「休まない」をやめた|土門蘭

 土門 蘭

コーヒーとケーキ

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、文筆家の土門蘭さんに寄稿いただきました。

土門さんがやめたのは「休まないこと」

もともと「休む」ことが苦手で、産後、仕事と育児の忙しさに無理を重ね、ついには心身のバランスを崩してしまった土門さん。その後、ある先輩ママから掛けられた言葉をきっかけに、積極的に休むことを意識するようになりました。

そうして自分のために時間を使うようになったことで、自分の内面はもちろん、周囲との関わり方にも思わぬ変化があったそう。休み下手だったという土門さんが、どのようにして休めるようになり、休むことでどんな変化があったのか、つづっていただきました。

***

「休む」ということが苦手だ。

というよりも、どうすれば「休む」ことができるのか、「休む」とはどういうことなのか、あまりよくわかっていない。

昔からそうだ。空いた時間ができたら、「何かやるべきことはないだろうか」と探してしまう。やっておいた方がいい仕事はないか? 返しておくべきメールはないか? 片付けるべき場所は、読むべき本は、行くべき場所は……。

いつもそんなふうに予定を詰め込むので、「休む」という選択肢が選ばれることはない。というか、そもそも選択肢にない。だってのんびりゆっくり休んでいたら、「やるべきこと」で頭の中がいっぱいになり、そわそわして落ち着かなくなってしまう。そして、のんびりゆっくりしてる場合ではない! という気分になってしまう。要するに休むのが下手なのだ。

そんなだから私は、一日中ずっと家事やら仕事やらで働いている。平日でも土日でもお構いなしに。それでいつも夜になると「疲れた」と文句を言っている。誰もそんなに「働け」なんて言っていないのに、一人できりきり舞っている。

休むのが上手になりたいな。ずっとそう思っていた。

そんなことを友人に話すと、「蘭ちゃんの中には、『鬼コーチ』がいるんだね」と言われた。「休んでいると叱り飛ばしてくる『鬼コーチ』が心の中にいるんだよ」と。

それを聞いて「確かに」と思った。竹刀を持った鬼コーチが、確かに私の中にいる。その鬼コーチにビシバシしごかれ続けている。もっと頑張れ、もっと努力しろ、時間を無駄にするな、と。

でもその「鬼コーチ」は、その頑張りや努力の先に、一体何を目指しているんだろう?

それは、私にもわからない。

出産を経て、休むのがどんどん苦手になってしまった

もともとそういう性格なのか、幼い頃から休むのが苦手だったのだけど、20代半ばで出産してからは、ますますひどくなった。

子育てというのは膨大な時間とエネルギーのいる作業だ。つきっきりで世話をしていないといけないし、子供が動くたびにするべきことが湯水のように湧いてくる。育休後も会社員として仕事を続けていたので、仕事と育児の両立が本当に大変だった。

子供たちと一緒に

毎日、とにかく時間がない。やるべきことが多過ぎて追いつかない。慣れない両立で疲れはピークに達していたけど、「頑張らなきゃ」と思い込んでいた。私の中の鬼コーチが、休むなんて絶対に許してくれなかったのだ。

すると、ある日から眠れなくなった。子供の夜泣き、仕事のプレッシャー、日々の疲労。いろんなものが積み重なった上での不眠だったのだと思う。私はすぐにダウンした。病院に行くと「鬱(うつ)です」と言われ、強制ストップがかかった。私は長期休みをもらい、そのまま辞職した。

職場の人や家族に迷惑をかけたと思って、ものすごく落ち込んだ。みんな優しく労ってくれたけど、毎日罪悪感と情けなさで泣き暮らした。

それでも心のどこかでは、ホッとしていたように思う。やっと休む理由ができた、これでやっと眠れる。そんなふうに思って。それくらいしないと、当時の私は休むことなんてできなかった。

そのあと鬱が寛解し、再び仕事を始めた時、私は「睡眠時間だけは確保する」と自分に約束した。仕事にも育児にも“定時”を決めて、必要以上のことはやらない。時間が来たら仕事を止め、時間が来たらベッドに入る。

そのために、家事や育児のやり方を見直して負担を減らしたり、仕事はできるだけ自分がやる意味があると思えるものや、自分にしかできないと思うものに絞るようにした。取り掛かることのできる仕事量は減ったけれど、それでも自分が倒れるよりマシだ。鬼コーチも強制ストップ以来、その件に関しては認めてくれている。

「休む」のも仕事のうちだと考えるようにした

仕事道具のパソコンや手帳

あれから8年。

転職や第二子の出産などを経て、現在はふたりの子供を育てながらフリーランスで執筆業をしている。「仕事も育児も定時上がり」というルールは、今もちゃんと守っているので、あれ以来体調は崩していない。

だけどふと自分の生活を俯瞰してみると、やっぱり「休む」時間が全然ない。

相変わらず「鬼コーチ」は竹刀を持って私を監視していて、休むことを許してくれない。むしろ、「睡眠時間は確保しているんだから、起きている時間は今まで以上に働け」と言わんばかりのプレッシャーだ。

「本当は休みたいのに、全然休めないんですよね……」と、例の「鬼コーチ」発言をした友人に話す。彼女は年上で、私よりもワーキングマザー歴が長い先輩だ。

すると彼女は、「『休む』ことを仕事にしてしまえばいいんだよ」と言った。

「だって、休まないといい仕事できないでしょう? だから仕事の一環として『休む』予定を先に入れてしまうの。もう強制的に休む。そこまでしないと、蘭ちゃんは性格的に休めないよ」

