こんにちは、ライターの岡山です。手に持ってるのはニンニクの芽です。

突然ですが、あなたは「野菜を口に入れた瞬間、甘くて笑うしかない」って経験、したことありますか? しかもニンニクの芽。

 

そんなアホな、と思うかもしれませんが、今まさに私がそんな状況なんです。

 

今回インタビューしたのは、そのニンニクを作っている、とある農家さん。

月9ドラマにも出演したことがある、異色の経歴の方なのですが……。

 

「お〜い!」

 

あの印象的な髪型は……もしや……!!!

 

そう、今回お話を聞いた「農家」とは、パークマンサーさん。

 

かつてV6がMCをつとめるテレビ番組『学校へ行こう!』内のコーナーで「軟式globe」として一世を風靡した方です。

特に、いまの20代後半〜30代はglobeの名曲『Love again』のメロディに乗せ『そうだよアホだよ♪』とラップするパークさんの姿を思い出すはず。そして同時に「農家だったの……?」とハテナが浮かぶに違いありません。

 

パークさんの経歴(自称)はこんな感じ。

・5歳まで馬に育てられた
・AHO合同会社社長
・TBS系『学校へ行こう!』で「軟式globe」としてブレイク
・後のLDHとなる芸能事務所に所属し、俳優としても活躍
・本業は農業

 

いろいろ気になる経歴ですが、パークさんは2020年現在、TikTokで何度目かのブレイクを果たし、富山を拠点に農業YouTuber(※)としても活躍しているんです。

※他称:ご本人はYouTuberだと思われるのを頑なに拒んでおりました

 

なぜ農業? なぜ富山? など現在の話から、人気番組出演後の17年間まで、変化の激しい時代を生きていくためのヒントが詰まったインタビューをどうぞ!

 

EXILEの事務所ではじまった“スキマ人生”

「水やりの途中だったんで、このまま話してもいいですか?」

「もちろん! というか失礼かもしれないですけど、ちゃんと農業されてますね」

「してますよ! 農家ですから」

「ですよね。パークさんといえば、僕ら世代で“そうだよアホだよ♪”のネタを知らない人はいないほどのヒーローなので、お話聞けるのとても楽しみにしてました! あのネタの誕生秘話から……

「ネタ?」

「え?」

 

「リリックですよね?」

 

「……! 失礼しました!」

「いやいや、全然大丈夫っす。僕、木村拓哉になりたかったんですよ。それで上京して、最初に通ったダンススクールの師匠が作った芸能事務所(※後のLDH)に流れで入ることになったんですけど」

「え、キムタクに? というかLDH? EXILEの事務所じゃないですか! 知らなかった…」

「でも事務所の偉い方から“お前は思ってるほどイケメンじゃない、スキマ産業タイプだ”と言われて。たしかに小さい頃から人がやらないことやってたんですよね。ダンスもそのひとつで」

「(木村拓哉は王道な気がするけど……)そこからスキマの道を?」

「スキマを決定的に意識したのは、絶対受かると思ってたバックダンサーのオーディションに落ちて荒んでる時期でした。事務所の飲みでカラオケへ行ったとき、師匠のモノマネを超誇張してやったら、HIROさんにめちゃくちゃウケて

※パークさんの師匠はHIROさんの弟分的な立ち位置

「HIROさんって、EXILEの⁉︎」

「そう、HIROさんが笑ってるんだから、みんな苦笑いするしかないですよね(笑)。でもそれがきっかけで、王道じゃなくてスキマが僕の生きる道かもって思ったんです

 

「パークマンサーの影」と戦った10年間

「それから『軟式globe』がはじまって……」

「はい、2002年くらいですね。あのリリックをやってるときも、僕自身は木村拓哉のつもりだったんですよ。でも、お笑い枠なのもわかってるから、その葛藤が当時の顔に出てる

「あのスゴい表情は偶然の産物だったんですね……。とはいえ、すごい人気だったじゃないですか。僕は当時、高校生でしたけど、学校でみんなモノマネしてましたよ」

「嬉しいです。中学生にはよく絡まれましたね。電車の中で『あれ絶対パークマンサーだよ』『アホだな〜』とか微妙に聞こえる声で……。あいつら群れると悪ノリしてくるじゃないですか(笑)」

「当時SNSがあったらもっとひどいことになってそうです。そして『軟式globe』の活動も区切りを迎えていくわけですが、『学校へ行こう!』の出演後はどう過ごしていたんですか?」

「そこから10年くらいは役者をやってたんです。月9も3年連続で出演させてもらったり」

「月9!大活躍じゃないですか!」

 

