いくつもの小さな転機が、私を「大丈夫」へと導いてくれた

 岡田 育

 台湾旅行に行きそびれたのがいつのことだったか、ちゃんと思い出せない。2007年刊行のガイドブックと、2008年に出た女性誌の台北特集を大事にとってあったから、たぶんその辺り。私は20代後半で、東京の出版社で編集者として働いていた。

 雨の木曜日だった。昼休み、京橋にある会社を出て銀座方面へずんずん歩き、歩きながら悩み、有楽町駅前の東京交通会館に着いた辺りで諦めて、その軒先で旅行会社へ電話をかけた。金曜深夜発で予約したもろもろのキャンセル料は、全額の50%。

 「急なことで申し訳ありません」と謝ると、電話口の女性は明るい声で「大丈夫ですよー」と言った。折りたたみ傘の先から滴り落ちる雨水にじっと焦点を合わせて思った。私は、全然大丈夫じゃないよ。

 どうして行きそびれたのかも思い出せない。抱えている案件のスケジュールが少しずつ後ろへ倒れていって、社内外の調整役である私だけ逃げられなくなったのか。それで休日出勤して週明けまでに帳尻を合わせないといけない、そんな、よくある話だろう。でも、楽しみにしていた海外旅行をドタキャンするなんて、初めてだった。

片道4時間の場所にも行けない自分が、恥ずかしい

 編集者は、世間一般の勤め人より働き方の個人裁量が大きく、そこが楽しい職業である。勤務時間中に遊んでいるように見えても、それが新しい仕事につながったりする。新米が机にしがみついていると「街へ出ろ」と叱られるくらいだ。付き合いの宴席も多いので、翌日はずるずる午後出社になる。タイムカードのない職場で愉快にダラダラ働いて、連日徹夜で大仕事を終えたら、長期休暇をがっつり取って海外旅行へ行く。そんな先輩たちが輝いて見えた。

 でも私には同じことができなかった。昼夜逆転の生活で寝ても覚めても仕事のことだけ考えていたのに、なぜか作業が終わらない。片道約4時間で着く場所にさえ遊びに行けない。スケジュール管理の甘さに加え、ヤバくなるのが分かっていながら出発前日までぐずぐずして中止の決断もできなかった。まるで頭が働いていない。

 今にして思えば、大騒ぎして同僚に助けを求め、締め切りを遅らせる交渉くらいはできたんじゃないか。あるいは「マジで信じらんなーい!ドブに捨てたキャンセル料、経費請求したいよ!」と笑い飛ばして、友達に慰めてもらえばよかった。でも、誰にも言えなかった。無能な自分が、ひたすら恥ずかしかったのだ。若さゆえの完璧主義。ちょっと泣いたりもしたかもしれない、道端で。誰か悪者を恨んでの悔し泣きでさえない、そのことが口惜しかった。

 思い出したのは「自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である」というニーチェの言葉。他者のために差し出してよいのは一日8時間までだ。しかし、友部正人が歌うように「三分の一と三分の二が、私にはさかさまに思える」。会社にいるとき以外はやりたいことが何一つできない。というか、仕事だってちゃんとできていない。わかりやすく大きなミスをして上司に怒られたときよりも、落ち込んでしまった。

 当時のSNSにも愚痴めいたことはいっさい書かれていない。それでも忘れられない。わざわざ記憶の引き出しを開けずとも、鮮明にこびりついて離れない情景だ。あれは長い長い導火線の端っこに火が点いた瞬間だった。いったいここで何をやっているんだろう。私は、全然大丈夫じゃない。

新しいお金と時間の「使い道」

 晴れぬ心を抱えながらもずるずるばりばり働き続けた結果、30歳の秋にようやく大学の貸与奨学金を完済した。そもそも私が会社員の道を選んだのはこの「借金」の存在が大きい。毎月毎月、定額のお給料が振り込まれ、そこから自動引き落としで学費を返す、それが私の理想とする働き方だった。銀行で手続きを終えた帰り、ふと「これから何のために働けばいいのかな」と思ったくらいだ。

