人間関係は基本面倒。だからこそ「他人」ではなく「自分」軸で考えてみる|文・深爪

 深爪

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仕事でもプライベートでも、悩みのタネは「人間関係」という人は多いのではないでしょうか。良好な人間関係を築きたいと思っても「人にうまく頼れない」「距離感が分からない」など、さまざまな理由からうまくいかないと感じる人や、そもそも「人付き合いは面倒だな」と苦手意識を持つ人も。

Twitterのツイートが話題を呼び、多くの媒体で執筆活動をする深爪さんも幼少時代の経験を発端に「人間関係は面倒」と思うようになったのだそう。今回は深爪さんが考える「人間関係が面倒」と感じてしまう理由、また避けては通れない人との交流をする上で意識したいコミュニケーションのスタンスについて寄稿いただきました。

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とにかく友達ができない。

「20年来の友人」みたいなのは何人かいるのだが、新規加入者がまったく増えないのだ。同時期に入社した人たちがどんどん職場になじんでいき、お互いをあだ名で呼び合うようになる中、私だけ苗字にさん付けされる、とか、どんなに盛り上がっていても私が発言した瞬間に会話がピタリと止まる、みたいな超常現象が起きるのである。

あまりに納得がいかないので、夫に「なぜ、私には新しい友達ができないんだろう」と愚痴ったことがある。すると、「そりゃあ、自分が友達になりたいと思ってないからでしょ」と即答された。「いやいやいや、そんなことは……」と全力で否定しかけて、ふと「正解かもしれない」と思い直した。

よくよく考えると、私は基本的に人間関係全般を「めんどくせえ」と思っている節がある。おそらく、他人はそのへんを敏感にキャッチしているから近づいてこないのだろう。

「みんなと」「ファミリー」という言葉は呪縛

私が人間関係を「めんどくせえ」と思うようになったのは、おそらく小学生の頃のトラウマがきっかけだ。

東京から地方に転校してきた私は、ただしゃべっているだけで「テレビの言葉を使ってる。生意気だ」と同級生に非難された。「テレビの言葉」とはいわゆる「標準語」のことだ。だから私は必死で方言を覚えた。しかし、脳内で標準語を方言に翻訳してから話さなければならないので、ただの雑談すら面倒になってしまった。

こんなことをするくらいなら、手のひらに現れる妖精さんとおしゃべりしてた方がまし、と休み時間は机に突っ伏して寝たふりをしながら、脳内で生み出した妖精たちと会話して過ごすようになった。手のひらに向かってブツブツ独り言をいっていれば、当然、クラスメイトからは奇異の目で見られる。いつの間にか、私は完全に孤立してしまった。

クラスで班決めするときの、先生の「好きな人とグループになって~」という指示はもはや死の宣告だった。教室の壁に貼られた「みんな仲良く」という学級目標が空しく見えた。

小学生時代に端を発した「人間関係めんどくせえ」は社会人になり強化された。

昔、「ここで働く人はみなファミリー」をモットーにした会社に勤めたことがある。オフィス内はとてもビジネスの場所とは思えぬような怒号が飛んでいて、ある意味ものすごくアットホームな会社だった。

あるとき、ミスをして上司に罵声を浴びせられたことがあった。あまりの剣幕に唖然としていると「おれはお前を家族だと思ってるからキツいことも言う。これは愛情なんだよ」と張り付いた笑顔で迫ってきたので、思わず「いや、私はあなたの家族じゃないんで」と突き放してしまった。

それからというもの、私にだけ回覧が回ってこない、電話が取次ぎされない、なぜか愛用のマグカップが割れている、といった怪奇現象が頻発するようになった。「みんな仲良く」だの「ファミリー」だのといった言葉で縛り付ける集団はロクなもんじゃねえなと、私の「人間関係めんどくせえ」はさらに加速したのである。

人と関わることにストレスを感じる3つの理由

とはいえ、無人島に暮らすでもない限り、他人との関わりから逃げ続けるわけにもいかない。そこでこの「人間関係めんどくせえ」を解消するために、まずは、なぜ自分は人との関わりにストレスを感じてしまうのか、その原因について探ってみた。

