忙しく働いているはずなのに満足な給料が得られない、急病により思うように働けなくなった……。こうしたとき、環境や社会という大きな構造に目を向けず、全て「自分のせい」と自分を責めてしまう人は少なくないように思います。
フリーライターの吉川ばんびさんは、自身の体験やこれまでの取材経験を踏まえて、過度に「自己責任」を内面化することに警鐘を鳴らします。著書『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』では、いかに貧困が構造的につくられているものかを指摘しました。
今回、吉川さんには自身の体験を振り返っていただきながら、自己責任論が導く「孤独」の問題と、誰かに頼ることの重要性について、ご執筆いただきました。
20代半ばくらいまで、私は本当に「ひとり」だったのだと思う。
職場と自宅を往復するだけの毎日を送っていた当時、私はただただ「日常」を崩さないことに精一杯で、プライベートで誰かに会う心の余裕は少しもなかった。
あのころの自分は、とにかく何に関しても「人様に迷惑はかけられない、頼れるのは自分だけだ」と、どこか強迫的に思い込んでしまっていた。そのせいで、会社以外ではほとんど人に会わず、限界を感じても「助けて」と声に出すことはおろか、愚痴をこぼせるような関係性すら誰とも築けていなかったように思う。
それが、どれだけ危機的状況で恐ろしいことであるかも知らずに。
仕事のあまりの忙しさから「ひとり」になった
25歳の冬まで働いていた法律系事務所は慢性的な人手不足で、朝から晩まで取っても取っても鳴り止まない電話に社員のほとんどが半狂乱に陥っていた。一人一人の業務量はかなり膨大で、電話応対のわずかな合間にちまちまとタスクをこなすだけではまったく終わりが見えない。本腰を入れて作業に取りかかることができるのは、いつも定時を過ぎてからだった。
たまに新しく人が採用されても、教育する立場の人間がもれなく半狂乱になっているから、新人に八つ当たりをしたり無茶ぶりをしたりで、結局採用したうちの95%くらいは1カ月と続かず辞めていってしまう。だからといってすぐに人が増えることはないので、残された人間たちの負担はどんどん重くなる。典型的な負のループだ。
当時の私は、日常的に22時までの残業をこなし、土日や祝日、お盆や年末年始も必ず交代で出社していた。だから、休日は泥のように眠ることしかできず、誰かと連絡を取ることも、気分転換をする気にもなれなかったのだ。
異常な状態に置かれた人は「正常」の判断が付かなくなる
毎朝、強烈な胃の痛みとともに起床し、吐き気と腹痛に耐えながら電車に乗る。2日に1回は会社に到着するまで我慢できず、途中下車して駅のトイレに駆け込んだ。
今になって考えれば明らかに異常な状態だと分かるけれど、こうした生活を長く続けていた当時の私の「普通」の基準はその輪郭がかなりぼやけていて、自分が正常なのかどうかさえ判断が付かなくなっていた。
自分が会社を休めば、みんなに迷惑がかかってしまう。抱えている仕事が後回しにされ、結局自分の首を絞める結果にもなる。
脳全体がそういった思考に支配されていて、脳から全身へ送られる「何があっても逃げるな」という電気信号に従い、ただただ心身を摩耗するだけの日々が数年間続いた。
「もう限界かもしれない」と気付いたころには時すでに遅く、心と体はとっくに壊れてしまっていた。ストレスや疲労、さまざまな不調を抱えて臨界点に達した人間の皮膚が真っ黄色になる(こともある)のは、このときに初めて知った。
家から徒歩10分のスーパーに行くだけでも目眩がして、店内でしゃがみこんでしまうから、外出は怖くてほとんどできなくなった。そんな状態で働き続けられるわけもなく、25歳の冬、私はあてもなく会社を退職した。
もともと実家で受けていた暴力から逃れるようにひとりで暮らしをしていたので、頼れる家族もいない。再び働けるようになる目処も立たない。しばらくは貯金と失業手当で食いつなぐとして、そのあとのプランは何ひとつ持っていなかった。
心療内科で処方される抗うつ剤や抗不安薬、睡眠薬の量ばかりどんどん増えていく。それでも心と体が回復する兆しは少しもない。毎日、何もできずにベッドに横たわり、天井を見つめることくらいしかできない。唯一の外部との関わりは心療内科への通院だけで、それ以外、私は惨めなほどひとりぼっちだった。
どれだけつらくても「助けて」が言えない若者たち
私の場合、この「何もできない状態」は半年間続いた。自分がそうなって初めて知ったことだけれど、社会には、どれだけつらくてもSOSを出せない人たちが多くいるようだ。
