周囲が求める“らしさ”に囚われない。『ケムリが目にしみる』著者と考える、「正しさ」と「自分」の向き合い方

飯田さんトップ画像

周囲の発言や行動に違和感を抱きつつも、その場の“空気”に合わせてしまうことはありませんか。その時はやり過ごせたとしても、徐々に自身の心をすり減らし、しんどさを覚えてしまうことも少なくないはずです。

飯田ヨネさんの漫画『ケムリが目にしみる』は、周囲の反応に流され、つい合わせてしまう主人公・葉山かすみを中心に、「正しさ」について自問自答していく作品。かすみは「女の子が入れたお茶の方がおいしい」という上司の発言や、同僚との調和を求められたとき、違和感を抱いても飲み込んでしまう毎日を過ごしています。

そんな息苦しさは、彼女にとって「正しくない」ことである煙草を吸うわずかな時間にだけ忘れられます。しかし一方で、喫煙マナーを守っていたとしても「煙草なんて体に悪い」「お金もかかるし臭いもつく」という世間からの目も重々承知しており、喫煙者であることを会社の同僚にはひた隠しにしています。

喫煙に限らず、社会的な「正しさ」に順応できない自分にコンプレックスを感じたり、さまざまな「らしさ」の狭間で悩んでしまう人は多いはず。『ケムリが目にしみる』の著者・飯田ヨネさんに、そんな「正しさ」や「らしさ」との向き合い方をテーマに伺いました。

求められる「らしさ」に応えてしまっていた会社員時代

『ケムリが目にしみる』の主人公・事務員の葉山かすみは、周囲に意見を合わせてしまいがちでいつも息苦しさを感じている人物。その場の空気に従うことが「正しい」と捉えるかすみにとって、唯一、煙草を吸うときにだけそんなストレスから解放されるという描写が印象的ですが、こういったキャラクターを主役にした作品を描こうと思われたのはどうしてだったんでしょうか。

飯田ヨネさん(以下、飯田) 実はこの漫画の原型となった読み切り作品があるんですが、その作品では主人公が男性のエンジニアで、女性の事務員が陰でこっそり煙草を吸っているのを知って交流を深めていくというストーリーでした。その読み切りを読んでくれた編集さんが「これを連載にしましょう」と提案してくださって。

連載化の際に「女性の生きづらさを描いてほしい」とも言っていただき、それなら女性同士の連帯を描く漫画にストーリーを変更しよう、と思ったんです。そこで相手役の女性キャラクターだったかすみを主人公に据え、『ケムリ〜』が生まれました。

ケムリが目にしみる作中カットケムリが目にしみる作中カット

男性社員から女性としての役割を求められたり、同僚女性が話す噂話やデリケートな話題への同調圧力にモヤモヤしつつも、それに合わせることで「正しく」あろうとするかすみ。それ故に感じる息苦しさは、煙草を吸うという彼女にとって「正しくない」ことをしているときだけ解放される。喫煙者であることを職場には内緒にしている。(C)飯田ヨネ /芳文社

お試し読み | 「ケムリが目にしみる」飯田ヨネ

もともとは男性が主人公だったんですね。ちょっと意外でした。

飯田 漫画家になる前に3年半ほど開発会社でエンジニアをしていて、男性が多い環境だったので、男性を主人公にした方が描きやすかった、というのもあるかもしれません。

あと私は煙草を吸わないのですが、当時の職場に喫煙者の方が多く、喫煙者同士のコミュニティになかなか入っていけないことに悔しさや、ずるさのようなものを感じてしまうことなどもあって。『ケムリ~』には、そういう当時の経験や実感を反映させています。

作中で描かれるかすみの会社や、同僚の牧村が過去働いていた会社は、女性社員がお茶出しをさせられたり意味もなく打ち合わせに呼ばれたり、飲み会などもかなり多そうだったりと、わりと古い体質の職場に見えました。このあたりにも実体験が反映されていたりするんでしょうか……?

女性だから、という役割を求められることに違和感を抱く
(C)飯田ヨネ /芳文社


飯田 読者の方からも「いまどきこんな会社なかなかない」って言われるんですが(笑)、勤めていた職場は、わりとこういう空気でした。終電帰りや休日出勤も常態化していたし、チーム内で女性は基本私ひとりだったので、「女の子がいた方がいいから」という理由だけで打ち合わせに呼ばれることも多かったですし。

ただ、その頃は社会人として忙しく働く自分に酔っていたようなところもあって……『地獄のミサワ』っぽい感じでしたね。「いやー参ったわ、明日も休日出勤だわ」みたいな。だからそういう状況には、当時はさほど悩んでいませんでした。

では、そういった状況に違和感を覚えるようになったのは、職場を辞められてからですか?

