無理して「元気」になろうとするのをやめた|ねむみえり

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ブロガー・ライターのねむみえりさんに寄稿いただきました。

ねむみさんがやめたのは周囲の人と同じような「元気」であろうとすること。

学生時代から「心身ともに健康である」といった文言を目にすると「自分は当てはまらない」と感じたというねむみさん。大学卒業後も、いわゆるフルタイムで働く周囲の人の様子を目にし劣等感を抱くこともあったそうです。

その後、「これなら私もがんばれる」という働き方を見つけたねむみさん。しかし、その行動が思わぬ結果を招くこととなり、徐々に「元気」という向き合い方への変化がありました。

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「元気になりたい」というのが、私の口癖だ。

地球の重力が狂ったのかと思うぐらい体が重かったり、外が怖いと言ってベッドの上で動けなくなる日がある。そうなると、楽しみにしていた友人との飲み会や、舞台やお笑いライブなどのイベントも諦めざるを得ない。

「申し訳ないのですが、動けないので別日にさせてください」という連絡をベッドの中で丸くなりながらするたびに、自分が元気であればよかったのにと思う。

しかし私の中には、明確な「元気な私」像がない。

今までの人生を思い返してみても、「この頃は元気だったな」という時期がないのだ。

漠然とした「元気になりたい」という目標を掲げて試行錯誤を繰り返し、「あれ、私今結構元気なんじゃない? 仕事も沢山できるし!」と思ったことがあった。ただこの時は、これからまさか不調の谷に真っ逆さまに落ちていくとは予想もしていなかった。

あの時「元気」だと思っていた状態は、本当はただ「無理」をしていただけだったのだ。

「心身が健康であること」という壁

心にぼんやりとした不安が鎮座し始めたのは中学3年生の頃。まず教室に入れなくなり、学校に行っても向かう先は保健室で、最終的に不登校になった。中高一貫校に通っていたため、高校に進学することはできたが、並行して通院していたし、出席日数に怯えていた。

そんな状態でも興味を持っていたのが、学校が主催する「海外研修」だ。英語も学べて、その土地の文化にも触れられる。ある程度の学力は必要とされたが、勉強すればできないこともないだろう。

そうやって詳細が書いてある紙に目を通していていると、応募条件の項目で立ち止まった。

「心身が健康であること」。

なるほど、健康か、と思った。身体的にも精神的にも不安がない状態、つまり、正真正銘元気であることが、ここでは求められているのだなと理解した。


体力に自信はないけど、風邪をひくことはあまりないから、身体は大丈夫。問題は心だ。心の問題で通院している自分には、どうやってもクリアできない条件だった。

もしかしたら「心身が健康であること」というのは、人によっては些細な条件なのかもしれない。さっと目を通して何事もなく終わる条件なのかもしれない。ところが私にとっては、あまりにも大きな壁だった。何事かの募集要項を読むたびに「心身が健康であること」と書かれているのを見つけると、まるで「あなたのような人には関係のない話です」と突っぱねられた気持ちになった。

「私には関係ない、何故なら私は健康でないから」と思うたびに、心のどこかがギュッと締まった。しかし、そうやって諦めるしかなかった。健康でないのはどうしようもなく事実だったから。

ちゃんとできないことへの劣等感

不登校状態からどうにかこうにか大学まで卒業して、その先に待っていたのは社会だった。大学に通うので精一杯だった私は、就職活動はほとんどしなかった。大学の先輩の紹介でアルバイトとしてライターを始め、そこから職場を転々としていくのだが、週5で8時間、いわゆるフルタイムで働くということがどうやってもできなかった。

世の中の人は愚痴を言いながらも、ちゃんと社会人として働いているのに、自分はそれができない。どうして私は他の人みたくちゃんとできないんだろう、という強い劣等感にさいなまれ続けた。

「ちゃんとする」というのは私の中で繰り返し唱えられてきた言葉で、簡単に言えば、社会人としてのスタートラインに立つ、ということだ。このスタートラインに立つためには、世間が求める「元気」が必要だと考えていた。例えば、毎日会社に行ける「元気」。あるいは、塞ぎ込んで動けなくなることがないような「元気」。

