こんにちは。ライターの乾です。突然ですが、

「悩み」はありますか?

 

この先行きの見えない時代。悩みのタネは数えきれず、「なんだかしんどいな……」という気分が抜け切らない、なんて人も多いのではないでしょうか。

 

悩むにしても、せめて何かしらの「指針」のようなものに頼りたくなるのが人。たとえば信頼できる同世代の友人とか、「仏教」とか。

 

僕はそんな時、相談を持ちかけるのにピッタリの人物を知っていました。

 

寒そうな姿で微笑んでいる彼は、1992年生まれの僧侶・稲田ズイキさん。京都にある実家のお寺の副住職でありながら、

 

お坊さんのZINEを作ったり、

特集は「本気で地獄」。誌面ではなんとあの、みうらじゅんにもインタビュー

 

お寺を舞台に映画を撮ったり、

2017年に公開された寺主制作映画『DOPE寺』。寺主制作映画?

 

『Vジャンプレイ』で大人気漫画『鬼滅の刃』について仏教目線で語る連載をしたり……

炭次郎と同じバナーに顔が!

 

読者の皆さんはもうお気づきでしょう。

そう、この人は変な僧侶なんです。

とはいえ、彼もれっきとした僧侶。しかも副住職なんだから、悩む現代人の人生相談にも乗ってくれるに決まってます。

 

副住職……

 

彼がちゃんとした僧侶だという証拠に、本だって書き上げています。

著書『世界が仏教であふれだす』の中には、アイドル、ライブ、ギャル、サラリーマン、サウナなど、さまざまな現代的な事象を、仏教を通して見た彼の言葉が詰まっていました。

 

『そして、すぐに気づくだろう。仏教は別に新しいことを教えてくれているわけじゃなく、これまで自分が人生で感動したり、モヤッとしたり、その瞬間瞬間に抱いた心に、言葉を置いてくれているんだということに。』

「僧侶の僕だって、『あ〜これ釈迦が言ってることと真逆のことしてもうてる〜』と思うことは多々ある。だから、いろんな思想に触れ、いろんな智慧を身に付けておくに越したことはない」

稲田ズイキ著『世界が仏教であふれだす』(集英社)より引用

 

こんな風に仏教を捉え、現代社会をよく観察している青年に人生相談をしてみたら、自分たちの悩みにも光明が差すんじゃないか? あわよくば、いざ人生に迷い悩んだ時に頼りにできるかもしれない「仏教」を知るきっかけになるのでは?

 

そう考えた筆者は、数人分の悩みを引っさげ、稲田さんに人生相談をしてきました。現代社会のお悩み相談と、稲田さんの語る仏教の教えから、読者のみなさんの暮らしのヒントが見つかるかもしれません。

 

僧侶は人生相談が苦手?

「河原にまで呼び出してすみません。今日はよろしくお願いします!」

「いえいえ! 今日は天気も良いし気持ちいいですね。ゆっくりしゃべりましょう」

 

筆者と稲田さんは同世代。なごやかな雰囲気で人生相談がスタートしました

「今日は僧侶・稲田ズイキとして、僕たちの人生相談に乗っていただきたくて。あわよくば仏教のことについても教えてもらいたいなと。」

「いきなりでちょっと言いづらいんですけど、実は人生相談をされるのが苦手なんですよね……」

「えっ⁈ 僧侶なのに⁈」

偏見ですよそれ!(笑) これは僧侶あるあるなんですけど、いろんなイベントに呼ばれては『僧侶の人生相談コーナー』みたいなやつをやらされていて」

「すごい、じゃあ慣れてるじゃないですか」

「いやいや。きっと、イベントで誰呼ぼうか考えた時に”属性”で考えるんでしょうね。『僧侶、よくない?』『人生相談してもらおうよ』みたいな」

「この記事もまさにそうですね、すみません……」

 

「なんか面白いこと答えなきゃ、ってなってしんどいんですよ……」と遠くを見る僧侶。めちゃくちゃ悩んでるな

 

