料理をやめてみた|能町みね子

 能町みね子

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、エッセイストの能町みね子さんに寄稿いただきました。

能町さんがやめてみたのは「料理を作ること」。

料理が苦手だったにもかかわらず、長年「きちんと自炊をしなきゃ」という“常識”にとらわれ、結果「自炊すら満足にできない自分」への“落胆”につながっていたそう。

誰しもが「正しい」と捉えることに抵抗して生まれたのは、精神の健康と、自分への自信でした。

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18歳で初めての一人暮らし。私は自炊をするつもりでした。それまで料理をしたことはほとんどなかったけれど、一人暮らしの人は料理をするものだ、と思っていました。節約のため、栄養バランスのため、そして自立した人間として!

実際、最初はがんばってやっていました。カレー。シチュー。チャーハン。炒め物。ごく簡単で、多少野菜が取れるもの。

だんだんレパートリーは増え……ませんでした。バリエーションの少ない自分の料理にすぐ飽き、料理は「苦手なもの」になっていきました。

「料理をしなきゃ」から生まれる、苦痛のループ

私が料理をする時、どうするか。

まず、なにを作るか決めなくてはいけないが、頭の中にこれといってレシピがない。「適当に冷蔵庫にあるもので」なんて、思いつかない。ネット時代になってレシピを検索できるようになったのはよかったけれど、なんにしてもとにかく手際が悪い。

作るものを決めたら材料を調べて買い出しに行くが、あまり使わない調味料や素材はどうせすぐ腐らせるので、適当に省いてしまう。

調理中は気分をどうにか上げるために音楽をかけ、包丁で野菜などをむいたり切ったりするが、トントントン、と軽快にはできない。ゆっくり切り、不揃いになり、包丁にくっついたかけらが床にいくつか落ち、嫌な気分になる。「調理時間20分」と書いてあったのに、皮をむいたり切ったりしただけでもう15分くらいたってしまった。ああ……。

そして、炒めたり煮込んだりする間、台所から離れられない。私は私を信用していない。うっかり目を離せばどうせまた焦げ付かせたり吹きこぼしたりしてしまうのである。だから、ただ突っ立ってひたすらヘラや菜箸で鍋をかき回している。

できたので、食べる。食卓はなく、ローテーブルも体勢が落ち着かないので、結局皿をもったままテレビなどを見ながら食べる。ひどくまずいわけじゃないが、おいしくもない。

食べ終わる。料理の一連の作業に疲れていて投げやりになり、そのまましばらくテレビを見る。食器はすぐに洗えばいいのに、面倒だからローテーブルに放置。明日でいいや……。

はあああ。

こんな状態なので、

  1. 自然と自炊の頻度は少なくなる
  2. 節約しつつ外食をするとなると、ファーストフードなどが多くなる
  3. しばらくたって、これではいけない、料理をしなきゃと思う
  4. とはいえ上達しているわけもないからまたおいしくない料理ができる
  5. やはり飽きて外食が多くなる……

このループを、私はなんと、一人暮らし開始以来、十年以上にわたって繰り返していたのです。そしてその間ずっと「自炊もできない自分は落ちこぼれ」的な、自責の念に悩まされていました

苦痛の正体は「自炊は絶対的正義」という“常識”

世間一般で言われるように、毎日栄養バランスや1食あたりの費用を考えて自炊すれば、外食よりは体にいいし、経済的なのでしょう。これは私を含め多くの人に染みついた“常識”であり、言わば“絶対的正義”です。外食ばかりの人と、自炊をしている人、どちらがしっかりしているかと問われれば、9割以上の人は後者だと言うでしょう。

一人暮らしを始める時は、当然自炊をするものとして母から調理器具をもらいましたし、定期的に食材も送られてきました。

社会人になる頃には、一人暮らしに慣れて手際よくおいしい料理を作る友人もでき、自分も同じくらいの頻度で自炊をしていればこんなしっかり者になれていたかもしれない、と、憧れとともに不甲斐なさを感じてもいました。

最近読んだ、料理研究家の土井善晴先生と、ミュージシャンの岡村靖幸さんとの対談で、土井先生もおっしゃっていましたよ。

料理をしっかりしようと過剰に考えることによって料理のハードルが高くなり、「面倒」になってしまう(ここまでは同意)、それはつまり「生きていくのが面倒だと言ってんのと同じ」だと。「『面倒くさい』という言葉を封印しなくちゃダメや」と。料理は「暇でなくても『せなあかんこと』」だと。

「最近の男は間違った思い込みを持ってるから」土井善晴が“前世代的な考え方”を一刀両断する理由 | 文春オンライン

でも、そう言われたって! そう言われてもさあ! 私は料理が苦痛なんだ!

