家族に苦しめられた私が、独身のまま40歳を過ぎて思うこと|小林エリコ

 小林エリコ

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自分に子供が生まれたら愛せるだろうか。結婚する必要ってあるんだろうかーー。そんなことをふと考えた経験はないでしょうか。

複雑な家庭環境で育ち、10代の頃には「結婚しない」と決めた小林エリコさん。40代になった今、恋人との同居を考えています。ここへ至るまで、周囲の言葉や自分の中の孤独と向き合いながら、結婚や出産の意味を模索してきました。

「家族から解放されたい」と願う小林さんがたどり着いた思いとは。結婚や出産に対する認識が変わっていく、その過程をつづっていただきました。

独身、子なし、40代

私は10代の頃、結婚に対して少しも憧れなかった。父は酒を飲み暴力を振るい、経済力のない母はそれに耐えるだけ。そんな様子を見て、「絶対に結婚するものか」と決意していた。そして、自分でバリバリ働いてお金を稼ぐことを夢に見ていた。

しかし、その目標はあっという間に崩れ落ちた。親に希望の進路を反対され、興味のない大学へ行く羽目になり、卒業したものの時代は就職氷河期真っ只中。就職浪人になり、実家で暮らすことになった。引きこもりを数カ月経験したのち、東京へ出て編集の仕事についたが、低賃金と仕事量の多さから精神状態は悪化。最終的に、自殺未遂をしてしまった。

大学卒業後に会社員として働くという“レール”を外れ、私が思う「普通」の人生を送ることは難しくなった。同じ年代の人は職場などで男性と出会う機会があるのだろうけれど、私にはそれがない。もちろん、当時は結婚したくないという意思を持っていたけれど、引きこもっていた20代に、そもそも結婚は不可能だった。

働き始めた30代の頃、恋人ができて「一緒に暮らしたい」と言われた。同居の約束をして物件まで決めたのだが、「付き合って数カ月で同居は早過ぎると、僕の母親が反対している」と告げられ、同居の話はすぐに反故となった。結局誰とも結婚しないまま40代を迎えた。

思い返すと、20代の頃「普通に就職して、普通に結婚してほしかった」と母に泣きながら言われてしまった時はつらく、悔しかった。私からしてみれば「酒乱の父のご機嫌取りばかりするような家庭を築いておいて、何を今更」という気持ちだった。

それなのに、子供に結婚することを求めるのはなぜなのだろう。何かの本で読んだのだけれど、母親は子供が結婚しないと、自分の人生を否定された気持ちになるのだそうだ。私は結婚した母も、結婚しない私の人生もそれぞれに意味があるものだと信じているが、母はそうでなかったのかもしれない。

自分に似た子供が愛せない?

話は変わるが、短大時代の友人に私と同じ名前のえりこちゃんという人がいて、彼女の子供たちとときどき遊ばせてもらっている。親しくなるにつれ、母親のえりこちゃん抜きで遊ぶ機会も増えてきた。オチがなく、終わることもない子供のおしゃべりは聞いていてとても優しい気持ちになる。

H&Mで新品の洋服を買ってやり、サーティーワンで一緒にアイスクリームを食べる。子供の欲望を満たすのは、私にとって「満たされなかった子供時代の自分を癒す行為」だと感じる。

頼りない小さな手を握って階段を1段1段、ゆっくりと上がり、子供の歩幅にあわせて歩くと、幼い頃の自分を思い出す。父は酒を飲んで乱暴を働くひどい親だったけれど、私をよく外に連れ出してくれた。行き先は競輪場が多かったが、それでも楽しかった。しかし、父は私と歩く時、振り返りもせず、早足でずんずん歩いてしまう。私は父の背中をいつも小走りで追いかけていた。

本当は父と手をつないで、ゆっくり隣を歩きたかったのだと、えりこちゃんの子供たちの手を握って初めて気がつく。そして、私は親から愛されていなかったのではないかと、胸の奥がシクシクと痛む。

そんな私が、えりこちゃんの子供たちを可愛いと思うのはなぜだろうか。友人に言わせると、「自分の子供じゃないから可愛い」のだそうだ。確かに、私は子育てにおける面倒ごとを一切やっていない。保育園を探すこともなく、離乳食も作らず、おむつも替えない。

それに、えりこちゃんの子供も「お母さんの友達だから」という理由で気を使ってくれているのだろう。しかし、私は自分の心の奥の方に、もっと深いものがあるのを感じている。

