こんにちは、ジモコロ編集長の柿次郎です。今日は、とある学校に来ています。

 

公立や私立、専門学校や夜間学校など、学校にはいろんな形がありますよね。

最近では海外の先進的な教育を取り入れた学校も増えています。僕の住む長野では「大日向小学校」や「風越学園」などの新設校が人気を集め、子どもを入学させるために県外から家族で移住、なんてケースも多いと聞きます。

 

しかし、世の中にはまだまだ知らない学校があったんです。例えばそう、この栃木県にある「世界の現実が集まる」学校……

 

その卒業式の写真が、こちらです。

多様な国籍、多様な人種の人々が集まっている学校だとわかりますね。でも、一体何を学ぶのでしょうか?

 

あっヒントになりそうな文字が……何か書いてある……

 

「アジア」「農村」「指導者養成」……?

 

一体どんな場所で、何を学ぶところなんだろう。これは行ってみないとわからない!

 

 

ということで、栃木県の那須塩原駅から車に揺られること20分。

 

辿り着いたのは『学校法人アジア学院 アジア農村指導者養成専門学校』

 

<アジア学院ってこんなところ>

・1973年 アジアの農村指導者を養成する専門学校として設立

・1996年 創設者の髙見敏弘氏が、アジアのノーベル賞とも呼ばれる「ラモン・マグサイサイ賞」受賞

・創立から現在まで、約1300人以上の学生を輩出、卒業生は約50ヵ国で活躍中

・キリスト教の精神が教育のベースに

 

ここには毎年、発展途上国の貧しい農村で暮らす人々が学生としてやってきます。彼らはここで共同生活をしながら、「農村のリーダー」になるため有機農業、畜産、さらには村を運営するためのリーダー論などについて学んでいるのだそう。

 

那須塩原にひっそりと佇むここでは、もはやいち専門学校のレベルではない取り組み、そして世界の現実がわれわれを待ち受けていました。

 

アジア学院の教員を務める山下崇さんにキャンパスを案内してもらいながら、お話を伺っていきます。

 

話を聞いた人:山下崇さん

1973年に創立された『学校法人アジア学院(ARI)』で教員を務める。寮生活を営む学生たちとともに有機農業を行なったり、畜産動物の世話をしたりするほか、学院の取り組みに関心を抱いた人々にキャンパスを案内し、理念を伝えるのも役割。

 

広大なキャンパス!「アジア学院」とは……?

「それにしても広いですね〜。これ全部キャンパスなんですか?」

「はい。敷地面積がだいたい7ヘクタール(70000平方メートル)くらいあります」

東京ドーム1.5個分!? なんでそんなに広い土地が……

「実は、僕たちの学校では食料のほとんどを自給しながら、スタッフ・教員・学生たちみんなで共同生活をしているんです。食べる野菜も、卵を産んでくれる鶏も自分たちで育てていて」

「学校で自給自足!?」

「自分の暮らす土地で食べ物をつくり、分け合って、次世代の人々にも豊かな食べ物が渡るようにする『フードライフ』という考え方にもとづいています。将来、学生のみんなが村の運営をすることになったときにきっと役立つので」

 

施設内では、豚や鶏も飼育。飼料には輸入穀物を使わず、自分たちで育てた穀物や、地域の給食センターから廃棄される食べ物の残り、ホエイ(乳清)を食べさせる。育てた豚は食肉になり、「アジア学院の豚」として外部への販売も

 

敷地内にある6ヘクタールの農場には水田もあり、地下水で米を栽培。収穫の時期に毎年開かれる「収穫感謝の日」では、地域の人々もアジア学院の暮らしを見学する機会になっている

 

「それでこんなに広大な土地があるんですね! 学校である以前に、ここ自体が農村みたいになってる」

 

学校の敷地内には、有機農業で使う堆肥をしこむ「堆肥場」から、「鶏舎」「豚舎」「養魚池」にいたるまで、さまざまな設備が

 

「なんだか、ただ農業を教える学校でもなさそうですね」

 

「ここは『学校法人アジア学院 アジア農村指導者養成専門学校』と言って、農村の指導者をトレーニングする学校なんです」

「農村の『指導者』? 農業従事者ではないんですね」

「はい。いわゆる発展途上国と呼ばれる国の農村地域から、村のリーダーや、これからリーダーになってほしいという人たちを招いて、有機農業の勉強を通して、リーダーシップも同時に学んでもらうための学校なんです」

