「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ

 生湯葉シホ

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働き方や生き方を見つめ直すとき、なにかを「やめる」選択が自分にとって転機になった、という方は少なくないのではないでしょうか。

「やめたい」という思いが生まれた理由。その決断をするまでに至る過程。実際に「やめた」ことで、自身にどんな変化があったのか。悩んだ末の決断が、自分にとってどんな影響を及ぼしたのか。そんな誰かの「やめた」に焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」をお届けします。

今回は、ライターの生湯葉シホさんに寄稿いただきました。

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昔から、ほんとうに言われたくないことを言われると、とっさに笑ってしまう癖があった。自覚している性格上の欠点とか、容姿のこととか、家族のこととか、分かってはいるけれどどうしようもないんだよなそれ、ということを指摘されると、決まって情けなくニコニコしてしまう。

当たり前だけど、こちらが笑っていると「あ、嫌がってないんだな」と思われるから、会話はそのまま進んでいく。言われたくないことを言い続けてくる相手を前に、「いや違うんです、めっちゃ嫌なんですよ」と思いながらもニコニコしている自分のことが、自分でも不可解だった。

どうして私は「やめてください」のひと言が言えず、あまつさえニコニコ笑ってしまうんだろう? とずっと考えていた。

「笑顔チャンピオンの私」ができるまで

振り返ってみると、子どもの頃から真顔でいるのが苦手だった記憶がある。

幼稚園のときに、自分が好きな色の折り紙を選んでお母さんにカーネーションを折りましょう、という授業があった。受け持ちの先生が「じゃあみんな、先生のところまで好きな色を取りにきてね。早いもの勝ちだよ」と言った瞬間にわあっと走り出した同級生たちを見て、私はひとりパニックになり、うしろの方でただやたらとニコニコしていたのを覚えている。同級生と喧嘩するのは嫌だったから、「これがいいです」と嘘をついて余りものをもらった。

5歳のときからそんなふうだったから、困ったときにニコニコするのが果たしていつから癖になったのか、自分でもよく分からない。子ども時代は気の弱さや声の小ささで何度かいじめられた記憶があるから、たぶん、クラスのボス的な存在の人に「私は敵じゃないですよ」とアピールできる手段が笑顔しかなかったんじゃないか、と想像する。

10代は女子校で過ごしたのだけれど、ニコニコしていると、先輩から生意気だと目をつけられにくかったり、当時ちょっと気になっていた同級生から「かわいい」と言ってもらえたりと、いいことが多かった。もちろん笑いたい気分のときばかりではなかったけれど、少なくとも学生時代には、嫌だと感じたときにしっかりと自己主張をするよりも、ニコニコ笑ってやり過ごしてしまう方がはるかにラクだった。

あまりにもいつもニコニコしていたものだから、いつからか自分のなかでは、口角を上げて笑っている顔が私の「基本の顔」なのだ、というゆがんだ意識さえ生まれた。

大学時代にしていたテーマパークのキャストのアルバイトでは、仕事中にいい笑顔をしているという理由で「笑顔チャンピオン代表」として表彰されたこともある。いま思うと冗談みたいな話なのだけれど、当時はそれがちょっと誇らしかったし、嫌なことを飲み込んででも笑っていられる自分のことを大人じゃん、と感じていた。

ニコニコすることは、時に共犯になるんじゃないか

社会人になり、ライターのアルバイトを始めると、年上の人や目上の立場の人と会議をしたり、お酒の席で会話したりする機会が増えてきた。そういった人の中にはときどき、こちらが気弱そうに見える20代女性だからか、信じられないほど無礼なことを言ったり、明らかにハラスメントだと思えることをしてくる人たちもいた。

嫌だなあと思いながら、「けど仕事の付き合いだしなあ」「酔って冗談で言ってるんだろうしなあ」と理由をつくっては、とりあえず曖昧に笑っておくことでこの場をしのごう、といつも我慢していた。

「笑うこと」についての意識がはっきりと変わったできごとがある。25歳のときだった。

取材の仕事で、同世代の編集者とバーに行った。お酒を飲みながら世間話をしていたとき、隣に座ったお客さんが、とつぜん話に割って入ってきた。

「ふたりはカップル?」と聞かれたので、「いえ、ライターと編集者です」と答えると、「そうか、20代でしょう? お姉さん早く結婚した方がいいよ」とその客が言う。私が困惑しながら「ハア……」と適当な相槌を打っていると、編集者が「彼女は結婚しているし、余計なお世話ですよ」と笑いながら言った。

