マイナスの感情を認め、自分が楽しいと思えるように生きる ブロガー・はせおやさいさんが歩む道

f:id:blog-media:20161011115231j:plain

Photo by Jonathan Kos-Read

はたらく女性の深呼吸マガジン『りっすん』で今回お話を伺ったのは、女性の働き方に関する寄稿のほか、音楽や映画の記事執筆も手掛けている会社員兼ブロガー・はせおやさいさんです。はせさんは、激務から心身の調子を崩した経験を2012年10月に記事「逃げろ、そして生き延びろ」としてつづり、大きな反響を呼びました。

ご自身の結婚・離婚についての考え、家族観についても率直にブログで書いているはせさんが、何について考え、どんな理由から発信を続けるのか、お聞きしました。

アルバイト、契約社員、正社員、フリーランス……今は「チームで働く楽しさ」を選択

はせさんのご経歴を教えていただけますか。

20代の中ごろまでは「どうせ結婚してすぐ家庭に入るから」みたいなノリで、アルバイトや契約社員を転々としていました。でも、婚約していた相手から、「今やっているバンドの芽が出そうだから結婚を待ってくれ」と言われてしまいまして……。そのときにやっと、「他人のジャッジで自分の人生が左右されるのはきつい」「自分で自分を養えるよう、ちゃんと働かなきゃいけない」と思い至りました。

会社員としては遅いスタートなのが意外ですね。ブログなどからは、てきぱきと働く会社員の印象を受けるかと思います。

完全に遅かったですね。同年代の人はその時点で社会人4~5年目に入っている。そこから周りに追いつくためにどうするか考えて、いわゆる新興企業、ネットベンチャーだったら、私のような「まだ何もないけど頑張ります」みたいな人でも入れる余地があるんじゃないかと思って必死に探しました。運良く入社できた会社があって、そこから10年以上、ネットベンチャー界隈を転々としてきています。仕事が非常に好きで楽しく働いてきたのですが、あるとき働き過ぎて体を壊し、結婚するタイミングで一度フリーランスになりました。

いろいろな雇用形態を経験されているんですね。

会社組織を離れ、フリーランスとして働く間に、さまざまなことについて自問自答することができました。「なぜ自分はハードワークをしてしまったのか?」など、気づいていなかった課題や自分の働き方のクセ、性格などもきちんと認識できた。そして当時、業務委託で携わっていた会社で「チームで働く楽しさ」を改めて実感できたので、そのまま正社員になって現在に至ります。

その楽しさはどんなものだったのでしょうか?

一番大きかったのは、周囲に優秀な人ばかりがいて刺激し合える環境だったことです。お互いの得意分野を持ち寄って、それぞれが知らなかったことについて「あっ、それ知らなかった、すごいね。じゃあこんなことができるんじゃない?」なんてわーっと議論できるのが、すごくいいなと思います。

スーパーウーマンになれなくても楽しく働けることを示したい

はせさんが2012年10月に書いた記事「逃げろ、そして生き延びろ」は、当時SNSなどで反響を巻き起こしました。ご自身のつらい体験もまとめられていますが、どういった経緯で書かれたのでしょうか。

逃げろ、そして生き延びろ - インターネットの備忘録

逃げろ、そして生き延びろ - インターネットの備忘録

当時、体調を崩して会社を辞めた女性が書いたブログを偶然読んで、「自分も同じ立場だった」と思いました。私には「逃げることができたから死ななくて済んだ」という自覚がとてもありましたし、逃げることができず不幸な状態に陥る人たちが続けて出るようではいけないと思った。つらい環境に置かれている人が動けるようになるきっかけとして、誰かが「逃げていい」と伝えた方がいいと思ったのと、それを書き記すことで自分のつらかった体験も過去の話にできるんじゃないかと思って。じゃあ書いてみようかな、くらいの気持ちで公開したら、予想外に反応をもらいました。

今はブログや寄稿で働き方について積極的に書いていらっしゃいますが、そのときは偶発的だったんですね。

そうですね。そのブログを書いた彼女に向けて共感の言葉を届けたい、という気持ちが強かったですね。たぶん、真面目な人ほど「逃げちゃいけない」って考えがちだと思うんですが、「それでもあなたは逃げていい」ということを伝えたかったんです。

「過去の話にできる」という動機もあったとのことですが、昇華されたと感じましたか?

それはすごくありました。読んでくださった人から「救われた」「泣いた」というメールもたくさんもらいました。私のブログにしては珍しくコメントがたくさん書かれていたり、今でもTwitterで感想が送られてきたりします。私の経験を伝えることで同じような経験をした人にも「あれでよかったんだ」と思ってもらえて、お互いにいい作用があると感じました。

「逃げる」ことを発信するのに抵抗感はありませんでしたか?