特に2000年代以降に台頭しはじめた「自己責任論」の影響は強く、日本の人々はとにかく「他人に迷惑をかけてはならない」「世間にとっての”厄介者”になってはいけない」という風に、常に「手がかからなくてお利口」であることを善とする価値観を義務教育の頃から刷り込まれているように思える。
もともと日本で「自己責任論」が大きく取り上げられるようになったのは、小泉政権下での労働法改正により非正規雇用の拡大、ワーキングプアなどの問題が多発し、「貧乏なのは努力が足りないせい」といったような言論があたかも「正論」であるかのように扱われたためだ。いわゆる「成功者」の自伝や自己啓発本がベストセラーとなり、多くのメディアが「勝ち組」「負け組」といった言葉をやたらと多用して競争を扇動していた時代の名残は、今もなお世間に根強く残っているように思う。
また、「身近な人に心配をかけたくない」「重たい話をすれば嫌われるのではないか」といった思いから、深刻な悩みほど誰にも言えない人も非常に多い。そういった真面目で、優しくて、空気を読み過ぎてしまう人ほど、ひとりで何もかもを背負いこみ、頑張り過ぎた結果、最終的に潰れてしまう傾向にあるようにも思う。
「食べるものがない」それでも支援を拒む背後にある風潮
先述の法律事務所で債務整理の仕事をしていたとき、おそらく数百件以上にものぼる数の生活困窮者の相談に乗った。彼ら彼女らのほとんどは真面目に人生を送ってきたが、失職や親の介護、病気など予期せぬ事態から安定収入を失ったり働けなくなったりして、周りの誰にも相談できず、最終的に私たちの元へ「どうすればいいか」と相談に訪れていた。
収入が途絶えた時期にやむをえずこさえた借金が多額になり、月々の返済のためにまた借金をするという負のループから脱出できなくなった相談者に対して私たちが提案する方法は、主に3つ。
まずは「任意整理」という方法で、借入業者に利息を0にしてもらい、元金のみを分割で返済していき完済を目指すものだ。任意整理は家族や第三者に借金を知られることもないため、私たちの事務所に依頼する人は、ほとんどがこの方法を希望していた。
それでも解決が難しい場合は「個人再生」「破産」を考慮することもあるが、これら2つの方法は借金をしたという事実が公になるため選ぶ人はごく少数だ。
ただ、いずれの場合も、「利息が0になる」というメリットを知ってもなお、本人が「どうしても債務整理*1はしたくない」と抵抗感をあらわにすることは決して少なくなかった。
彼ら彼女らの言い分は「自分で作った借金ですから、利息も含めてちゃんと自力で返したいんです」というもので、「困っているときに助けてくれた借入先に迷惑をかけたくない、申し訳ない」という気持ちから、どうしても債務整理を避けたがっていた。
とはいっても本人は働ける状態になく、もはや「努力次第」でどうにかできる段階でもなければ、「迷惑をかけたくない」などと言っている場合でもないことは明白だ。中には「今日明日、食べるものがない」という人も、家賃が払えずアパートを追い出されてしまった人もいた。
そこまで困窮して追い詰められている人には、こちらから「生活保護を申請する気はないか」と提案するのだが、それでも本人たちは「まだがんばれます」と言うばかり。「自分は支援が必要な状態である」だなんて微塵も思っていないようだった。
このような経験をくりかえす中で、私は「自己責任論」に端を発した「人に迷惑をかけてはいけない」「助けを求めるな、自分の面倒は自分で見ろ」といった風潮が招いたものの恐ろしさを、改めて感じた。
SOSが出せない人々は異端な存在じゃない
働けなくなってから半年後、私は治療を続けながら在宅でできる仕事を探し、今は「貧困」や「弱者」にまつわる社会問題を提起するため、文章を書くことを生業にしている。取材を通して、路上生活者や経済的に困窮している人の生活も多く見てきた。
今では、働けなくなっても、食べるものがなくても、家を失っても、それでも「誰の力も頼らずに生きていかねばならない」と信じて疑わない彼ら彼女らが、決して別世界の異端な存在ではないことが分かる。私自身もそうであったように、誰にも「助けて」と言えない人々は、今この瞬間も、日本中におびただしい数存在している。
日本に暮らす人々は、本人たちですら気付かないあいだに「自己責任論」を刷り込まれ、ほんの少しのSOSを出すだけでも「バッシング」の対象になることを知っているのではないか。
だから誰にも弱音を吐けないまま、心身を壊すまで誰にも気付かれず、最悪のケースでは孤独死する者すらあとを絶たない。これは、支援が必要であるにもかかわらず届いていない人に対し、行政や支援機関などが積極的に働きかけて情報・支援を届ける「アウトリーチ」が十分に機能していればある程度は防げた事態だ。