「お兄さんは結婚してるの? やっぱり結婚しないと男は一人前になれないよ」とその客は私たちに絡み続ける。嫌だなあ、店を出たら編集さんに大丈夫でしたかって聞こう……とぼんやり考えていたとき、「結婚しないと一人前になれないっていうのは、古い価値観だと僕は思いますけどね」と編集者がはっきりと言った。え、と思って彼を見ると、ちょっと怖くなるくらいの真顔だった。

そのあと、客はしばらく編集者に絡み続けたのだけれど、私たちは意に介さずお酒を飲み続け、酔いが回ったころに店を出た。途中から、私も客の話に相槌を打つのをやめていた。

店の外で、私が「いまの態度、めっちゃ立派だと思いました……」と言うと、彼は「ニコニコしちゃうと、ああいうこと言う人はこれから先も別の人に言い続けると思うんですよ」と淡々と言った。

その言葉を聞いたときの恥ずかしさと言ったらなかった。私は「ですよね……」とかなんとかゴニョゴニョ言い、原稿の〆切の話をしてから帰路についた気がするのだけど、自分がこれまでしてきた「ニコニコする」という態度の無責任さに気づいた衝撃に耐えられず、家に帰ってからもずっと無口でいた。

私がしていたことは、人のモラハラやセクハラ、偏見を野放しにし、時に助長することですらあったかもしれない。そう考えるとほんとうに嫌な気持ちになった。そして、たとえ時間がかかったとしても、人の言葉に対し「それは違う」と感じたときにも笑ってしまう癖をやめたい、やめないとな、と思った。

「いまもどこかでシーザーサラダを取り分けさせられている」人のこと

とはいえ、何度も書いているように、「ニコニコしてしまうこと」は自分にすっかり染みついた癖だったから、やめようと思ったところですぐにやめられるわけではなかった。ここで笑ったら相手をつけ上がらせるだけだ、と頭では分かっていても、つい反射的に口角が上がってしまう。喫煙や飲酒の習慣がなかなかやめられないのに似ている、と思った。

ちょうどそんな葛藤を感じていた2019年のはじめ、小説家の村田沙耶香さんに取材をする機会があった。ほんとうに偶然なのだけれど、この『りっすん』で声をかけていただいた仕事だった。

村田さんはその作品群のなかで、社会のシステムや慣習に溶け込めず、「“普通”でいなさい」という圧力にさらされる人たちの姿を書き続けている。

実生活で感じたそういった圧力への怒りや違和感が、作品を書く際の原動力になることはありますか? と聞くと、村田さんは「もしかすると、そういう場面を知らないうちに冷凍保存していて、作品を書く際に解凍しているのかも」とおっしゃった。

そして、飲み会の場でサラダの取り分けをしなかっただけで「嫁に行けないよ」と言われたことがある、という地獄のようなエピソードについて語られたあと、

私の小説を読んでくださった若い女の子が、泣きながら書いたっていう手紙を送ってくださったりすることがよくあるんです。私たちの世代がこれまで、古い価値観を人に押しつけられたときに笑ってごまかして逃げてきたせいで、いまも若い女の子が同じ目に遭ってるかもしれない……。それこそ、どこかでシーザーサラダを頑張って取り分けさせられてるかもしれないって思うと、本当に辛いんですよね。私もそういうとき、笑ってごまかしてしまうことがいまだにあるので、よくないなと思っています。


と話してくださった。

お話を聞いているとき、私まで泣きそうになりながら、(とても失礼ではあるけれど)「そうか、村田さんでも笑ってごまかしてしまうことがあるんだ」とすこしだけホッとした。同時に、たとえ時間がかかったとしても、笑ってごまかすのを私もやっぱりやめ続けたい、という気持ちが強くなった。

村田さんのおっしゃった、“(いまも誰かが)どこかでシーザーサラダを頑張って取り分けさせられてるかもしれない”という言葉が、取材のあともしばらく頭から離れなかった。

「ニコニコする」をやめられるようになったあと、初めて考えた「自分のこと」

バーでの編集者の毅然とした態度や村田さんのお話をきっかけに、私はすこしずつ「ニコニコする」ことをやめられるようになってきた。

例えばすこし前、仕事の打ち合わせで新卒の女性に「なんか今日ケバくない? デート?」と聞く年配の男性がいたときには、「それは失礼ですよ」と声をかけた。たぶん、これまでであれば同じ言葉でもヘラヘラと笑いながら言うことしかできなかったのだけれど、笑わない、と決めて言うだけで、相手の態度がまったく違うということが体感として分かってきた。