抵抗感はありました。ただ、同時に30代~40代の女性には「ロールモデルがない問題」があると思っているんです。私たちの世代の先輩だと、本や雑誌、Webの記事を探しても「起業してバリバリ仕事しながら子どもを育てて立派に社長を務めている」ような、誰しもが認めるスーパーウーマンしか見当たらない。身近で指針にできそうな方が見つけづらいですよね。

f:id:blog-media:20161011115229j:plain

いわゆるスーパーウーマンは「逃げない」じゃないですか。でも、私は逃げたから死なずに済んで、今も楽しく生きている。それをブログに書いたら反響があった。仕事術やノウハウのような具体的に役に立つ記事でなくても喜んでもらえると実感したときに、自分の失敗事例をたくさん書いて出すことで、自分より若い人が「これでいいんだ」って思えるようになれたらいいな、と思ったんです。

実際の後輩の方々にも、同様に接しているのでしょうか。

ブログでやっている「文章に書いて残す」と、実生活で心がけている「楽しく働く姿を見せる」のは結構近いんじゃないかな、と思って、ずっと実践しています。

自分の年齢が上がるにつれ、自分は下の世代に対して何ができるのかを考えるようになりました。過去を振り返って、自分が倒れるまで働き続けたのはなぜか?と考えたとき、お手本にできるのが男性しかいなかったために、男性のようにバリバリ働かないと仕事を続けていけないのでは、という強迫観念があったということが、理由のひとつだと感じました。特に私のいる業界は若い会社が多いので、どうしても「女性としてこういうふうに生きればよさそうだ」というロールモデルが少ないように感じます。

そんな中で、私はたぶんスーパーウーマンにはなれないけれど、それでも楽しく働いていけるんだよ、自分の好きなように生きていけるんだよ、と後輩に見せていくことが、下の世代を勇気づけることになるだろうと思っています。

自分のマイナスな感情を認める。自分が乗り越えた内容を書くことで過去にする

「自分の失敗を書き残す」のは、自分でつらくなったりはしないのでしょうか……?

つらいときもあります。でも、書くことで感情の整理をつける習性が身についているんだと思います。「文章として外に出すことで過去にできる」というのは、他の人にブログを書くといいよって勧める理由のひとつです。書くことで他人事として見られるので、客観視して「自分、大変だったね」という気持ちになれる。読み返すと、このとき頑張ってたなと思えるので、さらに過去にできる。良い意味でつらかった感情を風化させていけるのはすごく大事だなと思います。

書くことで乗り越えられるんですね。

もともと自分が思っていることを書いて表現するのが好きだったというのもありますが、体を壊して倒れてから療養期間を経て立ち直っていくという過程で、自分の感情を言葉にするようにしました。そこで初めて過去と向き合えるようになったのかもしれませんね。

その部分と向き合えるようになったのは何がきっかけだったのでしょうか。

離婚が一番大きかったですね。離婚直後に一度アイデンティティが全部崩壊してしまって。ここで本当に変われなかったら、私はきっと一生同じところをぐるぐる回り続ける、同じことの繰り返しになると思いました。働き方のほかにも、女としての悩みがあること、自分の生き方に迷いがあることを認めるのはとても怖かったです。でも、そこから目をそむけていると、一生向き合えないままで前に進めないと思いました。

不安や怖さから逃げたいと考えるから、そこから目をそらして、人に対して攻撃的になったりする。だから、自分はこれがいやだとか、怖いとか、恥ずかしいとか、誰にも見られたくないとか、そういう感情の存在そのものをまず認めるのが大事だと思ったんです。認めたからって消えてなくなるものでもないんですけど。

ブログなどを読んでいると、ご自身をある程度客観視できているから記事が書けるのかと思っていました。

できているつもりだったんですが、実はまったくできていませんでした。離婚以前のブログは、「自信満々に仕事を頑張っています!」みたいなキャラクターでいきがっていて、“客観視できてるふう”に書いていた。でもできていなかったんです。そこに気づけたから書けるようになったことが増えたように思います。

20160922 - インターネットの備忘録

ブログには読んだ本や趣味に関することも日々つづられている

嫌な言い方になりますが、あのまま離婚しなかったり、仕事がずっと順調だったりしたら、わざわざネットで弱点を晒そうとはしなかったと思うんです。良くも悪くも「離婚で1回傷がついたんだったら、もう恐れるものも失うものも何もないぜ!」という気持ちになれましたね。同時に、自分の中に「バツがつく」っていう古い価値観があったんだなって認識できました。

