「あなたのためを思って言っているんだよ」「これは若手の仕事だから、先輩の手が空いていても新人がやるべき」ーー。職場で上司や先輩といった立場の強い相手からかけられた言葉に「イラッ」や「モヤモヤ」したことはないでしょうか。でも、うまく言い返せずさらにモヤモヤしてしまう……。もしかすると、相手から「ずるい言葉」を投げかけられているのかもしれません。
森山至貴さんは差別やクィア・スタディーズを専門とする社会学者。著書『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)では、よく口にする、または耳にするけれどなんとなくモヤモヤしたり、イラッとしたりしてしまう言葉を「ずるい言葉」と定義し、「ずるい言葉」の実際の事例と対処法を、言葉の背景に隠されている問題も含めて解説しています。
今回森山さんには、職場でかけられがちな「ずるい言葉」に対し、なぜそんな言葉が使われるのか、そこにはどんな意図が隠されているのかを解説していただくとともに、ずるさに立ち向かう考え方のヒントについてお聞きしました。
「相手の言葉がずるかったんだ」と思っていい
森山至貴さん(以下、森山) ありがとうございます。この本を書いた目的のひとつに、モヤモヤやイラッとする言葉を投げかけられたとき、まずは「自分は悪くない」と思ってもらいたい、という気持ちがありました。僕は普段、教員として大学で働いているんですが、学生さんたちとのやりとりで特に感じたこととして、「相手の言っていることがおかしい」と確信を持てない人も多くて。そのこと自体が解決を遠のかせてしまうケースもあるなと。
森山 学生たちから受ける相談に「こんなことをバイト先の店長に言われて、悔しかったです」とか「サークルの先輩から言われたこの言葉がなんかおかしいなと感じたんですけど、言い返せなかったんです」といった話がすごく多いなと感じていたんです。よくよく聞いてみると、学生たちが言われがちな言葉っていつも似ているな、一定のパターンがあるなと思い、これをテーマに本を書いてみようと。
森山 そうですね。言葉をかけた当人に悪意がある場合とそうではない場合があるので、もちろん「ずるさ」にも度合いはあると思います。ただ、その「ずるさ」の多くは差別にゆるくつながっているんじゃないか、という感覚がありました。
というのも、そういった相談をしてくる学生の多くが女性であり、専門家の立場から見ると、これは女性差別の一事例だなと感じるものがすごく多かったんです。女性差別ではない場合でも、「この人はこうだから」というような、相手の属性に基づく一方的な決めつけから問題が生じているというケースが多くて。自分の思い通りに相手を言いくるめようとしたり、否定したりする言葉は、差別の話にも通ずると感じました。これは、差別が若者のすぐ身近に存在しているということなんだなと。
そんな「ずるい言葉」を言う大人に言いくるめられないための手がかりとして、若い人たちでも読んでもらいやすい本にしようと思い、著書では「10代から知っておきたい」という形にしたんです。
日常会話の中で「うまく丸め込まれて私が悪いということになってしまったけれど、やっぱり私はまちがっていない気がする」「私のことを思って言ってくれたとは思うけれど、なんとなく傷つく」とモヤモヤしてしまうのは、投げかけられた言葉が「ずるい言葉」だから、と本著では記されている
森山 職場の上司と部下といった上下関係や、多数派・少数派といった形で力の不均衡があるような場合、より力を持っている側がそういった言葉を言いやすい立場になってしまうというのは確かにあります。だから、先輩や上司からずるい言葉をかけられた経験のある方は、大人でもとても多いのではないかと思います。
森山 そういう方、多いですよね。自分は悪くないと思っていい、ということをこれまで言われてこなかったんだろうなと感じたりします。だからそういう方には、「あなたが間違っているわけじゃないから」って説得してあげるだけでもちょっと荷が軽くなるのかなって思ったんです。
僕の仕事は「なぜその人は悪くないか」を理詰めで伝えることなので、この本の中ではまずそのロジックを丁寧に説明することで、「そうか、悪くないのか」と納得してもらうことが第一歩なのかなと。そして日常的に投げかけられる言葉の「モヤモヤ」や「イラッ」の背景を理解し、晴らしていくことは差別を減らしていくことにもつながっていくと感じています。
