はたらく女性の深呼吸マガジン

イーアイデム

ゴールのない「わらしべ」的人生 何者でもない私は何者にもなれる

 乙幡啓子
ハトヒール

世界中で話題になった「ハトヒール」

こんにちは。私は現在いろいろな媒体で、主に工作記事を書いたり(例:ハトヒール、雑貨の企画を考えて企業に提案したり(例:足氷、はたまたキャラクターデザイン(例:山口県の元乃隅稲成神社「トリィネコ」)なども考え出したりしている者です。

たまに「マルチな活躍」「多方面で能力を発揮」などと賛辞を受けたりもするのですが、本人としましては、あっちゃこっちゃになかなかの紆余曲折を経てのことでして、とてもそんな賛辞に値するような、能動的な半生ではないのでした。

振り返れば、まさに「わらしべ」的、いや「場当たり」的? な人生(ただし「長者」にはいまだ成らず)。

そのあたりを、普段人に聞かれても長くなるので割愛してきましたが、今回「りっすん」さんに良い機会をいただきましたので、ここらで一つ紐解いてみたいと思います。

それが誰かのためになるかといえば「そうではない」と断言したいところですが……こんな話でも、何かしらの参考になれば幸いです。

茫漠とした学生時代〜茫洋とした会社員時代

こういう仕事をしているとやはり、「学校は美術系でしたか?」と聞かれることが多いわけです。もともと美術に興味はあったのですが、だからといって特に研鑽するでもなく、普通に都内の女子大に入りました。入学時にはぼんやりと「アナウンサーか、国際的に活躍するようなキャスターになりたいな」と憧れを持っていましたが、部活動にうつつを抜かしてしまい、その憧れもいつしか忘却の彼方へ。

さて、時はバブル崩壊後初の就職戦線です。就職するからにはやはりキャリアを積みたいと願う一方、自分が飲み込まれてしまいそうな大手企業は避け、小さく名もない会社ばかりを受けました。しかし就職を決めた会社は小さ過ぎて社長との軋轢に耐えられず、10ヶ月で辞めてしまいます。就職氷河期なのに。でもなぜかあまり不安はありませんでした。無知ゆえの怖いもの知らず、どこでもなんとかやっていけるだろうという、根拠のない自信、楽観がなせる技です。

そして数ヶ月後、ハローワークでたまたま見つけたマーケティングリサーチ会社に入り、なんとなく7年ほど正社員として在籍することになります。職場にビーサンで行ったりするスチャラカ社員でしたが、この時期が一番「会社員」していました。不満はありつつも、特に出世欲もなく、淡々と通勤していました。

淡々とした毎日を過ごす中で、会社員としてではなく、「自分だけの仕事がしたい」という気持ちがフツフツと湧き上がってきたのは、この頃です。「いつか何かの職人になってみたい」「何者かになりたい」と、習い事をいろいろやってみたりしました。靴作り、陶芸、アロマ、フラメンコ、Webデザイナー……書いていてちょっとゲンナリしてきましたわ。いわゆる、自分探しですな。

それと、「毎日朝早く起きて満員電車に乗り通勤する」というのが致命的に向いていないことが分かってきたというのも理由にあります(今思えばこれも立派な動機の一つですよね。決定的に、私は夜型なのです……)。

ナレーターへの道〜ライターに!

淡々と会社通いを続けていましたが、30歳を目前にしたあるとき、とうとう転機が訪れます。会社から某ソフト習得の命令が下され、これはラッキーと喜んで通い始めたスクールで、たまたまビデオ教材の声当てのお手伝いをすることになりました。そこでちょっと褒められて舞い上がり……大学時代に抱いたアナウンサー・キャスターの夢を思い出し、ナレーターの道を志してみたいと思うように。「わらしべ」の第一歩がここに刻まれます。

「何者かになりたい」という志向がナレーターという形となって現れ、とうとう会社を辞める決断をしました。この時も、安定した生活を捨てる不安より、その後への希望の方が大きかったと思います。とにかく、やってみるしかない。

こうして振り返ってみると、本当に芯のない自分探しばかりしているなと呆れ返るばかりなんですが、不思議とその時はまったく疑問も抵抗もなく、何かを辞めたり始めたりしているんですよね。若さ、の一言では片付けられない気がします。今でもそんな気持ちはありますから。この点においては、私はあまり人の目を意識したり、常識通りにとかは考えない性分なのかもしれません。それが吉と出るか凶と出るか。がんばって吉に近づけていくしかないわけで。

足氷

企画した製氷器で作った氷(通称:足氷)を浮かべたお茶

はてさて、目星をつけていたナレーター塾へ通うこと、1年。授業は初めての挑戦の連続で、とても楽しく過ぎていったのですが、肝心なのは学期を終えたその後です。失業保険と親に頼って、その後の1年ほどを食いつなぐも、思うようにオーディションやナレーション仕事の機会もなく……。「もしかして私には向いてないのかも?」と早くもあきらめムードになりつつ、とにかく食いぶちを探さねばということで、派遣の仕事を始めます。

しかしいくつか派遣されると、スキル不足から、自分の上を仕事が通過していくだけのように思え、どうも居心地が悪く感じてきてしまいます。とにかく、スキルを上げつつ、やはり正社員として経験を積んでいかねばならないだろう、という思いが首をもたげてきました。

キャリアの再スタートです。正社員を目指すものの、当然大した資格も職歴もないので、怪しい会社に入ってしまうなど苦戦すること数社。最後に入った海外系フリーペーパーの会社で、いきなり取材記事を何本か書くことになります(そこも怪しさ満点だったのですが)。

