家事や育児は“ささいなこと”なんかじゃない。作家・柚木麻子さんインタビュー

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

「洗剤がなくなりそうだから買っておかないと」
「そろそろ冷蔵庫の食材を使い切らないと傷んじゃう」
「子どもの服が小さくなってきたから新しいのを用意しなきゃ」

こういった家事や育児のタスクは、一つひとつを見れば些事(さじ=ささいなこと)に見えるかもしれません。しかし当事者にとってはまったく些事ではなく、それが積み重なればなおさら。仕事と両立する場合は、さらに負担は重くなります。

子どもを育てながら執筆活動をする小説家の柚木麻子さんは、短編集『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)の中で、当事者ではない人が悪気なく「家事・育児は日々の些事」と発言する描写によって「当事者」「当事者じゃない方」の認識の違いを描き出しました。

両者の認識の違いはどうすれば埋められるのか。また、負担の偏りをなくしていくために私たちには何ができるのか。『ついでにジェントルメン』に込められたメッセージと共に、柚木さんに伺いました。

***

家事・育児を「いいもの」として見せたくなかった

『ついでにジェントルメン』

ついでにジェントルメン

分かるし、刺さるし、救われる――自由になれる7つの物語。 編集者にダメ出しをされ続ける新人作家、女性専用車両に乗り込んでしまったびっくりするほど老けた四十五歳男性、男たちの意地悪にさらされないために美容整形をしようとする十九歳女性……などなど、なぜか微妙に社会と歯車の噛み合わない人々のもどかしさを、しなやかな筆致とユーモアで軽やかに飛び越えていく短編集。

▶『ついでにジェントルメン』(柚木 麻子) - 文藝春秋

柚木さんの小説は、ご自身の体験をきっかけに生まれることが多いとうかがっています。本作では、家事や育児にまつわる描写が多く登場した印象です。

柚木麻子さん(以下、柚木) この数年は家事や育児しかしていないから、ほかに書けることがなくなっちゃったのかもしれません。自分が知っている範囲のことしか書けないのに、取材をしたり、人に会って話をしたりすることが、コロナ禍で難しくなってしまって……。

ただ、私にとって家事・育児は、前向きな気持ちでやれるもの、ではないんです。特に家事は「とにかくやりたくない」(笑)。「日常の家事や育児は、丁寧に手をかけて見つめ直せば、ちょっとしたことでも輝き出すよ」みたいな書き方だけは絶対にしたくないと思いながら、この短編集を書きました。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

いいように見せてたまるか、という固い意志があったんですね。

柚木 そうです。だって、絶対にやりたくないことなんですから(笑)。外注するほどの余裕はないので、仕方なくこなしてはいるけれど……。できる限り避けたいと思っています。だから、洗濯物はたたまないでつるしっぱなしだし、掃除は週一回のフローリングワイパーをかけるだけ。最低限の家事の残りは、パートナーが担ってくれています。

子どもが偏食で白いごはんとコーンくらいしか食べないから、食事作りも頑張りませんね。でも、そのぶんお米にはこだわって、いいものを取り寄せているんです(笑)。原稿を間に合わせることと、子どもを元気でいさせることだけ大事にしていれば、あとはいいかなと思って……。

家事・育児って、きちんとやろうと思うとキリがないですもんね。

柚木 そうなんですよね。「作家が子育てしてるんだったら、何かしら考えを持っているだろう」「“あえて”の手抜きだろう」とかって思われがちなんですけど、本当に何にも考えていませんし(笑)。

本作の『渚ホテルで会いましょう』『エルゴと不倫鮨』では、“日々の家事・育児と向き合う当事者”じゃない方の人物が、家事・育児を「日々の些事」と表現していました。柚木さんも家事・育児を大きな負担に感じていらっしゃるなかで、「些事」という表現に至ったのはなぜなんでしょうか?

