唐突ですが、家の話をさせてください。

というのも前回「昭和の時代にプラスチック容器に玉子豆腐を入れて躍進したメーカー」さんの話を聞いたんです。プラスチックを導入して躍進って聞いたことあるな、とハッとしたんですよね。

それ、うちの家だったんです。母の生家が営んでた歯ブラシ工場がいち早くプラスチックを導入して躍進したんです。当時プラスチックの機械が大きすぎて、家の前の橋が落ちるんじゃないかと人が集まったそうなんですよ。なんて昭和なエピソード。

この橋が落ちるのではないかと人が集まったそうな

でも考えてみたら、このプラスチック革命って全産業で起こったんでしょうね。今年のナフサ枯渇問題ではあちこちで心配の声が上がってましたから。ちょっと実家に帰って調べてみよかな、と。

八尾市河内山本駅前、実家(母の生家)に帰ってきました

これは私の曽祖父からつづくファミリーヒストリーでもあるんですが、大阪府八尾市の地場産業である歯ブラシがどうなっていったのか、ひいては日本の産業全体が見えてくるという八尾の『百年の孤独』みたいな記事です。

スケールは小さいままに長大で、なんとふだんの3本近い量あります。この夏はこれでお楽しみください!

 

庭の池からなぜか出ていたヒモを引くと……

八尾駅前には地場産業である歯ブラシのモニュメントがあります

まず、大阪府八尾市は地図でいうと大阪市の右下にあります。河内音頭に河内木綿、歯ブラシなんかが有名だよと子どもたちは学校で教わります。昔は農村で戦後は大阪のベッドタウン、大都市の周囲によくあるパターンの街です。

そんな八尾市の実家に帰ると家がでかい。慣れない。というのも、これは母の実家で、私が成人した後に両親がこちらに住み始めました。ブラシ屋だった曽祖父の荘介さんが戦前に買った家なので大きいんです。

母の実家がある家がでかそうなエリア

映画『悪名』で勝新太郎は「われは玉串のもんでんねん」と名乗りますが、その玉串川が近くを流れてます。プラスチックの機械がやってくるとき、この玉串川にかかる小さな橋が落ちるのではないかと近所の人が集まったんだという逸話を母はよく話していました。

「お母ちゃんもちっこいときやからな。『橋が壊れるかもしれへん』って警察来はって。みんなもうわーわー言うて、近所の人もみ~んな見に来てん」

「プラスチックの機械を導入したんは当たったんやね」

「当たってん。ほんで同業者で一番最初にやったからむちゃくちゃ儲かってんて。みんなそんな博打打てへんやんか。それでアメリカの会社からプラスチックの機械を買うことになったんやけど、お金をどうしたかいうと、ちょっと話があってな」

「戦後すぐアメリカから輸入するからえらい金額なんやろね」

「うちにちっちゃな池があって、そこにずーっと紐が出ててんて。お嫁さんに来たお母ちゃん(祖母)が『何かな?』思てたら、おじいとおばあがそこにやってきて、その紐をキュウ~ッてたぐっていくんやて。そしたらな……金(笑)

この向こう側に池がありました

「金塊が(笑)」

ビニール袋に入ってな、その池に沈めてたみたい。だからお母ちゃん(祖母)も『エェーッ!!!』って。じじい(曾祖父)とばばあ(曾祖母)が大人二人でヒモこんなんしてやで、出てくるんが金塊やねんから。『もう~びっくりした!』って。ふつうのサラリーマンの家から嫁に来てすぐやから、そんなこと考えられへんやん。『それで買うたんやで』ってお母ちゃん(祖母)言うてたわ。

若いお嫁さんやから庭の掃除もするやんか。『おかしいなあ、なんでこんなヒモあるんかなあ思って引っ張らんかった』って。よう引っ張らんかったこっちゃ(笑)」

久保家に、嫁に来た京子(祖母)早々に金塊を見る

「まだお母はんは生まれてなかった頃かな」

「その後やな。お母ちゃん(祖母)が言うてたんはな、『家が繁栄する時はすごいで』って。もう『子どもは生まれる、ツバメは来る、金魚もどんどん子供生む。もう家が沸き立つんや』って。『そんな時があるんやで』って」