「そもそも人生相談って、一般的に”問い”と”答え”という形式を求められるじゃないですか。僧侶にとっての『人生相談』って、みんなが想像するものとちょっと違うんですよ」

「そうなんですか?」

「多分、みんな『問答』みたいなやつをイメージしてると思うんですけど」

「そうですね、お弟子さんが和尚さんに相談を持ちかけて、和尚さんがめちゃくちゃ含蓄のある言葉を言ってくれるみたいな……」

「ただ、実際の仏教の問答には、そんなに明確な答えがあるわけじゃなくて」

「答えがない?」

「仏教では思い込みや固定観念が苦しみの根源だとされるんです。だから『人生』とか『自分』とか、そういう長くてよくわからないものを言葉で考えること自体が苦しみを生むものとして考えられていて。禅には”不立文字(ふりゅうもんじ)”という言葉があるくらい、言葉って支配的だから」

『不立文字』

悟りを言葉だけでは説明できず、「文字の中に真理はない」ということ。

 

「言葉で考えることが苦しい。じゃあ、どうやって相談に答えているんですか?」

「だからお経に収録されている問答では、修行者からの問いに『答えない』ってことをよくするんですよ。西洋的な『バグ(問題)を処理する』って考え方じゃなくて、質問した人の思考を促すことを大事にする」

「それで修行者は納得します?」

「答えてもらえないことで、修行者は自分の問いを見つめ直すことになって、自分の偏りに気づけるんですよ。現代風に言うと……例えば『どうやったら勝ち組になれますか?』っていう質問があったとして、それ自体に一つの”勝ち”という固定観念があるじゃないですか」

「”勝ち”という固定観念!」

「たぶん、お釈迦様だったら『勝ちってなぁに?』って言いたげな顔で黙っていると思います(笑)。僕は、これが仏教の人生相談のフォーマットなんだと思っています」

 

「なるほど……じゃあ仏教の人生相談って、答えを見つける場じゃなくて、自分を見つめ直すチャンスみたいな感じなんですね」

「そう!だから歴史的に僧侶がどういう人生相談をしてきたかというと、『質問者に話をさせる』ことなんです」

「カウンセリングみたい」

「それだけで人生相談の半分くらいにはなってて、もう半分は話を聞いて『あなたこういう部分があるんじゃないの?』というだけなんです。do(どうするべき) を聞かれて、be(今のあなたはどうなのか)で返す」

「『答えない』ことが答えになってる、っていうのもなんだか面白いですね」

「いいよね、『HUNTER×HUNTER』みたいでさ。ハンター試験の1本杉を目指す途中で、老婆とクラピカが問答したときの『答えは沈黙だったんだ』みたいな」

「(稲田さん、ジャンプ作品が好きなんだな……)」

「仏教で目指していること自体、そもそも『成長する』『前に進む』とかではなくて」

「え、そうなんですね」

「誰しもが仏になれる可能性=仏性(ぶっしょう)を持っていて、普段は錆びついているそれを修行を通して磨き上げていく、というのが仏教の在り方なので。むしろ普段見ているものが、どう見えるようになるか、というもの」

「すでに、めちゃくちゃいいお話を聞けている気がします……」

「いやいや。だから僕にできるのは、『人生相談』っていうより『人生ジャムセッション』みたいな感じです。とりあえず話を聞いてみて、『ちょっと音鳴ればいいや』くらいの。今日はそのつもりでいてもらえると嬉しいです!」

「なんだか、人生相談がより楽しみになりました!」

 

“らしくない”と言われる16歳の相談

まだ人気の少ない時間帯。公園に腰を落ち着けます

 

「じゃあ早速、持ち寄ってきた相談を話させてください!」

「どうぞ!」

 

キョウノオウタ(16歳)からの相談

「僕が何か行動を起こそうとすると、周りの大人たちから『キョウノオウタらしくないね』と言われることがあります。自分の中では考えがあってやっていることなので、正直、ちょっと嫌です。どうすればいいでしょうか」

補足:彼は中学校を卒業後、動画制作・写真撮影を仕事にして生計を立てています。周りの同世代よりも大人と接することが多く、その分たくさんの評価や意見に晒されがちです。

