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「もし京都が東京だったらマップ」作者の岸本千佳さんが見つめる“街と仕事”

岸本さん

東京の丸の内は、京都でいうなら烏丸? ――2つの街を知る人なら、思わず「ああ、なるほど!」とうなずいてしまう「もし京都が東京だったらマップ」。2015年末にネットで公開されるとまたたく間に反響を呼び、翌年には同タイトルで書籍化もされました。作者の岸本千佳さんは、京都の不動産プロデュース会社「addSPICE(アッドスパイス)」の代表を務める不動産プランナーです。京都に生まれ育ち、東京で働いたのち再び京都に戻って独立した岸本さん。自身の職業を通じて、どんなふうに“街という生き物”と関わっているのでしょう。

建築家という夢を見失ったとき、世界一周の船旅に出た

岸本さんの肩書きは「不動産プランナー」。どんなお仕事なのでしょう?

岸本千佳(以下、岸本) まず、建物のオーナーさんから「この建物をどうにかしてほしい」というざっくりした相談を受けることから始まります。建物やオーナーさんに合わせてどんな使い方をするのか企画し、建築士さんや工務店さんとチームを編成してリノベーションを行います。チームの指揮者みたいな感じで、みんなの得意なことを引き出す仕事です。

建物のリノベーションをした後は、仲介も手掛けられているのですか?

岸本 そうですね。客付けから、建物の管理・運営まで一貫して行っています。私は大学卒業後に東京で不動産とリノベーションを手掛ける会社に就職したんですが、その頃の経験が京都に戻って独立してからも役立っていますね。東京では5年間で約40棟のシェアハウスを作り、物件の企画、入居者の仲介や管理を担当していました。

岸本さん

岸本さんが建築に興味を持ったのは、小学校4年生のとき。スペイン・バルセロナにあるサグラダ・ファミリアを写真で見たのがきっかけだったそうですね。

岸本 当時から「将来の夢は建築家」と決めていました。中高生の頃には、町家をリノベーションしたカフェに憧れて、「町家を改装する建築家になりたい」と思うようになりました。

なかなか渋い女子中高生ですね!

岸本 今思えばそうですね。「建築の道に進むんだ」と強く信じていたので、もともと文系だったのを一浪してから理転し、滋賀県彦根市にある滋賀県立大学環境建築デザイン学科に入学しました。ところが、「さあ、建築を学ぶぞ!」と大学に入ったら「あれ? もしかすると設計には向いていないかも?」って。

どうして、設計には向いていないと思ったんですか?

岸本 設計で食べていくには、適性も情熱も圧倒的に足りないと思いました。さらには、のんびりした彦根での学生生活にも閉塞感を感じてしまって。「これは外に出ないとまずいな」とお金を貯めて、大学2年生の夏にNGOが企画する世界一周の船旅に出ました。建築以外にやりたいことを見つけるなら、早い方がいいと思ったんです。

岸本さん

船旅の中では、新しい出会いや気付きはありましたか?

岸本 寄港地には最貧国と呼ばれるような国もあり、同乗者の中にはそういった地域での支援活動を希望する人たちもいました。一方で、もし私が建築家の世界に進むなら、付き合うのは家を建てるだけの財力のある人たちです。両極端な世界を比べたときに、どちらの世界にも積極的に関わるイメージを持てなくて。「私はどういう人を幸せにしたいんだろう?」と自問して、家や建物に関わる仕事の中でも「普通の人の暮らしを豊かにしたい」と、不動産の仕事に興味を持ち始めました。

より多くの人の暮らしを幸せにすることを考えたときに、不動産という仕事が選択肢の中に見えてきたんですね。

岸本 そうですね。「不動産の仕事をやりたい!」というよりは、自分のやりたいことをする手段として、不動産に一番可能性を感じたんだと思います。

独立して仕事をする街として「京都」を選んだ

東京の不動産ベンチャーに新卒で入社されたのは、どんな経緯だったんでしょうか?

岸本 就職活動は当初なかなかうまくいかなかったんですが、その間に短期で宅地建物取引士の資格を取得し、リノベーション業界の社長ブログやSNSをチェックして、自分と相性が良さそうだなと思ったら連絡するようにしていたんです。そんな中で、「新卒お断り」と書いている東京の不動産ベンチャーにダメもとで応募して採用されました。社会人1年目は、住む場所も仕事も初めてだし、仕事もめちゃくちゃ忙しかったから、毎日のように泣いていました。今でも、会社があった渋谷の道玄坂の方に行くと「あの頃、ここを歩きながら泣いて会社に戻っていたなあ」という記憶がよみがえります。

切ない思い出ですね……。京都で生まれ育った岸本さんにとって、東京はどんな街でしたか?

