露の団姫(つゆの まるこ)さんは上方落語協会に所属する落語家。そして、天台宗の僧侶でもあります。高校卒業ののち露の団四郎師匠に入門し、落語家として活躍をしながらも、2012年に比叡山行院での修行を経て、正式な僧侶にもなります。テレビやラジオ、高座で活躍しながら、仏の教えを広めるための活動もおこなう団姫さん。
今回、団姫さんが落語家と僧侶を目指すようになったきっかけや修行時代のこと、「異宗教結婚」でもあるご家族のお話、そして二つの肩書きを持つ彼女が追う「夢」についても伺いました。
「自分の特技を生かすことが一番」と進んだ落語家への道
露の団姫(以下:団姫) 落語家としては、普段は上方落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」で古典落語を演じるのがメインの活動になります。「僧侶」としてはイベント開催などでみなさんの悩み相談を受けたり、お話をしたりしていますね。それと、落語家兼僧侶として、仏教の教えを取り入れ創作した“仏教落語”を通じて、布教活動もしています。
団姫 もともと子役の活動をしていたんです。そのとき、お芝居で人を楽しませる喜びを知って。特に「笑い」に興味を持ち、生業にしたいと高校在学中に吉本興業の養成所へ入所しました。でも漫才のセンスや若い世代に向けた笑いを作り出す技術は私にはなかったんですね。
ちゃんと自分の持ち味に沿った笑いを追求したいと考えたとき、「落語」が思い浮かんだんです。落語好きの父の影響で、幼少期から落語に親しんでいたのもあったと思いますね。高校卒業後、上方落語の露の団四郎に入門をしました。
団姫 全然なかったですねー! 父が「元祖フリーター」を自称するくらいに自由な人間で。ラーメン屋、パン屋、塾の先生……とさまざまな職を渡り歩いていました。その中で常に「仕事は自分の特技を生かすのが一番」と話していたので、就職を考えたことはなかったですね。子役時代から、「人を笑わせる」ということに向いていると言われてきたので、これが私の進むべき道なんだろうなと。
団姫 そのかわり、学校の先生にはものすごーく反対されました。当時、私の在学していた高校は進学率を伸ばしたい時期だったんですね。最低でも専門学校には進学してほしい。大学に行ってから入門すればいいやん、って口すっぱく言われましたよ。でも固辞し続けました。ただ、担任の先生が実は若い頃に講談師を目指していたらしくて、こっそりと「学校は反対だけど、俺はお前を陰ながら応援してるからな!」と、唯一学校で背中を押してくれました。
高校卒業後、その年の生徒たちがどんなところに進学したか一覧表で出るじゃないですか。「国立大学3、私立大学50……」って。その中で、たったひとつ「その他」の項目があったんです。それが私(笑)。
団姫 私の場合、まずは落語家が書いている本を片っ端から読み漁ってました。当時はインターネットも全然普及していなかったので、情報を得る手段はアナログだったんですよ。あとは、実際に寄席に行く。「団四郎師匠の所へ弟子入りしたい」と決めてからは、ひたすら入門のお願いをする、という感じでした。
「腹をつくる」ことが落語家になるための修業の核
団姫 2008年に修業を終え独り立ちするまでの約3年間、大師匠である二代目・露の五郎兵衛の自宅で住み込み修業をしていました。毎朝4、5時に起きて、掃除洗濯炊事の全てを任されます。大師匠の病院通いにもお付き合いをして。夜になるとおかみさんは「私に構わんと寝えや」と声をかけてくれましたけれど、兄弟子からは「おかみさんも師匠と同じ立場やで」とキツく言われていましので、おかみさんが寝られるまで起きていました。
