「仕事をなんでも引き受ける」のをやめた|栗本千尋

栗本さん

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーライターの栗本千尋さんに寄稿いただきました。

駆け出しの頃は「仕事を断る」という選択肢がなく、「なんでもやります!」と興味のないジャンルの依頼も引き受けていた栗本さん。そんな中でも自分の強みを見つけたことで徐々に仕事が軌道に乗り、さらに出産という一大イベントを経て、「なんでも引き受ける」という姿勢を見つめ直したといいます。

「なんでも引き受ける」をやめたことで、どのような心境や環境の変化があったのでしょうか。これまでを振り返って書いていただきました。

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フリーライターになって、丸11年たった。

雑誌やウェブで記事を書いたり、編集したりするのが主な仕事内容だ。今は、自分が好きなメディアや興味のある企画、共感できるテーマの仕事に囲まれ、とても恵まれた環境だと感じる。でも、駆け出しから数年間、どんな仕事でも引き受けていた時期があった。

なんの後ろ盾のないフリーランスにとって、仕事を断る行為には不安がつきまとうもの。「仕事をなんでも引き受ける」のをやめたことで、その後の仕事にどんな影響があったのか、振り返ってみたい。

「なんでもやります」と答えていた若手時代

「フリーライター」と検索すると、ライターになるためのノウハウがものすごい情報量でシェアされている。近年では「在宅でもできる」「副業しやすい」といった理由から、人気の職業になっているそうだ。クラウドソーシングサービスなどを利用すれば、初心者でも仕事を得ることができるらしい。

私が後先考えずに独立してフリーランスライターになったのは2011年だが、当時クラウドソーシングは発達しておらず、ライターになる方法も、仕事を得る方法も限られていた。

どうやって仕事を得ていたかというと、独立する前に所属していた編集プロダクション(=編プロ)や、別の出版社へ転職した元同僚から声をかけてもらって、なんとか食いつないでいた。当時は阿佐ヶ谷にある家賃57,000円のアパートに住んでいたけれど、家賃を払うのが厳しいくらい収入が不安定な時期があり、親にお金を借りてギャラが入ったら返し、また足りなくなったら親に借りて……を繰り返していた。

そんな経済状況なので、「仕事を断る」なんて選択肢は当然ないし、駆け出しの自分に依頼がくるのはありがたかったため、片っ端から仕事を引き受けた。スケジュールが合わないとか、どうしてもリソースがなくて迷惑をかけそうなとき以外は、断ったことがなかったと思う。

自分の実力以上のことを求められているであろう案件や、やったことのないジャンルの仕事でも、「やってみます」と答えた。今思えば、無責任に引き受けるのも迷惑になるんじゃ……という感じだが、私にもできると判断して依頼してくれているなら、きっとできるはず! とポジティブに考えた。もちろん、過去の誌面を調べまくったり、先輩ライターさんに質問したりしながら、なんとか食らいついている感じだったが。

もともとやりたかったジャンルは、温泉や街歩き、グルメなどを含む旅行系だったけれど、自分には無縁だと思っていたカルチャーやインテリアやアートに、料理やアウトドア、あまり興味のなかった健康系、ビジネス、はたまたゴシップっぽいものまで、いろんなジャンルの仕事をした。

ただ、それと同時に失っていくものもあった。幅広いジャンルの仕事を引き受けることで、「得意なこと」「やりたいこと」が自分でもよく分からなくなっていったのだ。

先輩ライターさんに連れられて編集部に挨拶まわりをすると、必ずと言っていいほど「なにが得意?」と聞かれるけれど、「これが得意」だとはっきり言う自信がなくて、とりあえず「なんでもやります!」と答えた。その頃は「若さゆえのフットワークの軽さ」くらいしかウリにできるものがなかったから。

どんなライターが重宝されているのか?

ライター全員が何かの専門家である必要はないけれど、読書家で本に詳しいとか、建築やデザインに精通しているとか、とにかくグルメはこの人に聞けとか、「なんでもできるけど得意ジャンルがある」ライターさんは重宝されている。

私自身の適性に気づかせてくれたのは、いろいろな編集部に紹介してくれた、先述の先輩ライターさんだ。編集さんたちと挨拶するとき、「栗本さんは細かい仕事でも正確にやってくれます」と紹介してくれた。そのときは「私に突出した能力がないから、こんなことを言わせてしまっているんだ……」と素直に喜べなかったけれど、実は「細かい仕事を正確にやる」ことにも需要があるんだと後から知った。

雑誌には、タレントさんのインタビューをするような華やかな企画もあれば、ショップリストのように細々とした情報が載っているページもある。ページ単価はだいたい同じで、地味な作業の多い仕事はベテランになるにつれてやらなくなる場合もあるため、若手の自分にも仕事がまわってくるようになった。

例えば、1ページに6つの店舗が掲載される企画を4ページ任されるとしたら、24店舗と連絡をとることになる。住所や電話番号、営業時間、定休日など、細かな店舗データが多くなるが、間違えた情報を掲載するわけにはいかない。店舗からの赤字は原稿のやりとりの度に再確認し、最後は実際に電話をかけて、電話番号が繋がるかどうか確認をする。