岸本 東京は、わりと肌に合いましたね。仕事では、シェアハウスだけでなくDIYできる賃貸の事業も立ち上げました。他にも、渋谷の街で学びの場を提供する「シブヤ大学」でスタッフとして活動したり、友人と同じアパートの隣室同士に住んでみたり、仕事以外の居場所作りもできました。

岸本さん

仕事もプライベートも充実していたのに、なぜ京都に戻って独立する道を選んだのでしょう。

岸本 「独立したい!」という野望があったわけではないんです。ただ、既存の建物を生かすリノベーションの仕事をしていると、同業の人たちから「京都出身なのに、何で京都でやらないの?」って結構な頻度で聞かれたんですよ。

京都には町家をはじめとして、リノベーションしがいのある古くて面白い物件がたくさんあるじゃないか、と。

岸本 確かに、京都の建物には魅力的なものがたくさんあると感じます。それに、リノベーション業界でいろいろな人と知り合っていくと「かなわないな」という人にもたくさん出会うわけです。そうすると、東京での自分の存在意義が感じられないというか、「東京では、自分がいなくても回っていくんだな」と何となく思い始めて。一方で、京都のリノベーション業界ではまだまだプレイヤーが少ない。

リノベーション業界で魅力的な素材があり、プレイヤーが少ない京都の可能性が見えてきたんですね。

岸本 そうです。京都に帰ろうと思ったのは、地元が好きだったからというよりは、仕事の可能性を感じたから。独立して仕事をする場所として、面白そうだから京都を選びました。

「もし京都が東京だったらマップ」はこうして生まれた

2014年1月、5年ぶりに戻ってきた京都での仕事はどんなふうに始まったのですか?

岸本 さすがに、京都でイチから仕事を作るのは難しいので、最初の1年間は京都市役所に勤めました。ちょうど京都市で空き家活用に関する条例が施行されるときだったので、空き家対策の部署で非常勤の仕事があったんです。週4日勤務で兼業も可という好条件で、京都の状況を把握できるという意味でもすごくありがたい仕事でした。

地元とはいえ、京都で働くのは初めてだったんですよね。「仕事する街」としての京都はいかがでしたか?

岸本 住んだり遊んだりする京都と、働く京都は全然違っていましたね。仕事の内容は東京と変わらないのに、物件の数が想定よりかなり少なかったりして、まるで違う仕事をしているかのような感覚でした。さらに、個人事業主として「addSPICE」を立ち上げたときは人脈もほぼゼロに近い状態。最初の7カ月くらいは「東京に帰った方がいいのかも」とずっと思っていました。勢いよく「京都で独立します!」と宣言するんじゃなくて、「ちょっと行ってきます」ぐらいにしておけばよかったって(笑)。

ちょっと後悔していたんですね(笑)。「京都でやっていけそうだ」と思えたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

岸本 京都に帰ってきて半年が過ぎた頃から、仕事で出会う人たちから派生する人脈と急につながり始めて。設計する人、工務店さん、デザイナーさんなどとのネットワークができて、自分のやりたい仕事がうまく回り始めた感覚がありました。

2015年末に岸本さんがブログで公開した「もし京都が東京だったらマップ」は、京都のさまざまなエリアを東京の地名に例えるというユニークな視点が話題になりましたね。その原型ができたのも同じ頃ですか?

岸本 そうですね。京都への移住を支援するプロジェクト「京都移住計画」で物件紹介をしていたんですが、京都のことをよく知らない人ほど、京都に対する幻想がスゴくて。リアルな京都とのギャップがあまりにも大きいというか……。仕事を辞めて移住するのは人生の一大事だから、ちゃんと現実を伝えて判断を委ねた方がいいと思って、原型となる地図を作って見せていたんですね。それが思いのほか反応がよくて。


もし京都が東京だったらマップ (イースト新書Q)

『もし京都が東京だったらマップ』(イースト新書Q)

「この地図をもっと多くの人に共有してみよう」とブログにアップしたんですね。

岸本 友達の友達くらいまでに知ってもらって、役に立ったらいいなと思って無料ブログに載せたら、思いのほかバズってしまったんです。「Yahoo!ニュース」に取り上げられて、日本テレビの「news zero」でも紹介されて。さらにはたまたまテレビを見ていた出版社から声が掛かって、本を作ることにもなりました。

本が出たことによって、お仕事にも変化はありましたか?