しかし私にはその「元気」がない。人間としてどこか欠落しているんだ、だから今まで一度もちゃんとできたことがないのだ、と深い闇に沈んでいくようだった。

せめて社会人としてまっとうに働けるぐらいの最低限の元気が欲しいと思い続けている間に、ひょんなことからフリーランスのライターとして活動することになった。そして2020年になると、クライアントのオフィスに行くこともあったが、緊急事態宣言を境にすべての仕事がリモートに移行した。

これは私にとって、思いがけない環境の変化だった。玄関を出るのが怖い、電車に乗るのが怖い、オフィスの人の声が怖いなど、とにかく外の世界がストレスフルで、それによって体力も気力も奪われていたのだが、リモートで仕事をすることで私のなけなしの元気を蝕む要因から離れることができた。

これなら、外に出る元気はなくても、家で仕事をするレベルの元気があればいい。私はこの状態を「省エネ」と呼んでいた。外に出なくていい分、家での仕事ははかどったのだが、この「省エネ」は使い方を間違えるととんでもないことになるのだと、後々思い知ることになる。

「元気」の基準が分からなくなった日

2020年の夏ごろから、徐々に気持ちが塞ぐ時間が増えていった。父親を亡くしたのは大きな原因だったのだと思うが、世の中で一般的に指定される忌引休暇の期間を過ぎても、仕事に完全に戻れる状態までは回復しなかった。それでも、せっかく自分に仕事を振ってもらっているのだからと、ベッドの中でパソコンを抱えながら、ものを書いていた時期もあったのだが、常に強い眠気と抑うつに悩まされて思うように進まなかった。

そこで、長くお世話になっているカウンセラーの先生に提案されたのが、「午前中フリータイム制度」だ。理想の自分は動きたいと思っているのに、現実の自分は頭の中にもやがかかり動けないことで自己嫌悪に陥っていた午前中を、最初から何もしない時間にして、午後から仕事ができるように準備する。理想の自分と現実の自分との折り合いをつけたのだ。

もちろんフリーランスだからこそできることかもしれないが、理想の自分と現実の自分との間で苦しんでいた私にとって、この制度はとても役に立った。

人よりも働ける時間が少なくなることへの焦りはあったが、そもそも午前中に自己嫌悪に陥って何もできていなかったので、この制度を導入しても、働く時間に変わりはなかった。むしろ、午前中に無駄な精神的な疲れを感じずにすむので、午後に仕事を始めると、スムーズにタスクをこなせた。

私は徐々に回復し、2020年が終わる頃にはすっかり元気になっていた。と言うよりも、元気になり過ぎていた。

2021年になってから、ありがたいことに仕事が増えていた。常にやることを抱えていたのに、空白の時間が怖かった。今が頑張り時なのかもしれないと思い、「午前中フリータイム制度」をやめて、朝から晩まで仕事をしているうちに、日付の変わり目を無視するようになった。時間の融通がきくフリーランスという身分が、自分を内側から壊していった。

外の世界と関わりを持つのは、仕事のためのチャットとメールぐらいで、それ以外の力を持っているタスクに全振りしていた。最初は自分の元気を温存するためだった「省エネ」と称した働き方は悪い方向に暴走していたのだが、渦中の私はまったく気にもとめず、連日エナジードリンクに頼るなど、暴走に加担していた。

恐ろしいことに、私はこの時、自分のことを元気だと思っていたのだ。もともと、自虐として「私は体が壊れる前に心が壊れるから、体調はあまり崩さない」ということをよく言っていたのだが、これが完全に裏目に出てしまった。

不眠や頭痛、息苦しさなど、身体に不調が生じているのにもかかわらず、心は壊れていないから、という理由で身体の不調を見て見ぬ振りをしていたのだ。

忙しかったらこういうこともあるのだろう、そういう身体の不調を抱えても仕事をするのが社会人なのだろう、と本気で思っていた。これが、私が欲しかった、社会人として求められる「元気」なはずだと。

その結果、5月のある日、心が折れた。明け方まで仕事をしていて、部屋が薄明るくなっているのを感じた時、「あ、もう無理だ」と思った。長年自分の心の不調と付き合ってきたけれど、こんなにも突然に、そして完全に心が折れたのは初めてだった。

