「洗剤がなくなりそうだから買っておかないと」
「そろそろ冷蔵庫の食材を使い切らないと傷んじゃう」
「子どもの服が小さくなってきたから新しいのを用意しなきゃ」
こういった家事や育児のタスクは、一つひとつを見れば些事(さじ=ささいなこと)に見えるかもしれません。しかし当事者にとってはまったく些事ではなく、それが積み重なればなおさら。仕事と両立する場合は、さらに負担は重くなります。
子どもを育てながら執筆活動をする小説家の柚木麻子さんは、短編集『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)の中で、当事者ではない人が悪気なく「家事・育児は日々の些事」と発言する描写によって「当事者」「当事者じゃない方」の認識の違いを描き出しました。
両者の認識の違いはどうすれば埋められるのか。また、負担の偏りをなくしていくために私たちには何ができるのか。『ついでにジェントルメン』に込められたメッセージと共に、柚木さんに伺いました。
家事・育児を「いいもの」として見せたくなかった
▶『ついでにジェントルメン』(柚木 麻子) - 文藝春秋
柚木麻子さん(以下、柚木) この数年は家事や育児しかしていないから、ほかに書けることがなくなっちゃったのかもしれません。自分が知っている範囲のことしか書けないのに、取材をしたり、人に会って話をしたりすることが、コロナ禍で難しくなってしまって……。
ただ、私にとって家事・育児は、前向きな気持ちでやれるもの、ではないんです。特に家事は「とにかくやりたくない」(笑)。「日常の家事や育児は、丁寧に手をかけて見つめ直せば、ちょっとしたことでも輝き出すよ」みたいな書き方だけは絶対にしたくないと思いながら、この短編集を書きました。
柚木 そうです。だって、絶対にやりたくないことなんですから(笑)。外注するほどの余裕はないので、仕方なくこなしてはいるけれど……。できる限り避けたいと思っています。だから、洗濯物はたたまないでつるしっぱなしだし、掃除は週一回のフローリングワイパーをかけるだけ。最低限の家事の残りは、パートナーが担ってくれています。
子どもが偏食で白いごはんとコーンくらいしか食べないから、食事作りも頑張りませんね。でも、そのぶんお米にはこだわって、いいものを取り寄せているんです(笑)。原稿を間に合わせることと、子どもを元気でいさせることだけ大事にしていれば、あとはいいかなと思って……。
柚木 そうなんですよね。「作家が子育てしてるんだったら、何かしら考えを持っているだろう」「“あえて”の手抜きだろう」とかって思われがちなんですけど、本当に何にも考えていませんし(笑)。
「あのねえ、いいかい? 離婚して愛人と一緒になったとして、いざ二人の生活が始まったら、どうなると思う? 彼女は人の妻だから、それをよく知っていたのさ。日々の些事の中で、消えていくだろう? 純粋な形の愛というものは……」
「日々の些事ですか……」
柚木 向き合うものが違うと、見える世界が変わるんだなと感じたことがきっかけです。新型コロナの流行前に、家族と鎌倉のホテルに行ったんですね。子どもに海を見せてあげたいけど、私、砂浜がすごく苦手で。かかとがガサガサだから、砂を踏むのが本当に苦痛なんです(笑)。
でも、鎌倉だったら高台からいい感じに海が見えるし、都心からも近い。そうしたら、似たようなことを考えているであろう子連れがいっぱいいて、ホテルの売店には虫取り網なんかも売られていたんです。
柚木 はい。すると、一緒に行った母が「ここは『失楽園』の舞台になったところで、映画にもこのホテルが出てくる」っていうんです。大人のお忍びカップルにとっては、都会の喧騒からほどよく離れた“いい逢瀬の場所”だったんでしょうね。
でも、子連れの私にとっては、サクッと海を見せてあげられるうえに家事からも解放される“楽できそうな場所”に見えた。同じホテルの話をしているはずなのに、見える世界がこんなに違うことってある? と驚いたんです。
変わるべきは、家事・育児に苦しむ当事者の“周りにいる”人たち
柚木 それどころか、誰かに家事・育児を丸投げしている人ほど、そこを背負っている人に対してうるさく評価してくることがあるんですよね。
例えば、仕事が忙しくて掃除や家族の食事づくりが適当になってしまう気持ちって、当事者同士なら分かりあえることが多い。でも当事者以外の人は「そんなのダメだよ」「もっときちんとやるべき」なんて、厳しい正論をぶつけてきがち。手を動かさない人が言うのはおかしいですよね。「傷ついたことがない人は他人を傷つけることにも鈍感」みたいな話と、通じるものがある気がします。
柚木 家事・育児に関して言えば、お互いに同等のスキルがあれば変わってくると思います。『エルゴと不倫鮨』では、子どもを抱っこ紐に入れたお母さんが高級鮨店にやってきて、店内にいたデート中の男性たち――特に不倫している妻子持ちの男性は、露骨に嫌な顔をしました。