 

「なるほど……これってきっと、その人にとってのキョウノオウタのイメージと、違うことをしていたってだけなんですよね。彼はほかの人より早く社会に出ているけれど、この『周囲のイメージと自分の考えのギャップ』は、同世代の学生や、大人にとってもありがちな悩みな気がします」

「そうだと思います」

「『らしさ』って、自分が思うらしさと、他人から見たときのらしさがあるじゃないですか。他人は多分、これまで見てきた過去のキョウノオウタくんのイメージの連続から彼のことを見てしまうから、その人にとっての『らしい/らしくない』みたいな話をされるのも仕方ないかな、とは思いますね」

「ズイキさんって変な僧侶に見えますけど、ちゃんと答えてくれますよね」

 

変だけど、優しい稲田さん

 

「だから『そういう現象はある』とある程度諦めたうえで、それに自分自身が固められてしまう必要性は別にないかなとは思いますね」

「固められる必要はない、というと?」

「向こうもきっと、『君はこういう人間だ』みたいなものを塗り替えようとしているわけじゃなくて、自分のイメージを伝えているだけなんですよ。仏教の教えを参考にするなら、『諸法無我』という教えがあるんですけど」

「『しょほうむが』?」

「今の世の中では特に、『世界』と『自分』って対立できると考えられてますよね。でも仏教ではそうじゃなくて、世界の中に自分っていうものがもう存在していて、一体化している。だから『自分』だけの部分なんて、ないはずなんですよ」

「自分が世界に向き合っているんじゃなくて、世界の中に自分がいる?」

 

『世界が仏教であふれだす』(稲田ズイキ著・集英社)P.11より引用

 

「だから『俺はこれだ!』『俺はこうじゃない!』って自分の存在を塗り替えていこうとしなくてもいいと思うんですよね。他人が思う自分はどうしてもあり続けるし、同時に、自分が思う自分もすでに世界にあるから」

「『自分らしさ』を自分で決めすぎなくてもよかったんですね」

「自分の思う『らしさ』を大切にするのは、悪いことではないと思いますけどね。まあでも、それで世界を一つに塗り固めて生きていくのはめちゃくちゃしんどいです」

 

「地方と都市の真ん中であり続ける=しんどい」38歳の相談

「では、続いての人生相談です」

 

徳谷柿次郎(38歳)からの相談

「『都会と地方の真ん中を行きたい』と考えています。そのためにも東京と地方を取材で行き来しながら、両方の価値観を受け止め続けているのですが……。ただ、この生き方はめちゃくちゃしんどいです」

補足:ジモコロ編集長・柿次郎さんからの相談です。「全国47都道府県を編集する」なんてコピーをつけられるくらい移動の多い人で。地方の価値を発信することに大きな意義を感じながらも、各地の価値観を受け止め続けながら、いわゆる都会の潮流も把握して……って行き来が実際かなりハードみたいです。

 

「これはね、本人を見ていて思ってたんですよ!」

「柿次郎さんは全国各地を取材して回ってるんですけど、それがかなりハードみたいで」

「体力的な話だけじゃなく、『各地の価値観を受け止め続けながら』がポイントかもしれませんね。柿次郎さんは、仏教でいう『中道』を目指した方がいいのかも

「中道、ですか?」

 

「簡単に言えば『どっちつかずが大事』って教えです。振り子みたいに、『偏っているかな』と思ったら別の道を歩んでみる。現代風に言えば、『揺れながら生きる』ことが大切だって、解釈できるんじゃないかな」

「いろんな土地に行くこと自体は、偏ることと反対のようにも思うのですが」

「そうなんですけど、それで『移動しなきゃ』と思い続けることは、偏りなんじゃないかな」

「ああ、なるほど!」

「『真ん中』って言葉すら固定観念ですから、苦しみのきっかけになる。仏教の言葉で言えば、まさに『一切皆苦』ですよね」

 

『世界が仏教であふれだす』(稲田ズイキ著・集英社)P.10より引用

 

