「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ

 ひらりさ

ひらりささん「#わたしがやめたこと」記事イメージ

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライター・編集者のひらりささんに寄稿いただきました。

ひらりささんがやめたことは「大人にこだわる」こと。

かつては「大人」へのこだわりが強かったというひらりささん、しかし「大人じゃない自分」を認められるようになってから、肩の力が抜けたと語ります。大人じゃない自分への思いが薄れていった理由や、「大人」へのこだわりがなくなったことで生まれた新たな思いについてもつづっていただきました。

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人生で初めて、バリウムを飲んだ。

30代になるとやらねばならないという、胃部X線検査のためである。白くてドロドロしたそれが、かなりまずいというのは風の噂で聞いており、その日その時まで身構えていた。

しかし蓋を開けてみれば味は大した問題ではなく、衝撃だったのは、白くてドロドロしたそれを胃全体に塗りつけるため、機械の上に立たされて、グルングルン体を回転させられたことだった。「大人はみんなこんなことを……?」と心底びっくりしたものの、ハイハイ大丈夫ですよというすまし顔で、グルングルンをやり切った。

こんなふうに「大人がみんなやってること」を乗り切ると、ちょっとうれしい自分がいる。それはつまり、私が私のことを「もしかして、大人としてやばいのでは……」と思いがちなことの裏返しである。

先日も、所属ユニット「劇団雌猫」がやっている人生相談連載に「周りと比べ、年だけ取って中身が空っぽな自分がいやだ」という趣旨の投稿が舞い込んだのだが、自分が寝ている間に投稿したのか? と思ったくらいだ。

結局、私からの回答は「私も大人じゃないから大丈夫!」という励ましに終始してしまった。かっこいい大人のコメントがキメられず申し訳なくはあったが、しかし、「大人じゃない自分」を認められるようになってから、生きやすくなったと思う。

「ハーゲンダッツ禁止事件」の恨み

子供の頃は、「早く大人になりたい」という意志を間違いなく持っていて、なんでも自分で決められる身分への憧れがあった。ものすごく恨みがましく覚えているのが「ハーゲンダッツ禁止事件」だ。

幼稚園の頃、我が家で買い与えられるアイスは、ハーゲンダッツだった。コーラやサイダー、フルーツジュースのような甘味飲料は体に悪いと親が考えており飲ませてもらえなかったので、夏の癒しとしてのアイスのプレゼンスはとても貴重で、まだ物心はついていなかったはずだが、バニラビーンズの効いたあの甘美な白いたべものを舌に乗せられるタイミングをいつも楽しみにしていた。

しかしある日、何の話の流れだったのか、社宅のママ友の誰かが、母にこう言ったらしい。

「え、子供にハーゲンダッツ食べさせてるの? 贅沢過ぎるよ」

かくして、我が家では子供たちのアイスだけが明治エッセルスーパーカップとなった。

別に毎日のようにばくばく食べていたわけでも、ハーゲンダッツで家計が傾いたわけでもなかったのに、である。その後両親の離婚により家計が傾いてしまうので、むしろ食べ盛りの女子中学生時代にこそスーパーカップに大変お世話になったのだが、今でもコンビニで見かけると苦い思いが蘇るのも事実である。

会社員になり、自分で自分の食い扶持を稼げてうれしかったのは、親に学費や生活費の負担をかけないで済むようになったことと、「いつでも好きなだけハーゲンダッツを買っておけること」だった。

子供の頃は分からなかった「大人の大変さ」

とはいえ、年齢を重ね、世間的に“ほぼ一人前”として扱われるようになってからは、大人だって別に楽ではないこと、子供の頃はだいぶいろいろな点で得をしていたことも徐々に分かってきた。

例えば、「相手にメリットがないお願いごとは聞いてもらえない」ことが増えた。

大学時代、私は学生新聞を作る学内団体に所属し、学内の教員や学外の卒業生などに取材依頼をし本当にさまざまな方に引き受けていただいていたのだが、あとで会社員として取材・執筆をする身分になってからは「こんなに断られるものなのか!」と驚いたものだ。

学生の時は社会で実績をあげているプロフェッショナルに無償で1時間取材をさせてもらう、ということがいくらでもあったのだけれど、社会人になってからは、ただ取材先を思いつくだけではなく、相手の活動の宣伝になるようにだとか、ギャランティーをきちんと設定したりだとか、相手が気持ちよく話をできるようにだとか、そもそも相手が載りたいと思える媒体に育てないととか、そういう努力が必要なのだった。

学生新聞の時だって、いっぱしに記者気取りをしていたが、「あの時は甘く見てもらっていたおかげでなんとかなっていたのだ……」と身に染みた変化だった。そして、20代前半に関していえば社会人であっても「まだ若造なんで……」ムーブをすることで甘く見てもらえる局面も多く、無意識に“若造カード”を切ってやり抜けたあれこれもあったなあ、と思う。

自分のことばかり考えていたい、でいいのだろうか

問題は、20代半ばを過ぎてからである。

2度の転職を経て、自分にとってかなり合った職場で働けるようになり、ライターとしてもキャリアを重ねて、日々が楽しくなってくる一方で、都合の良いところだけ“若造カード”を切る戦法も通用しなくなっていることを実感し出したのだ。

