カピバラさんのような、長く愛されるキャラクターを育てたい。バンダイ井上さんのお仕事

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『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」。第5回に登場いただくのは、株式会社バンダイの「ファンシー雑貨プロジェクト」で活躍している、井上陽子(いのうえ・ようこ)さん。人気キャラクター「カピバラさん」のプロモーション企画や、新キャラクター「ほわころくらぶ」の商品開発など、たくさんの“かわいい”を発信している井上さん。なぜバンダイで働くことにしたのか、普段どんな思いを持ってお仕事と向き合っているのか、詳しい話を伺いました。

「カピバラさん」「ほわころくらぶ」などのプロモーション・商品開発に奮闘中

現在のお仕事について教えていただけますか?

井上さん(以下、井上) 「ファンシー雑貨プロジェクト」というチームに所属し、主にプロモーションを担当しています。チームは12名で、そのうち女性が7名、男性が5名です。「ファンシー雑貨プロジェクト」は、バンダイの他の部署と比べてもプロモーション方法がちょっと特殊なんです。

特殊、というと?

井上 他の部署は、基本的にはCMや広告などで、“キャラクターの商品”を売るためのプロモーションをしていますが、私たちは、“キャラクター自体”のプロモーションをしています。代表的なキャラクターでは、「カピバラさん」がありますね。キャラクターの認知度アップを目指したり、いかにしてそのキャラクターを好きになってもらえるかということを考えているんです。

具体的に、プロモーションの仕事はどのような業務があるのでしょうか。

井上 キャラクターのデザインや商品展開に合わせて、イベントの企画・実施をしています。「カピバラさん」では、カフェとコラボをしたり、旅行会社さんとのツアー企画、動物施設とのタイアップ、人気キャラクターとのコラボなどを実施しました。

現在、井上さんが担当しているキャラクターを教えてください!

井上 前期までは「カピバラさん」の担当をしていましたが、今期からは、新しく立ち上げた「ほわころくらぶ」というキャラクターの担当になり、グッズの開発やプロモーションの実施などを中心に日々奮闘しています。私は今回、「ほわころくらぶ」のプロデューサーとしてメインで仕事をしています! ですから、このキャラクターへの思い入れも強いですし、今まで以上にいろいろとドキドキしています。

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井上さんが担当する「ほわころくらぶ」(C)NORIYUKI ECHIGAWA

「ほわころくらぶ」、見ているだけで癒やされます……!

井上 イラストレーターのえちがわのりゆきさんがデザインしたキャラクターです。このキャラクターの商品化窓口を弊社が行っていまして、作者さんと一緒に、今後のキャラクター展開について相談しながらデザイン、商品化のタイミング、イベントやコラボなどの企画を進めています。バンダイからは2017年9月上旬に、初めてのグッズとしてぬいぐるみを発売しました。

ところで、プロモーションのお仕事と聞くと「華やかなお仕事なのかな?」というイメージがありますが……。井上さんはそのあたりについてどう思われますか?

井上 そんなことないと思いますよ(笑)。チームの人数も少ないですし、限られた予算の中で企画を進めなければならないので、自分たちで細かい作業を行うこともしょっちゅうあるんです。

例えば、キャラクターのコラボカフェや、物販の催事イベントなどを行う際、イベントのパネルを作ったり、キャラクターと写真が撮れる整理券を1枚ずつ切ったりという作業も私たちがやっています。お客様には見えないところで地味な仕事もたくさんしているので……。イメージされているような華やかさには欠けるかもしれないですね。

本当に細かなところまで担当されているんですね。ちなみに井上さんはキャラクターとのコラボカフェを実施するとき、どんな業務をされているのでしょうか。

井上 お店の方と一緒にメニュー開発をしたり、ランチョンマットなどの配布物を決めたり、装飾をどうするかを決めたり……。あらゆることに携わります。お客様に満足してもらえるよう、「さまざまな方向からキャラクターの世界観を楽しめる空間を作ろう!」と尽力しています。

子どもを笑顔にできる“おもちゃ”に魅力を感じ、バンダイへ

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学生時代はどんなことを勉強されていたのでしょうか。

井上 大学では、児童福祉を専攻していました。当時は子どもの発達や保育、児童虐待、子育て支援などの「子どもに関わる勉強」をしたいと思っていて。

そこからバンダイへ入社しようと思ったのは、どういった点に魅力を感じたのでしょうか。

井上 就職活動時、最初はバンダイ以外のおもちゃ会社だけでなく、通販会社など、「モノ作りに携われる仕事」をチェックしていたんです。その中でも、バンダイの「人を喜ばせるモノ作りができる」だけでなく、「子どもたちに夢を与えることができる」という点に強い魅力を感じて。

例えば、キャラクターの変身グッズを扱っているので、子どもに「ヒーローになりたい!」という夢を与えたり、その夢に寄り添ってあげることができる。これは、バンダイだからこそできることだと思っています。

バンダイの「子どもたちに夢を与えることができる」点に魅力を感じた、というのはやはり“子どもが好き”といった思いが根底にあったからなのでしょうか?

井上 もちろんそれもありますが、弟の影響が大きかったように思います。

私には13歳年下の弟がいるんですが、年が離れていることもあって、自分の子どものようにかわいいんですよね(笑)。そんな弟がおもちゃで楽しそうに遊んでいるのを見て、「おもちゃって子どもをこんなに笑顔にすることができるんだ。おもちゃってすごい!」と思うようになりました。

弟さんの笑顔が、おもちゃを扱う会社への憧れを高めていったんですね。

井上 そうですね。それと、子どもが喜ぶ「モノ」を作る仕事に就きたいという思いはありましたが、バンダイは幅広い年齢層の商材を扱う会社で、さまざまなチャレンジができるというのも魅力に感じました。

現在の「ファンシー雑貨プロジェクト」への所属は、井上さんの希望だったのでしょうか?
 
井上 そうです。異動の希望を出して、入社4年目に異動することになりました。

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異動したいと思ったきっかけのようなものはあったのでしょうか?
 
井上 もともとファンシー系の雑貨が好きだったというのもありますが、入社して数年働いているうちに、「自分の感覚が生かせるところで働いてみたい」という思いが芽生えてきたんです。「ファンシー雑貨プロジェクト」は主に20~30代の女性に向けた商品を扱っているので、ターゲット層と自分の年齢がぴったり合っていて。なので、ファン層の気持ちを分かってあげたり、思いをくみ取りやすかったりするので、お客様の心に刺さる企画が考えられるんじゃないかなと思い、異動を希望しました。

ちなみに井上さんは、入社する前からキャラクターものはお好きだったのでしょうか。

井上 好きでした! 学生時代も、キャラクターの筆記用具とかを使っていました。かわいいものが身近にあると、それだけでワクワクしますよね。あとは雑貨も好きでした。大人になった今もプライベートで買い物に出かけたら、キャラクターグッズや雑貨コーナーをついのぞいてしまいます。最近は、無意識のうちに「この雑貨でうちのキャラクターグッズを作ってみたいな」と、仕事目線で見るようになっちゃいました(笑)。

「カピバラさん」のコラボツアーでは、お客様からのリアルな声も

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仕事をしていて「嬉しい!」と感じる瞬間について教えてください!

井上 やっぱり、お客様に喜んでいただけたときが、何よりも嬉しいですね。お客様が参加するタイプのイベントに携わることも多く、直接お客様の反応を見ることができるので。

例えばコラボカフェだったら、オープン前から多くのお客様が並んでくださっていたり、入った瞬間に「わぁ!」と感動してくださったり……。そういう様子を見ていると、私も「頑張ってよかった!」とこみ上げてくるものがあります。カフェの方と肩を組んで涙したこともありましたね(笑)。お客様の笑顔が一番の活力です。

このお仕事をしてきて、特に思い出に残っているエピソードを教えてください。

井上 旅行会社さんと一緒に、「カピバラさん」とのコラボツアーで那須や台湾の旅を企画したときのことですが、私も運営のため旅行に同行しました。そのとき、お客様と直接会話をする時間がたくさんあって、お客様のリアルな声をしっかり聞くことができたんです。「あのデザインがよかった」「こういうグッズが欲しい」と、お客様の表情を見ながらご意見を聞くことができたのが嬉しかったですし、勉強になりました。ツアー自体も好評で、貴重な経験ができました。

ファンの方と直接話すというのは刺激になりますね!

井上 「カピバラさん」のキャラクターイベントをしているときに、カピバラさんのファンの方が「前もいらっしゃった担当の方ですよね」と声をかけてくださったり、私宛てにお手紙を書いて来てくださった、ということもあるんです。「いつも楽しいイベントをありがとうございます」というようなことを書いてくださっていたりして。私は一担当者ではあるんですが、私のキャラクターへの愛情が、お客様にも伝わっているのかなと思って、とっても嬉しく思いました。

逆に、これまでのお仕事で「大変だったな」「つらかったな」と感じたことはありますか?

井上 「おしゃれで大人っぽいカピバラさんの新デザインを作ろう」と企画し、実際に進める過程は、悩んだり、落ち込むことが多くありました。

具体的に、どんな点で悩んだのでしょうか。

井上 「カピバラさん」は今までキャラクターが前面に出ているデザインが多く、少し幼いイメージもあったので、「カピバラさんは好きだけど、もっとさりげなく持てるデザインの商品が欲しい」という意見も多く寄せられていたんです。そこで大人っぽい新デザインを……ということだったのですが、今までのキャラクターイメージを変えることにもなるので、最初関係者の方々から「売れるの?」という不安の声をいただくことがあったんです。10年以上も人気のキャラクターですし、ファンも一緒に歩み大人になっているので、大人っぽいデザインの必要性はアンケートの調査や分析からも自信はあったのですが……。

「キャラクターの新しい一面を作ろう」というキャラクターにとっていい決断をしたのに、不安の声をいただいたというのはたしかに悩みますね……。

井上 ただ、売り出した結果販売状況もよく、人気のデザインシリーズとして今までになかったお店への商品導入やタイアップも実現しました。より多くのお客様に手に取ってもらえて、「大人っぽいデザインを今後も広げていきましょう」となったんです。最終的にはすごくいい形で企画を進めることができました。

「大人の女性」をターゲットにした「OTONA KAPIBARASAN」 (C)TRYWORKS

苦労した分、いい結果に結びついたのは喜びも倍以上になりますね! その他、普段のお仕事で気持ちが落ち込んでしまうようなことはありますか?

井上 そういうのは少ないかもしれないですね。そもそも、会社自体が挑戦することを評価してくれることもあり、失敗しても「次の挑戦に生かし、挽回する!」という風土があるんです。なので、失敗したとしても落ち込みすぎず、次に向けていろいろなことに挑戦できていると思います。それでも落ち込むときは、チームのメンバーに相談して解決するようにしています。

チームのメンバーに迷わず相談ができるというのは、いいですね。

井上 一人でどうしようもなく困ったときは、声をかけると一緒に解決策を考えてくれるし、みんなでなんとかしようと考えてくれるチームです。チームの人数が少ない分、役職に就いている方も現場に出たりとか、一緒になってイベントで使用するパネルを作ってくれたりしているので、そういう環境がまたチームの絆を深めているのかもしれないですね。

今は私がチームの最年少ですが、後輩ができたときは、私が今先輩にしてもらっているような、意見を言ったり相談をしやすい雰囲気を作っていきたいと思っています。

働く上でモチベーションになっていることはありますか?

井上 そうですね……。これもやっぱりお客様の笑顔を見ることですかね。キャラクターのイベントの開催や商品発売をするとなれば、開催や発売に至るまでがどんなに大変できつくても、当日にはお客様の笑顔にたくさん出会えます。そうすると、つらかった思いもふき飛んじゃうんです! その笑顔を糧にして、次の企画も乗り越える……。この繰り返しですね(笑)。

あとは、自分が担当するキャラクターにとても愛情を持っているので、その愛情が、自分のモチベーションを上げてくれているという部分も大きいと思います。

担当するキャラクターを、長く愛されるよう育てたい

働く上で、ロールモデルにしている人はいらっしゃいますか?

井上 入社して最初に配属された部署では女性の先輩が多かったのですが、みなさんそれぞれすごい方ばかりだったんです。仕事がバリバリできて、しっかりした意見を言えて、憧れの方ばかりでした。なので、今の自分の仕事ぶりをチェックするときは、その先輩方が当時入社何年目だったかを思い出しながら、「自分は、当時の先輩に追いつけているかな?」と考えるようにしています。その都度「まだまだだ! もっと頑張らないと!!」と、やる気になりますね。

今後の目標を教えてください。

井上 直近では、今担当している「ほわころくらぶ」を、多くの人に長く愛される、定番のキャラクターに育てていくことですね。「カピバラさん」は誕生して10年以上になりますが、それだけ続くと定番キャラクターだなという認識があるので。まずは10年続くよう目指します。

KAPIBARASAN

しばらくは、今のチームで頑張っていこうと?

井上 はい。まだまだ新しいキャラクターを作って、育成しないといけないなと思っているので。「ほわころくらぶ」だけでなく、もっとたくさんのキャラクターに携わっていきたいです。

また、今後はもっといろんな開発もやってみたいなという意欲も湧きました。今はぬいぐるみの開発ですが、バンダイは、おもちゃやコスメ、アパレルなど幅広い商品を扱っているので。長い目で見たら、そういう違った商材の開発もしてみたいな、と思います。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也


(C)TRYWORKS
(C)NORIYUKI ECHIGAWA

お話を伺った方:井上陽子(株式会社バンダイ ファンシー雑貨プロジェクト)

井上さん

バンダイに入社して7年目。メディア部で3年間働いた後、現在のファンシー雑貨プロジェクトに所属。アニメキャラクターのグッズ開発にも携わっているため、帰宅後は録画しておいたアニメ番組をチェックしている。長年担当していた「カピバラさん」に顔が似てきたと言われることも。

次回の更新は、9月20日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

ほぼ日CFO篠田さん「仕事は相手が『いい』と言ってくれて、初めて意味を持つもの」

篠田さん
Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営や、「ほぼ日手帳」をはじめとしたオリジナルグッズの販売などを行う「株式会社ほぼ日」でCFO(最高財務責任者)を務める篠田真貴子さん。長年、外資系の大手企業で働いていた篠田さんですが、なぜ「ほぼ日」に転職することを決めたのでしょうか。その理由や、どのような考えを持って仕事に取り組んでいるのかなど、くわしく伺いました。

40歳で外資系企業から「ほぼ日」へ転職。インフラ作りに尽力

はじめに、これまでの経歴について教えてください。

篠田さん(以下、篠田) 大学を卒業後、1991年に株式会社日本長期信用銀行(現・株式会社新生銀行)に入行し、社会人になりました。日本長期信用銀行を1995年に退社した後、3年間アメリカに留学して、国際関係論の修士とMBA(経営管理修士)の資格を取りました。日本に戻ってからは、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社、ノバルティス ファーマ株式会社、ネスレニュートリション株式会社と、外資系の大きな会社で働きました。そして、40歳のときにほぼ日に移り、CFOになって今に至ります。会社でいうと現在が5社目ですね。

入社前、ほぼ日という会社にどのような印象を持っていましたか?