「プラスチックでわーって沸いた後は、また小さくなったんやね」

「せやねん、みんなが同じことしだすやん。今度は大資本が出てきて負けるやん。

でもその後、自分らで下請けに出して歯ブラシ作る仕組みが上手いこといってんて。経済学部の教授が、どんなんか教えてくれ言うて見に来て『こんなボロい会社で?』って言うてはったらしいわ(笑)。でもそこからまたよくなってきて。ほんで、洋介おじちゃん(叔父)が独立して八尾から出てん」

ということで曽祖父、祖父、に続き叔父は新たな歯ブラシの会社「UFCサプライ」を関空の近くに作ったそうです。

 

そもそも国策の輸出産業だったブラシ

歯ブラシや口腔衛生用品を製造する株式会社UFCサプライという会社の久保洋介さん(筆者の叔父)に話を聞きに来ました

「曽祖父の荘介さんが歯ブラシ作り始めた話を聞かせてもらいたいんです」

「高知で宮大工をしてた家の次男が久保荘介さん。貧乏でね。頭がよかったから今の郵政省の公務員になろうと大阪に出てきたけど、受験に失敗して丁稚奉公でブラシの問屋さんに入った。大阪の船場やね。当時の日本の流通の中心。

そこでブラシの技術を習得して1917年に久保荘ブラシ工場として独立。船場からも近い天王寺区の、今で言うたら上汐いうとこで零細企業として始まったんやね」

左が久保荘介(曽祖父)さん。高知から大阪に出てきて歯ブラシを作る

「戦前は八尾ではなく、大阪の都会の方にブラシ産業があったんですね」

「ブラシ組合の冊子にも明治7年に『ブラシの製作を政府が促す』って書いてあるね。ここから始まってるみたいや」

そうなんです、ブラシって政府が輸出品として奨励したものだったんですって。今はプラスチック製の雑貨全般には輸入品のイメージがありますが、戦前のブラシは日本の輸出産業だったようなんです。

ここでブラシの歴史をさらってみましょう。

資料(※)をあたると明治10年。明治維新政府は大久保利通が主導して、第一回内国勧業博覧会というものを開催します。「この産業を盛り上げていくよ」という展示会ですね。ここでブラシが「西洋型刷毛」として出品されます。

※祖父の遺品の中に『輸出ブラシ工業』(1989年日本経済評論社刊)という本がありました。戦中である昭和17年に出た本(の復刊)のようです

刷毛(はけ)と刷子(ブラシ)ってどうやら違うもののようなんです。刷毛は毛を束ねたもので、日本のもの。ブラシは穴に毛を植えたもので西洋のもの。当時、大砲など外国から輸入した兵器の手入れにブラシが必要だった。船をゴシゴシ磨くのはデッキブラシでないといけません。

歯ブラシも当然ありません。女性は柳、男性は灌木を使った房楊枝(木の先を毛羽立ててブラシ状にしたもの)を使っていたようです。

木の枝の先をブラシ状に割くもの。これ世界中にあったようですね

そして実際に作られます。明治12年頃に大阪で歯ブラシの試作販売が始まり、明治23年頃には生産も増え輸入も減っていき、大阪がブラシ生産の国内シェア8割。順調に伸びます。当時のブラシはどんな風に作っていたんでしょう?

 

歯ブラシは職人が一本ずつ作っていた

歴史を追っていくと、ブラシ作りには職人さんがおったわけ。元々の原料というのは牛の骨と、豚の毛。中国の重慶に昔から特産の豚がおって、毛が長いねん。今でもヘアブラシとか高級品で豚毛が残ってるけど、最近は原料が手に入らない。中国も経済状況が良くなってブラシの毛より精肉の方が儲かるいうんで、成長する前に屠殺されてるみたいやね(※『輸出ブラシ工業』にも、豚毛の生産は経済がよくない国でないと食べてしまうということが書いてあった)

当時は牛の骨に豚の毛を植えて人間の歯を磨いていました。まるごと天然素材なものが歯ブラシだったわけですね。

「ほぼ手作り。牛の骨に穴開けて。大量生産もできひんから高付加価値の商品やったのは間違いないよな」

1880年から1930年頃のイギリス製牛骨歯ブラシはこのようなもの。日本は世界に輸出してたので同様のものを作ってたようです。CC BY 4.0 Science Museum Group. Toothbrush, bone handle English, 1880-1930. 1981-1457 Science Museum Group Collection Online. Accessed 24 July 2026.

