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はたらく女性の深呼吸マガジン

イーアイデム

“専業主婦幻想”との戦い方から、男女の生き方まで――河崎環さんインタビュー

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こんにちは、ライターの小川たまかです。ふだんは、働き方や教育、性のあれこれについて話を聞いたり書いたりする傍ら、編集プロダクション・プレスラボの取り締まられ役と言われたりしています。

先日、コラムニストの河崎環さんとお仕事をご一緒する機会がありました。コラムの内容からクールビューティーなイメージのあった河崎さんですが、実際お会いしてみるととても気さくで話しやすい方。一瞬で大好きになってしまった私は図々しくも、すぐに改めて取材を申し込みました。いろいろお聞きしたいことがあったからです。

河崎さんと言えば、さまざまな媒体で活躍し、働く女性があこがれる、いわばロールモデルのような人。そして大学在学中に学生結婚し、一度は専業主婦になったという経歴をお持ちでもあります。河崎さん自身が専業主婦になったときに感じたことってどんなことだったのか? ……という切り口から、現代の女性の生き方、さらには男性の生き方にまで話題を広げ、あれこれと質問してみました。


取材・文/小川たまか(プレスラボ) 写真/相羽くるみ

専業主婦議論に感じるもやもや

──河崎さん、今日はよろしくお願いします。早速ですが、私は働く女性を取材することが多いんですが、たまに専業主婦の方から「今は兼業主婦ばかり正しいって言われる。誰も専業主婦に注目してない」と言われることがあるんですね。そう言われると少し申し訳ない気持ちになります。私がもやもやするのは、メディアにしろ政治家にしろ、「専業主婦だって一つの尊い仕事」って言うくせに、彼女たちに与えてるのはその言葉だけなんじゃない? っていうことです。

専業主婦が本当に「仕事」として認められているなら、育児のためにいったん仕事を辞めても職場復帰できるはずなのに、まだまだ難しい現実もある。それなのに、口でだけ「立派な仕事」って言うのって、ごまかしだなあ……と。

河崎 専業主婦の仕事を年収に換算すると○○万円みたいな計算は出るけれど、実際に誰かが支払っているわけではないですもんね。多様性のある社会っていう視点からいうと、やはりどのような選択も等分の敬意を受けるべきなので、「大事な仕事だよ」って言うことは間違っていないと思います。

ただ、それを踏まえた上でなおかつ言えることは、私自身が以前「専業主婦」という選択をした人間として、本当に充実していたと胸を張って言えるのは子どもが小さいときだけだったんですよね。当時、自分でもそれがわかっていたから、「大事な仕事だよ」という言葉を受け取ったし、自分に言い聞かせるように言っていたんです。

実際、私の年代は男女雇用機会均等法以降に社会人になっているので、周囲でも同世代は一定の就業経験を持つ“ママ”ばかり。子どもが小さいうちは専業主婦であっても、「子育ての手が離れたらまた仕事をしたい」と、はじめはパートタイムやいわゆる“ちょこキャリ”と呼ばれる形で、少しずつ家庭から外へ出て、行動範囲や視野を広げていく人が本当に多いです。

──私は子どもがいないので、子育てについてのあれこれを迂闊に言えないのですが、やはり成長するにしたがって手がかからなくなるものなのですか?

河崎 もちろん家庭によって差はありますが、特に就園・就学という形で子どもに家庭とは別の居場所ができるとぐっと楽になってきますよね。なんというか……時期が来ると子どもの方から正しく離れていくんですよ。親に秘密を持ち始めたりするし、思春期に成長のあり方として子が親から離れるのはすごく正しい。

でもそのときに、いわゆる毒親と言われるような人たちは、自分から離れていく子どもの足を折ってしまうんですよね。「私がいないとダメよ」って言って、自分の存在を正当化してしまう。実際に依存しているのは親の方なんですけどね。

戦後の企業戦士型の家庭においては、専業主婦と家庭に不在で働く夫というスタイルの方が効率が良かったし、座りも良かった、非常に。だからその生き方が完全に正当化されて、PTAなんかも専業主婦を前提の仕組みが出来上がってる。

でも、私たち庶民レベルで女性がみんな専業主婦っていう生き方は歴史的には実は一世代しかないんですよね。専業主婦型の家庭モデルは完全に時代の中では異質なはずなんだけど、その時代にテレビやら雑誌やらメディアがすごく発達したので、それが女性の正しい生き方みたいになっちゃった。