篠田 私は「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンであり読者だったので、入社前からWebサイトをよく見ていたんです。その時点でも、「私が今まで仕事をしてきた企業とはものすごく違うんだろうな」という大まかな想像はできましたが、それ以上の印象は正直なかったですね。

それに、実はいきなり入社したわけではなく、正式なオファーをいただく前に、ほぼ日で3ヶ月ほど、あるプロジェクトのお手伝いをさせていただいていたんです。糸井*1や乗組員*2が、どのように仕事を進めているのかというのを、入社前にある程度見られたのはよかったなと思います。

その3ヶ月で、どんなことを感じられましたか?

篠田 当時のほぼ日は、コンテンツと商品が優れているのでお客様がついてきてくださっているけれど、組織立っておらず「なんとなく会社が成り立っている」状態でした。小さな会社ならそれでもいいのかもしれないですが、一定以上の規模になると、やっぱり経営とか組織運営とか、インフラを強化していかないといけないんですよね。でも、ほぼ日はそこが「できていない」ということを社内に数ヶ月いただけでも感じ取れました。私が今までいた会社は、当たり前のようにインフラが整備されていたので、「こんな状態でも会社って回るんだ!」というのが、最初の頃の正直な感想です(笑)。

3ヶ月間で、「ほぼ日で仕事をしたい」という思いは高まったのでしょうか。

篠田 そうですね。私は全く違う分野の会社で働いていたので、「私がこの組織に貢献できるのか?」という不安が少しあったんです。でも入社前の3ヶ月で、「インフラを強化するという点で、最低限役に立てる」という確信を持てたので、自分の中で入社を決意することができました。

それと、当時の自分の状況に閉塞感を感じていたということも、ほぼ日への入社を決めた大きな要因になっていたと思います。

閉塞感?

篠田 大企業にいた頃は中間管理職をやっていたわけですが、大企業って社長にならない限りどこまでも永遠に中間管理職なんですよ。社長になりたいわけでもないので、同じ職種でいる限り、転職しても中間管理職をやっていくということに変わりはない。事業の内容が変わったとか、規模が大きくなったという変化でモチベーションを保てる方もいると思うのですが、私は「職場が変わってもやることはずっと同じだ……」と、げんなりしてしまったんです。

あとは、これまで勤めていた企業では昇格していくために「海外転勤で経験を積む必要がある」というのは普通のことだったのですが、当時子供が小さかったので、海外転勤は厳しいという面もありました。子供が小さいからといって、海外転勤を断り続けるのって、社員としてはよくないと思っていたんです。

篠田さん

そのタイミングで、ほぼ日からオファーがあったんですね。

篠田 はい。どこかで進路変更しないと、自分のモチベーションが持たないとは感じていましたが、どうしたらいいのかアイデアもないし、考える余裕もない。そんなところに、ほぼ日からお話をいただいて。「思わぬ進路変更来た!」みたいな感じでしたね(笑)。

ただ、私はずっと転職人生だったので、「この会社にずっと残ってほしい」という意味でお誘いいただいているのなら、そこはお約束できないなという懸念はあって。正直に社長にお話ししました。「それでも構わない」とお返事をいただけたので、だったらお受けしても無責任にはならないと思い、引き受けることにしました。

先ほど、「インフラを整えるという点で役に立てると確信した」と仰っていましたが、ほぼ日に転職されてからインフラが整うまではどのくらい時間がかかったのでしょうか?

篠田 だいたい3年ぐらいですかね。いろんなことをしましたよ。

例えば、売れ高の数字はわかるんだけど、それが喜ぶべき数字なのか、まずいと思うべき数字なのかというのは、過去の情報の共有と分析がないとわからないんです。でも、これまでのほぼ日はそこがまとまっていなかったから、同じ数字を見ても喜ぶ人と悲しむ人が同時に出ていたんですよね。なので、過去の数字をちゃんと整えて、比較すべきものを作るという作業もやりました。ほかにも人事制度を作ったり、商品の管理方法を見直したり……いろいろやりました。基礎が整ったことで、社員の仕事効率は格段に上がったと思います。

では、現在の日々の業務はどんなことを行っているのでしょうか。

篠田 ほぼ日は2017年3月16日に上場しまして、3月まではその準備に忙殺されていました。今はだいぶ落ち着いてきて、大きくわけると3つの仕事をしています。ざっくり言いますと、1つは、いわゆる予算とか経営計画といわれるもの。2つめは、上場したばかりなので、新しく投資家や株主になってくださった方たちとの関係作りを考えること。そして3つめが海外に向けての商品の展開活動のことです。まだまだやりたいことがたくさんある状態ですね。

仕事は相手に「いい」と思ってもらえるかどうかが大切

篠田さん

多くの会社で経験を積んだ篠田さんですが、これまでの社会人生活の中で、一番私らしく働けているなと感じたのは、いつの時期になりますか?

篠田 「私らしく」ですか……。これは私の考えになるんですが、仕事って「私らしさ」を追求する場所ではないと思っていて。

!!

篠田 仕事は趣味ではありません。あくまでも、受け取った相手が「いい」と言ってくれることによって、初めて意味を持つものだと思うんですよ。「私らしい」かどうかは、相手からしたらどうでもいいこと。私の趣味にお客様は付き合う必要もないと思います。

なので、仕事に「私らしさ」を求めるというのは、個人的には微妙なところかなと思うんです。さまざまなメディアでも、働き方の部分で「私らしさ」「自分らしさ」というキーワードを見かけるんですが……。

確かに、そういう風潮は強いかもしれないです。相手の承認があって、初めて意味を持つというのは考えさせられます……。

篠田 「幸せな仕事=自分らしさの発揮」というような思い込みが強くなりすぎてるのかもしれないですね。

では、篠田さんは仕事をしていて、どんな瞬間に喜びを感じますか?

篠田 お客様に「よかった」と言ってもらって、自分が役に立てた実感があったときは、素直に嬉しいなと思いますね。それはどの職場にいるときも同じです。でも、お客様に喜んでいただけても、「これって私にとっては別にどうでもいいことなのかも……」と冷静に感じてしまったときもありました。

具体的には?

篠田 例えば、革の名刺入れを作ることになって、私はステッチを入れる係に任命されたとします。仕事だからキレイに縫いますし、それが売れてお客様に喜んでもらえたとしたら、一瞬「よかった、嬉しい」って感じるとは思うんです。でも、「本当は縫うことにあんまり興味ないな。本当は革を染める作業をしたかったな」という思いがあったら、いくらお客様に喜んでもらっても「これじゃない感」というのが心に残ってしまうんですよね。

お客様に喜んでいただけても自分の喜びにはつながらないタイプの仕事もあれば、相手が喜んでくれたことを素直に嬉しいと思えるタイプの仕事があるように思います。自分と相手の喜びが合ったなと感じた瞬間は、どの職場でも大小いろいろありましたが、職場としてそのヒット率が高いのは、今のほぼ日だなと感じていますね。

悩むのではなく考えて、課題設定することが大事

篠田さん

ご自身が若手社員だった頃を振り返って、反省点などはありますか?

篠田 もういっぱいあります(笑)。まず、「根拠のない万能感」を持っていたこと。

「私は何でもできる」と思っていて、「帰国子女だからもっと英語ができる部署に行きたい」ということを平気で上司に言っちゃったり。仕事をする上で、理不尽なこと、不公平なことがあったときは、堂々と会社に異議を唱えたり……。当時の私が今ここにいたら、本気で叱り飛ばすと思いますね(笑)。「配慮をしろ」「仕事ってそういうことじゃないでしょ?」って言いたい。とにかく、正論ありきの生意気な若者でした。

意見が言えること自体は悪くないことだと思いますが……。確かに、周囲の人はハラハラしていたかもしれませんね。

篠田 でも、自己弁護するわけじゃないですが、その変な思い込みがあったからこそ、いろいろなことに物おじせずに挑戦できたと思うんです。当時の私がああだったから、今の私があるというのは否めないところはありますね。

若さ故ということはありますよね(笑)。読者の中にも、「今のままでいいのだろうか?」と悩んでいる人は少なくないと思いますが、そういった方に向けてアドバイスをいただけないでしょうか。

篠田 何を悩んでいるかによりますが、まず知ってもらいたいのは、「悩む」と「考える」では、性質が全く違うということ。悩むのはやめて、考える技術をつけてもらいたいですね。 問題を解決したいのなら、事実をきちんと見て、「何を考えなければならないのか」という課題を設定する必要があると思うんです。

「悩む」と「考える」は違う……?

篠田 不満という気持ちだけがあって、その正体を直視できないまま、感情だけで動いてしまうのが「悩み」。不満とは、理想と現状にマイナスのズレが生じている状態です。悩みを解決したいのなら、自分の理想はどんなものであり、それに対して現状がどうなっているかという事実確認をしなければならないんです。

そのギャップを埋めるか埋めないかというのもその人の判断次第ですし、埋めるとしたらどうするべきか、どれぐらい時間がかけられるかを「考える」のが大切なんですよね。なので、悩んでいる暇があったら考えてみましょうよ、と。悩んでいたって何も動きません。

ただ不満を抱えるだけでは状況はよくならない、ということですね。

篠田 はい。20代前半の方の仕事に関する悩みを聞いていると、自分を見ようとしすぎて、視野が狭くなっちゃっている方がけっこういるんですよね。言うならば、自分のおへそだけを見て「私ってブスですかね?」と言っているようなもの。そうではなくて、鏡に映る自分全体を見ましょうよ、と言いたいです。自分を客観的に見つめることが重要なんじゃないかな、と思います。

あとは、もし「仕事の価値がわからない」と悩んでいるのなら、「自分の仕事が続いている=自分の仕事に対して価値を感じてくれている人が必ずどこかにいる」ということを知ってほしいです。需要と供給がなければ、仕事は継続されないわけですから。なので、自分の仕事に対して価値を感じてくれているのは「誰か」ということを把握しておくと、仕事をする上で励みになるかもしれないですね。

「わからない」のは普通のこと。自分を追い込みすぎないように

篠田さん

職場の活躍している同年代の人と自分を比べて落ち込んでしまうという人も多いと思います。そういった悩みはどのように対処したらいいと思いますか?

篠田 そういう人は、自分なりの仕事への手応えがあったら、どんなに小さなことでも意識して大切にしていくといいのではないでしょうか。そこには、「自分の仕事上での力を発揮して、人に喜ばれた」という事実があるわけですから。

それに、人と比べちゃう気持ちはよくわかるんですが、その人と自分の本質的な持ち味や得意なものはそもそも違うんです。自分が得意なものを極めていって、その分野で活躍できたらいいですよね。

あとは、仕事を始めてまだ数年という人は、仕事がわからないからといって自分を追い込む必要はないと思います。最初の10年くらいは、わからなくて当たり前。わからないというのは普通のことなんだから、「悩んでいる自分は異常」という追い詰め方はしちゃダメです。それって、いきなりスペインに行って「スペイン語がわからない。周りのみんなは話せているのになんで!」と悩んでいるのと同じ状況かもしれないですよ。そんなの無理じゃないですか。「わからないのは普通のこと。理解できるようになるプロセスの途中なんだ」というふうに思ってもらいたいですね。

ほぼ日を出ていったら、またほぼ日のファンに戻るだけ

今後の働き方のビジョンはお持ちですか?

篠田 友人の中には、「何歳まで働く」と期限を決めている人もいるんですが、私はそういうのはないんですよね。長く働いていたいんだと思います。ただ、働く場所については、あまり考えていません。

今現在、ほぼ日を辞めたいとかは全く考えてないですし、やりたいこと、やるべきこともたくさんあります。でも、会社と個人って別の人格だし、それぞれが日々成長しているので、進む方向やスピードがいつまでも同じとは限らないんですよね。なので、進む方向やスピードが合っているうちは一緒にやればいいし、ズレてきたら無理に合わせずに別れた(辞める)ほうが、お互いのためだと思うんです。そこに別に悲しみとかはなくて。私が会社で役に立たなくなったときに、「どうする?」って話すほうが辛いじゃないですか。

会社に対して固執していない、ということでしょうか。

篠田 今この瞬間は、ほぼ日に対してものすごい固執していますけど、その関係が未来に続くとは思っていないんです。そういう考えになったのは、初めて就職した当時の人気企業が経営破綻*3してしまったことが大きく関係しているのかもしれないですね。

だから、ほぼ日と私の関係が変わっていくことは、今後あり得ることだと思っています。先のことは、そのときに出会った「何か」次第。もしほぼ日を出ていったら、またほぼ日のファンに戻って、Webサイトを見たり手帳を買ったりするんじゃないかな、と思います(笑)。

篠田さん

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った方:篠田真貴子(株式会社ほぼ日・CFO)

篠田さん

アメリカ留学や、大手外資系企業で働くなどの経歴を持つ。2児の母になり今後の働き方について考えはじめたタイミングで、東京糸井重里事務所(現・株式会社ほぼ日)からオファーがあり、転職を決意。2008年にCFOに就任し、会社の基礎作りに奮闘。現在は9時頃出社し、18時頃に退社。帰ってからは、料理などの家事を行う。

次回の更新は、9月6日(水)の予定です。

編集:はてな編集部

*1:株式会社ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さん

*2:ほぼ日では、従業員のことを「乗組員」と呼んでいる

*3:篠田さんが最初に就職した日本長期信用銀行は、1998年に経営破綻し、一時国有化された

積水化学・沓掛さん「『こんな人になら、私もなれそう』と思ってもらえる先輩になりたい」

沓掛さん
『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」。第4回は、積水化学工業株式会社のリフォーム営業統括部で活躍されている沓掛愛美(くつかけ・まなみ)さんです。大学卒業後、リフォーム全般のサービスを行う積水化学グループ会社の東京セキスイファミエス株式会社に入社した沓掛さんですが、30歳を機に、社内制度を使って同グループの積水化学工業株式会社に出向という形で異動しました。なぜその選択をしたのか、生活はどのように変化したのか、お話を伺いました。

テレビ番組に影響を受けて建築が学べる大学に進学

入社までの経緯を教えてください。

沓掛さん(以下、沓掛) 建築系の大学を卒業後、積水化学グループ会社の東京セキスイファミエス株式会社に営業職で就職しました。その後、2014年に積水化学工業株式会社の住宅カンパニーに移り、今に至ります。

建築系の大学に通っていたというのは、建築関係の仕事に就きたいという思いがあったからでしょうか?

沓掛 そうですね。私は2007年に就職しましたが、10代の頃『大改造!!劇的ビフォーアフター』という、家のリフォームをするテレビ番組がはやっていたんですよね。それを見て、「私も匠になりたい!」と思って(笑)。

大学では具体的にどんなことを学ばれていたのでしょうか。

沓掛 構造や大規模建築など、建築の中にもいろいろな分野がありますが、その中でも私は動線など、「いかに快適に住むか」を中心に学んでいました。例えば、“キッチンとランドリースペースが近いと家事が楽になる”というように、「家の中の人の動き」を考え、間取りを作るというものです。人によってライフスタイルは違うので、その人その人に合わせたプランを考えるのは大変ですが、とてもおもしろかったですね。

最初の会社では、大学で学んだことを生かせていたという実感はありましたか?