なるほど、と目から鱗(うろこ)が落ちた。確かにただ「休む」ことはできないけど「仕事として休む」ことならできるかもしれない。鬼コーチだって、それなら納得してくれるだろう。さすが先輩だ。

「ありがとうございます。それ、やってみます!」

そう答え、私は早速手帳に「休む」予定を書き込んだ。この時間は絶対仕事しないぞ。「休む」ということをしてやるぞ。そう息まきながら、赤いボールペンでぐるりと丸をつける。仕事はそれ以外の時間に組み込み、ちゃんと終わらせられるようにいつもより細かくスケジュールを立てた。「休む」予定があるとメリハリがついていいものだなと思いながら、頑張って時間を作った。

最初は「休み方」がわからなかった

しかし。「休む」って言っても、何をすればいいんだろう? すぐに私は振り出しに戻ってしまった。

ブーケ

仕事をしないとなると、私は何をすればいいんだろう? 本を読む、お茶をする、ゴロゴロする、友達と遊ぶ……いろいろ候補は思い浮かぶけれど、自分がどれをしたいのかわからない。長年「すべき」ことばかりしてきたので、今更「したい」ことが思いつかないのだ。これには参った。せっかく時間を作ったのに、やりたいことが思いつかないなんて。

気を抜くと、すぐに「将来役に立ちそうなこと」をしてしまう自分がいる。例えば、「健康でいられるために運動をした方がいいかな」とか「教養を深めるために勉強でもしようかな」とか。いや、大事なことだけどね、と相変わらずの自分に苦笑する。「休む」ってそういうことじゃないんだよ。将来のために今を犠牲にするのは、私はもう嫌なんだよ。

そう考えて、「あっ」と思った。

「休む」ってもしかして、「今の自分」のために動いてあげることなんじゃない?

鬼コーチはいつも、「頑張れ、努力しろ」と言う。その先に私の目指しているものがあるからだ。いい仕事がしたい、お金が欲しい、子供たちに健やかに育ってほしい……そんな「将来の自分」のために鬼コーチはビシバシ竹刀を振っている。鬼コーチがいなければ手に入らないものはたくさんあったから、それはきっと間違いではない。

問題は、「今の自分」のために動いてくれる人がいないってことだ。今気持ちいい、今うれしい、今楽しいことをしなさい、と言ってくれる人。

その時間は、何をしてもいい。何の役に立たなくても、誰に褒められなくてもいい。ただ、「今の自分」が満たされることをする。もしかして、それが「休む」ってことなんじゃないだろうか。

そう思いつくと、緊張していた心が自然と柔らかくなってくるようだった。

「今の自分」に耳を傾け、何をしたいかをあらためて聞いてみる。すると、漫画読みたい、ケーキ食べたい、マッサージ行きたい……柔らかくなった心の奥から、ぽつぽつとしたいことが湧き出てきた。

よし、全部やろう!

さっそく手帳を開いて、スケジュールを組む。休みの予定を入れながら、浮き立つ心を感じながら、なんて贅沢なんだろう、と思った。

「今の自分」を満たすための時間を作るって、贅沢で幸せなことだったんだ。「休む」って、素敵なことだったんだ。そしてそんな時間を自分に与えてやれるのは、私しかいなかったんだ。

近所の喫茶店のレモンケーキ

最初の「休み」時間には、近所の喫茶店に行ってみた。

ずっと気になっていた、その店の名物のレモンケーキを食べたいと思ったのだ。バッグの中には、読みたかった小説が一冊。コーヒーを飲みながら、ケーキをフォークでつまみながら、真新しい小説の表紙を開く。

仕事や家事とは一切関係のない、自分だけの時間。コーヒーは苦く、ケーキは甘酸っぱく、小説の一文は美しい。そういったあれこれを全身で享受していると、みるみる自分が元の形に戻っていくのがわかった。これまでずっと、将来とか、他人とか、世間とか、そういうものにぎゅうぎゅうに押し込められていた本来の自分が、むくむくとまた立ち上がり、思い切り伸びをするような。

1時間後、私はコーヒーとレモンケーキをきれいにたいらげ、席を立った。たった1時間の「休み」でも、自分がずいぶんリフレッシュしているのがわかる。リフレッシュするって、本来の自分に戻ることだったんだなぁ、と思いながら店を出ると、見上げた空がいつもよりもはっきり見えた。

前よりも、他の人に優しくできるようになった

ワーカホリックで休み下手な私だったけれど、それ以来少しずつ「休む」ことができるようになってきている気がする。

今では、土日のどちらかは「休む」予定を入れ、平日も余裕のある日は「休む」時間をとるようになった。ゴロゴロすることに罪悪感を覚えたり、何かしないとと気が急くことも少なくなってきて、要するに自分を許せるようになってきたようだ。

それとともに少しずつ、自分が優しくなってきたように思う。「今の自分」を自分で満たせるようになったから、他人に必要以上に期待せず、思いやりを持てるようになったのだろう。

また、自然と子供たちと一緒に過ごす時間も増えた。これまではせかせかと次にすることばかり考えていたけれど、彼らが今どんなことを考えているのか、前よりもきちんと向き合えるようになった。「休む」って自分のためだと思っていたけれど、他の誰かのためになることもあるんだと気付いた。

さて、次の休みは何をしよう?

将来とか、他人とか、世間とか、そういうものは置いておいて、「今の自分」に耳を傾ける。そういうとき、自然と呼吸が深くなって、自分が満足しているのがわかる。

著者:土門 蘭

土門蘭

1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説・エッセイ・短歌等の文芸作品やインタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(寺田マユミとの共著)、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

Twitter:@yorusube

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    編集/はてな編集部