団姫 そうなんですよ。修業中はとにかく寝たかったです(笑)。正直修業中は一切、自分の時間は取れません。家事、炊事だけでなく、公演がスムーズに行えるよう、裏方仕事なども行います。テレビも新聞も見る時間がなかったので、いまだに懐メロを紹介する番組で「ピンとこない曲だな」と思ったら、修業期間中にはやった曲ってことも。ものすごく浦島太郎状態でした。
団姫 修業イコール演目を習う、と思われがちなんですが、そうじゃないんですよ。演目を習うのなんて月に2、3回あればいい方。それも、家事をこなす合間に師匠の動きを見極めて「今やったらいけそう!」ってタイミングで師匠に滑り込みます。
団姫 そもそも修業中は、半人前以前の状態。落語をすることが仕事ではないんです。ただ、師匠のもとで過ごすからこそ、師匠の生き様、落語家としての「生き方」を近くで見ることができますよね。師匠とお話していて、どういう出来事が師匠に降りかかって、それをどんなふうに切り抜けたのか……。師匠の体験談をもとにした「物事はこう考えたらいいんや」っていう発見があるんです。
それと、「腹をつくる」っていうのが一番大切な修業で得ることだと思います。
団姫 ええ。修業中って、本当にしんどいことが多いんです。毎日師匠からは怒られるし、寄席の楽屋では「●●師匠のお茶の温度は60度」なんて細かいことも覚えないといけません。そして理不尽なことも山ほどあります。その中で耐え忍ぶといいますか、仮に心でブチ切れていたとしてもグッと腹に収める。そんな「ココロの受け皿」を一番に学ぶんです。
だって落語家として稼いで、ご飯を食べていこうと覚悟したんですから。理不尽なお客さんがいても笑顔であしらわなきゃいけません。そんな腹を持っていないとプロとしての落語家は務まりません。
落語家は「職業」、僧侶は「生き様」
団姫 天台宗で得度*1したのは2011年ですね。「春香(しゅんこう)」という法名をいただき、比叡山での修行を終えて正式な僧侶になったのが2012年になります。
私、高校生の頃ですかね。1年くらいずっと心が落ち込んでいたことがあって、端的に言うと「死にたい」と思っていたんです。
団姫 詳細は伏せさせていただきますが、とある事件に巻き込まれて、ずっと死にたい、死にたいと。肉体的にも、精神的にもボロボロだったのですが、すでに出会っていた法華経*2に救われました。
法華経はざっくりいうと「お釈迦様の慈悲と教えは永遠で、常に私たちを応援し、悟りへと導いてくださる」というお経です。そんなお釈迦様ですから、私というちっぽけな一人ですら、自殺してしまったら悲しまれるだろうなと思い、死ぬのをやめました。お釈迦様の救いは、一人もその掌からこぼれ落ちることはありません。全ての人が対象なのです。
仏教、ひいてはお釈迦様に救われた私は、生きる活力をいただきました。そこで、今度はこの教えをいろんな人に伝えていきたいと思ったんです。落語家になったこともそうなんですが、やっぱり修行をちゃんとしなければ人に伝えることはできないと思っていたので、僧侶になろう、という選択は私にとって自然なことでした。
あえて言うなら落語家は「職業」で、僧侶は「生き方」です。それに、現代のお坊さんの多くは別に職業を持っているんですよ。私がたまたま落語家だったというだけで。
団姫 修行中に私のことが忘れ去られたらどうしようかなと不安に思うことはありましたね。 それと、出家について幸いにも家族や師匠は快諾してくれたのですが「売名行為として僧侶の肩書きが欲しいだけじゃないのか」と言われることもありましたし、修行先となる比叡山でも、簡単にOKはもらえませんでした。
団姫 落語家も芸能界ですし、席の取り合いです。 実際、修行があけてすぐは仕事の量が減りました。単純に「お坊さん」をどう扱ったらいいのか困ったということなんだろうな、と今では思いますが。
特に落語の先輩方から「前座」としてのお仕事の依頼はかなり少なくなりました。 やっぱり前座って、 後から出演する人を引き立てる役回り。キャラクター的には使いにくいですよね。