「仕事ができるから頼むんだよ」「これは若手の仕事だから」──ずるい言葉への対処法
case1:あなたは仕事ができるから、この業務をお願いしたいんだよ
森山 僕は大学教員なので、いわゆる上司にあたる人が常にいる立場ではないんです。だから少し想像も入ってしまうんですが、そういうことを言う人って、巧みにいろんな理由をつけていますけど、単純に断れなさそうで頼みやすい人に頼んでるだけなんじゃないか?っていうのはいまお聞きしてふと思いました。
森山 もちろん明確に理由があって仕事を振っていることもあると思いますが、実は自分の面倒を減らすためにずるい言葉を使って、相手を丸め込もうとしている可能性はありそうです。
森山 「私はそろそろキャパオーバーなので他の人にも声をかけてくれたらうれしい」と言えたらもちろんいちばんいいですが、そうやってストレートに言えたら苦労しないですもんね。なんて切り抜けたらいいんだろう。
即効性はないけれど、「私のことを買ってくださっているのはありがたいんですけど……」と折に触れて言う、というのはありかもしれません。おそらく「この人は私を高評価してくれているんだから、しんどい仕事でも引き受けよう」というやさしさにつけこまれているわけですけど、その高評価は常に議論のテーブルの下でこっそり切ってよいカードではない。「私を買ってくださっていることには感謝します」というポジティブな言葉を返すことでその高評価への収支をテーブルの上でいったん合わせてしまって、いざというときに備えておく、というのが現実的な対応かもしれません。
森山 職場でのやりとりって、実際には双方の気持ちが思いきりぶつかり合っているのに、ぶつかっているっていうことを認識できていなかったり、認識させようとしていなかったりするケースが多い気がします。そういったときに不利になってしまうのは、やはり立場的に下の方になってしまいがちで、「ずるいな」と感じてしまう。
ただ思っていることを双方がきちんとテーブルの上にカードとして投げ込んでいった方がやりやすくなるはずなんですよ。影で言うのではなく正面から、できれば角が立たないよう相手のカードをまず出させるというのは、職場でのひとつの交渉術としてありなのかなと思います。
case2:これは若手(新人)の仕事だから
森山 職場では「誰がやってもいいし、そこまで経験値もいらない」仕事というのもあると思うので、それをまだ仕事が少ない新人や経験値の少ない若手がやるべき、という考え方なのであれば合理性はありますよね。
そういう考えのもとで仕事を若手だけに振る場合は、なぜそうしているのかという理由を先輩や上司は伝えるべきだと思います。理由が明確なのであれば、「そのつもりでやります」と自分にも相手にも言い聞かせることができますから。
ただ、本来は気づいた人がやればいちばん効率がいいはずなのに、自動的に「若手の仕事」にさせられるケースがあるということですよね。そういうときは、難しいかもしれませんが「ぶっちゃけ、先輩たちが新人のときはこの仕事、どのくらいちゃんとやってましたか?」みたいなことをやんわり聞くのはありかもしれない。「ちょっとサボりながらやってたよ」みたいなことを正直に言ってもらえたとしたら、そのくらいの業務として引き受ければいいし。
森山 自分にとってもですし、相手に「そんなに急がなくていい仕事ってことですよね」と釘を刺すのも意味があることなのではないかと思います。仮に、緊急度が高い仕事なのに負荷が毎回若手だけにかかっていて不当な状況になっているのであれば、その会話ですこし風向きが変わっていく可能性もあるので。
森山 そういう仕事を断固としてやろうとしない人って、「これは男性/女性の仕事じゃない」と思っているからやらない……のではなく、やらないでいられることのラクさにあぐらをかいていたいから、「これは男性/女性の仕事じゃない」とあとから自分を正当化していることも多いんじゃないかと思います。
自分の仕事だと思えない、という体で振る舞っていないと「どうして気づいてるのにやってくれないんですか」と言われてしまうから、気づいていないふりをするという……。
森山 鈍感なふりをする、というタイプの暴力ってあるんですよ。本当に邪悪だなと思いますね……。
case3:自分で選んだことでしょ