所属していた編プロで「情報は正確に」と鍛えられてきたので、このあたりは徹底してきた。別に「細かい仕事が好き」というわけではないけれど、与えられた仕事をまずは頑張った。

出産を機に仕事のやり方を見直して

第一子を妊娠したのは、ようやく仕事が軌道にのってきたタイミングだった。いずれ子を持ちたいとは考えていたものの、計画的な妊娠ではなかったので、「私のようなライターはいくらでも代わりがいるから、もう仕事はもらえないかも」と、覚悟した記憶がある。出張ができないし、終電まで編集部にいることもできない。「フットワークの軽さ」がない自分にはライターとしての価値がないと思っていた。

意外にも産後4カ月くらいで復帰することになるのだが、「細かい仕事ぶり」を見てくれていた編集さんが、「そろそろ仕事できる?」と声をかけてくれたのがきっかけだ。自宅にいながらもできる仕事を優先的に振ってもらえるようになる。

産前は「徹夜すればなんとかなるでしょ」と作業を後回しにしてしまうこともあったが、産後は稼働できる時間が限られるため、より集中して作業するようになった。余裕を持って進行しないと予定が狂う可能性があるので、自分の担当ページを早め早めに動かすように心がけるようにした。すると、編集さんに「もし手が空いていたら追加でこの企画もお願いしたい」と声をかけてもらうなど、徐々に大きな仕事も任されていった。

駆け出しの頃は200〜300字程度の文字量で簡潔にまとめるものが多かったけれど、1500〜2000字のインタビューなど、特集の巻頭企画で声をかけてもらえたときは跳び上がるほどうれしかった。これも、「細かい仕事」を「早めに進める」ことで得られたチャンスだったと思う。

できることを少しずつ増やしていくなかで、細かい仕事をずっと続けたいというよりは、大きなページを任せてもらったり、企画を考えたりというように、もっと川上から携われる仕事がしたいと考えるようになった。

すごくやりたいわけじゃない仕事を「ありがたいから」と引き受けていると、本当にやりたい仕事で声がかかったときに、スケジュールの都合で断らざるを得ないことが増えた。あまり興味がない/得意ではないジャンルだと余計に時間がとられてしまうので、思いきって「仕事をなんでも引き受ける」のをやめることにした。

もしかしたら仕事がなくなるのでは……という不安もあったが、それよりも、やりたい仕事をスケジュールの都合で泣く泣く断るストレスの方が大きかった。

とはいえ、特定のジャンルを受けないと決めたわけではなく、興味を持てるかどうかを重視している。子どもができてからは将来世代に何を残せるのかを考えるようになったし、「子育て」「地域」「SDGs」などのジャンルにも関心が出てきた。「真偽はあやしいけれどギャラがいい仕事」は断るようになり、「自分じゃなくてもよさそうな仕事」も、あまり引き受けなくなった。「好きなジャンルだからやりたい!」という自分自身の欲求に従うようにしている。

「仕事をなんでも引き受ける」のをやめてから

欲求に素直になってからは、より自分の好きなジャンルの仕事が舞い込んでくるようになった。以前は、「なんでも引き受けて無難にこなす」という意味で、ちょうどいいライターとしてアサインされることが多かったけれど、最近は「ぜひ栗本さんに」という依頼が増えてきた。

SNSで仕事の告知をしはじめたのも大きな要素だ。「こんな仕事をした」という実績を見てから依頼をいただけるのでミスマッチも起きにくく、ワクワクする案件が多い。やりたかった仕事を泣く泣く諦めることも少なくなり、好きな仕事に囲まれている感じ。

意外だったのは、仕事を選んでからの方が、ギャラの単価が上がったことだ。単純に、仕事の要領がよくなったのもあるが、ちょっとだけ自惚れると、「この記事ならこの人に」という優先度が上がったのかなと思う。それに、経験を積んだことで、これまで任されなかった領域の仕事を任されることも増えた。

せっかくの依頼を断るのは今でもちょっと心苦しいけれど、そのときは極力、他のライターさんを紹介するようにしている。フリーランスは学歴や職歴ではなく、「どんな仕事をしてきたか」を見られるが、「あの人の紹介なら」というのは大きな担保になる。私自身も、先輩ライターさんの紹介があったから続けてこられたので、次は、若手のライターさんにチャンスが巡ってくれればいい。

「仕事をなんでも引き受ける」のをやめたことで、仕事環境に恵まれていると実感しているけれど、「仕事をなんでも引き受けていた」時期も、私には必要だったと考えている。なんでもやってみることで自分ができる範囲を広げられたし、やりたいこともより明確になった。もしも最初から仕事を選んでいたら、ライターとしての寿命は長くなかったかもしれない。

「なんでも引き受けていた」あの頃が、今の礎になっている。

編集:はてな編集部

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著者:栗本千尋

栗本千尋

1986年生まれ。青森県八戸市出身、在住のフリーライター/エディター。3人姉弟の真ん中、2児の母。 執筆媒体はFRaU、BRUTUS、Hanako、コロカル、Gyoppy! etc...。八戸中心商店街の情報発信サイト『はちまち』編集長

Twitter:@ChihiroKurimoto

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