団姫 ただ、近所の喫茶店のマスターが「自分で仕事が取れる」「先輩から使ってもらえる」「公演のチケットを売るのがうまい」のどれか一つでも満たされれば、落語家は一生食べていけるってアドバイスをくれたんです。
私は、先輩に前座として使ってもらいたいから落語家になったわけじゃではありません。もし僧侶である肩書きが「使いにくい」とされるのであれば、自分で落語会を開催すればいいんだ、と思うようになりました。ありがたいことに今では仕事の幅も広がっていますし、僧侶であることを落語のマクラ*3にすることもあります。
異教徒との結婚生活は「それはそれ、これはこれ」
団姫 そうなんですよ。夫の豊来家大治朗は太神楽曲芸師ですが、プロテスタントのクリスチャンでもあります。芸風も信仰もまったく違う、人生の相方です。名古屋の寄席で一緒になった時に知り合いました。
団姫 一言でいえば「優しくおっとり」。夫婦生活はうまくやっていると思います。2014年には子どもも授かり、今は夫とお互いのスケジュールを確認しながら「できるひとがやる」で子育てをしています。
団姫 例えば夫が週末にかけて出張に行くとして、近くに夫の宗派に合う教会はないかな? と一緒に探すような仲。互いの宗教は「そこはそれ、これはこれ」と考えているので、宗教が原因で喧嘩をしたことはないですね。
夫は毎週末には日曜礼拝に行く比較的熱心なクリスチャンですけど、互いに理解しあって生活しています。
団姫 めちゃくちゃ批判はありましたね……!「何を考えているんだ」なんてことも言われました。ただ、私や彼を知る人からの反対がなかったのはうれしかったですね。
団姫 かもしれませんね。正直、うさんくさいと思われることもあります。ただ、私の場合は仏教徒、夫の場合はキリスト教徒ですが、いずれにしても心のよりどころを持ち「おかげさま」の気持ちを忘れずにいることが豊かに生きる秘訣。なので、信仰をお互いに持っていることは良いことだと思います。
ただ、「どうしても宗教に対して抵抗がある」という方は、神仏でなくても、おばあちゃんが大好きな人ならおばあちゃんへの「おかげさま」でも良いと思います。仏様でも人間でも、誰かひとり、自分が悲しい顔をさせたくない大切な人がいれば、真っ直ぐに生きることができると思います。
人々が集う場所をつくりたい
団姫 ゴール……。そうですね、やっぱり落語家としては「名人」を目指したいです。僧侶としては「自殺をなくす手助けをしたい」。
団姫 先程も少しお話しましたが、僧侶を目指そうと思ったきっかけが、まさに私自身お釈迦様の教えによって自殺を踏みとどまることができたから。心の支えは神様でも仏様でも、それ以外の何かでもいいと考えていますが、僧侶として迷ったり苦しんだりする人たちの悩みを聞ける場所をつくりたいと思っています。それで、生きることを捨てないでいてくれたら。
そこで落語会もできたらいいですね。笑いながら「生きる」を話したり共有できたりすれば。落語家として、僧侶としてのゴールにむけた「人の集う場所」をつくりたいですね。
団姫 どうしようもなくなったら、逃げてもいいと思います。お釈迦様も「逃げる」ことを否定されていません。場合によっては、まずは避難することが大切です。逃げずに向き合おうとして心身を削られて、結果死んでしまってはいけませんから。
「仏様もこう言っておられるんだし」と気軽に構えてみてほしいですね。ちなみに私は昔、すごーく緊張しいだったんです。人前に立つとお腹が痛くて。こんなんで落語家になれるのかって。
でもね、諸説あるんですが、お釈迦様の死因って食中毒らしいんですよ。あのお釈迦様でも腹痛に倒れるんです。だったら私がお腹痛くなるくらいどうってことないって。そう思えると、何だか楽になるでしょう?
撮影/浜田智則
編集/はてな編集部
お話を伺った方:露の団姫(つゆの まるこ)さん