『流浪の月』凪良ゆうさんに聞く、受け入れられない「善意」との向き合い方

凪良さん『流浪の月』アイキャッチ画像

周囲の人からかけられた「やさしい言葉」に、自分でも意外なほどに傷ついてしまった経験はありませんか。社会や世間がよしとしている価値観が自分のそれとは大きく異なる場合、家族や友人、同僚のような近い存在の人たちほど、「心配してるんだよ」「あなたのためを思って言っているんだよ」という言葉つきで、自分の夢や考え方を否定してきがちです。

そんな「善意」の形をしたアドバイスは、悪意からくる陰口や文句とは違い、なかなか正面から拒否しづらいもの。

2020年に本屋大賞を受賞して話題となった小説『流浪の月』は、世間から「誘拐犯」とその「被害者」に仕立て上げられ、世間からステレオタイプな目で見られてしまう青年と少女の関係を描く物語です。『流浪の月』の主人公・更紗は、周囲が自分に向ける「かわいそうな被害者」という善意からの視線に、苦しみ続けます。

『流浪の月』の作者である凪良ゆうさんは、小説の中で、人と人との分かり合えなさや関係のままならなさについて、一貫して書き続けてきました。そんな凪良さんに、「善意」や「世間がよしとする価値観」との向き合い方について、お話をお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「人と人とは分かり合えない」がベースにある

『流浪の月』あらすじ

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主人公・家内更紗(かないさらさ)は9歳の時、誘拐事件の被害者となった。犯人として逮捕されたのは、19歳の青年・佐伯文(ふみ)。公園で文に声をかけられ、マンションで一緒に暮らしていた2人だが、約2ヶ月後、更紗は出先で保護された。そして、このときの様子が居合わせた人々によって撮影・拡散され、更紗と文の関係は事件の「被害者」と「誘拐犯」として世間に記憶されることとなる。それから15年、24歳となった更紗は、偶然文と再会する――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。

▶凪良ゆう『流浪の月』特設サイト

凪良さんの小説『流浪の月』には、社会や周囲の人々から「ふつう」「正しい」とする価値観を押しつけられ、それに苦しめられ続ける人たちが登場します。自分の気持ちと世間とのギャップに悩む登場人物はとてもリアルだなと感じたのですが、凪良さんご自身にもこれまで、社会的に「よい」「ふつう」とされる価値観と自分の気持ちとの間にギャップを感じたご経験があったりするのでしょうか?

凪良ゆうさん(以下、凪良) そうですね、私はあまりまっとうな生き方をしてきた自信がないので……(笑)。ギャップというよりも、世間が「よい」とする生き方や働き方に対してのコンプレックスみたいなものはある気がします。

例えば私は、会社勤めが全然続かなかったんです。人間関係にヘトヘトになって、すぐに辞めてしまって。

できることなら会社員をもうすこし続けたかった、と思われたりもしますか?

凪良 あっ、いえ、それはないですね。子どもの頃から周りに合わせるということが苦痛で、ずっとできなかったんです……。

もちろん、生活のために自分のやりたくない仕事でも歯を食いしばってこなしている方はたくさんいると思いますし、そうやって働いている方のことは心から尊敬しています。ただ、その世界になじめるように努力するというのは私の生き方ではないな、と感じたというか。

なるほど。会社員をされていたとき、いちばん苦痛に感じたのはどんなことだったんでしょう?

凪良 すごく小さなことで申し訳ないんですが、いただきもののお菓子を前にして、それをどう分けるともっとも公平か、というのを社員みんなで30分ぐらいかけて話し合ったことがあったんですよ。

本当に無駄な時間だったんですが、やっぱりそういう場に参加しないことも難しくて。そのときは、頼むから帰らせてほしい、とずっと思っていましたね。

30分……。確かにそれはちょっとつらいです。

凪良 それに私が働いていた当時は、なぜか若手の女性社員だけが全員分のお茶くみをするという決まりがあったんです。コーヒーメーカーもなかったので、ハンドドリップで淹れなきゃいけなくて。小さな会社だったんですが、社員全員分を手作業で淹れるって本当に大変なんですよね。

嫌々やっていたら、年配の男性社員に「そんな顔で淹れられたらおいしくない」と言われたこともあります。そのときは謝ったんですが、「人にお茶淹れてもらってる上に文句を言うってどういうこと?」と怒りが湧いてきて、本当に無理だと……それでもう、とにかく早く辞めたいと思うようになりましたね。

それは本当に理不尽ですね。

凪良 私が会社勤めをしていた頃からは20年近くたつので、そういった男女格差も多少は是正されてきていると思うんですが、まだまだ根強く残っている会社もあるでしょうね。

それに加えて、いま日本はいちど失敗してしまうとそこから這い上がるのがなかなか難しい国になってきているように思います。

確かに、失敗に関して不寛容な風潮は少なからずあるように感じます……。

凪良 そのため、夢があったとしても失敗を恐れて仕事を辞めるという選択肢をとりにくいこともあると思います。だからいま会社員をされている人たちは、私が若かった頃よりも数段しんどいだろうな、とは感じます。もちろん、同時に働き方も多様化してきているとは思うんですが。

そうですね。凪良さんご自身は、ふだん周りのお友達や知り合いの方と話していて、働き方や生き方に関する価値観の違いを感じることはありますか?

