
連日、暑いですね〜。みなさんビール飲んでますか? てか、最近ビアガーデン行きましたか?
クーラーの効いた居酒屋で飲むビールも美味しいんですが、半屋外空間のビアガーデンで飲む冷えたビールも格別ですよね。なのにぼく、ぶっちゃけビアガーデンってそんなに行かないんです。

というのも、ビアガーデンにありがちな「時間制の飲み・食べ放題システム」が苦手。特に巨大ピッチャーで運ばれるビールがあまり好きじゃなくて。
本来、生ビールって、きめ細かい泡がビールの表面を覆うことで、空気(酸素)との接触を防いでくれるわけです。それがあのピッチャーだと泡の恩恵を受けられないし、シンプルに表面積が大きいから、酸化が進んで美味しさが減っちゃう。当然、炭酸も抜けやすいし、なんといってもすぐぬるくなる! ねえねえ、あれのいいところってなに?! 知ってたら教えて!! ねえ!!!
……ごめんなさい。ちょっと取り乱しました。
しかし、そんなぼくが年に一度、自宅のある関西から遠く福岡まで、わざわざ向かうビアガーデンがあるんです。その名は「ビヤガーデン博多屋」。

といっても博多にあるわけではなく、あるのは福岡県最南端の大牟田市。かつては日本最大級の三池炭鉱で賑わい、いまもその名残を感じる面白い街です。
そんな遠く大牟田まで、なにゆえわざわざ足を運びたくなるのか。博多屋の魅力を知ってもらうべく、とか言いながら、今年も博多屋のキンキンに冷えた生ビールを飲みたくて、大牟田に行き、店主の福田るいさんにインタビューをしてきました。
ちなみに、営業期間は毎年5月後半から8月末の3か月弱。というのも、店主の福田るいさん、実は陶芸家なのです。ビアガーデンと作陶という不思議なダブルワークをベースに、心地よく生きる、るいさんの魅力が溢れるインタビュー。できればビール片手に読んでください! かんぱーい!


ビヤガーデン博多屋
福岡県大牟田市にあるビアガーデン。創業は戦後まもなく。来年で80周年を迎える。営業期間は5月後半〜8月末。ここで飲むビールは一味違うと、大牟田の人たちに愛され続ける名酒場

話を聞いた人:福田るい
博多屋の店主であり、陶芸家。大学で油絵を学んだのち、栃木県益子町の窯元で陶芸修業。帰郷後、ビアガーデンの経営と作陶の二足のわらじを続けている
屋上じゃなく「庭」にある、本当のビアガーデン

藤本 今年もここに来られて幸福です。
福田 わたしは生まれたときからここで育ってるから、あまり特別だと思ってないんですけどね。
藤本 大牟田の友人たちを見ていると、夏の風物詩として、みなさんに愛されているのを感じます。
福田 ありがたいですね。今はこのビアガーデンも、5月後半から8月いっぱいの3か月くらいの営業ですけど、わたしが子どもの頃は4月から9月まで、がっつり6か月間も営業してて。しかも15時から22時まで開けてたんです。炭鉱の掘削って、3交代制で24時間稼働だから。
藤本 一回のシフトが8時間の3交代制って聞いたことあります。
福田 そうなの。朝早くから始業する一番方のひとたちが、15時になった途端に「はよ開けんか」って言って、この重いシャッターをガーッと開けるんです。子どものわたしが開けるには重いので、ラッキーって思いながら入ってました。
藤本 ラッキーって思ってたんだ(笑)。
福田 そうそう。そこからもう満卓で、22時には「はよ帰らんね(早く帰りなさい)」って追い出す感じでした。そういう時代も知ってるし、衰退していく様も見てきたし。炭鉱が閉山してもう20年以上が経って、コロナもあったし、よく持ってますよね。
藤本 たしかに。すごいことですね。

藤本 最初、知人に「ビアガーデンに行きましょう」って言われて連れてきてもらったとき、店の前に着いて「え?ここにビアガーデンが?」と思って建物に入ったら、庭が現れて。「そうか、これが本当のビアガーデンだ!」って驚きました。
福田 「ビアガーデンをやってます」って言うと、みんな「屋上あるの?」って聞いてくるんです。その度に「屋上はないですよ。庭ですよ」って。ビアガーデンって直訳すると、ビールの庭じゃないですか。
※ビアガーデン……19世紀、ビールの本場ドイツ・バイエルン地方のミュンヘンで発祥。当時、地下でビールを貯蔵していた醸造所が、貯蔵庫を涼しく保つために地上に木を植え、その木陰でビールを飲ませるようになったのが始まりと言われている。
藤本 ぼくもビアガーデンって言われたら、まず屋上をイメージしちゃいます。ここは昔からこういうスタイルなんですよね。
福田 そうです。昔、炭鉱の町として羽振りがよかった頃は「松屋」っていうデパートとか、いろんな百貨店が建ち並んでいて、その屋上は軒並みビアガーデンをやってたんですよ。
藤本 当時は博多屋さん以外にも、屋上ビアガーデンがあったんですね。
福田 ただ、うちはずっとこれでやってきたから。