飯田 そうですね。会社で働いていた頃は……男性と同じように忙しく働けていたり、打ち合わせの場にも多く参加できていたりすることで、正直に言えば「私はうまくやってる」みたいな優越感さえ抱いていた気がします。いまはそんなことはない、と分かるのですが。

会社を辞め、漫画家になって環境が大きく変わったことで、当時は女性として抑圧を受けていたという感覚がようやく芽生えたんだと思います。『ケムリ~』もそういう抑圧を意識しつつ描いた作品なのですが、振り返ると、私自身も人に対して抑圧する側に立っていたところがあったな、と反省しています。

飯田さん自身も、というと?

飯田 それこそ同期に対して優越感を抱いていたというのも態度に出ていたかもしれないし、自分がお酒にわりと強かったので、飲み会が苦手な同僚に対して無神経な振る舞いをしたこともありましたし……。『ケムリ~』の連載を終えてから時間がたったことで心境の変化もあって、当時は私も男性社会を内面化していた部分があったな、とようやく自覚できるようになりました。

今読み返すと、自分の理想とする面やいい面を女性キャラクターに、悪い面を男性キャラクターに振り分けているようなところもちょっとあるように感じますね……。そこは本当に、フェアじゃない描き方だったなと思っています。

確かに作品を描き終えてから時間がたつと、テーマへの向き合い方も変わってきそうですよね。読者の方からは、これまでにどんな反響がありましたか?

飯田 『ケムリ~』は『まんがタイムオリジナル』という男性読者の方が多い漫画雑誌に掲載されていたんですが、連載中は読者の方からの反応がほぼなくて……(笑)。それはそれでしんどかったのですが、人の目を気にせず描けたという点ではよかったかもしれないですね。

それに、男性誌で描いたからこそ、女性の生きづらさやフェミニズムといったテーマに普段あまり関心を持たない層にも読んでいただけたのかもしれないな、と今となっては思っています。プロモーションも全然しなかったので、これはたぶん単行本になってもあんまり反響ないだろうなと思ってたんですけど(笑)、単行本化してからはありがたいことに思いのほかたくさんの感想をいただけていて。「共感した」という女性からの声が多いですが、ときどき男性からもポジティブな意見をいただけて、どちらもとてもうれしく思っています。

「現代的な正しさ」は、描こうと思えば手癖で描けてしまうけれど

ケムリが目にしみる作中カット
牧村(画像左)との出会いで、かすみは徐々に自分の本心と向き合うように。そして、声を上げるようにもなっていく
(C)飯田ヨネ /芳文社

作中で、主人公のかすみは「自分」を見つめていくことで世間が押しつけてくる「正しさ」や「らしさ」から徐々に解放され、「正しくない」自分のことも認めることができるようになっていきます。飯田さん自身は、世間から求められる「正しさ」や「らしさ」について、どのようにお考えですか?

飯田 少し極端な例かもしれませんが、例えば、今は煙草を吸うことに対して「体にも悪いし副流煙もあるし、吸わない方がいい」という価値観が多数派だと感じますし、それは正しいことだと思うんです。ただ、昔はもっと喫煙率が高く、わりとどこでも吸う方も多かったですよね。そういうふうに「正しさ」って時代や環境によって変化していくので、そこに無理やり自分を合わせようとすると息苦しさを感じてしまうこともあると思います。

ただもちろん、社会のなかで生きていくためにはある程度、今の価値観に順応していく必要もありますから、自分と社会の「正しさ」の落としどころをどうにかして見つけていくのが現実的だと思っています。その落としどころを見つけるためには、自分が心から望んでいることや、自分にとって「これは譲れない」ということにまずは目を向ける必要があるのかなって。

「こうした方がいい」「正しい」とされる事象は色んな要素が組み合わさっていることも少なくないと思います。その価値観に対し全てを受け入れないといけない、というよりはそれに対し自分はどう感じるか、この部分は分かるけど、この部分はちょっと自分と違うな、といったことを考えるのが大切なのかもしれません。

忙しい毎日の中にいると、自分がなにをしたいのか、なにが自分にとって譲れないことなのかが分からなくなってしまう人もいそうだなと思うのですが、飯田さんの場合はどうやってそれに目を向けていますか?