凪良 その人の置かれている環境や立場によって意見は変わると思うので、自分とは違うな、と思うことはよくありますよ。よく遊ぶ友達には独身で仕事をしている女性が多いんですが、中には結婚してお子さんがいる人ももちろんいますし。

……これは自分が小説で書き続けていることにも重なるんですが、「人と人は分かり合えない」というのが私の基本的な考え方なんです。分かり合えないからこそ、「分かる」と感じられる一瞬があったらもうそれで十分だなと。もちろん、人の話を聞くときは、なるべく相手の立場に立とうとは努力するんですけどね。どんな相手であっても、どこかで分からないところは絶対に出てくるだろうとは思っています。

「善意の形をしたアドバイス」とどう向き合う?

『流浪の月』には反対に、相手のことを「分かっている」という前提に立って、主人公の更紗をかわいそうな被害者と決めつけてアドバイスしてくる人たちが出てきますよね。更紗にとってはそのアドバイスは見当違いに感じられるし、「気遣い」の形をとっているからこそ真正面から否定もできず、ただ傷ついてしまうという……。

凪良 うん、そうですね。

凪良さんは、実際にそういった見当違いな「善意のアドバイス」を人からされたとき、どうすることが多いですか?

凪良 私自身は、「うんうん、そうだよね」ってそれを聞き入れた3秒後ぐらいに忘れるタイプです(笑)。3秒は言い過ぎかな。でも、家に帰る頃にはほとんど覚えていないかもしれないです。

中にはとても腹が立って、それをどうしても思い出してしまうってこともありますけど、そういうときは心の中で意識的に「忘れよう、忘れよう」と繰り返して、頭が切り替わってくれるのを待ちますね。

アドバイスをしてきた相手に悪意がなさそうな場合、完全に聞き流すのも申し訳ないな、と思ってしまいませんか……?

凪良 もちろん、何もかも聞き流して忘れようというわけではないんですが、「どう考えても、この意見はいまの自分にとって必要じゃないな」と感じることってあると思うんです。

例えば私が作家になりたくて小説を投稿していたとき、「なれるわけないでしょ」みたいな言葉をかけられることがときどきあって。そう言われても私はやってみる、と決めて投稿を続けた結果、なんとか無事に作家としてデビューすることができたんですが、その言葉で諦めていたら絶対に後悔していたと思います。

「やっても無理だよ」とか「無駄だよ」というアドバイスは基本的に聞かなくていいというのが自論なんですが、それもやっぱり自分で判断するべきことだと思うんです。ただ、まず自分の気持ちを分かっていないとその判断もできないと思うので、自分はいま何がしたくて何をしたくないのかというのは、常にある程度はっきりさせるようには意識しています。

それがはっきりしているからこそ、相手から何を言われても動じないということですね。では、自分の中にはない意見や予想外の考え方を提案されて、それがすごく心に響く、ということもあまりないですか?

凪良 あ、でもそれはありますよ。私はすごく人見知りで、知らない人と話す予定があるとその日までずっとソワソワしてしまうんですが、すこし前に知人から「でも、新しい話を聞けるのって楽しいよね」と言われたのが不思議とスッと腑に落ちて、「そうか、楽しめばいいのか」と思えたことがあったんです。

……だから、人にかけた言葉が相手に響くかどうかは、あくまでタイミングと関係性によるということに尽きるのかもしれないですね。アドバイスをするほうもされるほうも、内容以前に「人の言葉を本当に必要としているかどうか」を見極めるのが大事なんじゃないかと思います。

確かに。明らかにその人の中で方針が決まっていることに対して口を出すのは、余計なおせっかいにもなりそうですし。

凪良 そうですね。ときにはこの人と自分の関係であれば大丈夫かな、と思ってすこし踏み込んだことを言うケースもありますけど、それを「受け止めてもらおう」とか「どうにか分かってもらおう」とするのは違いますよね。

私は基本的にそういうときも、「私が言いたいことを言うね」と前置きした上で自分の言いたいことを伝えるだけにしています。

そのためにはやはりまず、「自分はこう思う」「自分はこれがしたい」ということに自覚的になる必要がありそうですね。中には、自分がどう思っているか、何をしたいかが分からず悩んでしまう人もいそうだな、と感じたのですが……。

