、現在は14歳と10歳の子を持つシングルマザー。『cakes』『SOLO』『Project DRESS』などで連載を持つ。フリーランスで企業とユーザーのコミュニケーション支援、ウェブメディアのコンサルティング業務等にも従事。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)。

ブログ:手の中で膨らむ