真顔で言うと、「怖、目がマジなんだけど」と相手に言われたりする。だからマジで言ってるんだよ、といつも思うけれど、べつに喧嘩したいわけではないから、ただ真顔で圧を放ち続けることだけを意識している。冗談で言っている、と思われないように。

最近そんなふうに、ほんとうに徐々にだけれど笑わないことができるようになってきて、初めて考えたことがある。嫌なことを言われたとき、「嫌だなあ」と確かに感じている自分の気持ちについてだ。

えっ? と思われたかもしれないのだけど、私がニコニコすることをやめなければとこれまで思っていた理由は、「いま私が言われたことと同じ言葉をこれ以上他の人にかけないでほしい」とか、「いま〇〇さんが嫌な思いをしているということに気づいてほしい」とか、端的に言うと自分以外の人のためだった。

だから、自分ひとりしかいない場で誰かに嫌なことを言われたときは、「それ、私だから怒られないで済んでますけどモラハラですよ」というような言い方に逃げることも少なくなかった。相手がそれを「言うべきじゃなかったな」と気づいてくれればそれでいい、と思っていたのだ。

けれどすこし前、その話を信頼している人にしたとき、「え、その言葉ってシホちゃんにとってもモラハラでしょう?」と不思議そうに言われて、「あっ」と思った。

そうか、人のためじゃなくても、自分が傷ついていたら傷ついていますよって顔をすればいいんだ。当たり前過ぎるのだけれど、自分だって人に嫌なことを言わせない権利がある、ということが、そのとき急にストンと腑に落ちた。たぶん、同じことを5年とか10年前に言われていても困ってしまってニコニコすることしかできなかったと思うのだけれど、笑わない練習をしてきた私には、真顔で「ほんとうにそうだね、モラハラだわ」とその話を聞くことができた。

「ニコニコしない」は最良の手段ではないけれど

笑わなくなった話を人にすると、「でも、それだけだと結局なにも変わらなくない?」と言われることもある。確かに、例えば誰かが差別的なことや偏見に満ちたことを言ったとき、なぜその言葉を言うべきでないかをその場できちんと説明したり、対話したりしようとするのが本来は理想的だと思う。

けれどたぶん、仕事相手や自分よりも立場が上の人に対し、「それは違いますよ」とびしっと言うことのできる人は少ない、というのが正直なところではないか。情けない話だけれど、私だって仕事上のやりとりで不利益を被ったり誰かに迷惑をかけてしまいそうなとき、「違う」と思ってもなにも言えなくなってしまうことはいまだにある。

けれど、人は意外と言葉だけでなく、その場の雰囲気も含めてシーンを記憶している、と感じる。いまぱっと思い出せるだけでも、偏見に満ちた冗談を言う人に対し、その場の過半数が笑わずに真顔でいた飲み会の記憶が私にはいくつかある。歳の近い先輩が笑わないでいてくれたことに救われる気持ちになったこともあれば、「あのときすごく嫌な気持ちになったんですけど、シホさんが笑わなかったからホッとしました」と、自分より若い人に言われたこともある。

笑わないということだけで、傷ついた気持ちや不快に思う気持ちをその場にいる人たちが共有できるケースも確かにある、と思うのだ。だから、弱い立場に立たされている人にとっても、笑わないことは現実的な打開策のひとつになり得るのではないか。なにより自分自身にとっても、「なにも言い返せなかったけど、少なくとも私は笑わなかった」と思えることは、自分の尊厳を守る上ですごく大切なことだと感じる。

私は練習の甲斐(?)あってか、最近は差別や偏見、ハラスメントに対してはだいぶニコニコしないでいられるようになってきた。けれどいまでも、「ハラスメントとかじゃないけど失礼だな……」「なんかバカにされてるな……」と感じるようなときは、わりと笑ってごまかしてしまう。あと何年かかってもいいから、すこしずつその癖を手放していきたい、といまは思っている。

著者:生湯葉シホ

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趣味/仕事で文章を書いている20代。フリーランスのライター・編集者として、主にネットでしこしこと文章を書いたり削ったりしています。酒、亀、ポルノグラフィティ、現代文学・短歌などが好きです。
Twitter:@chiffon_06/Blog:湯葉日記/ note:生湯葉 シホ|note

編集/はてな編集部

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