凝った料理じゃなくても、シンプルにしようとしても、好きにはなれなかったんだ。好きではないことを習慣化するのは、とにかくつらいのだ。

ふと料理をやめてみたら、心が“健康”になった

一人暮らしも十数年となったある日。特にきっかけがあったわけじゃないけれど、私は料理を一切やめてみようか、と思い至りました

すでにこの頃はほとんど自炊をしていなかったのですが、今日はしようかな、それとも……と思い悩むこともスッパリとやめようと思ったのです。

「料理を一切しない」と決めると、当然食材を買わなくなるので、生ゴミがほとんど出なくなりました。晩ご飯に何を作ろうか、そのために何を買おうか……と悩む時間もなくなりました(私にとってこの時間は苦痛でしかなかった)。「自炊もたまにします」ではなく、「料理は一切しません」と言い切ってしまうことで、開き直れるようにもなりました。私にとってはいいことずくめ。

私は夜に一人で外食するたび小さな罪悪感を心の中に蓄積させてきたのですが、もう料理はしないでいいんだ、と決めたことで、そのわだかまりが爽やかに溶けていくような思いがしました。

幸いこの頃には、毎日の食事でこまごま節約を考えなくてはいけないほどお金に困ってはいなかったので、なるべくお気に入りのお店でランチを食べて気分を上げるようになり、夜は自然と出来合いのお惣菜などで軽めに済ませるようになりました(女が夜に1人で外食するということに、この世の中は適していない!)。

料理をやめてみた|能町みね子 最近の外食

なぜ、自分には向いていない「料理」というものに、こんなにも長いこと悩まされていたのか。結局、ありもしない人目を気にしていたのかもしれない。絶対的正義に沿えない自分が許せなかったのかもしれない。家の中には私1人しかいないのに

ちゃんとした人だと思われたいがために好きでもない自炊を続けても、労力はかかるし、マズいものばかり食べることになるし、損をするだけだ!

だけどこんな食生活を、私は他人におすすめしようとまでは思わない。これは外食だけでもさまざまな選択肢がある東京という便利な場所で暮らしているからこそできることであり、都会のシステムに甘えまくった生活スタイルだからです。

ほかにも、収入面の問題、自分以外の家族などに食事を提供する必要性があるかなど、かなり条件的に恵まれていないとできないことです。たまたま自分がこういう状況だからできたこと。それは幸運でしかない。

でも、私にとって「料理をやめてみる」という選択は、精神の健康にとても良いことでした。自炊という「絶対的正義」に抵抗しちゃっても意外と1人で生きていけるものだ、と気付いたことは大きな自信にもなりました。

「正しい」ことを「やめる」選択肢を考えてもいい

その後、私は人と暮らし始め、お互いの同意のもと日々の料理を同居人に丸投げすることになり、以前と変わらず料理をしない生活が続いています。

しかし、徹底して自分の生活から料理を排除した反動なのか、しばらくすると、意外なことが起こりました。年にたったの1回程度ですが、急に「お菓子を作りたい」という気持ちがむくむく湧く日が生まれたのです。

あるとき、家にあったブドウと梨があまりおいしくなく、お菓子にでも加工できないものか……と思ったところからレシピを検索。ブドウの実だけを丁寧に取り出して、梨とともにジューサーにかけ、なんだかんだ時間をかけてババロアのようなものを作りました。見た目はいまいちだけど、たいへんおいしいものができました。

去年は緊急事態宣言下、牛乳が余って困っているという情報を見て、牛乳をただひたすら熱しつづけて作る「蘇(そ)」に興味が出ました。1時間以上台所に突っ立ってひたすらフライパンをかきまわし完成した「蘇」は、これまで食べたことのない味で、非常に満足しました。

料理をやめてみた|能町みね子 (左)ババロア(右)蘇

こんなふうに、ふと思いついて何か作ることは楽しい。今までの料理は義務感や自分の中の正義に追い立てられてやっていたから、苦痛だったのである。

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健康や未来や暮らしに関わることで、誰に聞いても「こっちが正しい」とすすめられるようなことでも、「やめる」という選択肢を考えたっていい。自分の快適さは自分にしか分からない

やめられるわけがないと思いこんでいることをやめた先に、新しい世界が見えてくることもあります。

著者:能町みね子

能町みね子さん

北海道出身。文筆業。著書に、『くすぶれ!モテない系』(文春文庫)、『雑誌の人格』シリーズ(文化出版局)、『お家賃ですけど』(東京書籍)、『そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか』(文春文庫)、『私以外みんな不潔』(幻冬舎)、『結婚の奴』(平凡社)など。

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編集/はてな編集部