夫婦は「同じ目標」を追えている? 仕事と育児の緊急事態に、共働き夫婦が備えたいもの

 瀧波わか

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ワーママ3年目で育児にも慣れてきた頃、仕事でキャリアアップのチャンスが巡ってきたという瀧波わかさん。しかし、このチャンスを逃すまいと仕事にまい進していた最中、かつてない育児のピンチがやってきます。そしてそれはやがて、夫婦のピンチに。

予期せぬ事態を乗り越えるために大切だったことは? この時の経験を振り返っていただきました。

「産後の働き方」は妻の問題ではなく、家族の重要事項

夫婦ともに30歳の時に、娘が誕生した。

里帰り出産をせずに、夫と二人三脚で初めての育児をスタート。その中で、熱心に話し合ったテーマの1つが「産後の働き方」だった

真っ先に話題に上がったのは、保育園の問題だ。7月生まれの娘を0歳4月入園させるには、まだ歩けも話せもしないであろう生後8カ月で預けることになる。夫は「それは早過ぎる」と言った。

しかし私たちが住んでいるのは、都内の保活激戦区。0歳4月入園を見送れば、途中入園どころか、1歳4月入園もそうとうに厳しいことは予想された。私は「育休明けで正社員復帰するには、他に選択肢はない」と考えていた。2年制の幼稚園に通うまでは自宅で過ごした夫と、0歳から保育園児だった私では、「赤ちゃんを保育園に預けること」への価値観と身近さが折り合わないのは、当然であった。

ただ、夫はこの問題を「妻のキャリア選択の一部」として私に任せきりにはしなかった。必要ならば自身が転職することも視野に入れ「家族の未来を決める重要事項」として扱った。保育園の見学報告を熱心に聞き、雨の日の送迎ルートを提案してくれた。その当事者意識が、うれしかった。

私もまた、彼の中に潜在的にある「早期入園への抵抗感」に同調はできなくても、軽んじはしなかった。幼い娘を預けて働くことは、夫にとって、簡単な決断ではないのだろう。

数カ月かけて、私たちが出した結論は「0歳4月入園を目指し、早期に産前の収入レベルに戻す」だった。

貴重な赤ちゃん期に側で過ごすことには、とても大きな価値がある。そう認めた上で、子供の教育の選択肢を広く取るため、そして経済的不安による夫婦不仲を避けるために、産後も2人ともがフルタイムの働き方を維持する道を選択した。

もちろん、幸せにはさまざまなカタチがあることは言うまでもない。わが家においては「30代は夫婦そろってキャリアのギアを踏むこと」が、「幸せな家族」への1つの道であろうと考えた末の意思決定だ。夫婦でよく話し合い、双方に納得値の高い着地だった。しかしそれでもやはり、やってみなくては分からないことは確実に存在していた

重なってしまった、仕事と育児の「頑張りどころ」

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なんとか0歳4月で入園を果たした娘は、3歳になるまで保育園を3日以上連続で休んだことはなかった。私たちは娘を「体の強い子」だと感じていた。

復職3年目に入った私は、職場でキャリアアップのチャンスを迎える。33歳。社会人生活が10年を超えた節目に、若手から中堅へのシフトチェンジが求められていた。

娘はもう赤ちゃんではなく、私自身もいちいち「はじめて」に翻弄された新米母から抜け出してきた手ごたえがあった。いまなら、やれるかもしれない

夫にも、むこう半年は忙しくなること、いままで5:5に近かった家事育児の割合を、6:4の負担で多めにお願いするかもしれないことを伝えた。彼は「分かった、2人で頑張って乗り越えよう」と背中を押してくれた。

復職もキャリア設計も、家族の問題だから2人で決める。初めに決めた優先順位「家庭の総収入を増やす」に向けて、私たちは同じ目標を追えていた

しかし、私が大きな仕事を引き受けた冬。保育園3年目の娘は、しつこい咳と深夜のせき込み嘔吐(おうと)が2カ月も続き、登園できない日が多くなった。複数の病院にかかっても原因が判然とせず、容体は一進一退を繰り返し、ついには1週間の入院も必要になった。

やらねばならない業務に、通院、看病、付き添い入院の負担。働く私と、育てる私。どちらの責任もないがしろにはできない現実が、心身にズシリと加重をかけてくる。

しかし夜中の嘔吐対応で寝不足の頭で、私はおそらく無意識に「育児は2人のどちらかがやればいい、仕事は私がやりきらなくては」と考えていた。それは平たく言えば、仕事の多忙を理由に、育児不参加の免罪符を行使するという思想だった。

そうして、育児負担は夫にのしかかった。

いま思えば、バカなことだ。本当に代わりがいないのは、間違いなく娘の母親としての役割であったし、寝不足で……、責任のある仕事で……、と私の脳内を駆け回る保身のいいわけは、全て夫にも当てはまっていた。

彼も当然、毎晩十分な睡眠が取れずに、そのまま出勤し、なおかつ、「ごめん今日お迎え行ける?」と電子メッセージ1つで数時間の家事育児を押し付けてくる妻のため、短い勤務時間でより集中して、任された業務をこなさなくてはいけなかった。

以前は「はーい!」だった夫からの送迎交代の返事は、いつしか「はい」に変わった

私は、その変化に気付きながらも、夫に心から申し訳ない、ごめんなさいと思っていても、それでもなお、仕事の比重を落とす勇気がなかった。結果、「家族」を共同運営している夫が、私の“勇気のなさ”の代償を支払っていた。

当然、夫婦仲は過去最高に悪くなり、家庭の空気はギスギスと淀んでいた。

夫婦関係がギクシャクするのは、見ている景色が違うから

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夫婦の危機を感じながらも、だましだまし日々を送り、なんとか仕事が落ち着いた頃、娘の容体も安定した。