 

アジア学院には、世界の発展途上国から学生が集まり、有機農業の知識や「農村指導者」としての考え方を学んで、故郷へと帰って行きます

 

「有機農業と、リーダーシップを学ぶ専門学校……? なかなか聞いたことないな」

「それもすべて、彼らが故郷の国に帰ってから、農村の生活を繋いでいくリーダーとなるために必要な学びのステップなんです」

「学生になる人たちは、どんな国から来るんですか?」

「さまざまですよ。毎年10カ国以上から人が来ます。バングラデシュにミャンマー、インドから、ケニアやタンザニアまで。各国のNPO団体を通じて、アジア学院で学びたいと希望した学生が日本にやってくるんです」

 

「へえー! でも、それだけいろんな遠い国から来るとなると、学校生活も一筋縄ではいかなそうな」

「実際、ハードルはなかなか高いですね。アジア・アフリカの農村地域って、下手するとバス停まで歩いて1週間かかったりするところもいまだにあるんです。そんな場所からはるばる日本まで来てもらうので」

「歩いて1週間!? となるとカルチャーショックがすごいでしょうね。リーダーシップとか教わる以前に『日本すげー!』ってびっくりしそうだ……」

「やっぱりみんな、テクノロジーにはすごく感動します。彼らの地域はとにかくアクセスが悪いので、特に日本のインフラには驚いてますね。トンネルに入るとみんなカメラやビデオを回しますよ」

「『山をくり抜いて道を通す』なんて、よくよく考えたらすごいことですもんね」

「そう。『農村』というのは、いわゆる牧歌的な農村もあるんですけど、場所によっては『置いていかれた・虐げられた』という色が強い場合もあるんですよね。都市部と地方の隔たりが、アジア・アフリカでは日本よりも激しいので」

「"貧しい農村から学びに来る"って言うのは簡単だけど、みんなすごい逆境のなかから生活を変えるために来てるんだな……」

「母国でかなりハードな現実に晒されている人たちが集まっているんだなと思いますよ」

「ちょっと、どこかで腰を据えて話を聞かせてください。大変な話になりそうだ」

 

彼らは“真の自立”のために学ぶ

「アジア学院の学生さんは、故郷からはるばる日本までやってきて、具体的にどんなことを学ぶんですか?」

「まず、メインになるのは有機農業です。これはやればやるほど土が豊かになって生活が安定する農法なんです。たとえば豚や鶏を飼って、そのフンを堆肥に農作物を育てて、その収穫くずをまた動物の餌にして……というように、自然の循環を利用するんですね」

「『持続可能な農業』だ。でも、日本でできる農業とそれぞれの国の農業もまた違いますよね? 気温とか天気とか、土壌とかも違うでしょうし」

「その循環づくりを彼らの地域で行うにはどうすればいいか、といったところまで考えられるように伝えています。故郷のまちにはどういったローカルリソース(地域資源)があって、どのように活かせるのか。そういう身の回りの価値を再発見するやりかたを教える授業もあります」

「学んだことを母国へ持ち帰って、自分たちで活かせるようにするんですね」

「やっぱり、自分たちの土地に当たり前にあるものを見て、資源を資源だと気づけないようなこともあるので。有機農業の基本的な知識と実践経験をアジア学院で積むことで、『自分の故郷の見方』を身につけてもらえてるんじゃないかなと」

 

アジア学院ではヤギ、豚、鶏などの家畜を飼育し、糞尿から肥料やメタンガスをつくっている

 

地域のお店からもらってきた魚のアラ、ぬか、おからなどの「いらないもの」も餌や肥料に用いて、有機農業の循環に組み込む

 

「これは有機農業にかぎらないのですが、アジア学院の学びには、『自分たちの手で状況を改善できる』ための手段を学んでもらうという特徴があります。そもそも、『途上国の開発』って聞いてどんなイメージを受けますか?」