岸本 思っていた以上にありました。「京都を東京になぞらえるなんて」と、京都の人には嫌われるんじゃないかと思っていたんです。ところが、本を読んでくださった京都の老舗の会社さんからの引き合いが結構多くて。本質的な部分を理解した上で依頼していただいている感じがして、うれしいです。

仕事を入り口にして、また新しい街に居場所を作る

岸本さんは、自分が暮らす街をどうやって選んでいるんですか?

岸本 私個人としては、自分の身を投じて実験しているところがあります。居心地の良さよりも冒険心というか。東京では、シェアハウスにも住みましたし、部屋よりバルコニーが広い物件に住んだこともあります。京都でも「これから面白くなりそうな京都駅周辺」とか、「学生マンションが増え、街の雰囲気が変わってきている元田中(もとたなか)」とか、変化を肌で感じられるところに身を置くのが好きで。拠点を構えたり、住んだりする中で、小さな実験を繰り返しています。

不動産プランナーという職業ならではの選び方ですね。引っ越しを検討している人に対しては、いつもどんなアドバイスをしていますか?

岸本 人によっていろいろな基準があると思うので、まずは気になる街を歩いてもらいます。そこにいる人の服装、しゃべり方、好きなお店があるかどうか。自分の中で「良さそうだな」という感じがヒントになると思います。物件の購入を検討している人には、まずは賃貸で。住む時間の中で「ここが好き」という場所を見つけてから、本格的に探すことをおすすめします。

岸本さん

結婚・出産などを機に、住む場所や暮らし方、働き方を考え直す人は多いと思います。岸本さんご自身も、最近、和歌山在住のお相手と結婚されたそうですね。結婚を経て感じておられることはあるでしょうか。

岸本 結婚や出産を経た働き方というのは、今まさに私の中で隠れたテーマになっているんです。京都には、行きつけの店も、友達もできて、ものすごく居心地がよくて。最初は東京に帰りたいと思ったこともあったけれど、今ではすっかり京都を好きになってしまいました。だから、結婚して和歌山に行くことになったときは、「京都100%」でいられなくなることに拒絶反応が出てしまって、今までで一番しんどいと感じたくらいです。

今は、和歌山と京都のどちらを拠点にしているんですか?

岸本 今は、2拠点にして半々でやっています。私の場合は、やはり仕事が自分の大部分を占めていると思うんです。京都に帰ってきたのも、仕事を作るのに適していると思ったからです。それなら、和歌山に仕事を作ればいいと思ったんですよ。自分が和歌山にいたいと思える状況を作ってしまえばいいんじゃないかって。

なるほど。仕事があれば、その街にいる理由ができるということですね。

岸本 東京から京都に帰ったとき、仕事を通して仲間を作ることが、街に入っていく手段になりました。和歌山でも、そうしていくのが一番自分に合っていると思っています。また、和歌山という地方都市で仕事を作ることの面白さも感じています。今、結婚して子どもができて、仕事に戻りたいけれどフルタイムで働くのは難しいという悩みを抱えている女性は多いと思うんです。もし、和歌山で子育て中のお母さんに適したやりがいある仕事を作れたら、全国の地方都市で暮らしている女性たちを救う道筋になるかもしれない。そう思うと、和歌山が楽しく見えてきました。

結婚というライフステージの変化が、また新しい仕事を生み出しそうですね。

岸本 はい。これから数年かけて追いかける長期的な目標になりそうです。結婚や出産をきっかけに働き方を変えなければならないという、一見マイナスなことをポジティブに捉えたい。住まいを作る人はいろいろなことを経験した方がいいと思うので、そういう意味でも、住宅事業はまだまだ女性が参入できる分野なのかなと思っています。

取材・文/杉本恭子
写真/浜田智則

お話を伺った方:岸本千佳さん

著者イメージ

1985年京都生まれ。2009年に滋賀県立大学環境建築デザイン学科を卒業後、東京の不動産ベンチャーに入社。シェアハウスやDIY賃貸の立ち上げに従事する。2014年に京都で「addSPICE」を創業。物件オーナーから不動産の企画・仲介・管理を一括で受け、建物の有効活用を業とする。そのほか、改装できる賃貸物件の専門サイト「DIYP KYOTO」の運営、京都への移住を支援するプロジェクト「京都移住計画」の不動産担当、暮らしに関する執筆などでも活動している。著書に『もし京都が東京だったらマップ』(イースト新書Q)。
Twitter:@chicamo

次回の更新は、2018年11月28日(水)の予定です。

編集/はてな編集部