「柿次郎さんが『都会と地方の真ん中』にこだわるなら、なおさら、その言葉で自分を苦しめてしまうかも。固定観念としての真ん中にとらわれないほうがいい。自分なりの『真ん中』を探した方が」

「そうか、もしかしたら地方と都会を1:1で行き来し続けることだけが、『真ん中』にたどり着く方法じゃないのかも」

「そうそう。だから『ここが真ん中!この道を行く!』って決めるのは仏教的な中道じゃなくて。都市の生活をしてて『都市に寄ってるな、ちょっと田舎に戻そう』とか、田舎の暮らしをしてて『田舎に寄りすぎてるからちょっと都会のエッセンスを入れよう』とか、もうこれの連続でしかないんですよ」

「そうやって揺れ続ける。他人や世間に振り回されること、ともまた違うんですね」

「はい。むしろ、”自分がいまどういう状態なのか”に気づくことの連続だと思いますね」

「なるほど…」

「だいぶ難しい話になってきたので、ちょっとお店の看板の話をしてもいいですか?」

「???」

 

中道は大切だけど難しい。そんなあなたへ『ライフ理論』

「自分のことをわかるのって難しいじゃないですか。そのための『ライフ理論』というものを提唱したくて」

「ライフ理論? それも仏教の教えですか?」

「いえ、これは僕が考えたやつです」

「(考えたやつなんだ)」

「例えば、街中で”ライフ”って言葉を見かけることってありませんか? お店の看板とか、商品名とか。その時に、日本語で”人生”だって思うか、”生活”と思うか、”命”じゃん、って思うかによって、今の自分がどちらに偏っている状態かがわかるっていう……」

「なんですかそれ⁈」

「今後の人生のことばかり考えてたら『ライフ』という文字が『人生』に見えるし、世の中と接点を減らして『いまは生きていけたらいいか』と考えてる時は、看板が『命』に見える。これが僕の中で、リトマス試験紙みたいになってるんですよ」

「本当かな」

「これはもう、みんなやってみて欲しいです。自分の偏りがわかるって大事ですから」

 

「ああ……いまは特に、明確な目的やゴールがある方が格好良く見られる時代じゃないですか。目指してきた道があって、『ここからの景色が見たかった』と、『到達までの物語』がみんな好きで。SNSを見てると特に、そこばかり賞賛されるのにしんどさもあって」

「そうですね。でも、仏教ではそもそも『人はすべて無意味』みたいな考え方もあるから。『色即是空』って聞いたことあります? 『クレヨンしんちゃん』で、野原家に飾ってある掛け軸に書いてある言葉なんですけど」

「そんな説明?」

「あれは”色”(=世にあるすべてのもの)とは”空”(=無)である、って意味で。一瞬一瞬ですべてのものは移り変わっていくから、存在し続けるものなんて何もないんだって考え方で」

「儚いですね。でも、その考え方は聞いたことあるような」

「でも、その言葉には続きもある。本当は『色即是空、空即是色』なんですよ。前半で『確かだと言えるものなんて何一つない』と言いながら、後半では『移り変わっていくものがあるから、その瞬間の形を作っている』と言って、形としてあるものの尊さも語っている」

「なんか、さっきの”中道”の話とも似てますね。2つの考え方の間をずっと行き来してる感じというか」

 

「そう!仏教の面白いのはね、どこを切り取っても仏教の真理を言っているところなんですよ。いろんな教えも、言葉もあるんだけど、その一部分の中に仏教のすべてと言っても過言ではない教えが詰まっているんです」

「どこを切り取っても真理……なんかあれですね、『鋼の錬金術師』に出てきた『一は全、全は一』みたいな」

「イズミ・カーティスがエドとアルに教えたやつじゃん!!!あれはまさにそうだよ!!!」

 

「道が定まっている人はかっこいい、自分はまだ定まらない」27歳の相談

「ちょっと脱線しちゃいましたね」

「いえいえ!面白いです。じゃあ最後に、僕からの人生相談もさせてください」

 