私は「大変だったけど夫婦で乗り切れてよかった、結果的にキャリアも失わずに済んだ」とほのかな達成感を持っていた。久しぶりに夫と寝かしつけ後の晩酌の席につき、本当にありがとう、パパのおかげでなんとかなりました、と感謝を伝える。

この時の夫の様子を、とてもよく覚えている。彼は焼酎を傾けてバラエティー番組の録画を見ながら、「もうほんとに嫌だった、いい加減にしてって思ってた」と冷たく告げた

予想を超えるドネガティブな感想に、「お互い大変でしたけど、クリアしましたね!」くらいに思っていた私は、愕然とした。

夫婦の間には、視認できそうなほどの温度差が横たわっていた。考えてみれば、至極当然だ。家族のために仕事を頑張る、と勇んでいたのは私だけで、夫は妻のキャリア実現のために育児リソースとして使われたような居心地の悪さがあったのだろう。

私たちはいままで、2人で働き、2人で育児をすることで、両立してきたのだ。お互いのバランスを顧みず、自分の仕事だけ一生懸命にやる方がずっと楽だと知っている。

家事育児比率は、私からのきちんとした説明・謝罪もなく、6:4どころか7:3になっていた瞬間も正直あった。「3」の私がそう思うのだ、夫には8:2か9:1に感じられていたのかもしれない。想像力の足りない自分が、恥ずかしかった。そして痺れるほどに、申し訳なかった。

仕事が忙しくなることは、それだけ家族に負担を強いること。相手の納得のないままにパートナーに家事育児を押し付けてしまったら、その仕事は「家族のため」ではなくなっていくのかもしれない。

だけど。では、どうしたらよかったのだろう。

現在、初産年齢の平均は30歳を超えている。まさに働き盛りのタイミングで、初めての子育てが始まるのだ。さらに2人目3人目のお子さんを迎える家庭は、職場でも大きな責任を担うアラフォー世代が珍しくない。

仕事と育児の頑張りどきが重なってしまったとき、私たちは激しく揺れ動く天秤を見つめながら、いったい何ができるのだろう。

共働き夫婦が、自分たちの「緊急事態」に備えたいもの

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私はこの復職3年目の冬を通して、「家庭の緊急事態に備える体力」がまったくないということを痛感した。そしてそれは、多くの共働き夫婦にも言えるのかもしれない。

核家族・共働き家庭が成立するためには、

夫も妻も、急な残業や、業務時間外で仕事のための勉強が必要になる場面が少なく、
子供が全員健康でめったに保育園を休むことがなく、
そして生活に不安が募らないだけの収入がある。

これら3つの条件が不可欠だろう。

しかしこれらの条件は、ちょっとしたタイミングの差や環境の変化によって、途端に成立しなくなる。「すぐに駆け付けてくれる親族」「柔軟にリモートワーク対応ができる職場」などのプラスα要素がない場合は、あっけないほど簡単に、キャリア継続と家庭円満、どちらかまたは両方のピンチがやってくるのだ。

何とかわが家のピンチが過ぎ去ったいま、想像する。

もしも、ワーママ1年生でこの局面を迎えていたら。
娘の不調が、もっと長く続いていたら。
「子育て中の社員」への理解が薄い職場だったら。
夫との間に、より決定的な関係悪化が起こっていたら。

私はフルタイムで働くこと自体をあきらめた可能性も、大いにある。恐ろしいことだが、上記の「もしも」は決して稀有な出来事ではなく、いくらでも起こりえてしまうのだ。

それなりに運がよくないと継続できないぎりぎりのバランスで、共働きと子育てを遂行している家庭は、きっと少なくないのだろう。薄い氷の上を、手放せない多くの荷物を背負って進んでいくように。

ただ、私たちの場合、たまたまだけれど「家族の緊急事態」を力技でなんとかしのいだ経験の中で、「運ではなかった」と思える要素が、一つだけある。

あの時、夫はこうも言った。

「ほんとに嫌だったけど、これを乗り越えた先に明確に妻のキャリアにプラスがあると分かっていたから耐えた。それはつまり家族の利益だから。『すっごく忙しくなるけど、特にキャリアや収入に変化はない、でもやりたいからやらせて』という主張だったら、無理だった」

深く深く、刺さる言葉だった。

私たちがかつてすり合わせてきた、あの優先順位の約束が、亀裂の入った夫婦関係をつなぎとめていたのだ。

均衡の崩れやすい共働き夫婦こそ、普段から「家族の目標」を一緒に設定し、お互いの選択が、同じ場所に向かっていると確認し合うことが重要ではないだろうか。緊急事態に突入してからでは、もはや話し合う時間の確保すら難しい。

「子育て世代を取り巻く働き方」が根本から改革されるには、まだ時間がかかるだろう。

しかし、その間にもキャリアからの望まない離脱をする人が減ってほしい。そのために小さいけれどできることは、「きっと分かってくれるはず」と夫婦関係にあぐらをかかず、話し合うこと。「私はこう思う、あなたはこう、だから家族でここを目指そう」と明文化したその時間が、いつやってくるともしれない緊急事態に、きっと効いてくる

わが家の氷河期を経て、いま夏の入り口で、そう思う。

著者:瀧波わか

瀧波わか

子育てメディア・Conobie(コノビー)の編集長。
プリンセスに夢中な3歳の娘と、陽気な夫の3人家族。
育休復帰後に、福祉支援員からwebメディア編集者にジョブチェンジ。
好きな食べ物は肉とチョコ。

note:瀧波 わか|note Twitter:@waka_takinami

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編集/はてな編集部