沓掛 リフォームと聞くと、間取りをがらっと変えて……というようなイメージがあると思いますが、外壁の塗り替えなどを行う「メンテナンス」や、太陽光パネルを設置といった「エネルギー提案」もリフォームになります。営業時代はそういうメニューをメインに扱っていたので、大学で学んだことがすごく生かせていたかというと、なかなか難しかった気がします。でも、大学では学ばなかったことも知れて、リフォームの新しい魅力を見つけられました。

自由に働ける期間もあとわずかだと思い、30歳で新たな仕事にチャレンジ

沓掛さん

社内の人材公募制度を利用し異動されたということですが、なぜそれを利用しようと思ったのでしょうか。

沓掛 30歳手前で、社内のキャリアプラン研修を受けたことがきっかけです。研修では、自分の年齢や、今後どんな人生のイベントが待っているかを書き出す機会があり、そのときに、「私ももう30歳。今は夫婦2人だけど、将来は子どもも欲しいし、自由に思いっきり働けるのもあと3年ぐらいかも……」と感じて。

今後どういうふうに働いていこうかな、何をしていこうかなと考えていたタイミングで、ちょうどリフォーム事業の社内公募があったんです。それで、「新しい業務や環境にチャレンジするなら今だ」というタイミングもあり、思い切って応募しました。

募集していた仕事内容にも魅力を感じた部分はあったのでしょうか?

沓掛 募集内容には、商品サービスの企画立案・研修というおおまかなことは記載されていましたが、具体的に何をするかは分かりませんでした。でも、新しいチャレンジをしてみたい、リフォームの仕事をずっとやりたいという、2つの大きな望みはクリアできるので、魅力的に感じました。

異動して、日常が変わるということに抵抗はありませんでしたか?

沓掛 そのときは、異動するといっても同じグループ会社かつ、今まで携わってきたリフォームに関する業務ということもあり「そんなに戸惑うこともないのでは」と簡単に考えていたので、大きな不安や抵抗はありませんでした。ただ、実際に異動してからは、しばらくの間は苦労しましたね。

具体的には、どんなところが大変でしたか?

沓掛 当たり前のことですが、私のことを知っている人や私が知っている人がいません。そして、同じグループでも社内のルールやシステムが違う。やることが違う……と、とにかく何もかもが違いました。

グループ会社といえども、最初は戸惑いがあったんですね。

沓掛 そうですね。仕事や環境に慣れることに時間がかかりました。以前は目の前のお客様に対して「何を提案するか」という業務が主でしたが、異動後は社内全体や不特定多数のお客様へ向けて情報を発信するようになり、仕事の範囲もすごく広がって。また、それまではエリアの決まった営業所で仕事をしていたので、出張はありませんでしたが、異動後は、全国各地に出張へ行くことも増えました。

ただ、大変ではありますが、自分の為に時間を使える時期に挑戦してよかったなと思っています。子どもができてから新しい環境に……というのは、それこそ難しいことだと思うので。今年で異動して丸3年が経ち、業務にもだいぶ慣れ、仕事を楽しめるようにりました。

情報誌作成や商品企画など、幅広い仕事で活躍中

沓掛さん

現在のお仕事の内容を教えてください。

沓掛 仕事内容の幅が本当に広いので、一言で説明するのは難しいのですが……リフォーム事業に関するバックアップ業務全般を行っています。大きく分けると、お客様向けの仕事と、社内向けの仕事があります。

お客様向けの仕事では、弊社が手掛ける住宅(セキスイハイム)にお住まいの方に、年4回お届けする『ハーモネート』という情報誌の企画・編集を行っています。他に、Webサイトやカタログの企画・制作なども行います。社内向けの仕事は、イントラネットの企画・整備・運営や、リフォーム対応の商品企画などをします。時期にもよりますが、どちらかというとお客様向けの仕事のほうが比率は高いですね。

沓掛さん

お客様向け情報誌『ハーモネート』、リフォームのカタログ

多岐にわたってご活躍されているんですね。現在のチームはどのような構成なのでしょうか。

沓掛 現在は、リフォーム営業統括部という部署に所属しています。メンバーは13人で、そのうち女性は2名です。年齢的には私が最年少になります。仕事の進め方は、グループメンバーだけで進める、というよりもさまざまなメンバーと連携して仕事をすることが多いです。例えば、会員向けの情報誌を作るときは、部内メンバー+制作会社の方、商品企画では、商品開発部+私たちのメンバー数名というように、仕事の内容によってチームが変わります。

失敗したら、まず事実を認めることが大事。そこから解決策を考える

仕事をしているとつらいこともあるかと思いますが、それを乗り越えるコツや方法はありますか?

沓掛 私は心の切り替えがあまり上手じゃなく、「会社に行きたくない」と思うと、なかなかモチベ―ジョンを取り戻せないんですよね。行きたくない日が始まると、1週間ぐらい沈んだ気持ちが続いてしまうこともあります。

そういうときは、例えば新しい靴を買って「明日はあの靴を履いていこう」と思ったり、前日、会社におやつを置いて帰って「早くあのスイーツを食べたい」と自分を騙しています。会社に行くのが楽しみになる別の目的を作ることで、なんとか足を向かわせている感じですね(笑)。

出社後は、上司や先輩に話を聞いてもらったり、退勤後同期と飲みに行ったりして、気持ちをリフレッシュさせるようにしています。最終的に、何をしたらスパッと気持ちを切り替えられるかはまだ把握できていないので、模索中です。

他にも試した方法はあるのでしょうか?

沓掛 丸一日寝る日を作ることもあります。思いっきり寝たら、「まぁいっか」とすっきりすることもありました。それと、偉人の名言や、仕事で成功されている人が書かれた本や記事を読むと、前向きになれたり、悩みを解決するヒントが隠されていることもあるんですよね。

最近だと、働く女性にスポットを当てた記事で書かれていた、「ワークライフバランス」の話が心に残っています。私は、「バランス」と言うからには、どちらも均等に頑張らなければいけないのではと思っていました。でも、その記事には「人生の中で、今はワークに重きを置いてる時期、今はライフに重きを置いてる時期だとマネジメントすることが、ワークライフバランスです」と書かれていて。

ついつい今だけを見て「こんなにワークに片寄っている。洗濯物もたまるし、夕食が用意できず主人任せになったり……私はダメだー」となっていましたが、「今は仕事を頑張っている時期だから、これでもいいんだ」と、気持ちが楽になりました。

沓掛さん

仕事で落ち込んでしまった、というエピソードがあれば教えてください。

沓掛 すぐ忘れちゃうタイプで……直近で大きな落ち込みはないですね(笑)。でもやっぱり、大なり小なり、仕事で失敗してしまったときは落ち込みます。

失敗したときは、どのように気持ちの整理をつけているのでしょうか。

沓掛 失敗してしまったときは、その事実を認めるようにしています。「なんか上手くいかないなー」と、ぼんやり思っているのではなく、「ここが失敗した!」と上手くいかなかったポイントを確認する。

例えば、ページ作成を依頼し、でき上がったものが意図と違う内容で戻ってきたとします。納期まで時間がない場合、失敗した原因は「依頼の仕方が悪く意図を伝えきれなかったこと」と「スケジュールに余裕がなかったこと」。悔しいですが、そのことをきちんと受け入れます。すると、「できる範囲で納期変更の交渉や修正を行おう」と今やるべきことが明確になったり、次回は、「依頼時のやり方を改め、確認スケジュールも長めに設定するぞ」と考えられるようになり、落ち込む暇がなくなります。

お客様からの反応は励みに。自分の成長を感じるのも、活力のひとつ

仕事のやりがいは、どんなときに感じますか?

沓掛 お客様の反応、社内の環境、自分自身の成長などで感じます。

お客様向けの情報誌に、編集部宛てのアンケートハガキが付いており、そのお便りが毎号5,000通ぐらい届きます。企画した記事に対して「おもしろかった」「参考にしたい」というような声をもらうと、純粋にうれしいし、励みになります。

社内では、「こうしたらどうか」と自分が感じたことを素直に上司やメンバーに話せ、実行に移せる環境にやりがいを感じます。話を受け入れ、前向きに意見をくれる周囲の方々に感謝しています。

自分の成長では、最初は慣れなかった仕事が、1回目より2回目、2回目より3回目というように、回を重ねるごとに上手くできるようになっていると、やっぱりうれしいですね。自己満足と言われてしまうかもしれないですけど(笑)。おごるのはよくないですが、自分の頑張りを認めてあげる瞬間も大切なんじゃないかなと思います。

自分の中で「やりがい」を感じる切り口をいくつか持っておくと、常に何かしらの「うれしいこと」があるので、モチベーションを保つのに役立っています。

沓掛さん

仕事をしていく上で、目標としている人やロールモデルはいらっしゃいますか?

沓掛 ずばり「この人」という方はいませんが、その都度、自分の気持ちに合った人を目標にしています。最近ですと、企画内容を上手くまとめられない案件があったとき、別の企画で上手に内容をまとめ、進めている女性の先輩を見つけました。「なるほど、こうやってやればいいんだ」と参考にしたり。そんなふうに、いろんな人のいいところをつまんでいる感じです。

あと、最近影響を受けたのが、ある男性タレントさんの記事。そこには、「10代はアイドルとして生きていて、20代は役者になると目標を決めて、それに必要な格闘技を習い始め、師範資格を身につけた」ということが書かれていました。10年単位で物事を考え、極められるってすごいなと思いましたし、私も長い視野で今後のキャリアを考えてみようと思いましたね。

後輩から「この人にできるなら私にもできる」と思ってもらえる存在でありたい

今後のキャリアについて、どのようにお考えですか。

沓掛 先ほど話した男性タレントさんの話でいうと、私の20代は、リフォームの営業や設計の技術を磨く時間でした。30代は、企画編集など違う分野での仕事がスタートしたので、そのスキルを高めていきたいと思っています。同時に、40代・50代へ向けて、私はどういう仕事が得意なのか、好きなのか、ということも見つけていきたいですね。

ワークライフバランスについては、今後どうしていきたいですか?

沓掛 子どもを産みたいなと思っています。そして、その後も、リフォームに関わる仕事を続けたいです。

現在の部署では最年少ということですが、後輩ができたとき伝えていきたいと思っていることがあれば、教えてください。

沓掛 私の周りの女性は、すごい方が多いんです。バリバリ仕事ができてかっこいい、憧れの的になるような女性ばかりで。

でも私はバリバリタイプではないので、後輩から「この人にできるなら私にもできる」と思われる存在でいたいです。私を見て「こんな人になら、私もなれそう」って思ってもらえたら成功です。

雲の上の存在ばかりだと、「私はあんなふうにはなれない」って最初から諦めてしまう人も中にはいると思うんです(自分がそうなので)。なので、身近な存在といいますか……そんなふうに見られる先輩がいてもいいんじゃないかなって。こんな私でもやりがいを持って働けているんだよっていうのを後輩には伝えていきたいと思っています。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った方:沓掛愛美(積水化学工業株式会社 リフォーム営業統括部 企画部)

沓掛さん

積水化学工業に移って3年、Webサイトや情報誌の編集・企画を中心に幅広い分野の仕事を担当。女性ならではの細やかな視線で、新企画や冊子の構成などを提案する。いろいろなことに興味を持つので、趣味はそのときどきで変わる。最近では、取材先で影響を受け、断捨離に目覚める。

次回の更新は、8月23日(水)の予定です。

ジェーン・スー「完璧な自分になったところで、自分が欲する状況になるわけではない」

JaneSu
今回「りっすん」に登場いただいたのは、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー、作詞家など、マルチに活躍されているジェーン・スーさん。独自の視点と表現力が人気ですが、普段はどんなことを考えながら仕事と向き合っているのか。また、どのような出来事が現在の彼女を形作っているのか。詳しい話を伺いました。

社会人経験を経て、36歳でコラムニストデビュー

現在のお仕事をされる前は、会社員として働いていたとお聞きしています。あらためて、これまでのキャリアを簡単に教えていただけないでしょうか。

ジェーン・スーさん(以下、ジェーン・スー) まず、大学を卒業し、新卒でレコード会社に就職しました。元々音楽が好きだったので、音楽業界で働ければいいなと思っていて。そこで28歳まで働いてから、同業他社に転職しました。そして、31歳でメガネ屋に転職をして、35歳になったところで会社員生活に終止符を打ちました。それからは家業を手伝ったりしていましたね。

コラム執筆をきっかけに、「ジェーン・スー」としての活動がスタートしたと伺いましたが、それはどの時期にあたるのでしょうか?

ジェーン・スー 会社を辞めてからですね。家業の手伝いをしているときに、友達に誘われたmixiで日記を書いていたんです。当時は、執筆の仕事をしたいというような思いはなくて、ただ趣味の一部としてやっていたのですが、たまたまその日記を見てくれた女性編集者さんに、コラムの仕事をしないかと声をかけていただいて。それが、35歳か36歳のとき。連載は1年で終わっちゃったんですけど、それが大本のスタートです。

コラムの連載が終わってからはどんなことをされていたのでしょうか。

ジェーン・スー そのあとしばらく、書く仕事はしていませんでしたが、友人がやっていたラジオ番組に出ることになりました。その番組は、“著名ではない音楽業界の人に話を聞く”というコーナーがあって。ちょうどこの頃、知人の音楽制作会社の業務を手伝っていた流れで、アイドルのプロデュースをする仕事にも携わっていたんです。そこで私がぴったりだということで、ゲスト出演させていただいたんですよね。

そうしたら、本当にラッキーなんですが、ちょうど新しいラジオ番組を立ち上げるところだった別のプロデューサーから「メインパーソナリティと一緒にトークを盛り上げる“パートナー”をやってみないか」というお話をいただいて、週に1回ラジオに出るようになったんです。そうこうしていたら、テレビのお話が来て。当時は、お声をかけていただいた仕事はとにかくやってみるようにしていたので、ラジオもテレビも挑戦してみました。

メディアへの露出が増えるようになってからは、ネット検索する人が出てきたときの誘導先として、ブログを開設しました。そうしたら、それに目をつけてくれた編集者の方が、「本を出しませんか?」という話をしてくださって。実は、この時期には書く仕事をまたやってみたいなという気持ちが芽生えてきていたんですよ。ブログは、私が書く文章のサンプルを見せるという意味合いもあったので、執筆のお話をいただいたときは嬉しかったですね。

書く仕事としては、楽曲の作詞もされているということですが、今まで作詞を手がけた楽曲の中で特に思い入れが深いものはありますか?

ジェーン・スー 「Tomato n’Pine」というアイドルグループは、作詞だけでなくビジュアルやコンセプトメイキングなどもやっていたので、やっぱりグループ自体に思い入れがありましたね。初めて作詞をしたのも彼女たちの歌でしたし。なので彼女たちのオリジナルアルバム『PS4U』は特に思い入れがあります。1曲を選ぶのは難しいです(笑)。

PS4U

Tomato n'Pineのオリジナルアルバム『PS4U』

作詞をするというのは難しくなかったですか?

ジェーン・スー 初めて作詞の依頼をされたときは、「やったこともないし、やりたいと思ったこともなかったので、できない」と正直に答えたんですよ。でも、依頼をくれた方が「大丈夫、できるよ」と言ってくださって。私はその人のことを信頼していたので、彼が言うのならできるのかなという気になっていったんです(笑)。手取り足取りいろいろ教えてもらいながらですが、形にしていくことができました。

それに、実際やってみたら楽しかった。それ以降も、Negiccoさん、PASSPO☆さん、でんぱ組.incさん、寺嶋由芙さんなど、アイドルの作詞はいろいろやらせていただいています。

“誰と仕事をやるか”に重点を置いてストレスを軽減。たまった疲れはマッサージでリフレッシュ

JaneSu

会社員時代と現在とでは、精神的にどちらのほうが辛いと感じることが多いですか?

