「他人の価値観で自分にダメ出し」するのをやめた|太田明日香

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、作家の太田明日香さんに寄稿いただきました。

以前は書籍編集者として働いていた太田さん。仕事を始めた当初はどんな本を作るのも楽しめていましたが、他の編集者の活躍との比較、「編集者は〜〜でなければいけない」という周囲の声やそこから来る思い込みによって、徐々に編集の仕事をつらいと感じるように。思い切って編集の仕事から離れてみたことで、それまで自分が囚われていた価値観に気づいたといいます。

「本を作るために自分を変えなくては」という考えから離れ、ふたたび「本作りが楽しい」と思えるようになるまでの過程を書いていただきました。

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2020年まで私は、フリーランスで商業出版物の編集の仕事をしていました。

出版社から本作りの依頼を受け、著者やデザイナーさんとやりとりしながら一冊仕上げるもので、これまで担当してきたのは料理書、参考書、実用書、ビジネス書、人文書、事典……と、ジャンルも種類もバラバラ。

仕事を始めた当初は本作りに携われるならなんでも楽しくて、
「憧れの出版業界で働いている!」
「自分の作った本が書店に並ぶ!」
と、どんなジャンルでもただゲラ(校正のために印刷した原稿)を見るだけでもウキウキ。

発売日には書店にできた本が並んでいる姿を見に行く、といったミーハー心をモチベーションにして仕事をしていました。

ところが、仕事を続けるうちにその気持ちに変化が出てきたのです。

「もう本作りが好きじゃない」と気づいたとき

2010年代の中頃から、編集者も黒子ではなく出版社の顔として、SNSを始める人が増えてきました。ネットでいろんな編集者の活動を見かけるたびに、自分はこのままでいいんだろうかと不安を感じ始めました。

ツイッターや新聞の書評欄で話題になる本を見ると、自分もこんなふうに取り上げられる本を作らないと……というプレッシャーをうっすら抱くように。

以前は楽しかった書店めぐりも、
「〇〇さんはまた新刊を出してすごいなあ」
「こんな目立つ場所に平積みにしてもらっていていいなあ」
と、しなくてもいい比較を勝手にしてしまうので、以前よりも楽しめなくなってきました。

そんなプレッシャーのもとで、私は日々の仕事に追われていきました。

この本を作ることで世の中の役に立ちたい! というポジティブな動機も、原稿依頼、スケジュール管理、著者への催促、原稿チェックに追われているうちに、ミスはないか、納期通り仕上がるか、一緒に仕事している人に迷惑をかけてないかといった不安や心配ごとで頭が占められ、楽しむどころではありません。

そのうち、「本作りが楽しい」と自然体で楽しそうに自分の作りたい本を作っている人を目にするとイライラするようになりました。

私にとって本を作ることは、喜びや楽しさは1〜2割くらいで、あとの8〜9割はつらさの方が多いもの。「私はもう本作りが好きじゃなくなっている」という自分の変化に気づいたときには、ショックを受けました。

いつも仕事でイライラして、家族に迷惑をかける自分にも嫌気がさしてきました。

当時はコロナ禍に突入した頃で、自営業者への給付金などもあったため、思い切ってしばらく編集者の仕事をストップすることに。そして、かけもちでやっていた別の仕事と、細々やっていたライターの仕事を中心にすることにして、働き方を変えることにしたのです。

「今の自分のままじゃダメ」と思い続けた10年

思えばこの10年、編集者の仕事は面白かったけれど、だいぶ無理もしていました。仕事を離れたことを機につらさの根底にあるものを考えてみると、それは「今の自分のままじゃダメ」という思いでした。

私が編集者を志した頃は、新卒の求人も中途採用の求人もほとんどありませんでした。今のようにSNSで気軽に活動内容を知れたりコンタクトを取れたりするわけではなかったため、編集者や出版業界の人が書いた本を読みあさったり、たまたま知り合ったり紹介してもらったりした人から実情を聞いて情報を集めていました。

その中で語られる「プロの編集者像」には、共通点がありました。それは、人当たりがよくてフットワークが軽く、コミュニケーション能力の高い人。

周りからは「企画を立てるためにはとにかく人に会え、興味を持ったことはとりあえず追いかけろ」と言われたし、周囲にもそういう仕事の仕方をしている人が多いと感じたので、とにかく社交的にならなければと思いました。

ところが私はといえば、子どもの頃から人見知りが激しい上に怖がりで、人と仲良くなるのにも興味を持ったことを行動に移すのにも時間がかかるタイプ。他人とコミュニケーションをとることに苦手意識もありました。だから、編集者として仕事しているときには、「自分を変えなければいけない!」というような強迫観念めいた気持ちを抱くようになりました。

それはまるで、誰かが自分にダメ出ししているような感じでした。

冷静に考えてみれば、本が一冊一冊内容が違うのと同じように、編集者の働き方も性格も千差万別のはずです。それに、私のような性格や働き方だからこそ作れる本だってあるはずです。