小さい会社だったからこそ、ライター未経験の自分に回ってきた仕事でしたが、やってみるとこれもまた面白い。「私の道は書く方にある!」とまた、自分の中で何かが定まります。はい、また転機が来ました。正社員の道はどうした。とうとう「ライター」への道を意識するようになるわけです。いつしか33歳になっていました。

工作ライター誕生のきっかけは「ネタ切れ」

さてそのフリーペーパーの会社も入って2ヶ月でつぶれ(!)、そうなるともうここで本格的にライターを目指すしかありません。主にインターネットで「ライター募集」の言葉を検索し、次々と応募。そして普段から読んでいた、現在連載中である「デイリーポータルZ」に採用されたのです。ちなみに採用の理由を後日聞くと、ネタ+文章でちゃんとしたものを書いてもらえそうだと判断したとのこと(だったかな……)。とにかく、毎週記事を書いてお金をもらうライターという仕事に、私はようやく片足を突っ込むことになったのです。

とはいえ、完全なフリーランスではなく、IT系の会社でアルバイトも兼業(繰り返しますがこのときすでに33歳)。生活の安定のためですが、それはそれで、まるで部活動のように(楽しく&半ば無責任に)両方の仕事をやっておりました。

しかしライティングも、ついにネタ切れのときが来ます。そこでです、もともと割と得意ではあった工作で「トタン板の六本木ヒルズを作る」という、わけの分からない記事を書いたところ、編集長に褒められたのです(当時最先端のオシャレスポットだった六本木ヒルズを庶民的な材料で作るという、ルサンチマン炸裂企画)。

その上「オツハタさんは工作主体にしたらいいのでは」とアドバイスを受け、またここで「これからは工作ライターだ!」と決意することに。はい、これもまた転機です。


こんな当たり前のこと、ライターになってから気付いたのですが、やはり仕事を続けていくには得意分野というものが大事なのだと思いました。ここで工作という得意分野にたどり着き、天啓を得た思いで手当たり次第に材料を買っては工作し、失敗し、記事にしていきました。徐々にライターとしての仕事も増え、アルバイトも辞めて本当にフリーランスになったのはだいたいこの頃です。

「物を売ること」への挑戦

フリーランスとして活動していたある日、とあるグループ展のお誘いを受けました。展示はほぼ初めての経験。いい機会なので、評判の良かったある作品を工場で量産し物販したところ、全50個が会期終了をまたず完売。

それが、ほっけのペンケース「ほっケース」なのでした(現在は「魚ケース」シリーズとして展開)。コレはイケる! と、ここで得た自信の種が、現在も続く「物を売ること」へと育っていきます。

ほっケース

ほっケース

少しずつメーカーとしての最低限の体裁を整え、雑貨の見本市に出展したところ、取り扱い問屋や販売店が一気に増加。来た注文には端から答えねばと、大車輪で製造サイクルを回す日々がいきなりやってきました。家でほぼ1人で梱包や発送もやって、いつも目を回していました。とてもじゃないがライター業は今まで通りにできなくなり、書き仕事をセーブして雑貨制作に注力する毎日。

あれ? 今の自分、職人ではないけど、憧れていた何かになれたのでは?

そう思うとフツフツと満たされる気がする反面、5年ほど製造サイクルを回していると、やがて疲労も溜まってきました。

ド素人ながらも製造販売をしてきたわけですが、そうするうちに、労力や資金など、小規模ならではの限界を感じてきます。また、製作のローテーションに追われ、どうにもアイデアが沸きづらくなった気がしてきたのです……。

ここで、リセットというわけではありませんが、ライターに再び重点を置いてみることにしました。これがまさに去年の出来事です。いまだ、絶賛模索中の自分であります。このヨロヨロぶり、すごいだろう。

そして不思議なことに、物を売ろう、作ることに集中しよう、というこだわりを取っ払ったら、新しい仕事や新しいつながりが増えてきました。視界が広がるからでしょうか。自分のできることの範囲で境界を設けず仕事を受けると、そこからまた新しい仕事に結びつく、そんなことが少しづつ進んで来ているような気のする今日この頃です。まさに「わらしべ」的な人生を歩んでいるなぁと思います。かといって全然安泰なわけではなく、不安だらけではあるので、このコラムを偉そうにまとめ上げたりはできませんが……。

ないものを作る=ない職業を作る?

今、「あなたは何屋さんですか?」と問われれば、基本的には「ライター」と名乗っておりますが、時には「妄想工作家」と答えてみたり、「キャラクターデザインやってます!」と思い切って言っちゃうこともあります。今のこの状況、若い頃には想像もつきませんでした。「私がこんなマルチな活躍を!」という意味ではなく、「47にもなって、何者にもなってないとは!」という驚きの方が近いです。

私にとっての、働くということは自己実現の一つだと、この歳になってやっと分かってきました。若い頃は、頭ではそれが分かっていても、何をすればいいのか分からなかったので、社会に出てから少しづつ実際にやってみて、道を見つけなければなりませんでした。若いうちから指針をはっきり持っていて、勉強してきた人がうらやましい。でも私も、少しづつ進んできたら、いつの間にかいろいろなことをやってそれなりに楽しく過ごせていたので、まあ良しとしましょうか。

著者:乙幡啓子さん

dammy

「デイリーポータルZ」等、様々な媒体で脱力系工作記事を連載中。昨年制作した「ハトヒール」は海外でも大きな話題となる。妄想工作所名義では「足氷」「ほっケース」「ノアの方舟ポーチ・モーセの奇跡ポーチ」「ケルベコス」「民芸スタジアム」、他にカプセルトイなどの雑貨製作・企画を行う。また、2018年からは、山口県長門市の元乃隅稲成神社のキャラクター「トリィネコ」の企画・デザイン・商品展開に携わる。
Web:妄想工作所
Twitter:@otsuhata

次回の更新は、2018年6月27日(水)の予定です。

編集/はてな編集部