ジェーン・スー 今のほうが気持ち的にはしんどくはないですね。もちろん大変なんですが、しんどさの種類が違うといいますか。会社員のときは、みんなで進めていかなければいけない部分があるので、思い通りにならないことや、理不尽なこともありましたし。なので、嫌だなと思うようなことは会社員時代のほうが多かったですね。……でもそれって、年齢の関係もあると思うので、一概には言えないのかも。年齢を重ねると、受け入れられる幅が広くなる。

たしかに20代、30代、40代では、それぞれ感じ方も違うような気がします。今はどんな仕事も楽しめているのでしょうか?

ジェーン・スー もちろん、どんな仕事もストレスは0ではないので、全くストレスがないというわけではないですよ。今の仕事だと、自分でクオリティを保っていかなければならないとか、多めに仕事を受けたときでも、誰かに助けてもらうこともできない、風邪なんてひいていられないというような緊張感は常にありますし。

では、ストレスをためないように工夫されていることは?

ジェーン・スー 私が感じる仕事のストレスって、ハードさじゃなくて、人間関係がほとんどなんです。なので、仕事を受けるときは“何をやるか”じゃなくて“誰とやるか”ということを意識するようにしています。

というのも、会社員時代に「仕事がうまくいくかは“誰とやるか”で決まるようなものだから、仕事のメンバーも運任せではなく自分でコントロールできるようにしろ」と先輩から教わったんです。実際、メンバーが信頼できる人ばかりだと、風通しのよさが全然違うんですよね。

なので、おもしろそうな内容の仕事だとしても、「私とは合わなそうだな」、「ちょっと信用できないかも」という人との仕事はやらない。そうやってメンバーに重点を置くことで、ストレスはだいぶ減らせていると思いますね。

それでもストレスがたまってしまったときは、どのようにリフレッシュされているのでしょうか。

ジェーン・スー マッサージが好きなので、疲れたらマッサージに行くようにしています。『今夜もカネで解決だ』という、マッサージについて語った本を出してしまうぐらい、とにかくマッサージが好きなんですよ(笑)。体の面はもちろんですが、心の面でも癒されますしね。体と心の疲れをためないというのは、いい仕事をするのに必要なことだと思っています。

今夜もカネで解決だ

AERAの連載を書籍化した『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)

感じたことを素直に発信。共感してもらうのは嬉しいけど、女性の代弁者になるつもりはない

女性の共感が集まるエッセイを多数刊行されていますが、ご自身の中で、「共感されること」について意識されている部分はありますか?

ジェーン・スー 捉え方は人それぞれですし、あまり考えていないですね。人によっては「何言っているのか全くわからない」と思う人もいるでしょうし。なので、「読者に共感してもらおう」と意識するのではなく、私が普段感じていることをできるだけ正直に書くようにしています。

「女性の代弁者」と評されていることについては、どのようなことを感じていらっしゃいますか?

ジェーン・スー 「この世代の代表」というつもりはまるでないですし、あまりそういうのを背負いたくないなとも思っています。共感してもらえるのは嬉しいんですが、そこから祭り上げられていくのは望んでいないというか。

私は、読者と会話しているつもりで書いているので、「私が言ったことが正解」みたいになってしまうのは違うと思うんですよね。読んでいる人が思考停止になってしまうのは本望ではなく、「私はどうだろう?」と考えてもらえたら嬉しいです。

なので、私の考えが正しいのではなく、「こういう考えの人もいるんだな」ぐらいで受け止めてもらえたら。

世間が抱いている「ジェーン・スー」というイメージと、本当の自分とのギャップというのは感じたりしますか?

ジェーン・スー キャラ作りで無理をしていないので、あんまり感じないですね。ラジオに出始めたときも、友人から「普段から話しているようなことをラジオで話してるだけだけど大丈夫なの?」って心配されるぐらいで(笑)。書籍を読んだ友人からも同じようなことを言われるので、ほぼ、「ジェーン・スー=私」なんでしょうね。でも、本名じゃないので、どこか他人事に見ている部分もあるんですよ。

別人格とまではいかないですけど、ジェーン・スーは“拡声器”みたいな感じで。ペンネームで出して大正解でした。きっと本名だったら、もっと自分をよく見せようとしていたと思います。

結婚寸前で破談になった過去も。恋愛の失敗があったからこそ、今の自分がある

JaneSu

「この出来事がなかったら今がなかったかも」というような印象的なエピソードがあれば教えてください。

ジェーン・スー 実は、35歳のときに結婚しようと思っていた人がいたんです。結婚式場の仮予約までしたんですが、結局うまくいかなくなってギリギリでひっくり返ってしまい……「結婚、やめようか」ということになったんです。お互いの価値観が合わなかったという根本的な部分もあるんですが、結婚に焦っていたとか私側にいろいろ問題があったので。相手は巻き込まれ事故ですよ、申しわけないです。

式場の予約をするなど、お話はかなり進んでいたんですね。結婚に至らなかった原因に、思い当たる節はあったのでしょうか……?

ジェーン・スー 当時、私の中で“人生の一発逆転”みたいなのを狙っていたんだと思います。「ちゃんと結婚する」という、“普通の人が普通にすること”を、「私にもできるんだ!」というのを証明したくて、いろいろ無理をしていたんではないかと。

当時の写真を見ると、別人みたいなんですよ! 表情も服装も髪型も、“女性とはこうあるべき”という姿に思いっきり寄せていて。あのまま無理をし続けなくてよかったと思いますし、相手も、こんなの妻にもらわなくてよかったと思っているでしょうね(笑)。

破局後、気持ちが落ち込んでしまった時期もあったかと思います。

ジェーン・スー もちろん悲しみはありましたが、それ以上に「やっぱり私、ダメだったか!」という諦めのような感情が大きかったです。「やっぱり、みんなと同じことができなかったな!!!!」と、自分にがっかりしました。

後悔はなかったのでしょうか。

ジェーン・スー そうですね。ないわけじゃないですけど、あのときに結婚していたら、アラサー時代の葛藤を書いた『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』も出せなかったですし。書いたとしても、結婚した女からの提言みたいな感じで嫌じゃないですか(笑)。

それに、今はラジオで忙しくしていますが、もし家族がいたらラジオをやることも躊躇していたと思うんですよ。テレビに出るようになったのも、ブログを書くようになったのも破談後の話なんですが、きっと結婚していたらいろんなことにストッパーがかかっていたと思いますね。

今は毎日が踏ん張りどき。のんびりする時間を犠牲にしても仕事に集中

最近、夢中になっていることはありますか?

ジェーン・スー 仕事ですかね。きっと、仕事をちゃんとしている自分が好きなんです。でも、仕事を優先している分、いろんなことを犠牲にしているとも感じています。例えば、のんびりする時間。SNSを見ていると、同世代の子たちは、子どももだいぶ大きくなったので、じっくり「大人のぬり絵」とかをしていたりするんですよ! 私にはそんな時間まるでない。教養だったり趣味だったり、自分の内側を仕事以外のもので濃密にしていくような時間、作業はかなり犠牲にしていると思いますね。

現在は、趣味に没頭したり、自分と向き合う時間は意識的に作っている……ということでしょうか。

ジェーン・スー 正直、今はそういう時間もとれていないですね。締め切りもたくさんありますし。働きどきというか、今が踏ん張りどきだと毎日思っているので。とにかく仕事をしています。

もしゆっくりできる時間がもらえるとしたら、どんなふうに使いたいですか?

ジェーン・スー 住環境を変えたいので、まず海外に住みます。そこで、本を読んだりしたいですね。締め切りのない、のんびりした時間を過ごしたいです。あまりにもヒマだから運動でも始めるかという気持ちになってしまうような(笑)。そうすれば、自分と向き合う時間も必然的にできそうですよね。

完璧な自分になることで、理想の人間関係を築けるとは限らない。コンプレックスが強みになることも

JaneSu

さまざまな出来事が、ジェーン・スーさんを作り上げていったと思いますが、まさしく「今の自分」を構成しているものはなんだと思いますか?

ジェーン・スー 仕事が好きという気持ちとコンプレックスがうまく反応して、今の状況が作り出されたとは思いますね。さっき話した「普通の人が普通にできることが普通にできない」というコンプレックスが、今の私を作ってくれているのかもしれないです。

ジェーン・スーさんは、コンプレックスを受け入れられているんですね。「コンプレックスが、今の私を作っている」というのは、なかなか自分では言えないと思います。受け入れるようになったのはどうしてだと思いますか?

ジェーン・スー 限界まで、「みんなと同じことをやる」を試してみたからじゃないですかね。徹底的にやって、それでもダメだとわかったので(笑)。

コンプレックスを克服しようという作業も、30代半ばぐらいまでは必死になってやるのも悪くないと思うんですよ。納得するまでやらないと、結局は諦めもつかないでしょうし。
やるだけやって克服できたらラッキーだし、ここまでやってもダメってわかれば、受け入れるしかないですからね。

あとは、コンプレックスがあるからこそ、人との差別化が図れたり、それが自分の強みになったりと、プラスに働くことを実感できたのも大きかったと思いますね。

ジェーン・スーさん流の、自分のコンプレックスや劣等感を受け入れていくコツはあるんですか?

ジェーン・スー コンプレックスを他者に受け入れてもらえると、自分でも肯定できるようになると思います。全方位の人にコンプレックスをさらけ出す必要はないので、心を許せる人に「私、こんなところがコンプレックスなんだ」と話してみたらいいんじゃないですかね。そうしたら、だいたいの人が受け入れてくれるか、そんなことないよと否定してくれると思うので、その繰り返しです。

あと、悩んでいるときって、だいたいヒマなんですよ。だから、自分を忙しくするっていうのは大事だと思います。頭で考えてばかりいるなら、体を動かしてみるとかして、その悩みから一度自分を離してあげるというのが大切かな、と。

だって悩みって、その人の頭の中にあるだけで、本質的には実在しないんですよ。悩むことが全て無意味だとは思いませんが、時間を取られすぎるのはもったいないですよね。その悩みは、自分が作り上げた単なる自意識のせいだったってことも大いにありますし。それなら、その分体を動かしたり、仕事や趣味に没頭したりするほうがよっぽど有意義だと思います。

最後に、理想の自分と、現実の自分とのギャップに悩んでいる人にアドバイスをお願いします。

ジェーン・スー 誰だって完璧な自分でいたいと思う気持ちはありますよね。その根底には、人から好かれたい、愛されたいという思いもあって、それぞれなりたい自分を目指しているはずなんです。

でも、「ここを突っ込まれるかも」と思うことに最初から回答を用意しているような、いろいろなことに予防線を張っている人って、あんまり好かれないと思うんですよ。仕事ができて見た目もステキな人でも、スキがあまりにもないと、こっちが息苦しくなってきてしまうし、これ以上踏み込んでいこうという気持ちになれなかったりする。

つまり、自分のなりたい“完璧な自分”になったところで、自分が欲している状況になれるとは限らない。無理しているのに、自分の思うような状況になれないなんて悲しいじゃないですか。誰からも愛される自分でいたいのだったら、素直で正直でいることが一番なんだろうと思いますよ。それが一番難しいんですけどね。

JaneSu

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/赤司聡

お話を伺った人:ジェーン・スー

ジェーン・スー

コラムニスト、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー、作詞家など、幅広く活躍。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)などのエッセイで、多くの女性から共感を呼ぶ。休日はだらだらと寝て過ごすことが多い。

次回の更新は、8月2日(水)の予定です。

異業種から出版へ! 主婦の友社の営業として「購入メリットが訴えられる仕掛けを考える」

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『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」の第3回は、株式会社主婦の友社で営業を担当している北村智佳さん。新卒から約5年間勤めた空調製品の法人営業の仕事から、出版業界に飛び込んだ北村さん。なぜ転職に踏み切ったのか、日々の仕事ではどのようなことを考えているのか、お話を伺いました。

全国の書店や書店チェーン店向けに、主婦の友社の書籍を紹介

北村さんは現在主婦の友社で営業として活躍されているということですが、具体的にどのような業務をされているのか、教えていただけますか?

北村さん(以下、北村) 私は現在、販売部販売促進課に所属していて、主に全国の書店をお客様として営業を行っています。みなさんがよく知っているような全国展開をしているナショナルチェーンや、各地方の有力な書店をチームの6人で割り振りして担当している形です。

「主婦の友社」ということで、働いている方も女性が多いのかな、という印象がありますが、チームの男女比はどのような形なんでしょうか?

北村 現在の販売促進課は男女3人ずつです。編集部には女性が多いので、トータルで見ると女性の方が多いですね。販売促進課も今はたまたま半々ですが、少し前は女性が多かったです。昔は男性が多かった時代が長かったと聞いています。

全国にはかなりの数の書店があると思いますが、6人で全国を網羅するとなると、ひとり何店舗ぐらい担当するんですか?

北村 チェーンの本部も担当していますから、全ての店舗に直接足を運んでいるということではないのですが、個店数でいうと100~200店ずつぐらいでしょうか。

全国の各エリアに在住している「ブックメイト」と呼ばれる営業のお手伝いをしてくださる方が30名ほどいまして、私たち6名とブックメイトとで連携しながら、全国の書店の情報を得て営業をしています。

北村さんはどのエリアを担当されているんですか?

北村 私は、北海道と東北6県、千葉県と東京都の一部の書店を担当しています。それ以外に、全国的にチェーン展開している書店の本部も数ヶ所担当しています。

普段の業務では、担当エリアの書店に出向くことが多いんですか?

北村 そうですね。日々の営業としては、都内や都心近郊の主要な店舗と本部に訪問をして、商談をさせていただいています。

通常は朝9時30分始業で、午前中は新刊の情報をまとめたり、販売促進のための資料を作ったりと、社内の仕事がメインです。お昼過ぎの時間を狙って、午後は書店訪問に行きます。ですから、会社にいる時間よりも、外に出ている時間の方が多いですね。

地域の特色を把握して、地域に合った本を提案して、売り上げをアップ

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地方エリアも担当されているとのことですが、実際に地方の書店に足を運ぶこともあるんですか?

北村 月に1~2回は出張で地方に行き、同じように書店の担当者と商談をしています。地域にもよりますが、最低でも2泊3日で、1日あたり6~8店を回る感じですね。

1日にそんなに書店を回るんですか!? かなりハードな気がしますが……。

北村 慣れると案外大丈夫ですよ(笑)。

都心と地方では売れ行きも違ってくると思うのですが、地域に合わせて営業をするスタンスも変えているのでしょうか?

北村 都心と地方では、本のトレンドが違ったり、そのペースも違ったりということはあるんですが、営業をする際はあまり先入観を持たないようにしています。売れない理由を最初から作りたくないんです。そのため、その土地ではどんなものが流行っているのかを担当の方に積極的に聞いて、ゼロベースで情報交換をするようにしていますね。

その中で、都心と地方での違いを感じることはありましたか?