森山 確かによく聞く言葉ですね。人の選択ってさまざまな外的な条件があってなされるもので、その条件のなかには不当なものも当然ある。そのなかでかろうじて選んだ立場や仕事を「あなたが選んだこと」と言い切るとしたら、それはちょっと視野が狭過ぎるなと。僕がもしそういうふうに言われたら、「じゃあ、どういう場合だったら自分で選んだとはいえないことになるんですか、その条件は厳し過ぎやしないか」って聞いてしまう気がします。
もうすこし話題の抽象度を上げると、なにかを選ぶことって権利だと思うんですが、権利と責任って世間が思うほど単純に結びついているわけじゃないと思うんです。なにかを選択することと、選択したことの結果をどの程度その人が引き受けなくてはいけないかは単純な一対一対応ではないはずで、それをどう対応させるのか考えるのが人間の知恵だと思うんですね。それを単純化して「あなたが選んだことの責任は全てあなたにある」というのは無理がある。
森山 見えていない場合もあれば、実際はそれが見えているけれど、「私は自分の力でその理不尽をはねのけたんだから、あなたもできるはずだ」と思っている場合もあるのかなと思います。いわゆる「自己責任論」というときには、意外と後者の方が多いのかなと。「私はやれたんだからあなたも文句を言うな」という……。その人がそれで自尊心を保っているような場合、「そうじゃなくてもいい」と言われると自己否定をされているように感じてしまうんでしょうね。でも、ゆるくても大丈夫という方向に舵を切っていった方が、基本的にはみんな幸せになれるはずだと思います。
「怒っちゃえ」というそそのかしをしていきたい
森山 もちろん、おかしいと感じたらすぐに怒ることができるのは理想的だとは思います。でも、誰もがとっさに反論できるわけではないし、自分が頑張って強くならなきゃいけない、と思ってほしいわけでは決してありません。
ただ個人的には、口には出せないにせよ、心の中で「ムカつく」とか「それはおかしい」とぱっと思えた方がいいんじゃないか、とは思っています。理不尽なことを言われたとき、それに反発できる気持ちを心のなかで持っておかないと、自分が潰れていってしまうことも多いと思うので。
裏表紙では「あなたのためを思って言っているんだよ」「私には偏見ないんで」など、ずるい言葉がズラリ。著書ではこれらの言葉の問題点を会話シーンと合わせて解説している
森山 怒りというのは気分なので、どんなときでも「ムカつく」と思えるわけではないと思います。僕は確かにどちらかというと「ムカつく」って反射的に思えるほうなんですが(笑)、それでもそう思えない気分のときもある。でも、心のなかで怒れるという選択肢があるのとないのとでは大違いなので、怒るのが苦手な人に「怒っちゃえ」というそそのかしをしていきたいという気持ちはいつもありますね。
『ずるい言葉』は怒るべきときに怒れるための材料を私がみなさんの代わりにアウトソーシングしておきましたっていう本なので、いままさに渦中にいる方とか、周囲になかなか人に怒れない友人がいる方が有効活用してくださったらうれしいと思っています。
もし自分が「ずるい言葉」をかける側になってしまったら……
森山 うーん……すこし思ったのは、そこまでがんばらなくても大丈夫じゃないかな、と。基本的には「言ってしまったことはきちんと謝って、次は気をつけよう」でOKというのが僕の感覚ですし、そういうことで悩み過ぎてしまう人は、おそらくそこまで無神経なことを言わないと思うので。
自分を律するのももちろん大切ではあるんですが、僕がむしろ自分のこととして気をつけているのは、周りが自分に「それはおかしいよ」と言いやすい関係を人と築けているかどうかです。自分がずるい言葉を誰かに言ってしまっているときって、悪意がない場合、ずるい言葉だと自分では気づけないわけです。それを自己批判の力で乗り越えるというのは僕には到底無理だと思っていて、それよりも、周りの人が「あれはほんとひどかったよ」「ずるいよ」って言ってくれるかどうかを気にした方がいいんじゃないかなと。
森山 うん、私たちは完璧な人間じゃないので、自分ひとりの力で自分を常にパーフェクトにすることはできないと思うんですよ。だから、パートナーや友達からなにも指摘してもらえなくなったら終わりだな、そうならないようにしようっていつも考えてます。人間はたぶんみんな、そんなもんなんじゃないでしょうか。
取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06)
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部
お話を伺った方森山至貴さん