離婚してからその価値観の存在に気づいた、ということでしょうか。

そうですそうです。先進的な感覚を持っているつもりだったのに、めちゃめちゃ保守的な価値観を持っていた。そこに気づいて、ああ、自分って全然たいしたことなかったんだわーって思い知らされて。それで楽になりました。一度全部リセットして、自分で自分を養いながら新しく生き直そうと思いました。その経験もあって、自分で稼ぐということは、生き方の選択肢を増やすことにつながるんだな、と思うようになりました。

最初に伺った「他人に自分の人生が左右されるのはきつい」という話と似通う要素がありますね。

そうですね。振り返ると、結婚したときも自分が働いていたから、相手がどんな状況であろうと「私はこの人が好きだから結婚したい」という選択肢を選び取ることができました。逆に結婚生活が終わるときも、仕事を通じて社会から求められていたからこそ「私はあなたと別れたら生きていけない」ってぐちゃぐちゃ言わなくて済んで、お互いが生きやすい道に戻れてよかったなと思いました。経済的に他者へ依存しないということは、女性が生きていくのにとても重要な決断だと思っています。

「生きやすい道に戻る」という表現はいいですね。「発展的解消」という感じですね。

きれいごとっぽいですけど、元夫とは友達に戻って今は親友、という感じです。離婚を決めたときは、これ以上一緒にいると相手を憎んでしまう、この人のことは絶対に嫌いになりたくない、だったらもう辞めよう、という感じでした。

離婚したことをブログで公表されたのも勇気があるなと思いました。できれば触れたくないと考えるかと思ったのですが……。

私、結婚したときに「結婚最高!」「結婚楽しい!」ってたくさん書いちゃったから、失敗してそれを書かないのは不誠実だなと思ったんですよね。元夫にも「書くよ」って言って「おう」って言われて(笑)。

hase0831.hatenablog.jp

離婚は確かに悲しい決断でしたが、必ずしもそれだけじゃありませんでした。いろいろな意見があると思いますが、今はお互いに「離婚してよかったね」と話したりしているので、私と元夫にとってはこの選択がベターだった、フィットした、というだけだと思っています。なので、私みたいに転んでも立ち上がれるよ、大丈夫だよ、というのを見せるのって大事かなって思うんです。

誰かを助けることで「誰かに助けてほしかった自分」も癒やす

自分の過去を書いて発信した後の、読んだ人からの反応はいかがですか?

発信し続けていると、「この人は悩みをわかってくれそう、アドバイスしてくれそう」というふうに思ってもらえるようです。面識のない方から離婚やキャリアに関する長いメールをもらうこともありますね。

知らない人からのメールに真摯に返答していると、はせさんご自身が疲れたりはしないのでしょうか。

疲れることはもちろんあります。でも根底の部分に「人が好き」「人と関わるのが好き」ということ、誰かに対しての返答を通じて自分の過去を癒やしているという部分がすごくあって。たぶん誰かを助けることで、誰かに助けてって言いたかったのに言えなかった若いころの自分も癒やしているんだと思います。相手に自分を投影して、自分がしてほしかったこと、救われたかったことを解消しているイメージです。前向きな返信が来たり、相手がほっとしている様子がわかると「よかったな」って思います。

そういう包容力を身につけられるようになったのは、どうしてなのでしょう。

包容力とはちょっと違うのかもしれませんが、「誰でも、どんな人でも自分の弱さを誰かに言ってもいい」と思えるきっかけをもらったのは結婚生活かもしれないですね。

私にはあまり「そのままでいい」と言われるような子供時代がなかったんです。母親が入退院を繰り返していて、小学校高学年のときから母親の代わりに家を支える役割をしていたので、弱音を吐いたら家族が不安定になるというプレッシャーが常にありました。誰かの役に立たなきゃいけないという思いが強くて、しかもそれが自分を追い込んでいたことにも気づけていなかったんです。

結婚して元夫に個として承認してもらった。育て直してもらった、という思いが強いです。倒れてしまって何もできなかった時期、毎日泣いて「役立たずになってしまった、もう生きる価値がない」というようなことをずっと言っていたんですが、元夫は辛抱強く、何度も何度も「生きてるだけであなたは素晴らしい」「人間は生まれてきていること自体が奇跡なんだから、あなたがただ寝ていたってそこにいてくれるだけで俺はうれしい」って言ってくれたんですよ。誰かに人間として承認されることってこんなにすごいんだ、こんなに癒やされるんだって感じました。

根源的な承認欲求が満たされたという感じなんですね。離婚をされたのはそれとこれとは別の話だとは思うのですが……。

そうですね。そのことと、生活や人生を共にできるかはまた別なんだな、と思いました。元夫は音楽を仕事にしている人だったので、離婚のことを「音楽性の違いで解散」ってよく言っているんですけど(笑)。今もたまに会うと「お前ちゃんとやってんのか?」って心配してくれています。