飯田 私の場合は、漫画を描く作業が自分の感じていることを振り返るいいきっかけになっているかもしれません。それ以外だと、どうするといいんだろう……。

『ケムリ~』の作中だと、かすみは、自分の思ったことをはっきり言うことができる牧村というキャラクターに出会ったことで徐々に変わっていきますよね。自分とは違う価値観の人や、声を上げようとしてくれる人に出会うこともそのきっかけになりうるのかな、とふと思いました。

飯田 確かにそうですね。……今思い出したんですが、会社員時代に、会社の社長が飲み会で「女性を雇うのはコストだ」って言ったことがあるんです。私は当時それを聞き流して、まあ社会ってそういうもんかって思ってしまってたんですが、その社長の発言にすごく怒っていた同期の女の子がいて。

彼女は結局その後会社を辞めてしまったんですけど、当時、どうして連帯して状況を変えていこうと思えなかったんだろうと後悔しています。『ケムリ~』の終盤でかすみが職場の改革に乗り出しテレワークの導入を提案するという展開は、当時の自分が本当はしたかったことを描いているんだろうなって。あれほど怒っていた彼女の記憶がなかったら、その展開もなかったかもしれないです。

ケムリが目にしみる作中カット
育休復帰後、思うように働けず悩んでいた同僚と声を上げるかすみ。作中では自分を認めていくことで、既存の正しさを自らの手で変えていく様子が描かれる
(C)飯田ヨネ /芳文社

そういう経験って、確かにあとから思い出して後悔することが多い気がします。飯田さん自身は、かすみのように周囲から期待される「正しさ」や「らしさ」で悩まれた経験はありますか?

飯田 読者の方からときどき、私の漫画に対して「価値観が現代的」とか「きっと作者もやさしい人なんだろう」と言っていただくことがあるんです。とてもありがたいなと感じる反面、そういった感想と自分自身との乖離にはいまだに悩んでしまいますね。

私は実際に、女性差別のような社会の理不尽に対してはすごく怒りを感じるタイプではあるんですが、一方で、保守的で古臭い面も自分のなかにはいまでもあるのを自覚しているので……。

かすみが煙草を吸い続けることがまさにそのひとつだと思いますが、なかなか変われない部分や譲れない部分は誰にでもありますよね。

飯田 そうですね、一から十まで現代的な価値観に順応することってできないと思うので、誰しもそうやって、自分の変われない面にも折り合いをつけながら生きていくものなんじゃないかなって思います。……言ってしまえばたぶん、いまの価値観で「現代的」とか「ちゃんとアップデートされてる」って褒めてもらえるようなことって、描こうと思えば手癖で描けると思うんです。

実際に自分のなかで納得はしていなくても、表面的に合わせることはできるということですか?

飯田 そうですそうです。でもそうやって「今の価値観」や「現代的な正しさ」に表面だけ合わせた作品って、出したそのときは褒めていただけるかもしれないけど、自分のなかで本当に納得できていない限り、世間の評価と実際の自分との乖離に悩んでしまうだけじゃないですか。

だから私の場合は漫画を描いていくなかで、「今度はこうしてみよう」「やっぱりこっちじゃなかったな」というように、トライ&エラーを重ねながら自分の意思を探っていっているような感覚があります。そういうふうに自分の本心に誠実でいることでしか、自信ってついていかないと思うので。

なるほど。自分が納得いくまでトライ&エラーを重ねること、本当に大事ですね。

飯田 そうやって見えてきた自分の本心って、「今の価値観」とは合わなかったり、ぜんぜん正しくなかったり、カッコ悪いものかもしれません。でも、そういう自分を認めることで初めて、自分自身と今の社会とをすり合わせた行動や表現ができるようになっていくんじゃないかと思います。

ケムリが目にしみる作中カットケムリが目にしみる作中カット
「正しさ」に縛られなくなったことで、息苦しい現実が変化していったかすみ
(C)飯田ヨネ /芳文社

「うらやましい」「悔しい」と感じている自分をまずは認める

『ケムリ~』を拝読していて特にリアルだなと感じたのが、かすみの同僚の女性が、先輩の結婚の知らせを受けた際に「私に何も変化がないうちに前に進んでいる人を見ると不安になる」とかすみに語るシーンでした。自分自身は「今のままでいい」と思っていても、周囲のライフステージがどんどん変化していく様子を見るとなぜか焦りを覚えてしまう人は多そうだな、と思って。

飯田 そうですよね。私自身、結婚願望が強いタイプではないんですが、友達が結婚してしまって前のように遊べなくなったりすると、「このままでいいのかな」ってふと思うこともありますし。

そういうふうに感じたときって、飯田さんはどうしていますか?

