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2020.09.17
知ったかぶり対談 第三十六回:東京都②オリジナルには人が集まる
デイリーポータルZがいろいろな場所で取材してきた記事を読むことで、その県の出身者に負けないくらいに知ったかぶりできるんじゃないか。それが知ったかぶり対談です。
今回は東京編。東京生まれ東京育ち、町工場の社長にしてジャパンハウスミュージックの大御所、横田さんにリモートで話を聞きました。インタビューはデイリーポータルZ編集部安藤が担当します。
かつてヤンキーがいた町
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横田さんは生まれも育ちも東京ですか。
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そうです、ずっと大田区です。蒲田の工業高校出身です。
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前にデイリーポータルZの編集部は大森にあったので大田区にはなじみがあるんですが、当時はどんな場所でしたか。
デイリーポータルZの編集部はずっと前に大森にありました。
(うろおぼえ地図描きくらべ)
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ヤンキーがいましたね。蒲田はリアルビーバップハイスクールみたいな状態で、さらにうかつに羽田の方なんかに行くと生きて帰ってこられないと言われていました。
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なんと。ヤンキーは田舎特有かと思っていたら東京にもいたんですね。
もちろん愛知にはヤンキーがいました。
(ヤンキー、年賀状になって実家に届く)
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うじゃうじゃいました。私は1969年生まれで、私が高校を卒業したあたりから徐々に減ってはきていましたが。渋谷なんかもかつては恐ろしい街でしたよ。
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今では考えられないですね。でも横田さんって地元のボスみたいなイメージなんですが。そういう連中を取り仕切っていたのではないんですか。
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とんでもないですよ。特に内陸(世田谷、目黒など)に比べて蒲田や川崎は治安の良くない場所が多かったので、ほんと怖かったです。子どもの頃に不良におどされて交番に助けを求めたら「お前らの方が数が多いのになぜ戦わないんだ」と説教されたこともあります。
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東京にもそんな北斗の拳みたいな時代があったのか。じゃあこの記事のあたりはご近所ですか?
東京でアイランドホッピングする記事です。
(東京湾の人工島めぐり)
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ものすごく近所です。知り合いの工場があったりします。昭和島なんかは関東大震災のがれきで埋め立てたらしいですね。このあたりは今でもどんどん景色が変わってきていますよ。
町工場の社長でレーサーでミュージシャン
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実は横田さんには前に何度かデイリーポータルZに登場してもらったことがありまして。
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そうですね。大田区の工場を案内したりレーシングドライバーを務めさせてもらったりしました。
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ちょっと飛躍があったように思うので改めて紹介させてください。この記事では横田さんの会社を案内してもらいました。
町工場の社長としての横田さん。
(町工場は機械もゴミも作ってるものもかっこいい)
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記事では横田さんの会社が入っている「工場アパート」と呼ばれる建物を紹介してもらいました。これ、いわゆる町工場のイメージとはずいぶん違っていて面白かったんですよね。
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東京にもかつては町工場がたくさんあったんですが、周りに住宅がどんどん増えて、騒音やにおいなんかが原因で操業がやりづらくなったんです。それでこうした集合工場のようなものができたんだと思います。
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なるほど。いろいろなジャンルの工場が集まっていると、便利なことも多そうですね。
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そうですね、もともとしょうゆの貸し借りみたいに、気軽に近所で工具の貸し借りが行われていたような地域ですからね、助け合いみたいなものは今でも続いています。ただこの工場アパートもずっとはいられないんです。基本的には会社として力を付けたら次にゆずるというスタンスです。
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そうなんですね。その方が新規参入しやすくてすそ野が広がるんでしょうね。
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そうですね、新しく起業したい人たちを支援するというのがそもそもの目的なんだと思います。
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レーシングドライバーをお願いしたのはこちらの記事です。
レーシングドライバーとしての横田さん。
(選挙カーは時速100キロ以上出すと候補者の主張が伝わらない)
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この時ドライバーをお願いしたのも横田さんでした。さらにいうと横田さんは日本におけるハウスミュージックの大御所でもあるわけですが。
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そうですね、説明することでいっそうわからなくなっていないか心配です。
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音楽を始めたのはいつごろからですか。
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小学生の頃にYMOを知って、衝撃を受けて少年野球をやめてピアノを習い始めました。でもピアノ教室だとYMOとかやらないんですよね、ふつうにバイエルとか基礎練習だった気がします。
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まあそうですよね。そこからどうやってハウスミュージックの大御所と呼ばれるまでになったんでしょう。
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YMOの坂本龍一さんがやっていたラジオ番組でオリジナル曲を紹介してくれるコーナーがあって、そこに送るために曲を作り始めたのがはじまりですね。高校の頃は日本で初めて行われたラップコンテストに出たりもしていました。
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音楽をやるにあたって東京っていう場所が都合よかったりしましたか。
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それはあったかもしれないですね。音楽とかカルチャーが、当時はまだ地方まで浸透していなかった部分もありますから。でも工場にしても音楽にしても、オリジナルなものを作っていると、とくに今なら都会もいなかも関係なく自然と面白い人が集まってくるんじゃないかと思います。
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なるほど。地域としてのつながりもさることながら、活動内容でつながりが広がっていくんですね。横田さんが作ったオリジナルの蚊取り線香カバー見ましたよ。あれはかっこいいですね。
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ありがとうございます。コロナの影響で時間ができたので作ってみました。
横田さんがオリジナルで作った蚊取り線香カバー。なんとアルミ削り出し。
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蚊取り線香ホイールカバーは仕事というより完全に遊びなんですが、こういう遊びをきっかけにつながりが広がっていくのは面白いですよね。
横田さん、ありがとうございました。
【次回予告】次回は10月22日公開予定です!
他の記事を見る- 横田信一郎(よこたしんいちろう)
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1969年東京都大田区生まれ。B型。1992年頃にカーカスタムメーカー「ナイトペイジャー」を設立する。2015年頃から昔の音楽作品が海外で再評価され「boilerroom」に出演。 2016年には25年ぶりのフルアルバム「Do it again and again」をリリース。近年は野外フェス、クラブDJとして多くのライブを行い、町工場経営と音楽活動を二刀流で活動中。
ナイトページャー
http://www.night-pager.net/index.html
- 安藤昌教
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デイリーポータルZ編集部
1975年生まれ。愛知県出身。
前職は国立研究所にて高速炉の研究に従事。その後、氣志團バックダンサー、コーヒーショップ経営、等を経てデイリーポータルZ編集部に。
ものをむかずに食べる「むかない安藤」としての活動も8年目に突入。むかない安藤
https://www.youtube.com/playlist?list=PLI3lg7RZciQwJbfwfbzoo-ntIQV5IAEYhデイリーポータルZ編集部としてのプロフィール
https://dailyportalz.jp/writer/kijilist/212