心が折れた私を支えてくれた「頑張らないを頑張る」という考え方

 梶本時代

梶本時代

つらいことが起きた。憤りを感じた。体や心に不調がある。周囲とすれ違ってしまう――。

日々生活を送ったり、働いたりする中で遭遇する、いろんな「上手くいかない」場面。やり過ごせることもあれば、感情を大きく揺さぶられ、どうにもならなさを感じることも。

今回、寄稿いただいた梶本時代さんも「自分の感情」との向き合い方に試行錯誤している一人。一般的に「医療職と相性が悪い」とされている注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱えながら看護師として働く梶本さんが、自身の体験を通じて感じた「『頑張らない』を頑張る」ことの大事さをつづります。

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新型コロナウイルス感染症と長い梅雨に苦しめられた2020年の初夏、私の窮地を救ってくれたのは「努力して休む」という考え方だった。

私は関東の中規模病院に勤めるアラサー看護師だ。中学生の頃、脳の病気で入院したことをきっかけに看護師を志し、現役で専門学校を卒業。看護師歴は今年で8年になる。

私が「人より仕事ができない」ことを痛感したのは、看護師として働き始めてすぐのことだった。5分前に先輩から言われたことで頭がいっぱいになり、目の前のごくごく簡単な業務ができなかったことをきっかけに心療内科を受診。ADHDの診断を受けた。以来、投薬をしながら仕事を続けている。

周囲の視線や人の動向が気になって仕事中もよく注意散漫になってしまう。自分で言うのも何だが、クソがつくほどまじめで、何事も最善を尽くそうとするのでストレスが溜まりやすい。そんな自分の傾向をわかっているからこそ、「こんな悩みは馬鹿げているんじゃないか」と一人で抱え込んでしまいがちである。仕事も試行錯誤を続けて失敗した理由を解明し、どんどん先に進めたいタイプで「とりあえず一休み」が苦手。走り出したら止まれない。よく自分の尿意を忘れる。そんな私は新型コロナの影響で着実に、しかし無意識に苦しめられていった。

新型コロナと長い梅雨で「心の灯り」が消えた

5月末の緊急事態宣言解除後、これからまた日常に戻れるかなと安堵した直後に自分が働く病棟で新型コロナの感染者が発生した。感染防御策や接触者の洗い出し、PCR検査の実施など現場は対応に追われ、多忙を極めた。患者の治療は感染防御策に伴い制限され、一部の検査や手術は延期に延期を重ねた。病棟から一歩出れば偏見にさらされ、肩身が狭い更衣室で自部署の陰口を聞いて傷ついた。

自身のPCR検査が陰性でも「今日感染したかもしれない。他人にうつすかもしれない」という思いを抱えて日々を過ごした。地元のスーパーに行くときでさえ罪悪感と恐怖心がぬぐえなかった。

そんな中、例年より長い梅雨が始まり休日ですら何もやる気が起きなくなった。低気圧による鈍い頭痛を紛らわそうと映画を観ても、フィクションより悲壮感の漂う現実に引き戻されては落ち込んだ。

「今私ができることって何なんだろう。私は何を頑張ればいいんだろう」

現状でできる限りの最善を尽くしていると分かっていても心は晴れず、テレビでは各地が豪雨で冠水している映像が流れていた。

ある休み明け、重い身体を引きずって出勤すると先輩の一人が駆け寄ってきてささやいた。それは、私のチームで会議を重ね治療に当たっていた患者の状態が悪化したという知らせだった。それから数日後の夜勤中、病棟の電気を消灯した瞬間に自分の心の灯りもフッと消えたのを感じた。

「ああ、もう全てがどうでもいい。私は何もできない無能だ。消えて無くなってしまいたい」

はっきりとそう思った。そして私は「外に助けを求めること」を選択した

我慢は美学ではないし、つらいときはつらいと言っていい

私は幼少期から「陰の努力」や「苦悩を表に出さない」ことが美学だと信じていた。嫌なことがあれば「あの子にいち我慢……」と心の中でカウントし極限まで蓄積させて、本当に堪えられなくなったら爆発させていた。そっちの方が楽で格好よくて、小さなことをぐちぐち言う人は幼稚だと思っていたのだ。

しかし、結局は限界に至ってキレてしまったし、キレてもスッキリはしなかった。大人たちには「普段は良い子なのにどうしたの?」と心配された。我慢したことを評価されるどころか、些細なことでキレてしまう加害者として処理されてしまうのだ。自分が我慢をしてストレスを積み重ねても、他人の目には見えないし理解されない。私の爆発は、他人にとっては意味不明な逆ギレでしかないという哀しい事実が浮き彫りになっていった。

社会人になると「頑張り方」が分からないことが増えた。学生時代は先生やコーチがいて、勉強なら解くべき問題集を、スポーツならやるべきメニューを教えてくれた。しかし仕事はそうはいかない。案件を誰に振るのが適切か、他職種とのトラブルは誰にどう説明して解決するのか、正解に近いものがあるはずなのに、そこへの最短ルートは誰しもが容易に通れるものではない。分からないからと自分の中で抱え込んでいると、案件という名の時限爆弾がみるみる大きくなり、周囲が気付いたころにはもう手遅れということもある。

幼少期から社会人にかけてこういった経験を積み重ねて、いろんなものを犠牲にしていくうちに、「我慢」は美学ではないし「分からない」ことを一人で抱えることは結局周囲の負担を増やすだけだと気付いた。

「我慢」はしないで人に頼る。嫌なことは嫌と、つらいときはつらいと、誰かに言えることを自分の中で肯定していく。「分からない」ことは人に聞く。看護師が「分からない」ことを後回しにして割を食うのは患者なのだ。患者が取り返しのつかない状態に追い込まれると分かっていたら、自分一人で抱え込んでクヨクヨしている時間なんてない。