そして同世代、あるいはちょっと下の年齢の人の方がしっかりしている場面にも遭遇するようになってきた。自分が10分遅刻して汗だく髪ボサボサで滑り込んだ英会話スクールの待合室に、幼稚園児の手を握ったお母さん(明らかに自分より若い)がいるのを見た時の恥ずかしさと言ったら。「私はまだ自分の世話も見切れてないのに、他の人間の世話をしっかり見ている人が!!!」と、勝手に落ち込んでしまった。

身の回りにおける結婚・出産ラッシュのなかで「自分も誰かと暮らしてみたり、結婚してみたり、子育てしてみたりすることで、もっと“大人”になれるかなあ」という目論見が湧いてきたのもこの時期だ。

しかし結婚相談所に行ってみたり、合コンに顔を出してみたり、実際に交際してみたりしても、結局自分の仕事や生活にいっぱいいっぱいのせいで、その先にあるもののために具体的に行動したい自分は現れなかった。

28歳で始めた一人暮らしだけは、「今私は、自分で自分の面倒を見れているぞ!」という心地よさをもたらしてくれたが、それでも季節的にメンタルが沈んでいる時などには「こんなに、自分のことだけ考えていたいということこそが、“子供”っぽさの証ではないか」という自己嫌悪を抱くときもあった。

“大人”にこだわることは、他人と比較することでもある

そんなふうにここ数年“大人”への思いをこじらせていたのだが……、正直言うと、30歳を過ぎたら、驚くほどどうでも良くなってきた。これはつまり、結婚という、世間的にいちばん”一人前”っぽくみなされるイベントに関して、「なるようにしかならない」ことが周囲の事例により明らかになってきたからかもしれない。

結婚したい人は何がなんでもするし、結婚したくならない人はしないし、そこのミスマッチがあった人は離婚する。あくまで私の主観ではあるが、このことがだんだん分かってきたのが30歳で、“大人”に対するぼんやりとした憧れと焦りも、「まあ本当になりたかったらなるんだろうし、なりたくないからなりきってないんだろうな」と思えるようになり、肩の力が抜けてきたのだった。

31歳になった今、肩の力はますます抜けた。これまでは何をしていても、「もしかして、結婚や子育てのような、“大人”としてやるべきことを後回しにしているだけではないか?」というモヤモヤした気持ちがあったのだが、それはいずれ誰しもやった方がいいステップと言うわけではなく、個人の選択の問題だと腹落ちしてきたからだ。

「みんなやってるし、自分もいつかやった方がいいんだろうなあ」というマインドを抱いていたもののことを覚悟を持って(?)棚上げし、「今や近い将来に確実にやりたいこと」にだけ専念するようにしてから落ち込む機会も減り、周囲の結婚・出産といったニュースに対しても、自分の状況を比較せずに、素直に祝えるようになったなと思う。

そう、“大人”にこだわることは、他人と比較することでもあったのだ。「みんなはアレをしているのに、自分はできていない」の呪縛から解放された今の方が、毎日気楽で楽しい。

よくよく考えたら、幼少のみぎり、母がハーゲンダッツを私に与えるのをやめたのも、本当に贅沢だと思ったからではなくて「ママ友の目が気になったから」なのである。生きやすさのコツは、”大人”かどうかではなく、人からどう見えるかを気にしないことにあった。

30代は「誰かを気遣うこと」を積み重ねていく

そうして、自分が人から“大人”に見えるかで焦らなくなったら、その焦りに使っていた心理的・時間的リソースで、下の世代のためにできることを考えるようになった。

だって、私は“大人”であるという自認にかかわらず、年齢は確実にとっており、自分より下の世代というものは、どんどん増えているのであった。

よく「子供が生まれてから政治に興味が出た」という話を聞くけれど、私はむしろ30歳を過ぎて、「とりあえず自分は向こう5年くらいは結婚も子育てもしなそうだし一生しない可能性もあるなあ、でもまあいいか」と思ったからこそ、「子供がいればその子供の世話を見る、という手段があって、下の世代のためにできることが分かりやすいけれど、別に子供がいなくても、できることっていろいろあるよな〜」と真剣に考えるようになったのだった。

例えばフェミニズムについて話をすることが増えたのも、世間の時流以上に、「自分は自分なりに死に物狂いでセクハラやパワハラを切り抜けたけれど、これは個人の努力でどうにかするものではなく、今からそうしたリスクを持っている人たちのために何か言いたい」という気持ちが、歳を取るにつれて強まっているからだと思う。遅い、と怒られるかもしれないが、先に書いた通り、20代は自分のことでいっぱいいっぱいだったのだ。

遅いのは分かっているからこそ、ハーゲンダッツを買うとか、結婚しているとか子育てしているとかバリウムを飲めたかではなくて、「余裕があるときに誰かを気遣う」こと、「その気遣いが自分にとっても意味があると思える」ことを、少しずつ積み重ねていける30代にしたい。

著者:ひらりさ

ひらりさ

ライター・編集者。平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。 劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。 個人としてもアンソロジー同人誌『女と女』を発行するなど、女性にまつわるさまざまなテーマについて執筆している。
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編集/はてな編集部

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