飯田 うーん、難しい……。例えば、私は「いつか結婚したいとは思ってるんでしょ?」って言われると「そんなことない」と反論したくなるんですが、一方で、自分のなかには確かに「ひとりは寂しい」という思いもちょっとはあるなってこの頃気づいたんです。

そういうふうに感じている自分がカッコ悪いと長年思っていたんですが、最近はもう、自分にはそういう面もあるというのをまず認めようと思っていて。自分のダサい部分や目を背けたくなるような部分も受け入れよう、とは言わないまでも、そういう部分の存在を自覚する必要はあるのかなって思うようになりました。

結婚・出産といった周囲の変化に限らず、仕事面でも同じように、「あの人の漫画はあんなにヒットしてるのに……!」って思っちゃうこともありますし。

仕事の場合、「あの人はあんなに評価されているのに、どうして自分はされないんだろう」という嫉妬心も芽生えがちですよね。

飯田 すごくありますね、そういう気持ちは……。「人は人、自分は自分」って思うのも大事なことだけど、実際にはそう思えるときばかりじゃないですよね。本当はすごく気にしているのに、無理に「気にしてない」と思い込もうとすると、抑圧された感情が攻撃的な形で出てきてしまうこともあると思うんです。

それならいっそ、人と比べてしまって悔しがっている自分、落ち込んでいる自分の存在を認めて、そう言ってしまった方が健全じゃないかって思います。「こんなにいいもの作ってるのに、なんで評価されないんだ!」って(笑)。

『ケムリが目にしみる』(2)
(C)飯田ヨネ/芳文社

確かに。「悔しがっている自分」を認められずにいると、その感情が他人への攻撃性につながってしまうことがある、というのもその通りですね。

飯田 『ケムリ~』のなかに楠というキャラクターが出てくるんですが、彼は最初、自分の恋人である女性が自分より優秀であることが許せないんです。でも、それでプライドが傷ついてしまう自分はダサいという自覚もあるので、「女性は男性よりも楽して生きているんだ」と考えることで自分を正当化して「正しい」と捉えようとする。

彼は物語の後半でそういう自分のコンプレックスを認められるようになったことで、ようやく自分を変えていくために動けるようになるんです。だから、そういうふうに「悔しい」とか「許せない」という気持ちに正面から向き合うことって大事ですよね。

作品の終盤では、楠は「僕は彼女を尊敬している」とはっきり言うことができるキャラクターに変わりますよね。自分のそれまでの価値観や振る舞いを問い直し、自分を変えていきたいと思ったとき、その一歩を踏み出すのってなかなか難しいなと思います。楠を見習いたいなと……。

飯田 なかなかできないですよね。私は最近、自分の描いた漫画の最新回が公開されたとき、SNSで「読んでください!」ってちゃんと言っていこう、と思うようになったんです(笑)。いままでは、自分の作品を「面白いのでぜひ読んでください!」って言う方に対して、よっぽど自信があるんだな、私にはできないなって思ってたんですよ。

でもよくよく考えてみたら、そういうふうに言える人のことが、ただ私はうらやましいんだって気づいて。だったら恥ずかしがってないで、「読んでぜひご感想ください! ファンレターの宛先はこちらです!」ってどんどん言っていった方がいいなって思うようになりました。YouTuberの方って「高評価お願いします!」って動画の最後に毎回言うじゃないですか、あの精神すごく大事だな、見習わなきゃって。

……そういうふうに、できそうなことからちょっとずつやっていこうかな、って私も思っています。

取材・文:生湯葉シホ(@chiffon_06
編集:はてな編集部

自分の本心と少しずつ向き合うために

お話を伺った方:飯田ヨネ

飯田ヨネ

漫画家。2016年デビュー。過去作に『給食の時間です。』(小学館)、『ケムリが目にしみる』(芳文社)、『今度会ったら××しようか』(KADOKAWA)。現在『つんドル! ~人生に詰んだ元アイドルの事情~』(原作・大木亜希子さん/祥伝社)連載中。最新2巻が2022年1月に刊行予定。