北村 驚いたのは、地方紙や、ローカルのテレビ番組は、東京の人には想像がつかないほどの力を持っていること。実際に、そのエリアだけで爆発的に売れる商品が存在するんです。

特に北海道は面積は広いけれど、みなさん北海道ならではの新聞を読んで、北海道ならではのテレビ番組を見ているんですよね。東京では話題になっていない本でも、地方の番組や新聞に取り上げられることで、一千冊近くの受注ができたこともありました。こういうことがあるので、どんなものが流行っていて、どういった媒体に影響力があるかというのは、常にどの地域でも聞くようにしています。

私は神奈川県出身なので、このように地方特有の強い力があるというのは、この仕事に就くまでは知らなかったですね。

地域のカラーをつかむことも販売促進につながっていくんですね。ちなみに、主婦の友社さんの出版物はかなりの種類があると思いますが、営業の方が担当する書籍や雑誌はそれぞれ違うんですか?

北村 出版社にもよると思いますが、主婦の友社では、出している刊行物は全て担当することになっています。

全部ですか!? 毎月かなりの点数の新刊も出ていますし、覚えるのはすごく大変そうです……。情報を自分の中に落としこむコツはあるんでしょうか。

北村 書籍やムックの入れ替わりや新刊の情報は、毎週行われる課のミーティングで共有するようにしています。けれども、ここで共有した書籍全てをご案内したり、ご注文いただくというのは非常に難しいことです。ですから、社内で決まった注力すべき書籍の中から、さらに自分が担当している地域や書店の顧客特性に合わせたものを頭の中で整理して、本当に薦めるべき書籍を選択し、その情報をメインに覚えていきます。地方の特性をつかむことは、こういう部分でも役に立っていますね。

憧れ続けていた出版業界に29歳で転職

大学時代はどんなことを学んでいたんですか?

北村 実はもともと本が好きで、文学部の文芸専修というところに所属していました。課題の本が設定されて、それをいろんな方向から読み解くという、文学講読のような授業が多かったですね。一冊の本でも、さまざまな角度から魅力を紹介できるようになったので、ここで学んだことは現職でも大いに役に立っていると思います。

現在主婦の友社で活躍している北村さんですが、もともと違う業界の仕事をされていたんですよね。

北村 そうなんです。新卒では、空調製品を扱う会社に入社して、法人営業を担当していました。学生のころから、ざっくりと「衣食住」に関わる、生活に密着した仕事がしたいなと思っていたんです。それで、縁あってその会社に就職しました。

新卒で就職されたときは、本に関わる仕事をしたいという気持ちはなかったのでしょうか。

北村 ありましたが、そういう企業の新卒採用となると、非常に狭き門でして……。なのでいったん気持ちを切り替えて、就職しました。

どうして転職をしようと考えられたんですか?

北村 前職に不満があったわけではないのですが、社会に出て5年が経ち、「私は社会人としてどのような生き方ができるだろう」と真剣に考えるようになって。憧れの仕事のひとつである出版業界を、新卒のときは簡単に諦めてしまったことがなんとなく心に残っていたんですよね。そのときたまたま主婦の友社の「未経験OK」の求人を見て、出版業界に挑戦するならこれが最後のチャンスかもしれないと思い、勇気を持って受けてみました。

出版業界への憧れを持ち続けていらしたんですね。

北村 そうですね。

異業種への転職は勇気が必要だったと思うのですが、転職を決めるポイントはあったのでしょうか?

北村 マスコミの仕事というのは敷居が高いなというイメージもありましたし、「自分に務まるのかな?」という不安はありました。でも、前職の営業の経験や成績を主婦の友社の採用試験で評価してもらえたので、期待に応えたいなと。あと、たまたまなんですが、採用担当の方と出身地が同じだったり、これもなにかの縁かなと思うところもありました。

そしてなにより、主婦の友社の特徴は、女性に関わる書籍をメインに扱っているということ。私は本以外に、洋服や料理も好きなので、そういった部分でも自分の趣味嗜好を役立てられるんじゃないかなと思ったんです。

「安定」が北村さんの強み。長所を伸ばして、取引先からの信頼を勝ち取る

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日ごろ働く上で、常に気を付けていることがあれば教えてください。

北村 テレアポのアルバイトをしていた大学生のころ、社員の方に「一定のペースで電話をかけることができて、安定してアポイントが取れているね」と言われたことがあったんです。そのときに、「安定」が私の強みなんだと気付くことができて。それがきっかけで、今でも「安定した仕事」を常に心がけています。

というのも、営業特有の悩みに「数字」と「モチベーションを保つ」という2つの問題があると思うのですが、この「安定」こそが、悩みを解決してくれるすべになると思うんです。

この数字やモチベーションを保っていくには、単純な話、分母を大きくしていくしかないと思っています。もともとセンスがあってホームランを打てる人はいいんですが、私のような普通の人間がそれをキープするためには、打席に立つ回数をひたすら増やすしかないんですね。

ですから、取引先への訪問頻度や接触する回数は、絶対に落としたくないと思っています。他の人が2回行くのなら、私は3回行く。顔を覚えてもらって、主婦の友社の商品をご案内できる回数を増やすようにしています。

また、担当エリアや訪問する法人は決まっていますが、大手の書店をメインに営業しているので、訪問しきれていない書店というのは実はたくさんあるんです。だから、他社の営業担当者がその県の上位3店舗を回っているとしたら、私は上位10店舗を回る。そうやって分母を増やしています。

実際に足を運ぶ回数を増やすと、手応えを感じた、売り上げが変わったと実感するものなのでしょうか。

北村 以前、これまで前任者が訪問できていなかったロードサイドのお店に伺ったときに、お客様の目に留まりやすいよう、ページの端にインデックス(見出し)をつけて本を開かずに内容がひと目でわかるような見本誌を置いて、書籍の展開をしてもらったことがありました。そうしたら、平積みした分がその店で完売したんです! 書店の担当者が本部の方に報告してくださって、他の店舗でもやってみようということになり、まとまった部数を発注していただいたことがありました。

見本誌を置くという提案が功を奏したのですが、今まで伺えなかったお店でもこのようなチャンスがあるんだと実感しましたね。

担当書店の売り上げ貢献がなによりの喜び! 仕事で落ち込んだときは、仕事でリカバリー

仕事のやりがいはどんなときに感じますか?

北村 仕事を通じて書店の方と仲良くなったりと、やっていてよかったと感じることはたくさんあります。なによりのやりがいというと、自分のちょっとした提案が担当する書店の売り上げに貢献できたときでしょうか。巷でいわれているように出版不況ではありますが、その中で主婦の友社の書籍が少しでも売り上げアップにつながると、非常に嬉しく思います。

取引先の喜びが、自分のやりがいにつながっているんですね。特に印象的なエピソードはありますか?

北村 ある書店では、約2年という長いスパンをかけて1冊の本を大きく展開していただいたことがありました。

「この書店にはこの書籍が合う」と思って提案しても、毎月たくさんの出版社からたくさんの新刊が出ているので、すぐには展開いただけないということも多いんです。

その書店には、自己啓発系の本をおすすめしていましたが、「うちではいいです」というやりとりが2〜3回ありまして。一度保留にし、春先に「フレッシャーズ向けにどうですか」と改めてお話しいたしました。それでようやく、“棚差し”(背表紙を見せるようにして棚に並べること)で1冊置いていただいていたのを、“面陳”という本棚に表紙を正面に見せる置き方に変えてくださったんです。

ようやく表紙が見えるようになって嬉しかったのですが、次は年末のタイミングで「プレゼントとしてどうですか」とさらに提案をしたところ、みなさんの目に届きやすい場所に平積みにする“平台”で置いていただけるようになりました。

そうして次の年には、「今度はワゴンでやりたい」とおっしゃっていただいて! このように、本棚に1冊置いてあった書籍が、最終的にワゴンで100冊展開をしていただけたという大きな実績が出たのは嬉しかったですね。

コツコツと営業を続けた成果ですね! このようにワゴンで展開されることはよくあることなのですか?

北村 通常、ワゴンで紹介されるものは、ほとんどが読み物系の新刊です。主婦の友社の本は、料理や育児、園芸などの実用書が多いので、自らチャンスを作っていかないとなかなかワゴンで展開していただけることはないんです。

そのため、ワゴンで展開するイメージを持ってもらいやすいようにシーンを限定して提案をしてみたり、インデックスをつけた見本誌を置いてもらったりなど、お客様に手に取ってもらえるような工夫をすることが大事なんです。いかに目に付きやすいところに置いてもらえるかにかかってるんですよね。

腕の見せどころですね。他にも、北村さんが工夫して、実践したことがあれば教えていただきたいです。

北村 バレンタインデー向けにお菓子の本の採用を検討しているチェーンがあったとき、著者の料理研究家にチェーン限定の新レシピを考案していただき、そのレシピカードを付けることを提案しました。やはりちょっとしたことでも特典があるとお客様も嬉しいようで、反響がありましたね。その書店で購入するメリットを訴えられるような仕掛けは、いつも考えるようにしています。

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仕事で気持ちが沈むときもあると思いますが、そんなときはどのように気持ちを切り替えているんですか?

北村 先ほど、お客様(書店)との接点を減らさないようにしているとお話しましたが、落ち込んでいるときこそ、それをキープしたいと思っています。

仕事とは全く関係ないことをして気分をまぎらわす人もいますが、私は、仕事で落ち込んだときは仕事でリカバリーしたいんです。仕事で良いニュースがあったり、お世話になっている担当者から声をかけてもらえると、やる気が湧いてきて前向きな気持ちにいつの間にかシフトできているんですよね。

お客様からパワーをもらうことも多いんですね。

そうですね。それともうひとつ、最後は“やっぱり本が好き”という気持ちが救ってくれているように感じます。扱っているもの自体が好きだからこそ、多少つらいことがあっても乗り越えられるんだと思います。

最後に、今後のキャリアについてどのように考えているか教えてください。

北村 書店を担当する販売促進課で入社して4年目になりますので、機会があれば、これまでの経験を生かして別のチャンネルへの営業もしてみたいと思っています。例えば、「販売会社」と呼ばれる、書店と出版社の間をつないでいる窓口への営業にも挑戦してみたいです。

また、商品の売り伸ばし方法や重版計画などを考える、販売促進と編集をつなぐ「MD」というセクションがあるのですが、そういった仕事でも今の経験やノウハウを生かせるのではないかと思っています。現状に満足せずに、今まで培ったものをさらに役立たせる仕事をしていきたいですね。

ありがとうございました!

取材・文/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った人:北村智佳(株式会社主婦の友社 販売部販売促進課)

北村智佳

主婦の友社に入社して4年目。中堅として期待され、上司から厚い信頼を受けている。昔から本好きということもあり、休日は本屋に行くことが多いのだとか。また、洋服も好きなので、ウィンドウショッピングもリフレッシュ方法のひとつ。北村さんが手にしているのは、世界的瞑想の師と言われる高僧が「人生の視点の変え方」をユーモラスに説いた『バナナを逆からむいてみたら』(主婦の友社)。

次回の更新は、7月19日(水)の予定です。

“おいしい”の笑顔が活力になる――「さかづきBrewing」オーナー、金山さんの働き方

金山尚子さん

ブルーパブ「さかづきBrewing」を東京・北千住で運営されている、女性醸造家の金山尚子さん。大手ビールメーカーで商品開発、醸造技術開発に携わっていた金山さんですが、9年間勤めたのちに独立。なぜ独立して醸造家の道を選んだのか、今の仕事への思いとは……? 詳しい話を伺いました。

ビール好きが高じて、大手ビールメーカーに勤務

金山さんは、現在はブルーパブ(醸造所が併設され、その場で作られたビールを提供する店舗のこと)「さかづきBrewing」を運営されていますが、以前は大手ビールメーカーに勤められていたんですよね。

金山さん(以下、金山) はい、約9年間働いていました。最初の4年は、いわゆるビール工場で醸造の管理をして、その後5年は研究所に勤務し、ビール類の新商品開発や、ビールの香りや味を制御するための醸造技術の開発をしていました。

会社員時代に、ビールの作り方などを一通り覚えることができたんですね。

金山 そうですね。仕事は楽しかったですし、確実にそのときの経験が今につながっていると思います。

お酒にかかわる仕事に就きたいと思い始めたのはいつからだったんですか?

金山 私は、大学では農学部、大学院では農学研究科を専攻していました。そのころから「食にかかわる仕事に就きたい」という思いはあったんですが、特にお酒とは絞っていなくて。ただ、就活を始めるころには、お酒を第一にしていました。

なにかきっかけがあったのでしょうか。

金山 ビールが好きになったからですね(笑)。ビール好きになった理由としては、鮮明に覚えていることが2つあります。

ひとつは、学生時代の居酒屋バイト。実はそれまではビールは全然飲めなかったんですが、サラリーマンの方たちが仕事終わりにゴクゴク飲んでいる姿が、純粋においしそうに見えたんです。そんな姿を毎日見ていたら、いつの間にか私も「ビールを飲みたい」と思うようになっていて。しかも、サラリーマンの飲み方を真似してみたら、苦手だったビールがおいしく飲めたんです。「今まで、口に含んで味を感じていたからおいしくなかったんだ。喉で味わうようにしたら、ビールってこんなにおいしいんだ!」ということに気がつけたのは、ビール好きになる大きなきっかけでした。

もうひとつは、ベルギーのチェリービールとの出会い。当時は海外のビールはあまり出回っていない時代だったので、珍しかったんですよね。酒屋で見つけて、興味本位で飲んだときに、「こんなビールがあるのか!」と衝撃を受けました(笑)。チェリーの香りがして、甘酸っぱくて、今までのビール概念が覆されましたね。これを機に、ビールの奥深さやおもしろさにはまってしまいました。

奮闘した会社員時代。30歳を過ぎ、独立を決断

金山尚子さん

醸造家と聞くと、なんとなく男性が多いイメージがあるのですが、実際はどうなのでしょうか。

金山 会社員時代に仕事をしていた醸造に関わるセクションは、圧倒的に男性の多い職場でした。入社から退職するまで、醸造場で一緒に働いていた女性は、かなり少数でした。独立してからも、知り合う醸造家さんはほとんどが男性で、女性の醸造家さんはまだまだ多いとは言えず、全国でも数えるくらいではないでしょうか。

そんなに少ないんですね! 正直なところ、やりづらいことも多かったのではないでしょうか?

金山 仕事はたしかにハードでしたが、体力面でつらすぎると感じたことはほとんどありませんでした。というのも、会社のサポートがあったからなんです。

現場はどうしても男性目線の仕様なので、大きな20kg容量の樽に麦芽が入っていたりするんですよ。さすがにそれを抱えるのは困難なので、樽を全部10kgのものに変えてもらったりするなど、女性の私でもできる仕様に変えていきました。

現場をカスタムしていったんですね。自ら意見を出せるところがかっこいいです!

金山 会社からしたら厄介だったと思いますが(笑)。上司も協力してくれましたし、ありがたいですよね。

それと、数少ない女性として、勝手に気が張っていたのかもしれないです。私ができないままにしてしまうと、他の女性が入ってきたときに「やっぱり女性じゃ難しい」と言われてしまう可能性があるのかな、と。そういうのもなくしたかったんです。

女性が働ける環境を作っていったんですね。ところで客観的に見ると、大手メーカーで働くことは安定していたり環境が整っていたりと魅力がたくさんあると思うのですが、それを手放しても独立を選んだ理由はなんだったのでしょうか?