お客さんが入る前は、ほんとに「庭」!
藤本 逆にどうして屋上ビアガーデンが流行ったんですかね。
福田 日本は土地が狭いからでしょうね。屋上が流行る前は、東京で、路面か地下で営業するビアホールが流行っていて、「東京では地下に潜るんだ」って思いました。うちも一応この建物があるから、電話帳ではピアホールになってたけど、自分ではピアホールなんて言ったことがない。
東京に出て歯医者になった、パイオニアのお祖父さん

藤本 ところで、なんで大牟田なのに「博多屋」なんですか?
福田 うちの祖父が若いときに、博多駅の近くで歯科医院を開いていたらしいんです。だけど戦争が始まって引き払って、戦後に、焼け野原状態だった大牟田のこの場所を買って、やってきた。博多から来たから、博多屋なんです。東京から来てたら東京屋になってたかも(笑)。
藤本 シンプルな理由。きっとそれだけ博多の街が魅力的だったんですね。それにしても博多で歯医者さんって、なんだかすごい。
福田 そう、今とはまた状況が違うわけですよ。今わたしの窯のあるところが祖父の出身地で、県境だから熊本県になるんですけど、祖父はそこの次男として生まれたんです。
昔の農家は長男に一子相伝だったから、次男である祖父は自分で食いぶちを見つけろみたいに言われて、18歳ぐらいで東京に出て、歯医者さんの免許を取ったんです。都々逸(どどいつ)で「蝶々トンボが鳥ならば、目医者、歯医者もなんとやら……」って言われたくらい、当時は簡単に免許が取れたみたいで「歯医者はいいぞ」って親戚中に言ってました。
藤本 今も歯医者をやってた場所はあるんですか?
福田 もうないと思う。ただ写真で見たときは、櫛田神社の真ん前だった。
藤本 櫛田神社ってあのお櫛田さんですよね? 博多祇園山笠が奉納される。
福田 今もそこに敷地があったら、また違ってたでしょうね。

藤本 でも当時は三池炭鉱がある大牟田の街が、いわば今の博多のような都会だったのかな。
福田 大牟田は新しくできた市で、よそ者もへったくれもなかったのがよかったのかも。
藤本 戦後の復興を支える土台として炭鉱の街にあらゆる人が集まったんですもんね。まさに経済成長のピークみたいなときに、子ども時代を過ごされたんですね。
福田 そうですね。わたしが生まれたときにはこのビルを建てていたので。
藤本 おじいちゃんが歯医者で稼いだお金で建てたってことか。すごいですね。

福田 ほんと祖父はパイオニアでしたね。田舎から東京に出て歯医者になって、さらに「歯医者はよか」って周りに言って、実際、親戚に歯医者さんが多いんです。
藤本 なんだか、次男ゆえの反骨の力を感じます。
福田 そうね。自分で稼ぐ力を祖父は持ってた。それを父が使い切ってしまう力が強くて。「孫は大変!」みたいな感じで今やってます。
藤本 お父さんの時代は消費の時代ですもんね。きっと時代のせいもありますよね(笑)。イケイケなときがあっての今だから。
福田 イケイケな時代を経験してるから、閉山したあとの衰退ぶりに、両親は耐えられなかったというか。わたしからしたら、景気のいいときの金遣いを今するな、みたいなことがいろいろありましたね。
陶芸とビアガーデンのWワークはお父さんの代から

藤本 るいさんのご両親は今は?
福田 父が20年前くらいに亡くなって、母も今年13回忌です。
藤本 そうでしたか。そもそも、るいさんがこのお店自体に関わり出したのはどういうタイミングなんですか。
福田 言ってみれば、ちっちゃい頃から。昔は木のテーブルで、毎年ペンキを塗らなきゃいけなかったので、お小遣いをもらってやってました。ちゃんと携わり始めたのは、益子の修業から帰ってきたあとですね。
藤本 益子といえば、焼き物のまちですよね。