専業主婦だってそんなに弱いばかりではない

──日本のいい時代とちょうど重なってしまったから、社会が“専業主婦幻想”みたいなのを捨てられないのかもしれません。以前、河崎さんが対談で「エリートコースを歩んでいた同級生が結婚出産であっさりと仕事を辞めることに対して『自分の敗北感になる』」ということを仰っていて、私も同じことを感じていたなあと思いました。専業主婦が悪いわけじゃないけど、「首席で卒業したあの子がなんで……」とか、心のどこかで悔しいというか、もったいないなあ……という気持ちになってしまいます。

河崎 うん、私も自分や友人の姿を見て、そういう葛藤が長かった。でも最近この考えに至ったんですが、実はその、「首席で卒業したのに」みたいな喪失感っていうのは、割とマッチョな考え方なんですよね。男性の価値観の枠組みの中で女性を考えたときの喪失感なんだよね、それは。

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──そっか……マッチョ……そっか……。

河崎 自分の中にも、もうその仕組みがインストールされていることにそこで気づくんですよ。とはいえ、そういうことで専業主婦と兼業主婦が反目し合うとか言われたりしますけど、私は女性って回遊できる生き物だと思っているんです。人生の間に自分のいろんな立場を舞台によって変えていく。

──回遊……?

河崎 専業主婦にしてもワーママにしても、1人の女性の決断。表裏一体の、1人の女性の話。ライフステージによっても、あるいはその周りの状況によっても自分の身の置き方を変えられる。専業主婦だってそんなに立場が弱いばかりではない。

小川さんは育児で一度仕事を辞めたら復帰できないことも多い、と仰ったけれど、絶対に復帰できないわけではないし、「フルタイムでなければ」とこだわらなければ、ちょこキャリでもパートでも仕事を再開することができる。復帰するならフルタイムでなければ「働く女性」とは言えない、プライドが許さない、と信じ込んでしまっている時点で、既存の枠組み……他人が過去に作った価値観の中に囚われてしまっているんですよ。

そこから自由になって、自分のできる範囲からできることを始めて広げていける、創意工夫に溢れ、時間と空間の中で自由に自分のありようを変えられるのが、女性の持つ柔軟さ、順応性の高さだと思います。男性はそれができないんですよね。というか、仕事の量をライフスタイルに合わせて減らしていくようなやり方を方法としてまだ知らない。

男性は生き物的に女性よりも優遇されてきたようにみんな思うかもしれないけれど、全然そんなことはなくって、彼らには「人生を仕事に吸われる」か「そこから脱落する」か「はじめっからそこに参加する権利が与えられてない」か、冷静に考えると絶望的な選択肢しかずっとなかったんですよね。非常に不自由なんですよ。

男性は「男から降りる」ということが難しい

──男性の方が選択肢が少ないっていうのはその通りだと思います。男性の中の勝ち組が作り上げた仕組みだとは思うのですが、どんなに仕事の能力がなくても働かなければならない雰囲気がありますし……。

河崎 私は「あーほんと男性はかわいそうだな。自分たちを語る言葉がないよね」って前から言ってるけれども。女には女性学という、自分たちと社会を徹底的に考え抜く学問があったので、自分たちを語る言葉の蓄積があるんです。その過程が、女性を自由にしていった。

でも男性学の歴史は浅い。「そんなもの必要ない、っていうか興味ない」って本人たちが思っていたから。一般的に男性は長い間、内省したり自分たちの生き方を社会や歴史との関わりの中で多面的に見たりすることができなかったんですよね。レース場にザラザラーっと放り込まれて、あらかじめ決められたルールでゴリゴリ競争することが「男らしさだ」と教え込まれてしまったので、そんな自分たちに疑問を持って「男から降りる」ということが難しい。今の若い人はちょっとずつ変わってきていますけどね。

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──「女同士はマウンティングする生き物」って言いたがる人がいるけど、おじさん同士の方がよっぽど“そう”な気がします。ネット上でもすぐ、「俺の方がこれについては詳しいんだ」とかやってるじゃないですか。あれをもしおばさん同士がやったらすごくみっともないって思われて公の場から無視されるか笑われて終わり。男同士だとなんかこう「ビジネスの話をしてるんだ俺たちは」みたいに見せかけて周囲を巻き込んで話を大きくする。

河崎 それは、競争の中で育てられてきてしまって、その土俵から降りられないから。ビジネスの話をしてるって、あれは結構本人たち本気で言ってる。

今の若い人たちってそういう昔からある思想から自由になれた初めての世代なんですよね。まあでも一部には既存の枠組みに自ら入って、そこで勝ち続けることに人生を捧げたいと思っているような人もいるけれど、それは「正義」ではなくて「自分の志向性」なんだという自覚、客観性を持っているように思います。