歯ブラシが生産され始めたころ、職人が牛の骨を削って豚の毛を植えて……と一人で一本まるまる作っていました。

職人は足の指に牛骨を挟んで磨く独特の技術があったんだとか。本には「足指の筋肉が異常に発達し、右足指で箸を持ち、左足指で茶碗をはさみ持つて、飯を食べる曲芸さえ平気でやってのけた」とあります。足で箸持って飯食えると。そんな器用なことが……。

「これは筆者が幾人かの老職工から“えて公顔負け”の話として聞き取った事実談である」と、『輸出ブラシ工業』でも職人のすごさがよくわからない点でプッシュされてますね。

『輸出ブラシ工業 上巻』P5にある写真。牛骨を割っていく工程

 

牛骨の霧が立ち込める歯ブラシ工場

さてそんな職人たちは問屋が束ねます。「問屋制手工業」と先ほどの本では呼ぶ問屋と職人による生産です。でもここから変わっていきます。当時の産業には機械や工場が導入されていきますよね。

明治21年頃。最初のブラシの会社(大阪盛業株式会社)が生まれます。120人の職工でスタートし2年後は300人。大きいですね。回転させたのこぎりで牛骨割ったり動力を使って作ってました。一方、従来の職人さんたちは全部手動。「如何に幼稚であり」と本にあります。戦前の本は言いようが容赦ないですね。

一人でまるまるやる職人と違って、工程ごとに作業が分かれる分業化が工場の特徴です。とはいえ全部機械でやるわけでもないので「工場制手工業」と本では紹介されてました。

工場といっても当時のブラシ工場は私たちのイメージするものとは違います。牛骨を削るので「屋根まで白くなり、会社の前を通る人々は鼻をツマんで急いだ」んだとか。

賀川豊彦という作家の大正8年執筆の小説には大阪鶴橋のブラシ工場の描写が出てきます。

「骨粉が室内一杯になっていて、奥にいる人々の姿が見えない。深い霧の中で労働している様なもの」
「空気の悪いところをすべて頭に浮かべて見たが、歯刷子毛枝のバフ工場位不潔なものを見た事はなかった」

骨の粉の霧でしかも臭い。これはなかなかしんどい。実際、結核で死んだ人がものすごく多かったそうです。叔父はこんなことを言ってました。

「荘介さんの奥さん(タケノ・曾祖母)は晩年、ほぼ失明状態になっててん。それは多分若い時に、夜中の2時3時まで裸電球の下で作業して家族で仕事やってたからやろうな」

牛骨を削ってたわけではなさそうですが、そもそもがひどい労働環境の業界だったようですね。

本では「一般から賎民視されがちであったことが禍を為して」とありますが、さげすまれて人気がなくて歯ブラシ製造職人は人材不足となります。熟練工になると価値も給料も高くなり「引抜戦のためにピストル騒ぎさえ起こったと伝えられている」とあります。なんと戦前なエピソード。坂本龍馬の逸話くらいでしか聞いたことないです、ピストル。

『新歯ブラシ辞典』(大谷広明監修/学建書院刊/1991年)P103に昔の歯ブラシの製造工程があります。これだけの工程を天然素材と手動でやるとちょっとした工芸品ですよね

 

工場が躍進する歯ブラシ業界に職人の逆襲

さて、歯ブラシ業界自体の盛り上がりはどんなものだったんでしょうか。

輸出産業としての歯ブラシは順調にスタートします。そもそも毛植えの機械もないし原料も天然。物自体は一緒とすると、勝負は賃金コストですよね。日本はここが強かった。「かかる低労賃こそ、度々触れる様に輸出伸長の最強の武器であった」と『輸出ブラシ工業』にも出てきます。当時の日本の強さって人の安さだったんですね。

輸出にも成功し、工場も増えていきます。するとさらに大きな工場ができて、職人たちはそこに集約されていくのがふつうですよね。

ところが歯ブラシ産業は違いました。「如何に幼稚であり」と本で言われてた職人たちはその差を埋めるべく、なんと技術を工場から盗んだんです。

当時ブラシは「縦穴ブラシ」という工場にしかできない形に変わっていったんですって。そこで大阪上町にいた職人・中田直太郎(上町ブラシの鼻祖と言われたそう)は夜中、前述の大工場、盛業会社の天井裏に忍び込み職工の作業状況を盗み見たんだそうです。産業スパイというかもはや産業忍者じゃないですか。

