働くことが上手でないわたしは、気持ちの逃げ場を作りながらポクポク進む

旅ブログで紹介して有名になった青森県鰺ヶ沢の秋田犬「わさお」と。
写真は2011年6月に再訪したときのもの。

会社員として働きはじめて9年目ですが、「働くこと」について考えたり語ったりするとき、実はちょっと苦い気持ちになります。今のところどうにか続いてはいるものの、自分は働くことが決して上手なほうではない、というコンプレックスがいつも心の底にあるからでしょう。

わたしは大学の法学部を卒業後、在宅で司法試験の受験勉強をしていました。しかし、実際は熱意も能力も遠く及ばず受験に見切りをつけ、ブランクを抱えて就職活動をはじめ、入社したのが今も働いている会社です。

ふたつの居場所を持つことで進んでこられた

メレ山メレ子という名前で不定期に文筆活動をしていますが、会社も職種も、文章を書くことや出版・編集とはほぼ関係ありません。大学生のころからネットで文章を書いていましたが、就職ではあえて無関係な仕事を選びました。

先が見えない焦りの中で、ネットで文章を書いてささやかに反応をもらうことは、わたしに精神的な居場所を与えてくれました。だからこそ、好きなことを仕事にした結果として好きでいられなくなったり、思ったことを書けなくなるくらいなら、仕事とは分けていたいという気持ちもありました。裏を返せば、わたしにとって労働とは「不自由」の象徴だったのです。仕事で自己実現したり夢を叶えたりする人たちが、まぶしく遠く思えました。

消極的な理由で道を選んでばかりいるようですが、結果的にこの働き方は、自分に合っていたと感じます。生活の根幹になる会社員業と、余暇を生かした文筆の仕事。会社で人間関係がうまくいかないときも読者や編集者さんの反応が心を支え、文章がいっこうにまとまらず苦しい夜は、朝が来て会社に向かえることがありがたく思えます。片方の世界で経験したことは、必ずもう片方の世界を豊かにしてくれます。どちらも半人前ながら、ふたつの軸足を取ることでなんとかここまで続けてこられました。

昆虫大学2014の様子(撮影:石澤瑤祠)

2012年からは、虫の魅力を伝える隔年開催のイベント「昆虫大学」を主催しています。もともと生きものが好きで、旅ブログに登場させた虫をきっかけに、虫好きの世界に足を踏み入れました。昆虫研究者や昆虫写真家といった、人からは理解されにくい好きなことに人生を捧げている人たちに惹かれ、彼らに取材して『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)という本も書きました。

全身全霊を好きなことに捧げている人たちには憧れると同時に、自分の軸足が定まらないというコンプレックスも刺激されます。しかし、イベントにはハイアマチュアや虫に関係ない仕事をしている人もたくさん関わってくれ、それぞれの立場で楽しんでくれています。

色物と思われることも多く、「虫=嫌われもの」という世間の認識を大きく覆すことは難しいですが、「虫に興味が出てきた」「虫好きではないけれど、こういう空間があるんだと知って嬉しい」と言われるときがいちばん嬉しいです。好きなことに向かい合うやり方は人それぞれでいいんだな、と思えるようになりました。

中国生活のはじまり

実は先日、仕事で大きな転機を迎えました。中国の子会社への出向が決まり、これから数年間は上海で暮らすことになります。

部署ではじまったプロジェクトの関係で、3年ほど前から上海の子会社と仕事をする機会が増えました。わたしの会社では売上の大半が海外の販売会社に属していて、つまり海外子会社はグループ企業のフロントです。中国をよく訪れるようになり、急速に都市化が進む上海の熱気に圧倒されました。

本社の成長を見てきた年上の社員と話すと、ダイナミックなエピソードがいろいろ出てきます。道筋が決まっていないことばかりだけれど、得られる成果もスピード感も桁違い。日本国内の市場が老成した今、そんな経験ができる場所はアジア地域の子会社に移っています。

今よりずっと心身共にハードな職場環境になるだろうけれど、体力が多少はある30代のうちに、まったく違う環境に自分を置いてみたい。そう考え、社内公募のお知らせが出たその日のうちに応募を決めました。

もともと、いつかは海外で暮らしてみたいという憧れはありました。会社員と文筆活動のふたつに居場所を求めたように、日本と海外にもそれぞれ軸足を置いてみたい。怖がりつつも、自分にとっての世界の輪郭を広げてみたいと思えるようになったのは、おっかなびっくりのこれまでの歩みが気づけば多少の自信となっていた、ということかもしれません。

周囲からは唐突だと受け止められることが多かった今回の選択ですが、わたしの中では重心を少しずらすような自然な変化でした。いつかは「不自由」の象徴と思えた労働は、今や新たな場所を獲得するための「自由」につながっています

世間と向き合うのが怖いという気持ちをふたつの環境に身を置くことでなだめすかし、騙し騙しやってきましたが、30を超えたころから変化を求める気持ちが強くなってきました。

プライベートでもここ数年、マンションを買ったり、西アフリカで自分がいずれおさまるためのオーダー棺桶を作ってみたりしました(この辺の話せば長くなるくだりは、2016年に出版した『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)という本に書いています)。

自室で、ガーナで作った棺桶と(撮影:宇壽山喜久子)

「中国に行く」というと、周囲からは「マンションどうすんの?!」と口々に言われます。昨年買ったばかりの中古マンションは、資産価値は皆無ですがわたしの最も大事なもののひとつです。購入を決めてから半年かけて(こんなにかけるつもりはなかったのですが……)リフォーム工事をし、予算に足りない部分は友人たちの力を借りて、少しずつ手を加えました。気軽に集まれる場所ができたことで、ネットを通じて出会った友達とも、関係がより深くなったように思います。

しんどい気持ちを逃がしながら進む

家も大切な友人もでき、今までで最も「居場所」については満たされているのに、日本を離れるのはもちろん辛いです。しかし、逆にいえばこういう環境を選べたのも、日本にしっかりと居場所を築けたおかげだと思っています。前に進み続けることでいつでもつながっていられると自然に思えたからこそ、違う場所に移ることができました

しばらくは会社員業に専念することになるでしょうが、文章を書くこともずっと続けていくつもりです。何をするにも不安が先に立つ性分でも、文章を書いているかぎりは、どんな経験もいつかはネタになる。しんどい気持ちが膨らんだら、そうやって少しずつ弁から空気を逃がしながらやっていきます。仕事人としてあらまほしきジェット機ではありませんが、ポクポク進んでいく蒸気船の気分です。

著者:メレ山メレ子 (id:mereco)

メレ山メレ子

1983年、大分県別府市生まれ。平日は会社員として勤務。
旅ブログ「メレンゲが腐るほど恋したい」にて青森のイカ焼き屋で飼われていた珍しい顔の秋田犬を「わさお」と名づけて紹介したところ、映画で主演するほどのスター犬になってしまう事件に見舞われた。やがて旅先で出会う虫の魅力に目ざめ、虫に関する連載や寄稿を行う。2012年から、昆虫研究者やアーティストが集う新感覚昆虫イベント「昆虫大学」の企画・運営を手がける。著書に『メレンゲが腐るほど旅したい メレ子の日本おでかけ日記』(スペースシャワーネットワーク)、『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)、『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)がある。

次回の更新は、8月30日(水)の予定です。