もちろん、コミュニケーション力の高さを強みに話題作やヒットする本を作れる人もいますが、評価の基準はそれだけではないはずです。

だけど私は「社交的でコミュニケーション力が高い人の方が編集者に向いていて、“売れる本”を作れる」という考えに疑いを持たないで、やみくもに“出版業界の価値観らしきもの”に合わせて自分を変えようとしていました。

つまり私は10年間ずっと他人の価値観で、自分にダメ出しし続けていたのでした。

個人雑誌をつくったら、久しぶりに「本を作ることが楽しい」と思えた

編集者の仕事をストップしてみると、自分が信じ込んできた価値観は果たして正しかったのだろうかという疑いが頭をもたげてきました。

自分を変えないといけないと思っていた頃は、「自分の作りたい本を作る」なんてもってのほかだと思っていました。しかし、そこから徐々に抜け出したことで、自分が本当に作りたい本を作ろうという気持ちが湧いてきました。

私はずっと興味をもった人を取材したり、興味のあるテーマを追求して一冊作りたいと思っていました。ところが、自分が取材したい人や興味のあるテーマはニッチで、なかなか商業出版の分野では企画になりにくかったため、「いつかチャンスが来たらやろう」と先延ばしにしていたのです。

だけどこのままだと、ずっと形にできないままではないか。そこで、まずは自分のできる範囲で、自分の作りたいものを作ってみることにしました。

2021年夏、『B面の歌を聞け』というタイトルで、それまで気になっていた「服の自給を考える」というテーマで個人雑誌を作りました。デザインはワードで自分で。予算がなくてカラーページは一部だけ。部数も予算も商業出版より少ないものでした。だけど、予想外の反響を得ることができました。

B面の歌を聞け 1号

『B面の歌を聞け 1号』(完売)、現在は2号を販売中

もちろん、全国の書店に本が並んだり、新聞書評で取り上げられたりするような商業出版物と比べると広がり方も影響力もかないません。だけど、イベントやメールで読者の方から直接感想をいただいたことで、影響力や広がり方は少なかったとしても、商業出版で本を作っていたときよりも大きな充実感を得ることができました。

それは、「自分の作ったものがちゃんと誰かに届いた」という実感が得られたからでした。
そのおかげで、久しぶりに「本を作ることが楽しい」と思えました。

もう一度、自分にとっての編集や本作りについて考え直すことにしました。

私がやりたいのは、影響力や広がりのある「売れる本」を作ることではなく、自分の作りたいものを作って、それが少数であれちゃんと誰かに伝わったという実感を得ることでした。

2021年、私にとってはライター・書籍編集者として独立して10年の節目の年に、書籍編集者の仕事を辞め、自分のレーベルで自分で本を作っていくことにしました。もちろん、それだけでは生活が成り立たないので、生計はほかのことで立てるより仕方ありません。

これまでの自分なら「全国の書店で話題になるようなものを作らなければならないと」と思い込み、自分のやりたいことを「素人くさい」とネガティブに捉えていただろうと思います。

だけど、他人の価値観で自分にダメ出しするのをやめたことで、これまで人のために提供していた本を作るスキルを、自分の作りたい本を作るために使えるようになったと、ポジティブに捉えられるようになっていました。

凸凹を均そうとする前に、「その価値観は本当に正しいのか」を考える

実際に個人で雑誌を作り始めてみると、無理に自分を変えようとしなくても、読者や書店に受け入れられる本は作れると気づきました。

「全国流通するような商業出版物じゃないからダメ」と批判してくる人もほとんどいません。また、書店に行けば、別の仕事をしながら、自分で作りたい本を作っている作家やセミプロの作品がたくさんありました。また、時代も変わり、いまや出版社に入らずとも、思いとやる気さえあれば本を作ったり出版社を立ち上げたりできるようになっています。

「編集者とはこういうものだ」に縛られなくても、自分の性格を変えようとしなくても、今私は自分が本当に作りたい本を作り、それを届けることができています。

もちろん、他人の価値観がモチベーションとなったり、自分の成長を促してくれたり、欠点に気づかせてくれたりすることもあります。

だけど、むやみに他人の価値観を盲信して合わせようとし過ぎると、合わせきれない部分、どうしてもはみ出る凸凹した部分を自分の欠点のように感じ、矯正しなければならないものに見えてきます。その結果、自分の本心に気づけず、自分のいいところややりたいことの芽を摘んでしまう可能性だってあります。

だけど、本当に必要なのは、凸凹を欠点のように感じさせる価値観の方を見直すことではないでしょうか。

自分がどんな価値観のもとで行動しているのかときどき確かめておかないと、必要以上に自分の個性を潰してしまうことになりかねません。

今浸かっている価値観はある時代のある状況の一面を移したものにすぎないし、その価値観の方がいつのまにか変化していることだってあるのです。もしかしたら自分の凸凹がそのまま生かせる道だってあるかもしれないのですから。

編集:はてな編集部

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著者:太田明日香

太田明日香さんプロフィール写真

1982年兵庫県淡路島生まれ。自身が立ち上げた出版レーベル夜学舎で作家活動をしている。著書に『愛と家事』(創元社、2018年)、『言葉の地層』(夜学舎、2022 年)。
公式サイト
「りっすん」で執筆した記事:遅れて来た反抗期を終えて感じた「ほんとうの自立」

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