 ところが、お金の使い道が一つ消えると、その次の使い道がちゃんと見つかるのが、人生の恐ろしいところ。約半年後の2011年5月、帝国劇場で『レ・ミゼラブル』を観た私は一人の出演者にぞっこん惚れ込んで、そこから観劇というおそろしく金のかかる趣味を見つけてしまった。

 ミュージカルは大衆向けに発展してきた非常に娯楽性の高い演劇形態だ。物語と楽曲、歌と踊り、オーケストラ生演奏、舞台装置、衣裳、照明、数十数百のスタッフが関わって、夢のような世界を作り上げる。全てが人の手による業で、目の前で現実に起こっていて、でもやっぱり虚構で、二度と同じものは再現されない。その贅沢さは、一度経験すると病みつきになる。チケットはS席13,500円が相場だが、二幕物の上演時間は休憩を挟んで3時間前後。毎分75円、毎秒1.25円ぽっきりの課金である。安い、安過ぎる。金のかかる趣味といっても我々オタクにとっては実質無料である。

 しかも私の追いかけはじめたミュージカル俳優がまた、歌も芝居も、めちゃくちゃ上手い。密閉空間であの美しい歌声、その呼気を全身の穴という穴から吸い込んでも、双眼鏡を持参して舐めるように眺めつくし、その一挙手一投足への感想を長文にしたためて送りつけても、金を払えば合法だというのだからショービジネスは頭がおかしい。外の世界なら完璧にストーカー規制法違反ですよ。

 とにかくこれは一瞬一秒だって見逃せない時間の魔法だ。多忙を理由に先々の遊びの計画を立てる意欲を失っていたはずの私が、気づけば週2、3回ペースで劇場へ通っていた。暇か。夜公演の開演時刻は18時台と早めが多く、平日は夕方までに仕事を終えないと間に合わないので、猛然と働く。どうしても片付かなければホワイトボードに「日比谷21:30戻り」なんて適当なことを書いて、終演後に劇場から帰社してちゃっちゃと残業する。そうして入社以来グズグズだった体内時計にメリハリが戻ってきた。

 大劇場系の興行は、一年近く前から配役や公演日程が発表される。目当ての演目は何カ月も前から先行予約でチケットを取る。3回、4回、5回、6回、と際限なく同じ芝居を観続け、時には地方公演まで追いかけるので、仕事の工程表と並行して趣味の年間スケジュールも組まれていく。半年先までの自分(と推し俳優)の予定を細かく把握するようになって、時間の捉え方がずいぶん変わった。

 預金通帳をまじまじ眺める習慣もついた。給与の振り込みとチケットの支払いが折り重なり、記帳するたびに預金残高の桁がころころ乱高下する。「家賃は月給の四分の一、遊興費は家賃の半分まで」という暗黙のルールは2カ月で消し飛び、オタ活の支出はあっさり家賃を超えたが、なんとか定期預金だけは死守した。あれに手をつけていたら私は今頃ここにいない。

 服飾品などの衝動買いは抑えられ、自棄(やけ)酒の量も減った。土日は夕方まで寝ていたのが、昼から劇場へ行き日光を浴びるようになったからか抑うつ症状も寛解した。鍼灸や指圧やカイロプラクティックなど、ストレス由来の自由診療費がかさんでいたのも不要になった。次の公演を観るまで死ねないな、と思うだけで胸が高鳴り血潮がたぎり肌艶がよくなり、たぶん寿命も延びている。健康に健全に食べて寝て起きて、汗水流して精一杯働き、生活をととのえた残りのお金は、趣味に注ぎ込む。「人生をまるで好きにできていない」と涙に暮れて縮こまっていた心が、のびのびと広がっていくのを感じた。

「今」しかできないことをする

 そうして32歳の夏、私は新卒から勤めていた出版社を辞めて転職し、休暇を取ってニューヨークへ遊びに行った。今度こそはスケジュール調整がうまくいったのだ。相変わらずの観劇熱が続いており、ブロードウェイに寝泊まりして10泊で12、3本は観た。