私の世代より上の団塊ジュニアやアラフォーより上っていうのは客観も主観もなにも、もう完全にその出世ゲーム、競争ゲームがノーダウトで自分たちの生き方にインストールされている。だから降りられなくて苦しんでいる。

なぜ男性は自分の怒りを語らないのか

──そういう苦しさを男の人が語ればいいのではないでしょうか。以前、私が自分の過去のこととか赤裸々に書いたブログに男性から「男はこうやって自分を語れない。女はいいよな」みたいなコメントがついたことがあるんです。知らんがなって思って。

河崎 その人自身が「俺は」自分を語れないと言えばいいのに、わざわざ世間一般の「男」へ主語を大きくしてるよね。

──2014年は女性の働き方、2015年はLGBTについての記事が目立った年だったと思っていて、それなら2016年は男性が自分たちのこと語ればいいって思ったんです。

河崎 でしょ? 私もまったく同じこと思いましたよ!

──でも2016年はそうならなかった。最近あった、育休を8週間取ることを決めた男性の記事とかは気になる記事だと思いましたけど。マウンティングする前に、自分の怒りとか生きづらさの根源を突き詰めて語ればいいのに……。

河崎 電車の遅延で駅員さんに食って掛かってるのはほぼ男性だもんね。思うのは、基本的に男性の怒りって「恐怖」が根底にあるんですよね。これを言うと男性からは「いや違う、常識が」「ルールが」「礼儀が」って、自分の感情じゃなくて論理的に怒ってるんだよ俺らは!って感情的に否定されることがあるんだけど(笑)。たとえば、「電車が遅延することで俺が会社で誰々に謝らねばならない」とか、「自己管理できなかった自分を許すことができない」とか、勝手に自分に課しているプライドが傷つく可能性が出たとき、シンプルな怒りとなって表出するのではないかと。

──駅員さんを怒鳴り散らしてたら余計会社に遅れますよね。

河崎 そこには全然合理的な思考が働いていないわけですよね。恐怖に直面しているから。怒鳴り散らすなんて、要は一種のパニック症状ですからね。男らしさっていうものは本当に大変な仕組みで「男なんだから泣いちゃダメ」とか「男なんだから頑張りなさい」とか、親だけではなくて社会からすり込まれるわけですよね。そうすると泣くことも負けることも怖いし、ダメな奴だと思われることも怖い。それがずーっとあるから、ちょっとでも他人から侮られかけたりするとブチっとキレてしまう。

息子を産んだとき、男を許せた

河崎 私はあのー、ずっと「男を許せない人間」だったんですね。ながーい間。「私だって男と同じようにいろんなことできるのに何で認めてくれないんだろう」とか、あるいは「すごく好きなのに自分の手からすり抜けていく」とか、まあいろいろあるじゃないですか(笑)。

──わかります。

河崎 でもそれが許せたんですよ。息子を産んだときに全部許せたの。

──えっ。

河崎 あ、男ってこういう生き物なんだって。だって最初から知ってるわけじゃない? 産まれる前から成長していくところまでずっと見ている。もうね、あの「あ、男子ってこうやって産まれて、こうやって成長するんだ。私を今まで悲しませてきた男、私にムカつくこと言ってきた男子もみんなこうやって育ったんだ」ってわかったら、もう全部が雲散霧消していったの。

──なんと……。

河崎 自分とは異なる「男なるもの」を理解するために、私の場合はそういう人生の作業が必要だったんですね。よしもとばななさんも息子が産まれたときに「男っていうものをようやく理解した」と言っていて。女は自分の中から異性をひねり出すことができるから、そういう意味で、まあ女は強いなーと思いました。

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──前に野田聖子議員が「嫌な男性に会うと脳内でオムツを替える」っていう記事がありましたけど、それと似てるのかな……。今後自分が子どもを産むかわからないですけど、もし男の子を育てることがあったら、それを楽しみにしたいと思います。いろいろ脱線してしまいましたが、今日はお話できて楽しかったです。ありがとうございました!

お話を伺った人:河崎 環(かわさき たまき)

河崎環

コラムニスト。1973年京都府生まれ、神奈川県育ち。桜蔭学園中高から転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。多岐にわたる分野での記事・コラム執筆をつづけている。子どもは、20歳の長女、11歳の長男の2人。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。