「自己責任」の名の下に、困窮した人たちが「公助」を受けられない状態のなかで、何が「自助」だ「共助」だ、何が「一億総活躍社会」だろうと思う。個人が「自分で生きていく力」を身に付けるため、「公的な支援」を行き届けられるようになってはじめて、「自助」や「共助」が実現するのではないか。
社会で「孤立」しないために「依存先」を確保する
こうした自分自身の体験や、数百人以上の生活困窮者と関わるなかで身にしみて分かったことは、社会で「孤立しないこと」の重要性だ。
前述したとおり、心身が疲弊した状態では、人間は自分を守るための「まともな判断」をすることはできない。もちろん、自分が異常な状態であることも自覚できないため、第三者の介入がなくてはそこから脱出することすらほぼ不可能だ。依存先は多ければ多いほどいい。たった一人に依存してしまうのではなく、「頼れる先」をいくつか作って自分自身のセーフティネットを確保しておくことは、孤立を防ぐために非常に有効な手段だと言える。
私自身、誰にも苦しさを話せずに長年苦しんだ経験がある。初めて「つらい」と口に出すことができたのは、心療内科の初診でのことだった。つらさを打ち明けるのは決して楽なことではない。「自分がどうして困っているか」を医師に説明するとき、堰を切ったように涙が溢れ出た。
しかし結果的に、この経験は私にとって大きな前進となった。何度かこうした試みをくりかえしたことで「つらさを人に共有する」ことへの抵抗感が薄まり、自分の思考が整理され、これまでは弱い部分を見せたくなかった大切な友人たちにも、比較的気楽に「今ちょっとしんどいんだよね」と話せるようになった。
友人たちと「最近どう?」と気軽に連絡を取り合うことで、生活の中での困りごとやトラブルを共有しあい、互いのセーフティネット的な関係性を築いておくことの重要性は、今となっては痛いほどよく分かる。
とはいえ、たとえ「SOS」を出すことが必要だと分かっていても、周囲に頼ることができない人は決して少なくないと思う。もしも苦しさを誰にも打ち明けられないのなら、そのときはとにかく「福祉」を頼ってほしい。働けなくなったとき、限界を感じてしまったとき、あなたの生活を一緒に建て直す手助けをするための行政であって、公的支援のはずだ。相談することで人間関係が悪化することもないし、国民が有する当然の権利であるから、決して「迷惑」などではない。
住んでいる自治体の生活福祉課に「困りごと」を相談すれば、自分が受けられる支援に繋いでもらうことができる。「休息できない理由」が金銭的な事情なのであれば、一時的に生活保護を受給し、必要なケアを受けながら仕事を探すことも可能だ。
もし現時点で生活に困りごとがある人や心のケアが必要な人、暴力被害を受けている人は、すぐに専門家に相談してほしい。カウンセリングによって「一時保護が必要」だと判断された場合、シェルターや施設での安全確保や、新たな居住を探すための支援を受けられたりする。
心身ともに疲弊しているとき、自分が今できること、できないことを整理して、安定して働ける環境基盤を築いていく。
これは決して、自分一人ではできないことだ。
「助けて」と言うことは「逃げ」ではない
自分の体が一度壊れてしまってから、「誰にも頼れない、自分ががんばるしかない」という考えは、本当に恐ろしいものだと思うようになった。「私が仕事を辞めて半年間何もできなかったとき、もしも心療内科との唯一の繋がりを絶ってしまっていたら」と考えると、ぞっとすることがある。
今年になって急増した若者の自死のニュースを見るたび、「自己責任論とは、一体誰が何のために生み出したものなのか。必要なときに助けを求められず、みんなでゆるやかに死に向かっていく社会なんて何の意味があるのか」と、自問自答を繰り返している。
あなたが今つらいのは、決してあなたのせいではない。
あなたが勇気を出して「助けて」ということは、決して「逃げ」でも「悪いこと」でもない。誰かに後ろめたさを感じる必要も、まったくない。
心身が壊れてしまってから、もう4年ほどたつ。通院治療はまだ続いているが、自立支援医療制度*2の恩恵も受けながら、心と体の微妙なバランスを崩さないように注意をはらって働き、生活できるまで回復した。
壊れてしまったものが元に戻ることはないかもしれないけれど、以前より自分の気分や体調のコントロールがしやすくなった今は、心から「生きていてよかった」と思えるようになった。数年前の自分からは、想像もつかなかった未来だ。
誰のことも頼れない。迷惑をかけられない。
そんなふうに追い詰められている人たちが、少しでも救われる世の中であってほしいと思う。この記事が一人でも多くの人に届いて、たった一人だけでも、誰かがSOSを出すことができるきっかけになれば、これ以上幸せなことはない。
著者:吉川ばんび