「あのねえ、いいかい? 離婚して愛人と一緒になったとして、いざ二人の生活が始まったら、どうなると思う? 彼女は人の妻だから、それをよく知っていたのさ。日々の些事の中で、消えていくだろう? 純粋な形の愛というものは……」
「日々の些事ですか……」

『ついでにジェントルメン(渚ホテルで会いましょう)』(文藝春秋)より

柚木 向き合うものが違うと、見える世界が変わるんだなと感じたことがきっかけです。新型コロナの流行前に、家族と鎌倉のホテルに行ったんですね。子どもに海を見せてあげたいけど、私、砂浜がすごく苦手で。かかとがガサガサだから、砂を踏むのが本当に苦痛なんです(笑)。

でも、鎌倉だったら高台からいい感じに海が見えるし、都心からも近い。そうしたら、似たようなことを考えているであろう子連れがいっぱいいて、ホテルの売店には虫取り網なんかも売られていたんです。

その様子は『渚ホテルで会いましょう』の描写にも生かされていましたね。

柚木 はい。すると、一緒に行った母が「ここは『失楽園』の舞台になったところで、映画にもこのホテルが出てくる」っていうんです。大人のお忍びカップルにとっては、都会の喧騒からほどよく離れた“いい逢瀬の場所”だったんでしょうね。

でも、子連れの私にとっては、サクッと海を見せてあげられるうえに家事からも解放される“楽できそうな場所”に見えた。同じホテルの話をしているはずなのに、見える世界がこんなに違うことってある? と驚いたんです。

変わるべきは、家事・育児に苦しむ当事者の“周りにいる”人たち

「当事者」と「当事者じゃない人」で、見える景色が違う。一番分かりやすい例は、夫婦間で女性の多くが家事・育児の“当事者”に、男性は“当事者じゃない人”になってしまうようなケースでしょうか。そして、当事者じゃない方は悪気なく「些事」などと言ってしまう……。これはすごくリアルな表現だし、現実でも根が深い問題ですね。

柚木 それどころか、誰かに家事・育児を丸投げしている人ほど、そこを背負っている人に対してうるさく評価してくることがあるんですよね。

例えば、仕事が忙しくて掃除や家族の食事づくりが適当になってしまう気持ちって、当事者同士なら分かりあえることが多い。でも当事者以外の人は「そんなのダメだよ」「もっときちんとやるべき」なんて、厳しい正論をぶつけてきがち。手を動かさない人が言うのはおかしいですよね。「傷ついたことがない人は他人を傷つけることにも鈍感」みたいな話と、通じるものがある気がします。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

こうした認識のズレは、どうすればなくなっていくと思いますか?

柚木 家事・育児に関して言えば、お互いに同等のスキルがあれば変わってくると思います。『エルゴと不倫鮨』では、子どもを抱っこ紐に入れたお母さんが高級鮨店にやってきて、店内にいたデート中の男性たち――特に不倫している妻子持ちの男性は、露骨に嫌な顔をしました。

私は、高級鮨店で若い子と恋愛することがいけないとは言っていないんです。ただ、子連れで鮨を食べにくるお母さんのことも、邪険にしないであげてほしい。あのお鮨屋さんに、ちゃんと家事・育児に取り組んできた男性がいたとしたら、きっとお母さんの気持ちが分かったんじゃないでしょうか。そうすれば、手を貸してあげるという選択肢もあったはずです。

巨大な乳児をエルゴ紐で胸元にくくりつけた、体格の良い中年女性が、甘ったるい乳の匂いを辺りに振りまきながら、ドアの前で仁王立ちしていた。灰色のスウェットのズボンと、所々に母乳らしきシミのあるヨレヨレのカットソーは、部屋着以下のいでたちだった。
その母親はのしのし、と音がしそうな足取りで、東條たちの席から近い、厨房を横から覗ける角席のスツールにどしんと腰を下ろし、重そうなマザーズバッグを床置きした。

『ついでにジェントルメン(エルゴと不倫鮨)』(文藝春秋)より

同等のスキルや経験を身に付けていたら、確かに分かりあえそうですね。それが難しくても、相手の事情を想像してみるだけでずいぶん違ってくる気がします。

柚木 『渚ホテルで会いましょう』では、主人公である初老の男性がワンオペで子育て中の男性をバーに誘い、子連れで現れたことに面食らっていました。そして、子どもにタブレットを見せている姿を苦々しく眺めている。

でもこちらから言わせれば、ワンオペで身近に頼れる人がいない状態だと、子どもも一緒じゃなきゃバーには行けないし、タブレットを見せなきゃ落ち着いて喋ることなんてできないじゃないですか。そりゃあ絵本を読んであげられればいいだろうけど……。家事・育児をしてこなかったその主人公は、そこまで想像力が及ばないんですよね。