金山 実は、独立してビールを作りたいという気持ちより先に、“会社を辞めよう”という思いがあったんです。会社の人たちはいい方ばかりでしたし、仕事も楽しかったんですが、30歳を超えたときに、会社人として限界を感じたといいますか……。企業というのは、ある目的のためにみんなで動く必要があるので、どうしても会社の物差しに合わせなければいけない部分がありますよね。そこが私には合わなかったようで。同調していくのは得意な方だと思っていたんですけど、30歳過ぎたら自我が出てきちゃったんです。

辞めると決めてから退職までの期間はどれくらいあったんですか?

金山 1年ぐらい悩みながら働いて、辞めるという決断をしました。退職すると決めてからも、さらに1年ほど勤めながら次のことを考えていたのですが、結局「私にはビールしかない!」という結論に行きついて、独立の道を選びました。組織に所属するというのは、私には無理だというのがわかったので(笑)。とにかく、自分で自分が思うような職場を作るということを目指していましたね。

「ビールを作ろう」というのは、最後になって出てきたんですね! ちなみに、独立は勇気がいることだと思うのですが、後押ししてくれたことはあったのでしょうか?

金山 夫が応援してくれていたのは大きかったです。実は、夫もビールメーカーに勤めていた時期があったんですが、私よりも早々に辞めていて(笑)。今は別の仕事をしていますが、当時から自分の生き方を追求するようなバイタリティーあふれる人だったので、その姿にも勇気をもらいました。今も仕込みなど、お店のことをいろいろ手伝ってくれています。

自分で作ったビールへのリアクションを見届けたい

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ビール醸造のみに注力できる「メーカー」のスタイルではなく、醸造所とレストランが併設した「ブルーパブスタイル」にして独立したのはどんな理由があったんですか?

金山 教科書的ではありますが、自分で作って、出すところまで見届けたいと思ったからですかね。メーカーにいると、どうしてもお客様との距離がかなり離れているので、商品開発をしていても、売上とか数字でしかお客様のリアクションが見えなかったんです。それを寂しく感じていて。なので、“自分で出してお客様の反応をこの目で見る”という部分まで一貫したかったんです。

退職されてからすぐに独立の準備に入ったんですか?

金山 どういうことをしていきたいかという構想は固まっていたので、退職してからの半年間は、主に物件探しをしていました。2015年1月に退職をして、7月に物件を契約して会社を作り、それから2016年3月のオープンまでは、お酒を製造するための免許を取得して、開店の準備に追われていたという感じです。

物件を北千住に決めたポイントはどこにあったのですか?

金山 物件選びにはけっこうこだわって、23区をメインに、西東京とか大宮とか、いろんなエリアを回りました。その中でも、北千住が一番しっくりきて。北千住は、若い世代も年配の方もいろんな方が住んでいて、活気があるんですよね。さらに下町のよさというか、温かい雰囲気もあって。求めていた土地柄にぴったりだったので、物件探しの後半は北千住に絞っていました。

もともと北千住になじみはあったのでしょうか。

金山 会社員時代の飲み会は、北千住でやることが多かったんです。なので10年ぐらい前から、実は北千住に飲みに来ていて、愛着もありましたね。ここで店を開きたいと思った街で、今実際に地元の方にたくさん来ていただけているというのは、嬉しく感じます。

誰でもおいしく飲めるビール作りがモットー

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「さかづきBrewing」で提供されるビール。写真左から「煙月ブラウン」「秘密基地」「月の杯ヴァイツェン」

今作っているビールは何種類ぐらいあるのでしょうか。

金山 お店で出しているのは常時6種類前後です。「ペールエール」や「ヴァイツェン」などの定番もありますが、半分以上は時期ごとに変わるフレーバーを作っています。1回仕込むと、開栓してからだいたい3週間ぐらいでなくなるので、その次に作るものは、お店に出るときの季節や旬を考えながら、それに合った素材を使って仕込むようにしています。2016年3月のオープンから現在までトータルすると、約50種類ぐらいは作ってますね。

約1年で50種類はすごい数ですよね! ビールの味を作るときのこだわりがあれば教えてください。

金山 ドリンカビリティ……簡単に言うと、バランスよく飲み続けられるかですかね。例えば、飲みづらいほど苦いとか、突拍子のない原料のビールとか、今は変わったビールが注目を浴びがちです。でも私は、ビールが不慣れな人でも飲みやすいビールを作りたいと思っています。

あとは、ご飯とのペアリングも意識しています。ビールが主役というよりは、ビールと料理、お互いが高め合えるようなものを提供したいと思っています。

誰が飲んでもおいしいビールを目指しているんですね。ビール作りには、どれぐらい時間がかかるものなのでしょうか。

金山 仕込みを開始してから酵母を添加して、発酵の準備OKになるまでが約10時間、そこから、発酵と熟成を経て、最短で約10日間でお店に並びます。火力の調整なども人の手でやっているので、火をかけているときはつきっきりで仕込みをしています。

本当は、さらに2週間ぐらい寝かしたいんですけど、今は予想以上にお客様が来てくださっているので、その余裕がなくて。1回で150リットル作れる器材を使っているのですが、もっと大きいのにすればよかったと思ってます。

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嬉しい悩みですね。金山さんイチオシのビールはありますか?

金山 シーズンものなんですが、今出している「秘密基地」という、ヨモギを使ったビールがイチオシです。ベルギーでは、ハーブやスパイスを入れた爽やかなビールを夏に飲むというスタイルがあって、そこからヒントを得て作りました。後味がほのかにヨモギで、ほかではなかなか飲めないおもしろい味だと思います。

お客様の笑顔がなによりの活力。作り手と飲み手が気軽に話せるお店であり続けたい

働く上で常に考えていることはありますか?

金山 自分がビールを作って、その対価としてお客様がお金をくださって、生活しているという、お金の流れはやはり意識していますね。お客様とは、対等な立場でありながらも、謙虚に、目の前のことに誠実でいたいと思っています。

醸造家や職人さんの中には「自分の好きなものにこだわる」という方もいるかと思います。もちろんそれも重要なんですが、私は飲んでもらう人のことを一番に考えて、「おいしい」と言ってもらえるビール作りを目指しています。

お客様と意見の交換をすることもあるんですか?

金山 たくさん意見をくださいますよ(笑)。店の定番のビール「風月ペールエール」も、実は麦芽配合を変えたり、仕込み工程を変えたり、何回もマイナーチェンジして、今の味にたどり着いたんです。その度にFacebookで案内するんですが、そうするとお客様が「じゃあ飲みに来るか」と、新しい味を試しに来てくださったりして。そんなふうに、作る側とお客様側が気軽に会話ができる店って、あんまりないかもしれないですね。

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お客様との距離が近いんですね。仕事をしていく上で、一番のやりがいはなんですか?

金山 やっぱり、ビールを飲んでいただいて「おいしい」と言っていただくことですね。私は淡々とした性格なので、そこまで喜びを感じないのかな?とも思っていたのですが、目の前で「おいしい」と笑顔で言ってもらえると、想像以上に嬉しいし、活力になりますね。

レシピを作って醸造して、メニュー名をつけて、お店に出して、お客様のリアクションまで見届けるという一連の流れ、全てが楽しいです。その分、「いまいちだ」と言われたときはへこみますけど(笑)。

嬉しかったことで、印象的なエピソードはありますか?

金山 私にとっては意外なことだったので印象に残っているという話になるんですが……。先ほどお話ししたように、うちのビールは開栓してから約3週間でなくなるんですが、実はその3週間の間にも、味が徐々に変化しているんです。

ビールは熟成させるほど味が整っていくのですが、うちのような小さな店では、提供するビールが足りなくなるので、熟成に最低限の時間しかかけられない場合が多くて。開栓後も熟成は徐々にしているので、開栓直後と、なくなるギリギリとでは、渋みや深みなどが変わっています。

大手のビールメーカーでは「完全にあるべき風味を確定させた」という段階になってから市場に出すので、いつ飲んでも同じ味が楽しめます。それが正しいことだと思っていたので、メーカー出身の私の中では、「味が変わってしまう=いけないこと」だったんですね。

なので、お客様に「この前と味が違うね」と言われると、怒られているんだと思っていつも謝っていました。ですが、「それ(変化があること)が、ブルーパブの楽しいところでしょ」と言ってくださるお客様が多くいらっしゃって。思いもよらない言葉でびっくりしましたね。これもいいんだなと嬉しかったですし、ビールの楽しみ方をまたひとつ知ることができました。

金山尚子さん

嬉しいことがある反面、大変なこともあるかと思いますが……。

金山 オープン当時がとにかく大変でした。作っても作ってもビールが足りないので、焦がしてしまったビールを出したこともありました。プロとしてこれでいいのか悩みましたし、そのときはつらさのピークでしたね。ちょうど1年前のメニューを見ていたんですが、ビールが2種類しかなかったんですよ。ビールが“売り”のブルーパブに来て、2種類しかビールがないなんて、お客様もびっくりだよな……と。予想外にお客様が来てくださったのはとてもありがたいことなんですが、その分、せっかく来てくださったのに飲んでいただくビールが少ないというのは、とってもつらかったです。

このオープン当初の時期は、起きたらすぐお店に来て、営業が終わったら帰って寝るだけという感じで、ごはんを作る時間もないし、休みもないし、ぐちゃぐちゃな生活をしていました。定休日でもビールの仕込みをしたり、器材の消毒をしたりとなにかしら作業をしているので、今も完全な休みはないですが。それでも、夫やスタッフのサポートもあり、生活スタイルも落ち着いて、人並みの生活は送れるようになりましたね。

つらくなったときは、どのように対処したのでしょうか。

金山 対処法というより予防策になりますが、最近では、意識して肩の力を抜くようにしていますね。というのも、以前、レシピを作るのが苦痛でしかたない時期があったんです。忙しすぎて、頭がいっぱいいっぱいになって、なにもアイデアが浮かばなくなってしまって。ほかにも、「ビールとはこういうものだ」と熱く語っているプロの方を見ると、自分もしっかりしなきゃいけないと思ってしんどくなったり……。

だけど、自分自身も楽しみながら、とにかくビール作りに集中しようと思い直して。「失敗してもいいや」ぐらい気軽な気持ちでできるようになったら、精神的にすごく楽になりましたね。適当に仕事をしているわけではないのですが、私の場合は、それぐらい力を抜いてやった方が、おいしいものができるということに気がつきました(笑)。

今では柔軟にアイデアが浮かぶようになって、作りたいビールをメモしたアイデアノートも、来年の冬まで埋まっている状態です。

肩の力を抜くことは、好循環につながったんですね。最後に、今後の目標があれば教えてください。

金山 まだ決まったことではないんですが、今はお客様の数に対して施設が小さすぎるという悩みがあるので、お店以外にも、ビール作りができる専用の場所を作っていきたいですね。施設が整えば、もっと時間をかけて熟成させることもできるので、さらにおいしいビールが作れると思っています。

といっても、お店を大きくしたいわけではありません。今の店のスタイルを原点に、作り手とお客様の距離を大切にしつつ、よりビールの種類を増やしたり、ビールの質を高めていきたいなと思っています。

ありがとうございました!

※文章中の「ビール」は現行酒税法上発泡酒に分類されるものも含みます

取材・文/石部千晶(六識)

お話を伺った人:金山尚子

金山尚子

大手ビールメーカーで勤めたのち独立し、ブルーパブ「さかづきBrewing」をオープン。1日休みというのはなかなかとれないけれど、定休日の月・火曜日はビアバー巡りを楽しむ。趣味は、7年前に始めたトライアスロン。時間を見つけてはランニングをして体を鍛えている。

店舗情報:「さかづきBrewing」

さかづきBrewing

北千住の住宅街にかまえる醸造所が併設されたレストラン(ブルーパブ)。常時数種類のビールが、料理とともに楽しめる。現在仕込み真っただ中という2017年夏の新作は、レモンを使ったビールを提供予定とのこと。

〒120-0026 東京都足立区千住旭町11-10コルディアーレ1F
TEL:03-5284-9432
営業時間:(水・木・金曜日)16:00〜22:30(22:00LO)、(土曜日)13:00〜22:30(22:00LO)、(日曜日)13:00〜21:30(21:00LO)
定休日:月・火曜日
https://www.facebook.com/sakaduki/

次回の更新は、7月5日(水)の予定です。

タニタ食堂・甲阪さんの視点「健康を気にしていない人を食で健康に」【おしごとりっすん】

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『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」の第2回は、株式会社タニタ食堂の営業本部に所属する甲阪絢佳さんです。管理栄養士の資格を持つ甲阪さんは、レシピ本で話題になった1食あたり500kcal前後のヘルシーな食事を提供する「タニタ食堂」出店に関する問い合わせなどの一次対応を担当。健康に関するセミナーの講師も務めています。「管理栄養士」と「営業」、一見結び付かない仕事に普段どのように取り組んでいるかについてお聞きしました。

管理栄養士として健康に寄与したかったのに、1年目は営業へ

今の仕事について教えてください。

甲阪さん(以下、甲阪) タニタに入社して4年目になります。現在はタニタのグループ会社である株式会社タニタ食堂の営業本部に出向して、2012年にオープンした「丸の内タニタ食堂」をはじめ、全国のタニタ食堂の企画・運営を担当しています。タニタ食堂はレストランですが、タニタの健康計測機器も販売しているので、タニタ本体の販促担当者や営業担当者と連携しながら、機器と食事をつなげるような企画を考えています。

管理栄養士の資格をお持ちとのことですが、どうしてこの資格を選んだのですか?

甲阪 私はもともと、高校時代に薬剤師を目指していました。祖母をがんで亡くしたので、がんに効くような薬を作れればと思って薬学部を目指したのですが、大学入試センター試験で大失敗をしてしまって……。近い職種に就ければと考えて、管理栄養士の道に進みました。管理栄養士として病院で働き、食の面から患者さんの健康に寄与できればいいなと考えていました。

大学3年次、病院で実習をした際に、「食を通じて人々を健康にしたい」という気持ちが強くなりました。そこで、病気を予防するために活躍できる管理栄養士になりたいと考えました。健康な人たちをもっと健康に、健康ではなくなりそうな人たちを健康にする、そんな思いを実現できる企業の候補の一つとして考えたのがタニタだったんです。

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タニタに入ろうと思った理由はそこなんですね。

甲阪 “健康をはかる”計測機器が主力の商品ですし、グループ会社では地方自治体や企業に対して健康増進のためのプログラムやセミナーを提供しているところに注目しました。ちょうどその頃、タニタの社員食堂が有名になり始めて、レシピ本『体脂肪計タニタの社員食堂』(大和書房)が出たり、丸の内タニタ食堂がオープンしたりと、食の方面にも力を入れていました。自分がやりたいことと会社の取り組みが合致していたんですね。

会社に管理栄養士はどれくらいいるのでしょうか?

甲阪 タニタグループ全体で35人くらいです。栄養指導や食関連を扱う部署の人もいれば、研究開発部門にいる人もいて、割とばらばらですね。

私がタニタの入社試験を受けた時、募集職種は技術職と経理職しかありませんでした。「どちらかといえば管理栄養士は技術職だろうけど、管理栄養士として働けるのかどうか受けてみないと分からないし、落ちたら落ちたでいいや」と思っていたのですが、運良く入社できて、今に至ります(笑)。

「技術職か経理職」というと現在の仕事とは違いますが、どういういきさつで……?