見たからできたわけではないでしょうが、そこから苦労して開発に成功。種子島で銃をつくるみたいなコピーの偉業がひっそりと行われてたんですね。

明治30年代中期以降には、工場で分業されていた工程は機械ごと社外に独立していく動きもあったようです。動力も鉄工所が使わせてくれる「動力貸」という形態があったとか。

問屋から製造家(小さなメーカー)に発注が来る構図。『輸出ブラシ工業上巻』より

職人たちは「製造家」という小さなメーカーになっていき、各工程を業者に発注します。それぞれにまた職人が集います。仕事のある時だけ親方の下に集う日雇い労働みたいな形もしばしば。これは資本家に都合の良い形ですよね。そして問屋が「旦那さん」として権力絶大。こんな構造の問屋制手工業は低賃金を生みます。こうして職人たちは「強靭に生き残った」そうなんです。

とにかく低コストな製造家たちのブラシは工場と比べると質が悪く、「ジョーブ品(Job品)」と称して輸出してたのだとか。明治43年くらいにはなんとこの安物が伸びます。そして一方の大きな工場は第一次世界大戦の不況のせいで大正から昭和にかけてことごとくつぶれていきました。えっ!?

問屋と職人が工場に勝ったの??って感じじゃないですか。『輸出ブラシ工業』にもふつうの資本主義だとどんどん大きな工場にまとまるけど、わが国のブラシ工業は問屋が職人に作らせるスタイルに戻っていった、という書き方で驚いてました。

 

問屋制手工業が定着し、八尾にも伝わる

こうして歯ブラシ生産といえば問屋→製造家(10人くらいの職工)→工程ごとの業者(ここにも職工)という構図の問屋制手工業に戻ります。

先ほどの画像でいうと、まず大阪の船場に問屋さんがある。そこから近い大阪の「上町台地」一帯に製造家たちがいます。歯ブラシを作るのに必要な各工程は分業化されていて、専門業者はその近くに集中します。

なかでも鶴橋、焼肉で有名なこの町は当時は郊外で、ここに動力屋ができて業者が集まったので「ブラシ町」と呼ばれたそうです。

ここで毛植え業者として大阪府の八尾市が登場します。歯ブラシの材料製造を郊外の農家にお願いしたいとなったとき、鶴橋から近い農村は東大阪や八尾です。

当時そこで作られていたものこそが河内木綿でした 。この河内木綿は明治前期が輸出のピークで衰退していってました(上質だが機械生産に合わず、価格でも負けた)。そんな河内木綿農家に向けて、工場や歯ブラシ製造家たちが毛植えを教える場所を作ったそうです。これが戦後の八尾の歯ブラシ生産の下地になります。

ブラシは年々輸出が伸びます。「同じ言葉を繰返すより外に、説明の仕方がなかった」とあるように、ずーっと低賃金の一点突破です。その背後には業者の「血みどろの安売り競争があった」らしいんですが。「互に激烈なる自殺的競争を試み、或いは技師、職工の奪い合いをなし」と本にあるのは前述のピストル騒ぎの背景ですね。

とにかく技術とかでなく、低賃金。戦前の製造業ってそんなものなんでしょうか。いかに人を人と思わないか。そうすると安くなるから。動力貸し工場では回転するヤスリが飛んできたり、事故もめっちゃあったようです。

第一次世界大戦で落ち込んだ後、大正6年あたりにはまた輸出も伸びてます。曽祖父・久保荘介さんが独立した久保荘ブラシ工場ができたのはこんな時代です。

この頃、外国からの注文が殺到して職工が不足したようです。とある会社は職工が全部辞めて廃業し、実は新しくできた会社が全員引き抜いていた、みたいなことが日常茶飯事だったそう。

「船場の問屋さんの丁稚の若い子らが、店の前で待ってんねんて。『商品渡してもらえへん限り、会社戻られへん』いうて。もう完全に売り手市場やな。一生懸命もの作ってたそうやから、非常に商売成功しはった」