私は、高級鮨店で若い子と恋愛することがいけないとは言っていないんです。ただ、子連れで鮨を食べにくるお母さんのことも、邪険にしないであげてほしい。あのお鮨屋さんに、ちゃんと家事・育児に取り組んできた男性がいたとしたら、きっとお母さんの気持ちが分かったんじゃないでしょうか。そうすれば、手を貸してあげるという選択肢もあったはずです。
巨大な乳児をエルゴ紐で胸元にくくりつけた、体格の良い中年女性が、甘ったるい乳の匂いを辺りに振りまきながら、ドアの前で仁王立ちしていた。灰色のスウェットのズボンと、所々に母乳らしきシミのあるヨレヨレのカットソーは、部屋着以下のいでたちだった。
その母親はのしのし、と音がしそうな足取りで、東條たちの席から近い、厨房を横から覗ける角席のスツールにどしんと腰を下ろし、重そうなマザーズバッグを床置きした。
柚木 『渚ホテルで会いましょう』では、主人公である初老の男性がワンオペで子育て中の男性をバーに誘い、子連れで現れたことに面食らっていました。そして、子どもにタブレットを見せている姿を苦々しく眺めている。
でもこちらから言わせれば、ワンオペで身近に頼れる人がいない状態だと、子どもも一緒じゃなきゃバーには行けないし、タブレットを見せなきゃ落ち着いて喋ることなんてできないじゃないですか。そりゃあ絵本を読んであげられればいいだろうけど……。家事・育児をしてこなかったその主人公は、そこまで想像力が及ばないんですよね。
私、今回の短編集を通して、育児中の人に伝えたいことって何もないんです。だって、当事者の方たちはもう充分に頑張っていると思うから。もしも可能なら、家事・育児に苦しむ人たちを取り巻く周りの方に、少しでも変わってもらえたらって感じています。
柚木 今回の短編集に収録した『あしみじおじさん』でも紹介したんですが、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』や『小公女セーラ』って、弱い立場にいる主人公が強い人に助けてもらうお話なんです。主人公はありのままで自分を曲げず生きていくだけ。
けれど、権力側にいる人たちが変化し、援助の手を差し伸べた結果、主人公は幸せな生活を手にしていきます。アメコミでいえば、ヒーローとして弱い者のために闘う『アイアンマン』も『バットマン』も、表の世界では大富豪なんですよね。こういう“持つ者が持たざる者を支えていく仕組み”は、いまの世の中でも大切なんじゃないかなと感じています。
自分が誰かを踏みつけてきたと感じたら、反省をするいいチャンス
柚木 そうですね。ただ家事・育児以外にもジェンダーに関わる話が出ると「男だってつらいんだよ」「でも男は言えないから」とおっしゃる方がいるのですが……。声を上げる女性たちは“自身の権利”の話をしているだけで、今を生きる人間誰しもが持つつらさを否定しているわけではないです。
柚木 そういうとき当事者じゃない方は「いまは話を聞くターンだ」ととらえて、当事者の話にいったん耳を傾けたらいいんじゃないかなと思います。
例えば私はスポーツに詳しくないので、テレビ中継で見る有名選手のプレイに文句をつけたり評論したりしないようにしているんですね。それと同じで、ようやく女性が声を上げはじめたのだから、とりあえず傾聴して一緒に考えてみたらいいんじゃないでしょうか。
柚木 いままで見えていなかった価値観を見せられると、怖くなっちゃいますよね。だけど、後ろ暗いところのない人なんていないし、声を上げる人も他者の人格を否定しているわけじゃありません。
私は、私も含めて誰もが、過去にも一度は誰かを踏みつけていると思うんです。自分が権力側にいることや誰かを踏みつけてきたことが見えてきたら、むしろいい機会だと感じます。男性が優位な社会構造は、きっと男性にとってもしんどいはず。男性自身もときには“主役”を降りてみるくらいの気持ちでいた方が、楽に生きられるんじゃないかなと思うんです。
柚木 例えば『ついでにジェントルメン』にも登場させた、文藝春秋社の創設者である菊池寛は、女性に活躍の場を用意しつつ、チャンスを与えたあとは必要以上に踏み込まなかったといわれています。
ヒーローとしてもっと出しゃばってもいいようなことをしていながら、みずから脇役のポジションへと降りていったんですね。俗っぽいことが好きで、けっこう適当な人だったようだから、とくにジェンダー意識が高かったわけではないと思いますが(笑)。
柚木 「誰かを踏みつけてきたな」と気づいたときこそ、自分をかえりみるチャンス。そんなふうにとらえて、自分も周りも生きやすい方法を模索していけばいいんじゃないでしょうか。
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部
あなたの家事・育児の悩みが解決しますように
お話を伺った方:柚木麻子さん