いろいろと考えあぐねた結果、人間関係をめんどくせえと感じる要因はおおまかに3つにまとめられた。

「他人が自分の思い通りに動かない、という苛立ち」
「空気を読まなければならない、という強迫観念」
「ひとりぼっちは寂しい、という思い込み」

である。

冷静に考えれば、自分の感情すらまともにコントロールできないのに、他人を自分の意のままに動かすことなぞ不可能と分かるが、潜在的に「自分の思い通りに動いてほしい」「察してほしい」と他人に強く期待するタイプにとっては猛烈なストレスになってしまう。

その一方で、「仲間はずれにされること」を恐れ、周囲の空気を読んで行動している人も少なくないように思う。そして、それを恐れいているのは「ひとりぼっちは寂しい」と思い込んでいるからなのである。

では、これらのストレスから解放されるためにはどうすればいいのだろうか。

(1) 近い存在ほど「他人」であると心掛けよう

まず、よくよく考えれば、他人に「察しろ」と期待するのは傲慢にもほどがある。

言葉で伝える努力を怠っておきながら、自分の思い通りにならなければ、その全責任を相手になすりつける卑劣な行為だからだ。

と、このように偉そうにモノ申す私も、昔はどこに出しても恥ずかしくない立派な「察してちゃん」だった。

恋人と電話でケンカをしたときに「もう顔も見たくない!」と言ったらまんまと一週間放置されてしまい「『もう顔も見たくない!』は『今すぐ会いに来てほしい』って意味だろうが。察しろや」と悶々としたあの日。しかし、そんなことを繰り返すうちに、遠回しなヒントを出しながら「どうして分からないの!?」とイライラとするよりも、ダイレクトに要求を伝えた方が精神衛生的にもいいし、相手との関係もこじれずに済むことに気が付いた。

今では、どんなに親しい間柄でも「この人なら自分のことを分かってくれるはず」といった過剰な期待や幻想を捨て、何かをしてほしいときにはビジネス文書を作成するが如く、懇切丁寧に伝えるように心掛けている。

特に甘えが出やすい夫については、「重要取引先」と思うようにした。「なんで分かんねえんだよ」とイライラすることがあっても、事務的に接することで冷静さを取り戻せる。

(2)全人類に好かれようとしなくていい

また、空気を読むストレスは、常に周囲に気を配り、浮かない努力をしなければならないという強迫観念が生み出すものだと考えている。

平たく言えば「人に嫌われたくない」という思いが根底にある。だが、実のところ、この「誰にも嫌われたくない」からくる行動は、裏目に出ることも多い。

身近に、ついさっきまで猛烈に悪口を言っていたのに当人が現われた途端、何事もなかったかのように親しげに話をし出す人間がいる。目の前でそういう態度を取られれば「私も陰でボロクソ言われてるんだろうな」としか思えないし、なぜ、わざわざ自分の信用をなくすようなことをするのか理解できなかった。

よくよく観察すると、どうやら“みんな”と仲良くすべく努力をしているだけのようだ。嫌われ者の悪口で周囲との連帯感を強める一方、そんな嫌われ者とも上手に付き合える私、を演出するのが “オトナのテク”ということらしい。しかし、その思惑に反して、周囲からは「信用ならない人」の烙印を押されている。完全に裏目ってるのだ。

そもそも、カレーライスが嫌いな子供がこの世に存在することを考えれば、「みんなに好かれる」なんてことは不可能と分かる。また、「みんなに好かれるような人は嫌い」という人間がいる限り、全人類に好かれることは無理なのだ。身も蓋もないことを言うが、何をやっても好かれるときは好かれるし、嫌われるときは嫌われるのである。やたら空気を読んで疲れ果てるのは無駄骨にもほどがあるのだ。

「全人類に好かれよう」などと大それたことを考えず、他人に媚びることのないありのままの自分でいれば、おのずと「ありのままの自分」を受け入れてくれる人だけが周りに残る。つまり、自分を偽る努力をせずとも自然体で他人と付き合うことができるので、無駄なストレスを感じることも少なくなるというわけだ。

(3)その寂しさは「ひとり」だから?