過去の自分を認められるようになったのは、元夫が私のどんな話でもめちゃくちゃたくさん聞いてくれたからでした。くだらない感情でも全部受け止めてくれて「この人すごいなー」って思った覚えがあります。他者を承認することでこんなに相手を癒やすことができるなら、私もそれを誰かにしてあげたいと思いました。それでその誰かは自分をちゃんと好きになれて、生きやすくなれるかもしれないし。私がしてもらったことを、どんどん誰かにつなげていきたいと思っています。

大事なのは「自分が心地よく生きられること」「自分の気持ちと人生がフィットしていること」

今、ご自身の働き方を通じて後輩に伝えたいと思うことについて教えてください。

自分の現状や感情を認めないと生きづらい、っていうことはすべてに通底するテーマだと思うんです。

例えば、やっぱり老いって怖いですよね。老いていく自分を直視するのは結構みじめでつらいじゃないですか。「20代のころはその辺を歩いてたら誰かに声をかけられたのに今は……」みたいな具体的なみじめさもあるにはありますが、私は若さを手放した分、手に入れたものがあるっていう自信があって、今の自分が一番好きなんです。

f:id:blog-media:20161011115227j:plain

若さをなくすことを認めてこなかった人は生きづらそうで、自分の焦りを認められなかったりいろいろなことにむやみに手を出したり、攻撃的に強がったりしてつらそうだな、と思います。だったら素直に「老いていくのはしんどい」と言っていこうよ、って思っています。おしゃれするのが好きで楽しんでいる人と、老いが怖くて鎧をまとうような装いをする人って、あからさまに違うじゃないですか。

年を取るのはいやだ、という感情を丸ごと認めるんですね。

事実としてありますからね。若さはフルに活かした方が良いけれど、いつか絶対なくなっていくものだから、その代わりに一生使える資源・武器として、若さと引き換えに何を手に入れるのか考える。リアルな後輩には「あなたの良さ、強みを今から一生懸命考えておきなさい、5年後には若さが使えなくなるから!」と言うようにしています。

結構伝え方が難しくないですか……?

難しいのですが、「いつか若さが使えなくなる」ということは、その後輩の未来を一緒に考える上では言わなければならないことなので、きちんと丁寧に話しています。「ババアのひがみ」みたいなことを言われることもあるにはありますが、それもわかる、私もそう思ってたよ、と切なくなるくらいです(笑)。

でも、いろいろなことを受け入れた方が人間としてモテるよって言ってます。私は老若男女にモテたいし、犬や猫にもモテたい(笑)。やっぱり自分を認めて自由にリラックスしている人の周りには人が集まってくるので、そこは意識した方がいいっていう話をよくしています。

はせさんは今、リラックスしている状態なんですね!

してます! それと同時に、若い人に向けて体現していかねばという使命感はありますね。先日、会社の後輩から「30代後半になってもそんなに楽しそうでいいんだ、って見ていて思います」って言われてうれしかったんですが、楽しそうに生きているのが、一番いいお手本ですよね。

女性として生きていて、一般的なルートから落ちたらアウトって思ってしまう人が予想外に多いと感じています。30歳までに結婚できなかったらからだめだとか、この歳になって非正規雇用だとどうこうとか、「それはいったい誰が決めたの?」っていうことがたくさんありますよね。私はたぶん、順調に新卒で良い会社に入って、仕事もほどほどに楽しくて、勤続10年以上で、結婚して子供もいます、という状態だったら、“そうじゃない”価値観を否定するすごくいやなやつだったと思うんですよ。

私自身がでこぼこした道をずっと歩んできたし、これはこれで楽しいし、この道じゃなかったら見えなかった景色があるということに気づけました。そりゃ「一般的なルート」に乗れたら乗れたで楽しいだろうけど、この道にはこの道ならではの楽しさがあります。一番大事なのは、自分が心地よく、ストレスなく生きられて、自分の気持ちと人生がフィットしていることだから、それで良いんだって伝えていきたいなと思っています。

文章でもそれを伝え続けていくんですよね。

以前、「なぜブログを書いているんですか?」と聞かれて、「ブログは遺言みたいなものです」と答えたことがあります。ネットにおいておけば、誰かが私の考えに触れて、何かの役に立ててもらえる。それが私のやりたいことです。例えば結婚に関する情報よりも離婚に関する情報って少ないなあ、と思っているんですけど、離婚の方が処理も煩雑だし、自分の感情のケアもしなきゃいけないから、やることが思ったより多いんですよ! なので「離婚 生き方」で検索してきた人の役に立てたら、それもそれでうれしいなと思っています(笑)。

お話を伺った人:はせおやさい (id:hase0831)

はせおやさい

会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログ「インターネットの備忘録」に綴っています。