福田 通った大学が九州産業大学の芸術学部で、油絵で入ったんですけど、すぐに絵じゃ飯食えねえって分かって遊びほうけてて。遊びといっても、草木染めをしたり、毛糸を染めて紡いだり、彫金で遊んだりとか、とにかく作るのが好きなんだなって思ったんですよね。
藤本 大学、めっちゃいい環境ですね。学校では一通りやれるわけですもんね。
福田 そうですね。遊びほうけてました。大学を出たあとに、父の窯があったので、陶芸の修業をするのはどうかなって。
藤本 お父さんがそもそも作陶されてたんですね。
福田 そう。でも昔は「窯場に女が入るなんてけしからん」みたいな風潮があったので、当時のお弟子さんが、わたしが窯に入るならやめますって言って。しょうがないから「その人が卒業するまでは、わたしは入らない」って言いながら、本心は「やった!あと数年遊べる」と思って、ニコニコしながら中型バイクの免許を取ったりして。
無印良品の店員とガソリンスタンドを掛け持ちしながら、福岡でさらに遊びほうけてました。
藤本 すでにダブルワークしてる(笑)。ちなみにお父さんはどうして作陶を?

るいさんの代名詞でもある、斜めしのぎのポット
福田 父とわたしがやっているのは「小代焼」っていう熊本県の北部で約400年前から続く焼き物なんですけど、祖父が歯医者をやってたころ、江戸時代の「古小代」といわれる骨董品の収集をしてたんです。
藤本 おじいちゃんが?
福田 そう。祖父がここを建てたときに、ろくろや電気窯も設置して、遊びで、なんちゃって縄文土器を作ったり、歯医者の道具を使って観音様を作ったりしていて。そういう姿を見ていた父は、祖父が収集した小代焼の色味に魅了されて。趣味が高じて、ビアガーデンがお休みの冬場に作陶するようになって。
藤本 元を辿るとおじいちゃんに行き着くんですね。
福田 祖父はとにかくパイオニア。やりたいことをやって、しかもある程度成功してるからすごいですよね。
その後、小代焼にはまっていった父も小代の色を出せるようになったので、祖父たちが隠居してた熊本の敷地に、ビアガーデンで稼いだお金を全部突っ込んで、築窯したんです。それでビアガーデンと窯場を分けたのが、わたしが小学校高学年ぐらいかな。
藤本 じゃあ、本格的に窯とビアガーデンのダブルワークをはじめたのはお父さんなんですね。
福田 祖父が稼いだお金でやった父の道楽。父は予科練っていう特攻隊のための練習生で、あと何年か戦争が長引いてたら、空に散ってたでしょうね。だけど終戦を迎えて、その後、競輪の選手とかいろいろやって、ここの手伝いに落ち着いた、みたいに聞いてます。
藤本 ちょっともう、筋金入りの行き当たりばったり家系じゃないですか。
福田 たしかに相当行き当たりばったりですよねぇ。
「わたしは自分でやってきてる」で開けた道

ビアガーデンの開店中、忙しく働くるいさん
藤本 るいさんはそんなお父さんを見ていたし、祖父の思い出もあるし、さらには自分もものづくりが好きな自覚があって、陶芸という道で稼いでいこうと思ったんですね。
福田 そう。ただ、「継ぐ」ということが当時は嫌でしょうがなくて。でも、記憶にはないけど小学校の作文で、わたしは大人になってお父ちゃんの後を継いで焼き物屋になります、とか書いてたみたいなんですよ。だから、根本には継ぐ気持ちがあったんだね。それで父の窯に入った。
藤本 いよいよ腹を括ったんですね。
福田 ただ、入ったはいいけど、父本人が修業してないし、人に教えるなんてやったことがない。要は、褒め殺ししかない。わたしが上手なわけないのは自覚してるから、きもちわるくて、「どこか修業に行きたい!」って言ってたら、益子の窯元に3年くらい修業に行かせてもらって。
藤本 それで帰ってきて、本業として小代焼を。
福田 帰ってきた当初は、ビアガーデンの売り上げがなかったら窯のスタッフのお給料が払えない状況だった。だけどわたしは焼き物修業をして帰ってきて、焼き物が本業って思ってるから、こっちもやらなきゃいけないという状況が辛くて。
藤本 現実、収入的にはビアガーデンで助かってた。