凪良 本当に難しいですよね。『りっすん』の読者は20代から30代くらいの方が比較的多いとお聞きしたんですが、そのくらいの年代って社会人として迷いが多い時期だし、特に女性の場合は結婚や出産にまつわる選択も絡んでくるから、どれかひとつのことに絞って悩めないというのもすごくしんどいと思います。仕事のこともプライベートのことも同時に考えなくてはいけないという、息つく暇もない時期ですよね。

……でも、当時を振り返って思うのは、自分が本当に何をしたくて何をしたくないかというのは、たぶん、その歳じゃはっきりとは分からないです。常にそのことを考え続けて、失敗もたくさん繰り返さないと分からないことなんじゃないでしょうか。むしろ、そういうことをできないのが当たり前の年齢だと思うので、できないことに傷つかないのが大事なのかもしれないですね。みんなできてないはずだから。

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自分のことを信じていないと、小説は一行も書けない

お話をお聞きしていると、凪良さんは自分の考えや気持ちというものを一貫して大切にされてきた方なんだなと感じます。

凪良 もともと私は気が弱いし、小さなことで悩んでしまうほうなんです。だからこそ、人の考えによってあまり自分を変えられたくない、気持ちをできるだけぶらさずにいたい、というのは強く意識しているかもしれないですね。作家という職業柄、いろいろなものを受け入れ過ぎて自分がなくなってしまうと、ものを書くことができなくなってしまうので……。

以前、ほかの作家さんと話していたときに、「自分のことを信じていないと小説は一行も書けない」という話題で盛り上がったことがあって。自分のことを信じていたいからこそ、自分の中に取り入れるものと入れないものの取捨選択は、人よりも厳しくしているかもしれないです。

「自分のことを信じていないと小説が書けない」というのは、具体的にどういうことでしょうか……?

凪良 物語って、最初のページから最後のページまで背骨のようなものが1本すっと通っていないと、途中で折れてしまう気がするんです。その「背骨がしっかりしている」というのが、自分を信じていることにも繋がっていると思うんですよ。

私は小説を書く際、登場人物にできるだけなりきってその人の気持ちを書くタイプなのですが、そうはしつつも土台には必ず自分自身がいる。あんまりなんでも受け入れ過ぎると、その土台がグラグラしてしまうと感じるんです。

もちろん、いろいろなものを受け入れて、背骨のようなものをどんどん太くしていくタイプの作家さんもいらっしゃるとは思うんですが。

「登場人物になりきって書く」となると、登場人物の気持ちや行動を書く際、凪良さんご自身の心境や体験をそのまま反映させることもあるんでしょうか?

凪良 そのままストレートに出す、ということはしないですね。もちろん自分は日々のできごとに対していろいろなことを考えますが、それをそのまま出しても小説にはならないので、たとえ勢いに任せて書くことがあったとしても、見直す中でどんどん文章が手直しされていきます。だから、精査されて最後に残った文章が、自分が最初に考えていたこととはちょっと違っていることもありますし。

凪良さんが書こうとしていた気持ちとは違うことを、登場人物が結果的に語り出す場合もある……ということでしょうか?

凪良 というよりも、自分の内側にあるものが怒鳴り声であるとしたら、それが小説になるときはささやき声になっているとか、乱暴だった言葉が人に伝わりやすい言葉に変わっているとか、そういうことですかね。

誰しも、家族や友人と喋るときと赤の他人と喋るときでは言葉遣いが変わると思うんです。でも、言葉は違っても自分の言いたいことそのものは変わらないじゃないですか。だから、そのとき書いている物語の形にいちばん沿う文章を毎回選んでいる、というような感覚です。

なるほど、創作にまつわるお話もとても興味深かったです。5月13日からは、『流浪の月』の映画が公開されました。凪良さんが書かれた小説が映画として多くの方の目に触れることに関して、率直にいまどんなお気持ちでいますか?

凪良 媒体が変わると表現方法も大きく異なるはずなので、同じ『流浪の月』と言っても、映画はあくまで監督してくださった李相日さんのものだと思っているんです。だからもう、原作者という立場からは離れて、いまは一視聴者として純粋に楽しみにしています。

試写を見させていただいたんですが、俳優さんたちから音楽、撮影に到るまで、とにかく素晴らしいのひと言でした。映画にするのにこれ以上の『流浪の月』はないだろうと思うので、これからご覧になる方には自信を持っておすすめしたいですね。

取材・執筆:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:凪良ゆうさん

凪良さんイメージ画像©山口宏之

京都市在住。2007年に白泉社よりデビュー。各社でボーイズラブ作品を精力的に刊行し、一般文芸における初単行本『流浪の月』で2020年本屋大賞を受賞。『滅びの前のシャングリラ』が2年連続本屋大賞ノミネート、「キノベス!2021」1位を受賞。その他の著書に〈美しい彼〉シリーズ、『神さまのビオトープ』『わたしの美しい庭』などがある。
Twitter:@nagira_yuu