元気でなくても、生きていればいいのかも

心が折れた結果、パソコンを開くことすらできなくなってしまったので、ベッドの中からスマホで謝罪と休養に入る旨のメールを送った。最初は1ヶ月程度の休養のつもりだったし、仕事を完全にストップさせるのが恐ろしかったので、少しだけ仕事を残して細々とやろうと思っていたのだが、全くできない上に、身体の不調もひどくなってきていたので、休養の期間を何度も延ばすことになってしまった。

顔面が不随意で動くので、常に痛みを感じ、強いストレスになっていた。精密検査をしても原因は不明で、このまま治らないのではないか、このまま何もできずに、家に引きこもる生活に戻ってしまうのではないかと、心のさらなる不調にもつながっていた。もう自分はダメなのかもしれないと思いつめた結果、主治医に入院を打診されるところまで心が壊れてしまっていた。

こんなつもりじゃなかった、というのは渦中から出てからしか分からないことなのだ。私が「元気」だと思っていた状態は、明らかに「無理」をしていた。もう私は元気で何でもできる! というのは誤った認識で、はたから見れば、切り立った高い崖の先に向かってスキップをしているようにしか見えなかっただろう。

入院するといつ出てこられるか分からなかったので、オンラインで行っていたカウンセリングを対面に戻し、週1で通院して、不調から回復していくことに決めた。今まで自分に何が起きていたのか、どこからこうなってしまったのか、これからどうしていけばいいのかを毎週見つめ直す作業を、今でも継続して行っている。

実は、このシステムで回復することを決めたきっかけの1つに、応援している芸人さんである、かが屋の加賀翔さんが、体調不良による休養から戻ってきたということがある。

とある番組で、「繊細そうだから、バラエティとかでイジられるのしんどくない?」と聞かれた加賀さんが、そんなことない、と否定した上で、「病気ヤロウとか言われたいです」と発言していたのだ。

正直に言うと、私はこの言葉に驚き、笑い、救われた。こんなに面白い回復の仕方があるのだ、と思った。早く元気になって仕事に戻らないと、という無意識に感じていた焦りが消えて、しっかり自分自身に向き合う時間をとってあげようと決めた。こんなにも分かりやすく視界がひらけて、世界に色がつくことってあるんだ、と感動してしまった。

2021年の夏をまるっと休養に充てた結果、原因不明の顔面の不随意運動も治まり、仕事も休養以前のレベルではなく、少し落としたところで復帰できている。時々塞ぎ込むこともあるけれど、それはもう長年連れ添っている私の性質だから仕方がない。むしろ、「すごく元気! 何でもできる!」と思って暴走し始めないかを見張っている状態だ。

今は「午前中フリータイム制度」は一旦やめている。仕事への関わり方を休養後に見直し、制度化しなくても起きた瞬間に「何かがおかしい」と感じたら、大丈夫になるまでちゃんと休むということができるようになった。しっかり休むことが仕事のクオリティを上げることにつながるということを身をもって体験したからこそ、制度を導入しなくてもよくなった。

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最近は、仕事をしている時間と睡眠時間を記録したり、自分の独り言を気にしながら、無理をしていないかチェックしている。「よく分かんなくなってきた」や「自分が足りない」と言い始めたら、少し無理をし始めているサインなので、業務時間や量を調整するようになった。

今私は、「元気?」と聞かれた時に、「まあまあかな」や「ぼちぼち」と返すようにしている。それは、自分が元気であるかどうか自信がないということもあるが、元気という状態は常に維持されるものではないと考えているからだ。さっきは元気だった、でも2時間後に元気かどうかは分からない。本当はそれでいいはずなのに、この社会は、常に元気であり、健康であることを要求してくるように感じる。でも、何をもって健康というのか。身体と心は一人ひとり違う。その人によって「健康」と感じる状態は異なるはずだ。

そして元気か元気でないか、ということを考えた時に、元気である方がいいということは分かるのだけれど、社会の求める元気のレベルが、自分には合わないかもしれないということは大いにあるはずだ。私もそうだった。

ここでもきっと、折り合いが必要なのかもしれない。社会の求める元気ではなく、自分の手の届く範囲の元気を指標に、日々を過ごしていく。


もう二度と、元気になり過ぎて心を折らないように。


著者:ねむみえり

ねむみえり

1992年生まれ、東京出身のライター。エッセイやインタビュー記事、書評などを主に執筆してます。本や演劇、お笑い、ラジオなどが好き。 Twitter:https://twitter.com/noserabbit_e
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編集:はてな編集部