「ええ、なんだろう。やっぱり経済的に発展している国が、貧しい国を手助けする、ってイメージですかね?」

「そうですね。国際協力では通常、先進国の企業やNGOの主導によって、経済的な成長が促されるケースが多いです」

「たしかに、どこか『先進国が教えてあげる』みたいなトップダウンなイメージがあります」

「アジア学院では、そうならないようにしています。ここで学んだことを学生たちが咀嚼して、自分でアレンジするにはどうしたらいいかを考えられるようにする。生まれ育った場所を自分たちの手で変えていくことを目指している点が、かなり大きな違いなんですよね」

「一方的に押し付けるんじゃないんですね。彼らと共に暮らしながら、考え方を学んでもらって母国へと送り出す。言ってしまえば、アジア学院はすごく手間のかかることを引き受けているような」

「そうなんです。最終的には、彼ら自身が故郷の人々へ教育をしていけるようになることを目指しています」

「まさにリーダーの仕事だ。だからこそ、農村"指導者"を育てる学校なんですね」

 

「その通り。それに、アジア学院の目指すリーダー像はトップダウン型のものではなくて。『サーバントリーダー』を模範としているんです」

「サーバントリーダー?」

「『奉仕するリーダー』という意味です。人が嫌がるけれど必要なことを自ら率先してやっていったり、人々の言うことを聞いて総意を採ったり。そんなふうに『下から支える』ことができるリーダーを目指しているんです」

「いま、ビジネスの世界でも言われているようなことですね。弱い人を置き去りにせずに寄り添うのが、理想のリーダー像だと」

「アジア学院の掲げるリーダー像の背景には、キリスト教の考え方がベースにあります。謙遜と愛を持って、他者に仕えるために働くイエス・キリストの姿勢が、模範としてあるんです」

「キリスト教の考え方に基づいているんですね。それにしても、どうしてここまで大変な教育を担う『アジア学院』ができたんですか?」

「きっかけは1950年代に開かれたキリスト教会の国際会議で、そのはじまりは第二次世界大戦まで遡ると聞いています」

「戦争がきっかけ……?」

「大戦当時、キリスト教会は戦争へ強く反対してこなかった。その贖罪の意味もこめて、『戦後に何ができるか?』という話し合いがあったと。そのなかで、『農村の教育や貧困問題を解決する指導者の育成』が必要だという話になったそうです」

「教会としての贖罪の意味が。それで、こんなにも大変な役割を担っているんですね」

 

 実際の授業風景

 

「あとは、化学農薬や肥料の健康被害についても教えています。大規模な開発が地元で起こっていくと、その土地の環境にも影響が出てしまう。時には人間の体にも影響を与えるでしょう」

「今までにその土地でやってこなかったやり方を試すわけですもんね。土地もビックリしちゃう」

「ただ、彼らは狭い地域で暮らしているので、なんだかみんなの調子が悪くなっているけど、理由がわからない……みたいなこともよくあるんですよ。そこで環境の変化と健康被害の歴史を学ぶため、同じ栃木にある足尾銅山(※1)へ学生たちを連れて行ったりもします」

「足尾銅山……」

※1:足尾銅山…明治時代に国内一の生産量を誇った銅山。しかし、銅山から有毒重金属を含む廃水が垂れ流されたために、渡良瀬川における漁業被害や、その流域にある広大な農地と農作物に鉱毒被害が発生した。この事件は「足尾銅山鉱毒事件」として、日本近代史上最大の公害事件として知られる。

「なるほど。日本における足尾銅山の鉱毒事件と同じようなことが、彼らのところでは現在進行形で起きているんですね」

「その通りです。なのでここで知識や経験を身につけて、それこそ田中正造(※2)のように人々を導いていってほしいという思いがあります」

「本当に、自分たちの土地にあったやり方を見つけるための学びですね」

 

※2:田中正造…足尾鉱毒問題の解決に尽力した人物。富国強兵政策の真っ只中で、「銅の生産をやめるべき」と国会で演説をしたり、明治天皇に直訴を試みるなど、彼の行動により公害問題が世の中に広く認知された。

 

「リーダー育成においては、ただ『知識を伝えればいい』というものでもないと思うんです。過去には、資本主義的な考え方がやってきたことで、むしろ生きづらくなってしまったという地域も多いですから」

「たとえば、どんなことが?」

「フィリピンのネグロス島という場所が有名です。かつてはいろんな作物を栽培していた島が、あるとき『輸出すると儲かるから』という理由で単一種類の作物だけ(サトウキビ)を栽培するようになったんです」