最近はポジティブな見方をされることも多くなってきたが、いまだに「ひとりで行動する」ことに対して焦りをおぼえる人も多いと聞く。

私は、今でこそひとりで行動することは苦にならないし、むしろ楽と感じるようになったが、昔は、尿意もないのにクラスの女子と一緒にトイレに行ったり、話を合わせるためだけに見たくもないテレビ番組を見ていたりしたこともあったので、その気持ちはよく分かる。

そもそも、学校で友達は多ければ多いほどいいという価値観を植え付けられていれば、ひとりでいることに焦りを感じるようになるのも無理はない。

知人に「どうしてもひとりで外食できない」という女性がいる。周りのお客さんに寂しい人だと思われたくないから、が理由だ。正直、自意識過剰だと思う。とりあえず私は、レストランでパーティーメガネに三角帽子、クラッカー片手に「ハッピーバースディー」を熱唱しながらひとりでケーキを爆食いしてるとかでもない限り、寂しい人だとは思わない。大抵の人はそんなもんではないか。

周囲の目が気になるのはつまり、「ひとりが寂しい」のではなく「周りと違う自分」に焦りを感じているだけはないだろうか。

ひとりで行動するのが苦手な人は、本当にひとりがイヤなのかをまず見極めるところから始めた方がいい。本当にひとりがイヤなだけならば、一緒にいる人間が見つかれば解消されるだろうし、「他人と違う自分」が認められないパターンだとしたら「ひとり」が解消されたとしてもまた別の悩みが出てくるだろう。

他人の目を気にせず、コミュニケーションを取るために

結局、人間関係の悩みはだいたいが「自分の感情や行動が他人に左右されてしまう」に集約されるのである。

もし人間関係に嫌気がさしたときには、とにかく「距離を置くこと」を心掛けている。他人と距離を置き、そして、自分自身とも距離を置く。なんならその場所からも離れる。冷静に状況を俯瞰することで、「自分にとって今一番大切なモノは何なのか」の答えがはっきりと浮かび上がってくるのだ。

我々のストレスの根源は「他人の目」なのではなかろうか。

ストレスなき人生を送るために大切なことは、とにかく、他人に左右されないことだと思う。そして、それは自分の中に「私はこれでいいんだ」と言い切れる確固たる自信がないから、周囲に惑わされてストレスを感じてしまうのである。

では、どうすれば自信がつけられるのだろう。

これは私の経験則なのだが、とにかく好きなことや得意なことを続けるのがいい。「まず弱点の克服が先では?」と思うかもしれないが、これはもともと自信のないタイプにはオススメできない。なぜなら、弱点を克服しようとする段階で失敗を繰り返すため、ダメな自分を痛感させられて余計に自信を失ってしまうからだ。

好きなことや得意なことだけをしていれば、失敗も少ないし、なにより単純に楽しい。苦手なものはあえて避け、好きで得意なことだけを楽しく続けることで自信は自ずとついてくるのである。

私は常に「これは本当に自分がしたいことなのか」を基準に行動するようにしている。「他人」ではなく「自分」がどう思うかで判断するのだ。

他人に過剰に期待せず、自分が正しいと思う道を進み、いい意味でジコチューになれたのなら、いつか「人付き合いも悪くないな」と思える日がくるのではないかと、私は信じているのである。

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編集/はてな編集部

著者:深爪

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コラムニスト/主婦。2012年11月にツイッターにアカウントを開設。独特な視点から繰り出すツイートが共感を呼び、またたく間にフォロワーが増え、その数18万人超(2020年5月現在)。主婦業の傍ら、執筆活動をしている。主な著書に『立て板に泥水』『深爪式 声に出して読めない53の話』『深爪流 役に立ちそうで立たない少し役に立つ話』(すべてKADOKAWA)。芸能、ドラマ、人生、恋愛、エロと、執筆ジャンルは多様。
Twitter:@fukazume_taro
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