甲阪 当初は、タニタ本体の営業職として配属されました。タニタでは例年、「技術職」「営業職」を募集することが多かったのです。入社2年目の夏くらいまでは、ノベルティ案件やカタログギフトの商品提案などを担当していました。

最初の職種が「営業」では、当初の「管理栄養士として健康に寄与したい」という志と離れているんじゃないかと思いましたが、率直な心境はいかがでしたか?

甲阪 今でも社内でよく言われるんですが……営業への配属直後は、本当にもうどうしていいか分からなくて、戸惑いました。栄養のプロとして活躍している管理栄養士の人のもとで働けるとなんとなく思っていて、そういう気持ちで仮配属の前まで過ごしていたので。想定外の配属結果発表で「どうしよう、私にできるかな」というのが率直な感想でした。

その状態を乗り越えられたんですね。

甲阪 振り返ってみると、最初に営業職をやったのは自分にとってプラスだったと思っています。今の仕事では、セミナーの講師として大勢の前で話すことがあるんですが、人前で話すということへの場慣れはもちろん、タニタの名前で話すとなるとタニタ全体の商品やサービスの話もしなければなりません。「会社の代表として話す」素養が培われたと思います。

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管理栄養士という視点はうまく活かされたんでしょうか?

甲阪 営業の現場では、自分が管理栄養士であることが役に立ちました。「タニタの管理栄養士」としてお客様に覚えていただいたり、小ネタとして話すことでお客様との距離感が縮まったり……そういうところで栄養の知識を持っていて良かったと思うことが多々ありました。

今の仕事でもこれを活かした提案をしています。キッチングッズの販促の提案であれば、減塩というテーマで血圧計と塩分計を活用するなどですね。「管理栄養士が言っているなら」と説得力を持って受け止めていただけています。

健康を気にしていない人でも「気づいたら健康になる」ようなおいしいメニューを

今出向されているタニタ食堂と、その業務内容について教えてください。

甲阪 タニタ食堂に異動してから1年間は「丸の内タニタ食堂」の現場に立ちました。接客をしたり、厨房で料理をしたり。

料理も! タニタ食堂に配属された方は全員現場を経験するんでしょうか。

甲阪 そうですね。直営店は「丸の内タニタ食堂」だけなので、現場で経験を積んで、その経験を他の仕事で展開していきます。フランチャイズで出店される方もここでの研修を受けています。

店舗一覧|タニタ食堂

甲阪 「丸の内タニタ食堂」の成り立ちは、先ほど少しご説明したようにタニタの社員食堂がベースなんです。社員食堂で出していた、栄養バランスやカロリー、塩分量などに考慮したメニューが話題になって、レシピ本も非常にヒットしました。レシピ本は今ではシリーズが4冊、全部で542万部売れています。

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甲阪 すると、「実際にタニタで作られている本物が食べたい」というお客様の声をいただくようになったんです。タニタの本社を訪れる方がいたり、お客様のお問い合わせ窓口に「どこに行けば食べられるのか」という質問が来たり。

レシピ本パワー、すごいですね。

甲阪 「実際に食べられる場所を作らなければならないのではないか」ということで、「丸の内タニタ食堂」をオープンしました。でも、1店舗作ると、次は「うちの県に作ってくれないか」などのご意見が増えたんです。タニタのメニューをもっと広める仕組みを作らなければならないと考えたのですが、実は料理の作り方に結構コツが要るんですね。単に店舗のマニュアルと料理のレシピを渡せば作れるというわけじゃないんです。

そこで、服部栄養専門学校と連携して、「タニタシェフ育成コース」という育成プログラムを作りました。タニタメニューを提供するためのライセンスを取得していただく仕組みができて、ようやく多店舗展開ができるようになりました。私はその取りまとめやサポートなどを一括で対応しています。

ヘルシーなメニューを出すお店が増えていくんですね。

甲阪 タニタ食堂は全国に広がっており、現在27店舗あります。しかし、課題もあります。和食の伝統的な定食スタイルとか、野菜をたっぷり使っているとか、健康面だけを謳っても、一般的な外食のお店と比べて「味が薄いんじゃないか」「同じお金を使うなら豪華なものを食べたい」と思われてしまうんですね。そういう意味では、リピーターを増やすのが難しいのです。

そこで近くの会社のお客様からお声掛けがあったのをきっかけに、私が社内を説得して「1ヶ月タニタ食堂のメニューを食べて、健康的にやせるかどうか検証する」という企画を実施しました。そうしたら、参加された数十名の方が実際に平均2kgくらいやせられたんです。

1ヶ月で2kg体重を減らすのは無理のないやせ方ですね……!

甲阪 自分が起案したプロジェクトに上司から二つ返事で「やってみて」と言われましたし、その会社さんは非常に積極的で「もっと健康増進に取り組まなければならない」と考えてくださいました。プロジェクトが終わってからもタニタ食堂へ食事をしに来てくださる方がいまして……。タニタ食堂を広げる以外にも、新たな顧客に対して既存のものだけではなく、工夫したパッケージとして提供することを発見できて、健康づくりの啓発とタニタファンを増やすこと、両方に寄与できる仕事になりました。

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タニタ食堂で今後考えている取り組みがあれば教えてください。

甲阪 タニタ食堂では、1定食あたり500kcal前後にカロリーを抑えてタニタの社員食堂を忠実に再現した「日替わり定食」と「週替わり定食」の2種類を提供しています。週替わり定食は基本的には和食で、“野菜を350g摂れる”“アスリート向け”など、さまざまなコンセプトを設定してメニュー開発を進めています。その新しい取り組みとして「洋食シェフシリーズ」を5月末から始めました。洋食レストラン出身のシェフの社員による発案なんです。第1弾は「ビーフハンバーグ定食」でした。

1食500kcalだとだいぶ小さいハンバーグになってしまうのでは……。

甲阪 そんなことはないです(笑)。ただ、やはり難題でしたので、シェフと栄養士で塩分やカロリーを調整して、タニタ風にアレンジするためにかなりの数の試作を重ねました。タニタがアレンジすればボリューム感のある洋食をおいしく食べられる、タニタ食堂で食べてみよう、というきっかけにしてもらえたらと考えています。

「カロリーが少なくて野菜がたくさん食べられるメニュー」は、健康に対する意識の高い方は注目してくださるのですが、健康を気にしていない方には響きにくいと感じています。こうした方々が「おいしく食べて気づいたら自然と健康になる」、そんなメニューを提供していきたいと考えています。ボリューム、彩りなどの見た目を重視し、おいしさという面からも追求したメニューで、幅広いお客様を健康にしていくのが使命だと思っています。

「健康作りを支援する会社」であれば、その手段は何でも構わない

「会社に提案したら二つ返事で」というお話がありましたが、会社の雰囲気はいかがでしょうか。

甲阪 風通しは良いですね。タニタ本体は、社員食堂のおかげで名前が有名になり、大企業をイメージされる方が多くなってきたのですが、実際には社員250人くらいの中小企業です。今の社長(代表取締役社長 谷田千里さん)は創業から3代目で、45歳というとても若い社長なんですよ。社長が就任した時にどんどん新しいことにチャレンジしようという方向性になって、新しい提案も筋が通っていれば通りやすい風土になっています。

確かに「タニタといえば体重計」というイメージは強いですが、Twitter公式アカウントははじけたキャラクターですし、それがpixivで漫画化されるなど、不思議なこともされていますね。

甲阪 そもそも「なぜうちの会社がレシピ本を出版?」という話はあったようです(笑)。Twitterも、社員が社長に「やりたい」と言ったのがスタートでした。そういう意味ではタニタ食堂も「新しいことに取り組む」というチャレンジだったんです。

(2011年にスタートしたタニタのTwitter公式アカウントの最初のツイート)

甲阪 もちろん今までやってきた体組成計などの計測機器の製造・販売は注力するけれど、それだけではだめだと。ぶれてはいけないのは「皆さんの健康作りを支援する会社」ということであって、その手段は何でも構わないと言っていました。例えば「30年後にタニタが食堂の会社になっていてもいいじゃないか」なんて。

食は健康と密接につながっていますしね。

甲阪 私は昨年、タニタ食堂の管理栄養士として、環境省が開催した「熱中症対策シンポジウム」というイベントで「熱中症と食事」に関する講演をしました。タニタでは「熱中症指数計」という機器を作っていて、そのプロジェクトリーダーをやっている先輩から「食の面で熱中症予防に関する講演をやってみないか」と声を掛けてもらって。大学教授の中に混じって「こんなところにいていいのかな?」と思いつつ、40分ほどの講演をさせていただきました。

熱中症対策もそういえば健康支援ですね。

甲阪 「食」の観点で講演内容を作るのは結構大変だったのですが、熱中症に関する知識が増えましたし、そのイベントの前後でタニタ食堂でも「熱中症対策フェア」を実施して、栄養素を考慮したメニューを開発しまして。熱中症指数計との連動もできましたし、これまで「食と熱中症」はなかなか取り上げられてこなかったので、新しい視点という意味では貢献できたかなと考えています。

毎年気温が上がると熱中症対策の話題が増えますが、食事面ではどんなところに気を付ければいいのでしょうか?

甲阪 特定の食べ物というよりはバランスの良い食事を摂るのが基本で、ポイントは「疲れにくいからだをつくる」ことです。そこでよく「ビタミンB1を摂りましょう」といわれます。ビタミンB1は糖質のエネルギー代謝に必要な栄養素です。間接的なメカニズムではありますが、疲れやすいということは、その分エネルギーを消耗しているので、ビタミンB1が不足しがちになるといわれています。

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甲阪 また、カリウムもしっかり摂ってください。日本人の食事は塩分が多めで、どうしてもナトリウムを摂りがちになってしまいます。熱中症対策として塩分の補給は必要ですが、もともと摂り過ぎていると、余分なナトリウムを排出する必要があります。そこに必要なのがカリウムです。カリウムが不足してしまうと、血液などの細胞外液のナトリウムバランスが崩れて、脱水症状が起こってしまいます。

エネルギー代謝の点で特に注意していただきたいと考えたのはこれらの2つ、あとはクエン酸ですので、講演では「その3つをしっかり摂りましょう」というお話をさせていただきました。

健康と食の関わりでは「特定の食品を食べ続ければいい」という話がありがちですが、その辺りへのお考えをお聞かせください。

甲阪 タニタ食堂は食を扱う会社ですし、セミナーやイベントの講師もしている以上、管理栄養士としてしっかり正しい知識を身に付けることが必要で、安易に不確かな情報を発信してはいけないと気を配っています。タニタの管理栄養士が間違った情報を発信してしまうと、タニタ全体の信頼にも傷を付けることになりますし、何よりお客様にご迷惑をかけてしまいます。情報については、国の機関がしっかり認めている資料を参考にしています。

自分が考えたことが受け入れられるとやりがいにつながる

今の仕事のやりがいについて教えていただけますか?

甲阪 まだキャリアを多く積んだと言えるほどではありませんが、自分が考えたことを「やってみたい」と提案すると、「やってみれば」と受け入れられることが多いです。それが成功体験につながることで、自信が付いていると感じますし、やりがいにもつながっています。

1年目の営業の頃は、右も左も分からず、教わることがとても多くて、やれることを一生懸命やることで必死だったのですが、必死にやっている中で少しずつ余裕が出てきて、改善点が見えてきたということもありました。タニタ食堂に出向した時も、3~4ヶ月くらい経った頃からちょっとずつ仕事に慣れてきて、「こう変えたらうまくいくかも」と考えられるようになった気がしますね。

仕事をしていて良かったことを教えてください。

甲阪 小さいことの積み重ねが大きいですね。自分が提案した企画を世の中へ広めていこうという本格的な動きになった時や、タニタ食堂の出店に関わって実際に店舗のオープンへと実を結んでいく瞬間は、すごくうれしかったですね。

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逆に、落ち込んだり、正直つらかったと思ったりした出来事は?

甲阪 やっぱり営業に配属されたことです(笑)。「何のためにこの会社に入ったんだろう」と思うこともありました。入社から2ヶ月間でいろいろな部署を回って研修をして、一番自分にできないだろうと思ったのが営業だったので……。

あとは、初めて物販と食をつなげるための企画を考えて実現するまで、実際にやりたかった時期から遅れてしまったことがあったんですね。企画から実施まで落とし込む難しさにすごく苦労しました。

落ち込んだ際の対処法などはありますか?

甲阪 休日に友達とごはんを食べに行くとか、おいしいものを食べるとかですね。私は結構単純で、たくさん寝ることでストレスが発散できて、だいたい忘れるタイプなんです。なので、土日のどちらか1日は思う存分寝る、なんていうこともしています。

働く中で、ロールモデルにしている人がいれば教えてください。

甲阪 最初に営業へ配属された時の教育係の先輩と、今の直属の上司に対して、「この人についていこう」と尊敬する気持ちを持っています。周りの人に恵まれたこともあり、その人たちを目指そうと思うことが多いです。

1年目は商談へ同行させてもらうことが多かったのですが、営業職に対する先入観もあったせいか、お客様との関係性の良さに衝撃を受けました。お客様の要望もうまく取り入れながら提案したり、レスポンスもとても速かったりして、私もこんなふうになりたい!と思ったことを覚えています。時には厳しく叱られ、落ち込むこともありましたが(笑)、指導してもらったことが今の仕事にも活きているなと感じています。

今後のキャリアについてはどのように考えていますか?

甲阪 今はたくさんある仕事をとにかくこなしていく日々ですが、自分の中の引き出しがだいぶ増え、よりスムーズに業務を行えるようになったと思っています。今後は、一歩引いてもっと全体を見回して、改善すべき点を拾っていき、今までにない新しいサービスや商品を発信していければと思っています。

つい先日、タニタ本体の社長と話す機会がありました。自分では今まで頑張ってきたとなんとなく思っていた部分について、まだまだ勉強が足りないなって実感させられたんですね。たくさんの人と会っている社長の視点から「これがやりたい」と言っている内容が、やっぱりすごいなと思いますし、自分が見ている世界はまだまだ狭いなと思います。専門性を上げていくことももちろんですが、社会の動きを見て何にチャレンジしていくかについても考え、実行していかなければならないと思っています。

ありがとうございました!