「不穏な気配がしますね」

「はい。国際的に砂糖の価格が大暴落したときにはもう、島には自分たちが食べられる農作物もなければ、貿易で外貨を稼ぐこともできなくなっていて。飢餓の問題が起きてしまった例があるんです」

「いっときの経済成長のために自分たちのスタイルを変えてしまうと、成り立たなくなることもあると」

「だからこそ正しい知識を学んで、自分たちで選択する力を持つというのはすごく大事なんですよ」

 

「たとえ外圧がかかっても、それに流されずに自分たちで決められるような知識と経験と力があれば、潜在能力を損なわれず最大限に発揮できるんじゃないかなと思います。彼らが真の意味で自立できる道を、ここで学んでほしい

「知識以外にも、ここで学ぶことはたくさんありそうですね」

「単純に、学校生活としてもハードだと思います。本来は2年間くらいかけて学ぶような内容を9カ月間で集中して学ぶことになる。それに、寮生活をしている間は、24時間365日が学びの時間になっていると思うんです」

「24時間!」

「寮生活は基本的に、ふたりで1部屋です。そこでの対話も大きな学びの機会になっていると思っていて。たとえば牧師の方と20代の男性が同室になったとき、ずっとキリスト教と生き方についての会話が続いたそうです。『お前の夢はなんだ?』『まだ決まってない』『決まってないってことはないだろう』みたいな話を延々と(笑)」

「すごいヘビーだ。自分がどんな人間なのか、常に問われ続ける」

 

実際の授業風景。アジア学院のミッション(使命)にも「個々人が自己の潜在能力を最大限に発揮できるような」という一文が

 

「なんか、かなりすごいことをやってますね。もはやいち専門学校のレベルではないな……」

「ここで学んで卒業した学生のなかには、祖国の政府のやり方に疑問を抱いて、活動家になった人もいます」

「えっ! そんな人まで」

いっぱいいます

「いっぱいいるんだ!」

「たとえば、ミャンマーの卒業生だけで90人以上いるので」

「90人以上も!」

 

「軍事政権の意向にそぐわない活動をしている卒業生たちもいるので、とても心配です。彼らが無事でいることを祈っています」

 

「次元が違いすぎる」

 

ハードな世界の現実がやってくる場所

「わかってるつもりではいましたけど、やっぱり発展途上国の、しかも貧しい地域ってかなりハードな場所なんですね」

「平和な日本とは、もう世界が違いますね。内戦を経験して、生死に関わるような状況をずっと生き延びていたような人も来たり。去年来ていたルワンダの人は、10人いた家族のうち、ふたりしか生き残ることが出来なかったと」

「ものすごい話だ……現実として受け止めづらいというか」

「想像もつかないですよね。僕らも知識としては知ってますけど、彼らは実際にその世界を生きてきてるんですよ」

「そういった経験を経て、ここにやってきたわけですね。ひとりひとりが映画のモデルになりうるような方々が集まってるってことか……!」

「みんなそれなりに重い経験をしてきてますね。発展途上国の農村にはそれだけのストーリーがあるんです」

「その重さをひとつひとつ受け止めていくの、疲れませんか?」

 

「いやあ、もうね、無理!!」

 

「最初はキツかったんですよ、自分はいままでこんなに平和に生きてきたんだな、知らなかったんだなって……」

「そうなりますよね」

「しかも、僕はいちおう指導する立場じゃないですか。でも彼らの話聞いてると、もうぜんぜん僕なんかが教えることないし、偉そうなこと言えないでしょう、みたいになったりもします」

「山下さん、ここで働いて何年くらいになるんですか?」

「僕はもう10年いますね。最初は『職員として』の意識があったのでかなりキツかったんですけど、アジア学院はスタッフと学生がなるべくフラットな関係を築けるように努めていますし、だんだん『そういう役割なんだ』っていう割り切りも生まれました」

 

就職が決まったのは、なんと東日本大震災のちょうど前日。「ドラマチックなスタートだった」と語る山下さん

 

「ここって、日本でわれわれがイメージする『多様性』どころじゃなくて、世界の現実が集まっちゃう場所なんですね」

「そうそう、本当にリアルな多様性があるところだなと思います。小さなことから大きなことまでいろんな違いがあって、いいなと思うことも、苦しいなと思うこともたくさんありますね」