私は子供の頃から周囲に見た目や考え方を否定されて育ってきた。そのため、自分をひどく醜いと思っているし、自分のことがとても嫌いだ。大嫌いな自分の生き写しのような子供がいたら、その子供を愛せるのだろうか。

萩尾望都の『イグアナの娘』*1は母娘問題をテーマにした名作で、「自分に似た娘を愛せない母親」が登場する。私もあれと同じことが起こる気がしてならない。そう思うと、顔も性格も自分に似ていない友達の子供をかわいいと思うことに納得ができてしまう。

すでに子供を産み育てやすい年齢から遠ざかっている私は、友達の子供を愛し、困ったときに力になれる存在になりたいと願っている。それは自分が子供の頃、分からないこと、相談したいことがあっても、頼りになる大人が周囲にいなかったからだ。

なぜ結婚するのか

現在、付き合って一年ほどになる恋人がいる。同居を予定していて、そのために動き出している。10代の時、あんなに「一人で生きる」と躍起になっていたのに、その気持ちはもうない。30代で一人暮らしを始めた頃、一人で暮らすのは不経済であるし、何よりとても寂しいと感じたからだ。家賃も光熱費も自分で全て払わなければならず、スーパーで買う食材も家族向けゆえ、量が多い。自分が作った料理を無言で食べていると、どこからともなく虚しさがやってくる。

とはいえ、彼と籍を入れる予定は今のところない。子供を作るなら籍を入れた方が何かと楽そうな気はするが、子供を作る予定もない。それに、自分にはある程度稼ぎがあるので、扶養家族にならなくてもやっていける。そうなってくると、籍を入れることの意味はあまりない。籍を入れると、「(法的な拘束力が生まれて)別れにくくなる」のかもしれないが、そのことによって、愛情がなくなった相手と何年も一緒にいる夫婦にはなりたくない。

しかし、矛盾するようだが籍を入れたい理由がないわけではない。それは自分の親からは独立し、夫婦の戸籍となるからだ。しかし、そうなったとしても、父や母は自分にとって永遠に父と母であるし、兄とも兄妹であることに変わりはないのだが。

それに、相手も籍を入れることに対しては消極的で、特に事を急ぐ必要性は感じていない。もう少し彼と一緒に生きて、必要を感じた時に入れればいいと考えている。生まれてこのかた両親の影に苦しめられてきたからこそ、私はそうした家族のイメージから解放されたいと願う。

人生は分岐するが、最後は一本道になる

私は週5回パートに出向き、休みの日に原稿を書いて生計を立てている。それなりに忙しく、楽とはいえない生活だ。お金の面だけではない。テレビを相手に一人で食事をしていると、言いようのない寂しさに襲われる。だから正直、私の月収よりも高い金額を生活費として夫からもらったり、家族と食卓を囲めたりする専業主婦の友人を、うらやましいと感じることがある。もちろん計り知れない苦労はたくさんあるのだろうが、そんな生活を私もしたいと思う。隣の芝生は青く見えるものだ。

しかし、専業主婦の友人たちはときに「結婚してもいいことがない」と言う。夫が社長だという友人は、高額の生活費を渡されていて「買いたいもので買えないものはない」と言うが、「夫からゴミを見るような目で見られる」そうだ。それを聞くと、ウッと喉の奥が詰まってしまう。

子供がいる他の友人は「夫と子供と一緒に暮らしているけど、孤独を感じる。理解されない時、話を聞いてもらえない時、風呂場で泣いている」と言っていた。一人でいる時の孤独より、誰かといる時の孤独の方が深いのだろうか。

人生は、結婚や子供を得ることであらゆる方向へ分岐していく。何が幸せで不幸かは人それぞれだし、誰かの人生をジャッジすることは無意味だろう。今、生きているこの場所でどうやって自分が幸せを感じるかを探さなくてはならない。

しかし、結婚しようとしまいと、最後は一人になる。人生は分岐しているけれど、最後は繋がって一本道になるのではなかろうか。家族にも夫にも子供にも頼れなくなったら、最後に頼れるのは友人だけなのかもしれない。友人との絆を深めあい、助け合う老後を夢見ている。

編集:はてな編集部

著者:小林エリコ

小林エリコ

1977年生まれ。短大卒業後、アダルト漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職。現在は精神科に通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、『家族、捨ててもいいですか?~一緒に生きていく人は自分で決める』(大和書房)など。
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※2020年8月28日13:00ごろ、記事の一部を修正しました。ご指摘ありがとうございました。

*1:1992年、漫画雑誌『プチフラワー』に掲載された作品。娘を愛することができない母親と、母親から愛されない娘の葛藤を描き話題に。