お話を伺った人:甲阪絢佳(株式会社タニタ食堂 営業本部)

甲阪絢佳

全国のタニタ食堂を統括する営業本部は、わずか数名の少人数体制。「名前は大きいのですが小部隊です」。趣味は幅広いジャンルの音楽を聴くことで、たまにライブに行って楽しんでいるとのこと。やせるためのコツを聞いたところ「体組成計で毎日はかってください! それから、活動量計を持って毎日たくさん歩く!」という回答が。

次回の更新は、6月21日(水)の予定です。

「誰も助けてくれない」という絶望感から「誰かの手助けに時間を費やす」まで。“プロ外資系OL”ずんずんさんが考えてきたこと

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シンガポールでグローバルIT企業に勤める“プロ外資系OL”としてブログ「ずんずんのずんずん行こう!改!」を書くほか、外資系企業の実態を描くエッセイや仕事術に関するビジネス書などの書籍、Webメディアの記事を執筆するずんずんさん。普段はシンガポールに在住のずんずんさんに、大変運良く、日本でお話を伺う機会がありました。著書のサブタイトルにある「超ブラック企業の元OLが、世界一の外資系企業で活躍するまで」についてお聞きしました。

「プロ外資系OL」への第一歩は新卒入社時の激務だった

「プロ外資系OL」になるまでの経歴について教えていただけますか。

大学を卒業後、日系企業に経理として就職しました。当時は手に職を付けなきゃいけないという焦りがありました。最初の会社がとにかく激務で苦しくて、心身の調子を崩しまして、「丸の内OLになりたい!」という夢を叶えるべく転職活動をしたところ運良く外資系投資銀行に入りました。そこから何回か転職をして、今はシンガポールのグローバルIT企業で財務・税務を担当してます。

著書で外資系企業を題材にしているように、最初の会社と外資系企業ではだいぶカルチャーなど違うのではないかと思いますが、転職先はどう探したのでしょうか。

転職サイトを使っていました。転職先を探していたらなぜか外資系の面接に呼ばれたという感じです。たぶん、最初の会社で年齢の割にたくさん働かされたので、その分の経歴が強かったんじゃないですかね。新卒1年目でどんどん上司が辞めていっちゃって、入社して半年でマネージャーになって……。

新卒でマネージャー……どうしてそうなっちゃったんでしょう……。

何も知らずにピュアなハートで就職したんです。そうしたら本当にどんどん人が辞めていきまして……。

部下はどのくらいいたのでしょうか。

誰もいません。“一人マネージャー”です。責任だけ大きくなって給料は初任給でして(笑)。管理職手当も付かなかったです。誰も何も教えてくれないので、いっぱい失敗して、怒られまして。今思えば「ひどいことするなぁ」って思いますね……。自分だったら絶対にそんなことさせないのに……。

ずんずんさんの上司に当たる人は入社してこなかったんでしょうか。

人員が充当される前に、私が1年で辞めちゃいました。

1年で転職されたんですね。転職後のギャップはありませんでしたか?

最初の会社での激務とは全く違いましたが、精神的にすごく苦しかったです。お局様だらけで、日本人同士のやりとりなのになぜか英語を使うし、メールもExcelも英語になりました。しかも、また誰も何も教えてくれない。採用時には実務の経験があればいいということだったはずなんですが、それまで全然英語を勉強していなかったのですごくばかにされました。今思えばよく入れたもんだなと思います……。会社の期待している「英語ができない」と私の「英語ができない」のレベルが違っていたんだと思います。私だったら雇いません(笑)。

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今のシンガポールでの生活はいつからですか?

4年くらい前ですね。当時勤めていた外資系の企業でまた体調を崩してしまい、ちょっと遊びたいなぁと思いました。シンガポールには友達も住んでいましたし、英語の勉強をしがてら行ってみたんです。

シンガポールに移ってから就職活動をしたんですね。

はい。本当は日本に帰ってくるつもりだったんですが、そこでアベノミクスが起こりまして、自分の財産がきゅーんと減ってしまい、しょうがないから働くか、どうせだったら海外で働いてみようか……と。

「誰にも頼っちゃいけないから自立しなきゃ」という恐怖心でのモチベーション

1社目も2社目も仕事を教えてくれる人がいなかったということですが、どのように仕事を覚えていったのでしょうか。

盗むしかないですね! 教えてくれる人がいなければ背中を見て盗むしかない。

なんだか職人の世界ですね。

最初の上司のやり方を盗んで、転職して、転職先でもやっぱり上司のやり方を盗んで……。上司のお気に入りの人のしゃべり方や態度を見てどうしたらいいか考えたりもしました。自己啓発の本も読みました。

誰も指導する人がいないという状況からのスタートで、仕事への熱意やモチベーションを保ち続けられる理由について教えてください。

「なんでこんなに仕事を頑張っているのか?」について自分でも最近考えていたんですよ。やっぱり学生時代にモテなかったのが一番強かったですね!

モテ!

悲惨ですよね……。そのせいだけではありませんが、結婚について夢を持つことはありませんでした。自分の母親が、結婚していて幸せそうには見えなかったんです。母親はよく「自立していないと人生がつまらない」と言っていて、「お母さんみたいになりたくないな、手に職を付けて働きたいな」と思ったのが最初のモチベーションだったと思います。

「母親が娘に与える影響」は大きいように感じますね。

「専業主婦」か「手に職を付けて自立」かといった考えはいったい誰が刷り込んでるんでしょう。何か大きい力による陰謀では……!?

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私の場合は生きるために働いています。「働いていないと自立できない」という考え方が強くて。経済的に自立しないと、自由がなくて、他人に人生を操られちゃう感じがしますからね。基本的には「この厳しい世界で、サバイバルして生きていかなければならない」「誰にも頼ってはいけない」という気持ちが強いです。

その気持ちのきっかけは、家族との関係性だったのでしょうか。シンガポールで受けたコーチングに関する記事(2014年11月)でも書かれていましたね。

お父さんに「私の事愛してますか」と聞けますか? - ずんずんのずんずん行こう!改!

ええ、「頼っちゃいけないから自立しなきゃ」というある種の恐怖心ですね。悲しいですよねぇ……。うっうっ。恐怖心にドライブされていたように思いますね。

「誰かが都合よく助けてくれる世界はない」と思っているんですね。

でも、心の奥底で、待っているんですよね。自分は自立しなければならないと思い込んでいつつも、どこかで誰かが助けてくれるんじゃないかなって思っていて。それに気づいた時、自分自身に絶望しました。でも気づけたことによって「そんな都合のいいことはあるわけないじゃん」と本当に自覚できたと思います。

いろいろあって最終的に今の仕事のモチベーションがどうなっているかというと「責任感」ですかね。あとは「チームメイトに失望されたくない」というのもあります。

同僚の期待を裏切りたくないということでしょうか。

「自分の果たすべき役割がある」とか「チームに貢献する」とか、言葉に出すと恥ずかしいですね(笑)。

「誰も都合よく助けてくれない」という絶望感から、現在のお友達や同僚との関係性が生まれていったのがすごいですね。

自分が考えていた「助けてくれる」というのは、ファンタジーの世界のようなものだったんですよね。「絶対的な救世主が現れて、いつか自分を救ってくれる」というような。現実にそんなことは起きないですし、自分ができることをやっていくのが一番良いかな、と思うようになりました。近くの人の幸せだけを考えていく。

現実性のない、すごく大きなことを考えるのではなく、自分ができることを考えれば、誰かを助けることができて、幸福感を得られる。そういうことが人生の幸せの一つなんじゃないかなって思います。

シンガポールで受けたコーチングで「人生悪くないな」と思えた経験からコーチングを趣味に

「誰かを助ける」というのは、趣味であるコーチングと通じるものがありそうですね。

コーチングは直接誰かを助けるものではないんです。その人が気づいて立ち上がれるための手助けをすることがコーチングです。ファンタジーの世界のような絶対的な存在は訪れないけれど、自分自身に立ち上がる力があるということを知ってもらえれば、人生変わってきますよね。こうしてインタビューを受けられるようにもなります(笑)。

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絶望して一人きりでいるよりも、見方を変え、行動を変えていけば、楽しいことがあるんじゃないかと思います。人生で変えられるのは、未来のビジョンと、今の行動と、考え方だけなので。

シンガポールで受けたコーチングというのはどのようなものなのでしょうか。

「自分の認知を変える」ことです。課題の解決がうまくいっていないところを整理していきます。カウンセリングやセラピーのような「癒やす」ものとは性質が違いますね。マイナスからゼロにするのが癒やしだとすると、ゼロからプラスにするのがコーチングです。

例えば、「道を歩いていたら変質者に遭った」という嫌な経験をするとします。変質者は怖い。嫌な経験は記憶になりますよね。「あの道を歩くと変質者が出る」という思い込みが発生します。その思い込みで、行動が変わってくるんです。「その道を歩かない」。

実はその道に変質者が出たのは何十年に1回だけだったかもしれなくて、自分はたまたまそれに遭ってしまっただけかもしれない。空手を習うなどしてものすごく強くなったとしても、「ここは歩かない」と決めてしまうんです。その認知のゆがみを解消すれば、その道を歩けるようになります。これは分かりやすい例えですが、似たようないろいろなことが人生で起きているんですね。

コーチとマンツーマンで行うんですか?

はい。コーチングでは、先ほどの例えでいえば、

  • 「どうしてその道が怖いの?」「変質者が出るからですよ」
  • 「今もその道に変質者は出るの?」「それは知らないです」

という会話をしていきます。コーチはその人が見えていない「ブラインドスポット」を客観的に見て、そこを突いていくんです。

コーチングはみんながみんな受けるようなものではないと思いますが、私の場合は、人生の謎を解きたくて受けていた感じですね。

趣味としてのコーチングでは、見知らぬ人からの問い合わせを受けるなどしていますよね。海外からどう対応しているのでしょうか。

Skypeを使っています。人によってはビデオチャットで話すこともあります。私のブログの読者さんは真面目で、将来のキャリア設計の話を聞いてくる人もいますね。「自分は嫌なのに繰り返してしまうこと」を解き明かしていくのは非常に面白いですよ。恋愛でいえば、「恋愛でいつもダメ男に引っかかってしまうのはなぜ?」のようなことですね。

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ネット上では素顔を出していないですが、ネット経由で問い合わせをしてきた方に対して顔を見せてしまうことに抵抗はありませんか?

全然知らない人からコーチングを受けるためにメールを送るって、すごく勇気が要る行動じゃないですか。仕事や家族の話をすることだってありますし……。「その誠意には応えなければならない!」と思いますね。

ずんずんさんにとって、そういう方はいたのでしょうか。

ううう、全然いなかったですね……誰かいてくれればよかったのに……。

自分自身は誰かから助けられなかったのに、誰かを手助けするコーチングを趣味にされたのはなぜですか?

なんででしょう……自分はそれまでの人生がすごく苦しかったんですね。実家は貧乏だし、両親はひどいし、友達はいないし……みたいな、結構つらい人生だったんですね。でも、コーチングを受けて自分の人生の見方が変わって、悲観的な物事の見方だけじゃなくなって、「そんなに悪くないな」って気づいたんですね。

見方を変えることによってもっと生きやすくなるなら、周りの親しい人やブログを読んでくださる方にも知ってほしいと思ったんですね。「世界はもっとよくなるんだ!」みたいな(笑)。そこに自分の時間を費やすのもいいんじゃないかなって思うんですよね。

日本ではコーチングを受けることはあまりポピュラーではなさそうですよね。

ビジネスチャンスかな? 起業しちゃおっかな?(笑)

自分の人生の優先順位を付ければ少し楽に生きられる

最近「英語ができるようになるために会社を辞めよう!」という記事がブログにありました。最初の転職時にどうやって英語に取り組んだのか教えてください。

3か月でTOEICで700点以上取る方法 - ずんずんのずんずん行こう!改!

そうですねぇ、やっぱり人間「命をかけないといけないタイミング」ってあるじゃないですか。

命……。

外資系企業に入ってみたら、会社のメールも英語、Excelも何もかも英語なんですよ。そこで何もできないということは、「命がかかってる」ということでして、英文法もメールの書き方も分からなかったので、英語を書けてる人のコピー&ペーストから始めました。

「英語は筋トレ」という言葉もありましたね。

英語って、階段状にスキルが上がっていくんです。「しばらく勉強してふっとレベルが上がる」の繰り返しです。上がらないときの絶望感がすごいんです。そこでやめるとそのレベルで終わってしまうんですが、続けると上がるんです。これを一生繰り返すのが英語の勉強なんじゃないかと思います。

日本で生まれ、日本の学校を出ていると、もう積み重ねていくしかないんです。吸収しているインプットの量が違うネイティブの人や帰国子女のレベルに、ドメスティックな日本人がなるのは無理なので、あきらめた方がいい! 無理をするなと言いたい!

効率良く学ぶ方法はやはりないんですね……。

「ネイティブみたいに英語を話したい」というのを目標にしちゃうと、そこにエネルギーをすべて使っちゃうじゃないですか。でもそれってあまり意味がない。「ビジネスで通じればいい」くらいでいいと思います。

失敗するのが怖い人はあまり上達しないですね。「文法を間違えた」「恥ずかしい」と思うともうしゃべれなくなっちゃうので。もし相手から「は?」というような「お前の言ってること分からないぞ」といった感じのリアクションがが来ても、「私の英語は頭の良い人なら分かるの、なんであなたは分からないの?」くらいの勢いで話していけば、相手もだんだん「この子は英語ができないんだ」ってあきらめるんですよ。でも相手も命がけで「私がこの子の話を聞いてあげないと仕事が進まない」と思って聞いてくれる。恐れずにいっぱい話して、いっぱいインプットとアウトプットを増やすしかないです。学問には本当に王道がないですね。

英語の他に何か取り組んでいることはありますか? 特に心身のケアで気を付けていることがあれば教えてください。

今はジョギングと筋トレをしています。ロッククライミングもやります。面白いですよ。

スポーツが好きなんですか?

昔は全然好きじゃなかったし苦手だったんですけど、労働時間が長いと、体力を付けないと苦しいじゃないですか。「死にたくない」っていう気持ちですね。なんで私の話はいつも悲惨な話になるんでしょう(笑)。このままだと死ぬぞ、生き抜きたい、って思っていますね。筋トレをして筋肉が付いて体力も付いて、この体力を何に使えばいいんだ? スポーツをするか、と。

最初は仕事のために体力が必要だと考えたんですね。

ロジカルに考えた結果です。最初はパーソナルトレーナーからやり方を学びました。結果としてスポーツがだんだん好きになりましたし、一時的なストレス発散にもなっています。

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今働いている中で、ずんずんさんが憧れるような人、こうなりたいと思う人はいますか?

これまでいなかったし、今もいないです。切ないですよねぇ。適切なロールモデルは欲しいですし、いたらもっと人生楽なんですが……。会社では上司にも同僚にも頭が良い人がたくさんいて、すごいとは思いますが、その人のようになりたいと思ったことはないです。「頑張って媚びていくぞ!」という気持ちです。

スーパーな人が多いんですね……。

うっうっ(泣)。自分がロールモデルになればいいんですよ! 私たちの世代にはいなかったんだから、自分がなるしかないんですよ! 自分がそうなって下の世代の者に見せていくしかないんですよ! それが新しい生き方なんじゃないですかねぇ。

働き方に迷っている人に向けてずんずんさんが声を掛けるとしたら、何をアドバイスするでしょうか。

さっきから「死にたくない」「生き抜きたい」とか物騒なことばかり言ってますが、「人生の優先順位を決める」のが大事なんじゃないでしょうか。仕事を一番にするのか、家族を一番にするのか、友達関係を一番にするのか。決めたことに対して心のエネルギーの分配方法を決めればいいと思うんです。

仕事を優先順位1位にして、全身全霊、100%の力でやると、仕事がうまくいかなかったときにすごく苦しいですよね。「家庭をナンバーワンにする、仕事は3割」というふうに決めておけば、少し楽になります。自分の人生で何が大切なのかを考えればいいんじゃないかなって思います。

ありがとうございました!

お話を伺った人:ずんずんid:zunzun428blog

ずんずん

グローバルIT企業に勤める、公私ともにプロ外資系OL。趣味はコーチング。著書に『外資系OLは見た! 世界一タフな職場を生き抜く人たちの仕事の習慣』(KADOKAWA)、『エリートに負けない仕事術』(大和書房)がある。自称ツイッターの天使(@zunzun428)。

次回の更新は、6月14日(水)の予定です。