というように、製造家は調子がよかったようです。昭和初期あたり「ブラシ屋と腫物は大きくなればツブれる」と言われたのだとか。これはブラシ屋に限らず、同じ問屋制手工業をとる「メリヤス屋」などでも言われたことらしいですが。商売が大きくなると職人や材料の調達で苦しむんでしょうね。職人たちと問屋という構造には限界がありそうです。

『輸出ブラシ工業』から大正7年~昭和14年の輸出推移。セルロイドが登場します

 

セルロイドの登場と空襲リセット

一方、材料に変化がありました。セルロイドが登場します。プラスチックみたいなものですけど、燃えやすくて危険な人工の素材。そして海外では機械植毛が始まります。そろそろ低賃金頼みではいかない、産業~!って感じの時代になってきますよね。

ということは日本の雲行きが怪しくなってきます。昭和2年の金融恐慌のころには輸出力も下がっていて夜逃げ、倒産が続出。さらに問屋の力が増します。昭和4年各国で関税が引き上げられブラシ輸出の記録的不振へ。

材料の入手が困難になっていく中、セルロイドは原料の国内生産や植毛の機械化に成功して生産が安定していきます。価格も安くて昭和6年には全輸出歯ブラシ中8割がセルロイドだったそう。

曾祖父の会社も1940年の戦争前には丸一セルロイド工場という名前になります。そして翌年には日本は戦争に突入してしまいますから、朝ドラなら半分ちょい前くらいです。

「おじいちゃん(曾祖父)、スキンヘッドやってんけどね。それには理由があってん。

ある日、日本軍から歯ブラシを納めるように指令があった。といっても材料ないから、闇流通でブラシの毛を仕入れた。でもそれが違法やいうて捕まって牢屋入れられて拷問を受けて、おしっこさせてもらわれへんかったんやて。それで一気に髪の毛が真っ白になった。ほんで、スキンヘッドにしたという。もう全財産無くしてんねんで」

この逸話は母も語っていました。

「おじいちゃん(曾祖父)が、あんまりや思うて言うたんやて。『軍のためにやったのに、なんでこんなことになるんですか!』って。そしたら裁判で弁護士かしらんけど『久保くん、そこは上手にやるんだね』って言われたんやて。もう『ふん~!』(※母がよくやる怒りのポーズ)やん。それ根にもってたみたいよ」

朝ドラでも戦争にさしかかると理不尽エピソードが出てきますが、こんなにもれなく出るものなんですかね!? とはいえ楽しいエピソードもあります。

「荘介さんはちょっと天才的な人やって。工場の人たちは仕事してると飽きてくるやんか。ほな途中で当時のレコードかけて歌歌わしてカラオケ大会みたいにしたりとか、そんなんして。みんなハイキングに連れて行ったりとか。ごっつい親分やったけど、それなりに楽しいことやってたみたい」

荘介じいさんは、極貧の家庭から出てきて一代で財を築いた。どんどん勝負もするし儲けはんねん。新しい電気製品が出たら真っ先に買うてな」

そして戦争は終わりに向かいますが、大阪といえば大阪大空襲で火の海に。大阪の上町台地(天王寺区) にあった曾祖父の歯ブラシ工場も焼けてしまいます。

「昔の大阪で電気冷蔵庫なんかある家なかってんて。それで、いっぱい食べるもん入れとったらしいわ。ほんなら空襲なった後な、丸焼けになった冷蔵庫がオーブン代わりになってな、中のもんが綺麗に焼けてんて。おじいちゃん(曾祖父)がそれ出してみんなにいろんなもん渡して食べてたらしいわ。『もうやけくそや』言うて」

電気冷蔵庫が空襲で電気オーブン化した事件ですね。叔父も同じ思い出を語っていましたが、どこの家にもこうした故人の逸話があるのでしょうか。私たちはどれくらいこういったエピソードを残せるのでしょうか。

<ここまでの3行まとめ>
・歯ブラシは戦前の日本における輸出産業! 大阪の都市部で作られていた
・天然素材で手作りだった歯ブラシは技術に差はなし! いかに低賃金で作るかの勝負は日本が有利
・日本は安かろう悪かろう人権もなさそう! そんな問屋制は工場にも勝ったが戦争により焼け野原に

 

戦後のプラスチック革命、デフレ、中国の波……翻弄される大阪の歯ブラシメーカー