いや、むしろダメすぎてトラウマになるレベルだったんですよ

「トラウマ?」

「『TRICK』ってドラマで“難玉弐高式土偶(なんぎょくにこうしきどぐう)”っていうセリフがあったんですけど、36回撮り直しても言えなくて」

「南極2号?」

「『なんぎょくにこうしきどぐう』です。あれはホントにヘコみましたし、僕を取り立ててくださったプロデューサーさんにも迷惑をかけてしまった」

「(芸能界の洗礼……なのか……?)」

「それを事務所の偉い人に話したら『お前、ダンスは10年以上やってるよな? 芝居は何年やってきた? 全然やってないんだから当たり前なんだよ』って」

「厳しくも愛のあるゲキですね」

「それから劇団を紹介してもらって、舞台で演技を修行しなおすことになりました。でも、そこでもやっぱり“パークマンサー”を求められるんですよね。なかなか評価されないまま、バイトと舞台に明け暮れる10年を過ごしていたんです」

 

@parcmanther

##パークマンサー ##KOIKE ##軟式globe ##軟式グローブ ##アホだな ##そうだよアホだよ ##おうちで過ごし隊

♬ オリジナル楽曲 – パークマンサー/PARC MANTHER

「それがあっての今TikTokでバズってるのを見ると、なんだか込み上げるものがあります」

「ただ、実は一度、2015年に再ブレイクしたタイミングがあったんです。『学校へ行こう!』のスペシャルで当時の『アホだな♪』が流れたんですけど、 一夜でTwitterのフォロワーが2万人以上増えて、生活も派手になって

「すごい! ジェットコースターみたいな激しさですね」

「はい。それが激しすぎて、心のバランスを崩しちゃったんです」

「えぇっ……」

「そのときは1日中、韓流ドラマを観て過ごしていました」

※当時のことを泣きながら語った、IGTVの配信もぜひご覧ください。

 

「東京に負けた」先にあったもの

「あの頃は『東京に負けた』と病んでいた時期でした。最初はどうしようもなく土いじりがしたくなって、陶芸教室に通い始めたんですよ。それで皿を作ってたら『ここに載せるものを作ったら面白そうだな』と思って」

「皿に載せるもの……?」

「はい。で、『そう言えばオイラ、5歳まで馬に育てられたよな…?』って」

「あ! 『学校へ行こう!』で言ってたやつ」

『そのときに食べた人参の味が忘れられないよな…?』って」

「馬といえば(笑)。ここで農業につながるんですね」

「そうです。あと、もうひとつ当時考えてたことがあって」

「それは?」

「よく道の駅とか直売所で『私が育てました』って農家さんの顔写真出してるじゃないですか」

「はい」

「でも、あれよく考えたら別に買う理由にならないなって。だってこのおっさん、毎晩キャバクラ通ってるかもしれないし(笑)」

 

「想像上の農家のおじさんに厳しい。だとしても、キャバクラくらい放っておきましょうよ」

「そういう嘘くさいものじゃなくて、作ってる過程をちゃんと見せた方が価値も上がるんじゃないかなって思ったんです

「たしかにそのほうが、食べる側からしても安心感は増しますね」

「もともとなんでそういうことを思ったかというと、僕は仏教系の大学に通ってたんですけど、そのとき周りの寺の息子たちが死ぬほど遊びまくってて……(以下略)」

「生臭すぎて全然書けない話! とにかく、大学時代のことも“パークマンサー”としての背景も、すべて無駄にならないってことですね」

「そういうことにしときましょう(笑)」

 

ついに見つけた、農業という「スキマ」

畑に三脚でカメラを立てて、動画撮影や配信を行っている

 

「その後、関東から地元の富山に戻ってきて、農業に本格的に取り組んでいる姿を発信していますよね」

「はじめは農業界のスターになりたかったんです」

「それも“スキマ”ですね。でも“なりたかった”ということは…?」

「農業始めて数ヶ月で、そういうのがどうでもよくなりました。やりたいことをやってそれで食っていけたらいいじゃん、というか、農業やってれば食べ物は自分でつくれちゃうんですよね

「じゃあ『お金稼ぎたい!』みたいな気持ちも今は……?」

「昔だったらザギンでチャンネーとシースーとかしたかったんでしょうけど、今はないですね。むしろお金があったら農機具買いたいし、あそこの畑に小屋立てたいです(笑)

「めっちゃ農家さんだ。その心境の変化がどこからきたのか気になります」

「僕は今、杉林さんという師匠に教わりながら農業をやっているんですけど、野菜って土づくりで8割〜9割決まると思っていて。やればやるほど、育っていく作物に対して自分ができることなんてないんだなって」

 

パークさんに農業を教えてくれた、師匠の杉林さん

 