いぬいはやと(27歳)からの相談

「取材で地方に行くと、自分のやるべきことを見つけ、人を巻き込み、社会に向き合っているかっこいい人々と出会います。自分はその人たちのようにはいかず、『自分はこれからどうしようか』と悩んでばかりです」

補足:フリーランスのライター/編集者として仕事をはじめて1年、いまだに自分の方向性について悩み続けています

 

「っていうことに悩んでいて」

「この悩みを根底から言うと、自分のあり方なんてなんでもいいんです。世界から見れば

「世界から見れば……なんでもいい……」

 

急にスケールがでかくなったので、一旦遠くを見ます

 

「さっきの『色即是空』でもそうだけど、本来すべては無だから、自由でいい」

「そうですね」

「でも、なぜそう思えないかというと、自分が生きてきたこれまでの人生があるから。それを他の人の人生と比べてしまうから、このままでいいと思えない。つまり、自分のことを大事にするから悩んでしまうんです

「他人と比べて、焦っている……」

「だから改めて、自分の物語をちゃんと紡いで認識するってことが大事だと思います。自分で振り返るとどうしても悪く見積もっちゃうから、めっちゃポジティブな人に話を聞いてもらって、『君のこれまでって、こういうことだったんじゃない?』って編集してもらうとか」

「最初の相談とは反対に、自分を認識するために人に見てもらうんですね」

「そうすると、『自分はこう生きてきたから、こういう人生のルートもあるかも』と自分の過去から考えられるようになる。で、それを続けていたら、自分の人生を客観的に編集できる視点が手に入って、『おれの人生、どうにでもなるやん!』ってなると思う」

「確かに、『自分にはどんなルートがあるか』『それには、何が足りないのか』ってことばかりに悩んでいた気がします。本当は、他の人の生き方を見て不安になる必要はないんですよね」

 

「もし、『自分ってどうなんだろう』って考えすぎてしまってるなら、とにかく手を動かすことが良いのかも。考えすぎるときって机上の空論になってることが多いから、自分を忘れられるようなことに熱中するといい。仕事とかね」

「なるほど……『人からたくさん意見をもらうこと』『とにかく手を動かすこと』、言われてみれば、どっちも足りていなかったような気がします」

「まああくまで、いぬいくんのような人にとっては、って話なんだけど。最初にも言ったけれど、『こう』と決まった答えなんて何もなくて、人によって変わってくる」

 

「だから仏教って、”聖書”がないんですよね。たくさんの人に応じた”コンサル集”になっていて、時代や人に応じて編集され続けているものだと思う

「今日の人生相談もまさに、僕たち向けに編集しながら語ってくれた『仏教』だったんだなと思いました。ありがとうございました!」

 

まとめ

何が起こるか予測しづらい世の中。強い意志で人生を突き進むだけでは、辛くなってしまうことも多いはず。

でも、そんな世の中にも「自分を見つめ直す」きっかけはあります。

 

稲田さんは嬉しそうに語ります。

「BUMP OF CHICKENの歌詞に『知らなきゃいけないことは、どうやら1と0の間』って歌詞が出てくるんですけど、これが僕なりの仏教ってものの定義だと思ったんです」

「1(存在する)と0(何もない)の間に0.00000000…という広い世界があって。小数の位がずーっと小さくなった先に、『涅槃寂静(※)』という和名の単位があるんですよね。だから、存在と非存在の間の見えないものを見ることが、僕のやることだと思ったんです。つまり、天体観測!!」

※煩悩をなくせば苦しみがなくなる悟りの境地に辿り着くことができるという、仏教の四法印の一つ。

 

稲田さんのように、もっと言えば多くの僧侶たちのように、自分自身の身近な生活の中からも”人生の指針”を見つけることはできるはず。

 

数年、数ヶ月先に何が起こるかも予測できない世の中。僕たちはずっと、悩み続けながら生きるしかないのかもしれません。「いまの自分は偏っていないか?」と振り返りながらも、ずっと揺れて生きていけばいいのかもしれない。そう思えた人生相談でした。

 

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配布場所:全国のお寺、配布協力店(配布無料)

※バックナンバーを含め、こちらのWEBでも閲覧できます。

 

写真:藤原慶