「そんな場所に10年も居ちゃうと、もうほかの現場に行けないというか、ここを辞められなさそうですね」

「そうですね〜。違うこともしてみたいな、という気持ちもあるけど、ここには自分自身が学んで成長できるようなことが常にあるんですよね」

「本で読むよりもずっとリアルですもんね。ニュースで見て『あの国、大丈夫だろうか?』と思うような世界の人々が、いずれ目の前にやってくる」

「そうなんです、ここにいればそういう世界の現実が向こうからやってくるんですよ。すごく貴重な場所だなと思います」

 

アジア学院を知ってほしい!

「ただ、これだけのことをやっている割に、日本であまり知られていないんですよね」

「僕も今日連れてこられるまで、ぜんぜん知りませんでした。まだまだ全貌は掴めてない感じがしますけど、すごい場所だというのはわかったので、もっと認知されてほしいですね」

「ありがとうございます。もうちょっと知名度があってもいいのにな〜と思うこともあるんですけど、割と内向きなところがありまして……」

「普通に大学生とかが学びに来てもおもしろそうですよね、日本の方でも入学はできるんですか?」

「できるんですよ! 今年も3人来てます」

 

学生だけでなく、スタッフのなかにも海外出身の方々が

 

「きっと日本の人たちにとってもめちゃくちゃいい経験になりますよ。まず土に触れ、そしていろんな多様性を持つ人々に触れられる。恵まれた環境だと思います」

「どっちも大事!」

「そういえば、大学生のボランティアの子が『ここに来るまでは学校や学歴でいろいろな判断をされたり、将来なにをするのかやたら聞かれたりしてた。でもここでは学歴が一番重要な価値じゃなくて、自分自身をちゃんと見てくれるから居心地がいい』って話してくれましたね」

「なるほど~。裏を返せば、日本にはそういうことで悩んでいる子がまだまだ多そうですね」

「やっぱり肩書や、なにをしているかで判断される機会が多いんでしょうね」

「そんな悩める若者や社会人がここでいろんな価値観を目の当りにしたら、きっとすごくいい学びになるだろうな」

 

「それに、コロナで海外の人が来られなくなると、きっと学院としても厳しい時期ですよね」

「そうなんですよね、本当に厳しくて……。通常なら25人~30人くらいいるんですけど、去年は10人で、今年は4人。いきなりガツンと減ってしまいました」

「こんなときだからこそ、ぜひ学びに来てほしいですね。世界中を旅するのに匹敵する経験が得られる気がするなぁ。世界の現実に触れられる学校、アジア学院……!」

 

おわりに

最初に「すごい学校がある」と聞かされたとき、僕たちがイメージしたのは「すごい技術を学んで、すごい人間になれる場所」くらいのものでした。

 

壮絶な経験を経てアジア学院へとたどり着いた学生たちが目指すのは、もっともっと先の話。

 

彼らが故郷の農村に帰った後、取り組んでいくのは「自分の村がこの先どうなっていけばいいのか?」という将来まで考え、行動に移していくこと。そして、農村の人々を幸せにすること。

 

アジア学院を卒業した学生たちはきっと、柔らかい椅子に座ってアレコレと指示を出すようなリーダーにはなりません。「サーバントリーダー」の考え方を知った彼らは、農村の人々と一緒になって土に汚れ、腰をかがめて働き、村を豊かにしていくはず。

 

それにはきっと、アジア学院で学んだ「有機農業の知識」や「多様な背景を持つ人々と、ともに生活した経験」が活きてくるでしょう。

 

「自分は先進国に住んでいる」という顔をしながら、地域の将来にまで思いを馳せて行動できる人が、今の日本社会にどれくらいいるだろう? そう考えずにはいられません。

 

興味を持ったら、ぜひ彼らの取り組みを調べてみてください。

 

https://ari-edu.org/

 

そして、彼らが目指す「サーバントリーダー」や「農村を営んでいく力」に憧れたなら、アジア学院への門を叩いてみてもいいかもしれません。そこには、多くの人が経験したことのない「現実」が集まっているはずです。

 

構成:夜夜中さりとて
編集:乾隼人