「なるほど」

「それに、土いじりをしているときって“無”になれるんです。東京にいた闇の時代に韓流ドラマを観続けていたあの時間が、農業に変わったというか。でも、同じ“無”の時間でも、農業のほうが圧倒的に有意義なんです」

「もともと”農業”に対して持っていたイメージが、実際に野菜づくりを始めることでいい意味で裏切られた、ということなんですかね」

「そうですね。農業ってすごいエンタメ性を持ってると思うんです。週に1回2時間くらいでも土に触れることで、生活って劇的に変わるんじゃないかな」

 

カメラを向けると、すかさずエンタメ性の高いポーズを取ってくれるパークさん

 

「それは僕も富山で畑を始めて感じますね……!」

でも農業のエンタメ性って、言葉にしちゃうとそれこそ嘘っぽくなってしまうなと思っていて」

「たしかに、なんだか難しい話や思想的なところに行きがちで、とっつきづらいイメージを持つ方は多いと思います」

「だから、TikTokをやってるんです。『どこのスタジオで撮影してるの?』って聞かれて『(ビニール)ハウススタジオだよ!』みたいなやりとりが生まれたり」

 

 

「もはや『スキマだから』で農業を始めた人の発言じゃないですね」

「純粋に、野菜育てるのがめちゃくちゃ楽しいですからね! 農業が楽しいからSNSで『アホだな♪』もやれてます

「『アホだな♪』は『楽しい』とはまた別なんですか?」

「さっきもチラッと話しましたけど、ちょっと前までパークマンサーって存在がこの世で一番キライだったんです。同じ人間なのに、みんなパーク! パーク! ……でも今回のコロナ騒動があって、みんなお家から出れなくなったじゃないですか? 僕、3年くらいずっと引きこもってたんで、こういう状況に慣れてたんですよ」

「ふむふむ」

「それで、みんなのガス抜きになればいいなと思って始めたことなんで。それに10代が中心のTikTokでは、これ以上広がらないんじゃないかな。恋愛対象として見られる存在じゃないと……ムロツヨシさんみたいな」

「ムロツヨシさん……」

「ムロツヨシさんは佐藤健くんみたいな若い人を通じて10代に人気が出たからね。僕もさっしーに届けば10代人気が出るんじゃないかと思ってます

 

「さっしー!!! 見てる〜???」

 

「急にカメラに呼びかけないでください」

 

自分の人生、自分で決めろ

トラクターを乗りこなすパークさん

 

「農業を始めたときの“スターになる”という目標はもうどうでもよくなった、と話してましたけど、先日発売したニンニクの芽もすぐに売り切れていて、農家としても順調にスタートを切ってますよね」

「まだ自分としてはお試し程度の量だし、パークとしてではなく、野菜そのものとして評価されていかないといけないって悩みはありますよ」

「それは、パークさんの色を薄めていきたい、ということですか?」

「そうですね。きちんと価値のある野菜をつくれば人は評価してくれますし、愛情の値段も乗っかるようになってくると思います」

「ハードな道を進もうとしてるんですね」

 

「全然ですよ!師匠に頼ってばかりだし……僕、常に甘い方に行きますから。昔、有名なクリエイティブディレクターのマネをして“二択で迷ったら苦労する方を選ぶ”ってやってたんですけど、普通に超辛くなっちゃって(笑)

「パークさんって、ずっと一貫してますよね。“スキマ”の話もそうだし、“アホだな”もそうだし……。基本的に変なプライドを持たずに生きているというか」

「それもここ最近の話ですかね。昔は超プライドの塊でしたから(笑)。でも完全に吹っ切れた一番のきっかけは、とあるWEB CMで前髪ウィッグをカミングアウトしたことなんですよ。『そうだよヅラだよ!』って(笑)

 

 

「すごいなあ……」

「あとは、“かんだま”こと二代目KOIKEがYouTubeを始めて自分よりも人気者になっていったことで、天狗の鼻を折られまくったりとか」

「あぁ、何度もブレイクしてるってことは、その分だけ挫折も味わってるってことですもんね。そう考えると挫折も案外悪くないのかもと思えてきました」

「挫折にしろブレイクにしろ、全部自分で決めた結果ですからね。前にインスタライブでも話したんですけど、悩んだときは人に聞かず自分で決めろ、って。誰かのせいにするくらいなら、サイコロとか天気で決めた方がいいですよ。なんとかなります! きっと多分メイビー(笑)」

「ここまでの話を聞いた後だとすごく説得力があります。1年後にまた、どんな風に状況が変わってるかお話聞きたいですね」

「ぜひぜひ! 1年後、ザギンでチャンネーとシースーでも(笑)!」

 

 

撮影:イナガキヤスト(TwitterInstagram