 物価の高い街でさんざん浪費したのに、退職金が振り込まれた直後だから預金口座も潤っている。今なら何でもできる気がする。そんな異様なテンションで日本へ戻ると知人男性から「結婚しませんか」と申し出を受け、「いっちょやってみるか!」と、かつてない決断力で交際0日婚をした。

 その後、夫婦でアメリカに住もうという話になり、せっかくなので現地で新しい仕事を探すことにした。大学へ通い直して学位を取り、現在はグラフィックデザイナーとして働いている。まだまだ収入は不安定だが、呼ばれたところへ出かけて働く、フリーランス契約の何でも屋だ。

 打ち合わせに呼ばれたオフィスでぼんやりクライアントを待ちながら、また「いったいここで何をやってるんだろう」と不思議に思う。あのとき結婚していなかったら渡米することはなかった。あのとき一人旅していなかったら結婚に踏み切らなかった。あのとき転職しなかったら元の職場に留まって、相変わらず旅行もできないほど忙殺されていただろうか。あのときミュージカルに目覚めなかったら休暇の旅先は別の国だったはずだ。あのとき貸与奨学金がまだ残っていたら、観劇沼にハマるタイミングはもう少し後になったか、けっして訪れなかったか。

 あるいは、あのとき直前の3月に東日本大震災がなかったら、「今しか観られないものは今、観ておかなくちゃ!」と気持ちを奮い立たせ、結構な労力を費やしてなんとか『レ・ミゼラブル』のチケットを取ったりも、きっと、しなかったのだ。いくら自分主導で計画を立てているつもりでいても、事前に想像だってできないような、こんな出来事だって起こる。人生を完璧にコントロールしようとして、それができずに苦しんでいた私は、どれだけ傲慢だったことか。

 そうやって、偶然と必然をより合わせた今に至る導火線の燃え跡をたどっていくと、東京交通会館の前で涙ぐむ20代後半の自分がいる。もしあのとき、周囲に泣きついて台湾旅行へ行けていたら、それはそれで素敵な運命の出会いがあり、まったく別の人生が華麗に爆発していたのかもしれない。でも私はもう、全然、大丈夫。今しかできないこと、今すべきことに、ずっと自覚的になった。そう言えるだけ、キャンセル料も無駄ではなかった。

§

 「ここで何をやってるんだろう」の答えは永遠に出ないし、労働時間は平気で8時間を超えるけれど、それでも一日の三分の二を自己のために持っている、それを手放さない覚悟が、今はある。その自信は、卒業や転職や結婚などの大文字で記される人生の節目とは、案外、無関係だったりもする。もっと小さな転機、私以外の誰の記憶にも留まることのない、自分でもうまく思い出せないほど些細な、無数の欠片の寄せ集めだ。その一つとして、あの雨の木曜日をいつまでも忘れないのだ。

 若い私は恥ずかしくてどこにも書き残せずにいたけれど、そんな無数の欠片の一つ一つを、後から振り返れるように記録しておくのは大事なことです。みんなはちゃんと書いておこうね! という、これはそんな「りっすんブログコンテスト」のための記事でした。

著者:岡田育(id:okadaic

岡田育

文筆家。著作に『ハジの多い人生』、『嫁へ行くつもりじゃなかった』、『オトコのカラダはキモチいい』(二村ヒトシ、金田淳子との共著)。新刊『天国飯と地獄耳』は5月末刊行予定。推しミュージカル俳優は石川禅、鹿賀丈史と轟悠。

サイト:okadaic.net Twitter:@okadaic

りっすんブログコンテスト 寄稿記事

空っぽだった新社会人に、さまざまな趣味との出会いが「新しい世界」を見せてくれた(寄稿:もぐもぐ)

拝啓、妻殿(寄稿:いぬじん)

「りっすんブログコンテスト」開催中!

この記事は、「りっすん」と「はてなブログ」による特別お題キャンペーン「りっすんブログコンテスト」開催を記念し、岡田育さんに参加していただいたエントリーです。

「りっすん」では、これまでさまざまな方の「働き方」についての寄稿やインタビュー記事を発信してきました。「りっすんブログコンテスト」では、より多くの方の「働き方」にまつわる「転機」を募集しています。

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編集/はてな編集部