そうした過去の経験から、今回も心の灯りが消えてしまったとき、しんどさがピークに達する前に外に助けを求めるべきだと思った。危険信号を出しておくことで最悪の事態を免れ、自分も家族も職場もきっと救われる。そう信じられる気力が残っているうちに行動に移せるかどうかが大切だ。

「頑張らないことを頑張れないかな」

夜勤の休憩中、まず、夫に今の素直な思いをメールした。夫は私がADHDであることを知っているし、抱え込みやすい傾向も理解してくれている。その上で必ず私の頑張りを認めてくれていた。私自身も「言わなくても伝わるだろう」と信頼関係にあぐらをかかず、言ったことを理解してもらうという関係を崩さなかった。だから、どんなくだらない些細なことでも思ったことは夫に伝えて、普段から我慢しないことに慣れさせていた。その結果、今回のような切迫した精神状態の時に、他の誰にも言えなくても夫にだけはまず言おうと思えたのだろう。夫からの返信はこうだった。

「頑張る君も好きだけど、無理が重なるパターンに入っちゃってる気がする」
頑張らないことを頑張るというか、負担を減らせないもんかね」

頑張っていること自体が悪いわけじゃない。そう伝えた上で、あえて頑張らない方向に努力の舵を切った方が良い、と助言をしてくれたのだ。自分がぼんやりと思っていたことが言語化されてハッとした。夫に話していなければ、この先も行き止まりに向かって歩き続けて、目の前の壁に頭を擦り付けながらも歩みを止められなかったかもしれない。少し自分を客観視することができ、そこまで心の余裕がなくなっていたことに驚愕した。ヤバいな、と気付いたときにはもう危険な状態に近いという点では、うつも熱中症と変わらないのだ

続けて、職場のカウンセラーに相談を依頼した。一定の規模の医療機関には医療従事者向けの臨床心理士が待機しており、いつでもメールなどで相談依頼を送ることができる。ここでもなるべく端的に率直に、今つらくてままならない状況を書いた。深夜に送ったため返信が来るのはまだ先だと分かっていたが、きちんと専門家に対応してもらえるよう自分から行動できた、ということ自体をまず肯定しようと思った。

人に危険信号を出し、膿を出すための穴を空けたことで「できることはやったし、あとはどうにでもなるかな」と吹っ切れ、消えた灯りが再び小さく灯るをの感じた。私にとっては「人に助けを求める」という作業が一番勇気がいることだったのだ。

その後は不思議と肩の力が抜けて、普段ピリピリしがちな私が驚くほど穏やかに患者に対応できた。事故無く夜勤を終えた爽快感と、患者に優しくできた達成感を携えて病院を出ると、空が晴れていた。何日かぶりの晴れ、梅雨明けだった。

深呼吸だって、意識しないとできないから

家に帰り、夫に改めて抱えている不安や絶望した気持ちをとことん吐き出した。夫は私の話を受け止めながら、夫なりの考えを伝えてくれた。最後は夫婦としての話し合いに発展していったが、有意義な時間になった。最後に、またこういう精神状態になった時のお守りとして携えておきたい言葉があったのでこうお願いした。

「『君が必要だ。生きていてほしい』って言ってほしい」

夫は私の涙を拭きながら「ずっとそばにいてほしいよ」と言って抱きしめてくれた。

その後はできるだけのびのびと過ごした。友人にも会った。家族や仕事で関わる人以外と会うのは久しぶりだった。感染対策は万全にして「ここまでやってるんだからきっと大丈夫。今は罪悪感を抱かず、素直に楽しもう」と自分に言い聞かせた。

友人は医療従事者ではないが接客業をしており、新型コロナ陽性者は出ていなくても対策に追われているとのことだった。大変なのは自分だけではないという事実が、不謹慎ながら心強く感じた。どっちがどう大変かとかではなく、みんなそれぞれの立場から苦労しているのだ。だからこそ支え合わないとね、と自然と優しい言葉があふれ出した。

「会えてよかったよ」「これからもよろしくね」そう言って別れた時、生き延びることに意味はあるんだなと泣きそうになってしまった。

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今もまだ、なりたい自分になるためのストイックな行動や、仕事の行き詰まりについて深刻に考えることを意識的に避けている。今回、異常事態に翻弄されてひどく落ち込んだことを振り返ってみて、学んだことがあった。

不言実行を美徳とする人の多くは日常でもストレスをため込みがちである。世の中が不満でいっぱいになると「皆つらいんだ。私はまだ大丈夫」と無意識にストレスの限界値を上げてしまう。しんどさを自覚した時には、もうすでにピークが近いかもしれない。

異常事態だからこそ、自分のメンタルを過信しないで早めに対処した方がいい。限界に達する前にこれ以上頑張り過ぎないための努力として人を頼り、外に向けてヘルプを出す。そしてそれを自分自身でも肯定する。そうすることで、少し余裕が生まれ自分を客観視できるようになる。

「なんでこんなになるまで放って置いたんですか」と医者はよく言うが、それは身体だけでなく心についても言えることなのだ。

深呼吸だって意識しないとできないもの。「休む努力」も時には必要なのかもしれない。

著者:梶本時代

梶本時代

現役看護師。2018年の文学フリマで25年の人生を綴ったエッセイ『神さま、私のこと好きなんじゃないかな』を執筆。好きなものは夫、暗い映画、隣人の風呂の香り。社会に馴染めない人や自分の人生に胸を張れない人の力になりたい。

ブログ:わんわん啼く大人note
Twitter:@uni_iga_iga

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編集/はてな編集部