福田 そもそも親の借金とかいろいろあって、もうやだって思ってたんです。でも、やるからには楽しもうっていうモードになって変化したかな。個人的には離婚というきっかけもあって、一人じゃ何もできないから、みんなを巻き込もうって思ったんです。そこから、今は超面白いっていう感じで、こっちも楽しんでやってます。
藤本 ご結婚されてたんですね。
福田 ほんのちょっとだったけど。益子で知り合ったドイツ人と結婚して帰ってきたんだけどね。性格の不一致ってことにしておきましょう。30代、あんまり覚えてないんですよね。
藤本 この店に一緒に立ってたときもある?
福田 邪魔だったけどね(笑)。ドイツ人やけん、酒強いけんビール飲むばっかりやん、みたいな感じでした。
藤本 まさに本場ですもんね。
福田 ビヤガルテンですたいってね。当時、気持ち的にダメになってた時期で、何もやる気が起きなくて、今思えば、その頃もみなさんに助けられてましたね。旦那と別れるちょっと前に、手伝ってくれてたスタッフも卒業しちゃって。結果、一人きりになって。
藤本 つらい時期。

福田 そんなときに、父の代からのお客さんで、うちの父が作ったすり鉢が好きで、たくさん収集してらした仲の良いご夫妻がいたんですけど、そのご主人が亡くなって。ご法事のお返しに記念品として、すり鉢を焼いていただけないでしょうかって依頼をもらって、それが転機になりました。
「そっか、別に離婚しようがしまいが、わたしは自分でやってきてるよね」って思ったから、とにかくお客さんのために頑張って焼き物を焼いて。そんな時に限って、もの凄く良い色が出るわけですよ。
藤本 いいお話。
福田 いまは体力も徐々に落ちてるから、ただがむしゃらにってわけにはいかないけど、それでも夜な夜な焼き物を作って、ビアガーデンもやってっていうなかで、いかに楽にやれるかを考えた末の今があります。
藤本 そうですよね、自分が心地よい状況でないと。
福田 ぐうたらっていうのが分かってるから。あと、昔は雨でもお客さん来てたけど、今は雨の日は坊主の日もあるくらいなので、そういう暇な時に、内職してるのが、ビアバッジ。これ、ちょうど一昨日できたんです。

藤本 めちゃくちゃ可愛いですよね。ぼく、博多屋で飲む黒ビールが大好きで、ほんとなんであんなに美味しいんですかね。それでここのビールの美味しさを忘れたくない、みたいな気持ちで去年このバッジ買って帰ったんです。
福田 去年も全部売り切れちゃったんですよ。そこの裏のレジのところでずっと、暇なときに内職したやつを、春ぐらいに焼いて、バッジとマグネットにして。
藤本 たしかにこういう小物だったら、クッキーみたいにレジの裏でつくれそう。
福田 そうなの。それで素焼きして、その数を見て、どんだけ暇だったんだよ、めんどくせーって思いながら薬がけして。完成したら嬉しいんですけどね。

藤本 なんかあらためて、仕事が一つじゃないことの強みっていうか、陶芸とビアガーデンというまったく異種なものを、両手に持つことの価値を感じます。
福田 そうだね。焼き物やってる甲斐もありゃ、ビアガーデンやってる甲斐もあるよねっていう感じで、今はいい相乗効果だって思います。たぶんね、考えてできるものじゃないと思う。目の前にそれがあって、がむしゃらにやってきたからこそ。このバッジも時給に換算してごらんと思ったら、考えたくないし。
藤本 博多屋は大牟田のみんなのビアガーデンだけど、ある意味、るいさんにとっての最高の箱庭でもあるんですね。自分が心地いい、生きやすい場所になってる。
福田 営業期間もどんどん短くなって(笑)。実は来年、博多屋の80周年なんですよ。もう従業員の高齢化が進んでるんで、80年まではこのスタンスで、シーズン中無休で頑張ろうねって、みんなで言ってます。
藤本 そうですよね。3か月だけといえど期間中は無休ですもんね。
福田 ちっちゃい頃から手伝ってきてるから、もちろん愛着もあるし、なにより長年の常連さんがきてくださるからですね。雨で、あちゃーっていうときのお客さん全員常連やん、とかね。そういう人たちが支えてくださってます。 本当に、有難い。
藤本 来年の80周年をお祝いできること、楽しみにしてます!

取材協力:ビヤガーデン博多屋
https://www.instagram.com/beergarden_hakataya/
写真:吉田真也
編集:友光だんご
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この記事を書いたライター
有限会社りす代表。1974年生まれ。兵庫県在住。編集者。雑誌『Re:S』、フリーマガジン『のんびり』編集長を経て、WEBマガジン『なんも大学』でようやくネットメディア編集長デビュー。けどネットリテラシーなさすぎて、新人の顔でジモコロ潜入中。










