私、今回の短編集を通して、育児中の人に伝えたいことって何もないんです。だって、当事者の方たちはもう充分に頑張っていると思うから。もしも可能なら、家事・育児に苦しむ人たちを取り巻く周りの方に、少しでも変わってもらえたらって感じています。

いままで当事者ではなかった方の人たちが、力を貸してくれたらいいですね。

柚木 今回の短編集に収録した『あしみじおじさん』でも紹介したんですが、世界名作劇場の『アルプスの少女ハイジ』や『小公女セーラ』って、弱い立場にいる主人公が強い人に助けてもらうお話なんです。主人公はありのままで自分を曲げず生きていくだけ。

けれど、権力側にいる人たちが変化し、援助の手を差し伸べた結果、主人公は幸せな生活を手にしていきます。アメコミでいえば、ヒーローとして弱い者のために闘う『アイアンマン』も『バットマン』も、表の世界では大富豪なんですよね。こういう“持つ者が持たざる者を支えていく仕組み”は、いまの世の中でも大切なんじゃないかなと感じています。

自分が誰かを踏みつけてきたと感じたら、反省をするいいチャンス

今作では、短編ごとにキャラクターや舞台は違うものの、共通して「思い込みや社会規範からの脱却」が描かれていると感じました。家事・育児についても「女性だけがやるべきタスクではない」という声が当事者から上がるようになり、その考えが少しずつ一般化してきていますね。

柚木 そうですね。ただ家事・育児以外にもジェンダーに関わる話が出ると「男だってつらいんだよ」「でも男は言えないから」とおっしゃる方がいるのですが……。声を上げる女性たちは“自身の権利”の話をしているだけで、今を生きる人間誰しもが持つつらさを否定しているわけではないです。

小説家・柚木麻子さん『ついでにジェントルメン』インタビュー

確かにそうですよね。

柚木 そういうとき当事者じゃない方は「いまは話を聞くターンだ」ととらえて、当事者の話にいったん耳を傾けたらいいんじゃないかなと思います。

例えば私はスポーツに詳しくないので、テレビ中継で見る有名選手のプレイに文句をつけたり評論したりしないようにしているんですね。それと同じで、ようやく女性が声を上げはじめたのだから、とりあえず傾聴して一緒に考えてみたらいいんじゃないでしょうか。

ただ、反射的に「でも」と言いたくなる気持ちも分からなくはありません……。

柚木 いままで見えていなかった価値観を見せられると、怖くなっちゃいますよね。だけど、後ろ暗いところのない人なんていないし、声を上げる人も他者の人格を否定しているわけじゃありません。

私は、私も含めて誰もが、過去にも一度は誰かを踏みつけていると思うんです。自分が権力側にいることや誰かを踏みつけてきたことが見えてきたら、むしろいい機会だと感じます。男性が優位な社会構造は、きっと男性にとってもしんどいはず。男性自身もときには“主役”を降りてみるくらいの気持ちでいた方が、楽に生きられるんじゃないかなと思うんです。

“主役”を降りてみる、とは?

柚木 例えば『ついでにジェントルメン』にも登場させた、文藝春秋社の創設者である菊池寛は、女性に活躍の場を用意しつつ、チャンスを与えたあとは必要以上に踏み込まなかったといわれています。

ヒーローとしてもっと出しゃばってもいいようなことをしていながら、みずから脇役のポジションへと降りていったんですね。俗っぽいことが好きで、けっこう適当な人だったようだから、とくにジェンダー意識が高かったわけではないと思いますが(笑)。

権力を自覚した人が積極的に“主役”を降りることが、楽に生きるカギになるかもしれない、と。男女で分断することなく、お互いに生きやすい方法を探していきたいです。

柚木 「誰かを踏みつけてきたな」と気づいたときこそ、自分をかえりみるチャンス。そんなふうにとらえて、自分も周りも生きやすい方法を模索していけばいいんじゃないでしょうか。

取材・執筆:菅原さくら
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

あなたの家事・育児の悩みが解決しますように

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お話を伺った方:柚木麻子さん

柚木麻子さん

1981年東京都生まれ。立教大学卒業後、2008年にオール讀物新人賞を受賞。10年に『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞、2016年同作で高校生直木賞受賞。近著に『BUTTER』『さらさら流る』『マジカルグランマ』『らんたん』など。
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