会社員になれなかった私が、自分にできる仕事を見つけるまで

 吉玉サキ

会社員ができないから、消去法でフリーランスになった


会社員経験と10年間にわたる山小屋勤めを経て、ライターになった吉玉サキさん。ライターという職業には憧れていたけれど、フリーランスの道を選んだのは「消去法」だったといいます。「会社員になりたくてもなれなかった」という吉玉さんに、自身の働き方への思いを寄稿いただきました。

* * *

会社員ができないから、消去法でフリーランスになった

私は駆け出しのフリーライターだ。34歳でライターに転身し、もうすぐ1年がたとうとしている。ライターになる前の10年間は山小屋で働いていた

ライターとして企業に属したことはなく、最初からフリーランスだ。業務委託という形で、いくつかのWebメディアで記事を書いている。職場は自宅で、働く時間も自分次第。

……というと、「時間や組織に縛られるのが嫌なんですか?」と言われるのだけど、そんなことはない。私はフリーランスになりたくてなったのではなく、それしか選びようがなかったのだ。

本当はWebメディアの編集部か編集プロダクションに勤務したかったのだけど、未経験の34歳を受け入れてくれそうな求人はなく、消去法でフリーランスからの出発となった。

私が会社員になれない理由はもうひとつある。体質的に、毎日外出ができないからだ。

私は外出から帰宅すると、毎回のように頭痛と吐き気で寝込んでしまう。もともとそういう傾向はあったけど、20代後半からひどくなった。何度か病院に行ったものの身体に異常はなく、原因は分からないまま。「精神的ストレス説」を持ち出されることも多いけど、旅行やデートなどの楽しい外出の後でも寝込むし、母と姉も同じだからそういう体質なのだろう。

かといって、決して体力がないわけではない。山小屋で働けていたことからも分かる通り、登山はできるし、家や自然の中では元気に働ける。あくまで、都会・人ごみ・乗り物に反応して体調を崩すのだ。

そういった理由から、私はフリーランスのライターになった。フリーランスという働き方は自分が望んだものではない。フリーはいつ仕事がなくなるか分からないから不安だ。私は自由より安定が欲しい。

だけど、私は会社員という働き方ができない。過去に2回ほど会社員をやってみたけど、どうしても続けられなかった。そのせいで劣等感に苛まれ、「こんな自分にできる仕事なんかない」と思いつめていた時期もある。

そんな私でも、35歳の今に至るまでなんとか生きられている

もしも、会社勤めができず苦しんでいたあの頃の自分に会えたなら、「あなたにもできる仕事はあるから、どうかあまり思いつめないで」と伝えたい。

仕事が続かない私は、社会不適合者だと思っていた

最初の会社勤めは、専門学校を卒業してすぐだった。

専門学校時代の私は作家を目指していて、小説の新人賞に投稿していたけど、結果は良くて二次選考止まり。食べていくために会社員になろうと、就活をした。当時は今ほど体調を崩しがちではなく、毎日学校にもバイトにも行っていたから、自分にも会社勤めができると思っていた。

何社も落ち続けて、やっと拾ってくれたのは社員10人以下の小さな会社。とある大手求人広告会社の契約代理店だ。原稿担当で採用になったけど、実際に勤務が始まると営業に回され、求人広告の飛び込み営業をした。

職場の環境は良くて、労働時間はブラックじゃないし、会社の人はみんな優しかった。採用されたことがありがたかったから、一生懸命に働いて恩返しをしたかった。

だけど、働き始めて1カ月ほどで、心身の調子を崩してしまった。毎日、涙が止まらない。何がつらいのか分からないけど、なんだかつらい。朝になると心臓がバクバクして、呼吸が自然にできなくなった。

環境に不満はなかったし、ビギナーズラックなのか、営業成績もわりと良かった。それなのに、なぜ私はつらいと思ってしまうのだろう。泣いてしまうのだろう。私よりもハードな環境で働いている人はたくさんいるのに……。

私はもともとメンタルが不安定で、高校生の頃から精神科に通院して薬を飲んでいた。こういうふうに心身の調子を崩してしまうことは、昔からよくある。けれど、何度繰り返しても、自分のメンタルを受け入れることはできなかった。「想定の範囲内」とも「自分はこういう人間なんだから仕方ない」とも思えない。ただただ、弱い自分が情けなくて、恥ずかしい。

就職からまだ3カ月しかたっていなかったある日、駅で意識を失って倒れたことをきっかけに会社に行けなくなってしまい、そのまま会社を辞めた。罪悪感でいっぱいで、「自分には生きる価値がない」と本気で思った。

その後、地元に戻ってホテルのレストランでバイトを始めた。けれど、今度はシェフの厳しい叱責に耐えかねて体調を崩し、たったの2カ月で辞めてしまった。

2回連続で仕事が続かないなんて、私は社会不適合者だ。こんな私に、できる仕事なんてあるんだろうか? そう悩んでいたとき、ある知人に「やってみてできた仕事が、あなたにできる仕事だよ」と言われた。

正直、その言葉は当時の私にはピンとこなかった。

ようやく、私にも続けられる仕事に出会えた

約半年のニート期間を経て、私は北アルプスの山小屋でバイトを始めた。その前年に山小屋で働いていた幼なじみが勧めてくれたのがきっかけだ。山小屋は住み込みで働くので、スタッフ同士が仲良くなりやすい。気の合う人が多く、楽しく過ごせた。

業務内容は、調理や配膳、接客、掃除など、私にとってすぐに覚えられる仕事ばかりだった。それにほとんどの業務が「みんなで行う」ものなので、個人の技量が問われないのも気楽だ。私は、会社員時代に「営業成績」が大きなプレッシャーになっていたことに、このときようやく気づいた。

山小屋の仕事は季節限定なのだけど、根性なしの私が、途中でダウンすることなく期間満了できた。それがうれしくて、その翌年も、そのまた翌年も、山小屋で働いた。

続いたということは、山小屋の仕事と環境は私に向いていたのだろう。私はようやく「やってみてできた仕事が、あなたにできる仕事だよ」という知人の言葉が腑に落ちた

「やりたいこと」や「できること」で仕事を選ぶというより、とりあえずやってみて、できた仕事を続ける。それは、いわば消去法の選択だ。続けられなかったものを二重線で消していき、残ったものを選ぶような。

人には「消去法なんてネガティブだなぁ」と言われるけど、私はその選び方をネガティブだと思ったことがない。どんな選び方であれ、結果的に自分にできる仕事に出会い、なんとか自分を養っていけるのであれば、それで十分だ。やりがいや自己実現は、私にとって贅沢品だった。

「自分にできること」だけを続けるのは甘え?

ただ、山小屋の仕事は続けられたけど、自分の仕事ぶりに納得できていたわけではない

料理は下手だし、気が利かないし、山の知識も浅い。周りの評価は分からないけど、私の自己評価は、「仕事を続けられない根性なし」から「続けてはいるけど仕事ができないポンコツ」になった程度だ。ちょっとはマシになったものの、まだまだ納得がいかない。特に3年目くらいからは伸び悩みを感じ、自己否定に陥った。

また、「山小屋を続けるのは、ラクがしたいだけなんじゃないか」「できないことに挑戦し、克服する体験も必要なのでは?」という思いもあった。

今となっては、できる仕事を続けて何が悪いのかよく分からない。けれど、真面目で勤勉な両親の影響もあって、子供の頃からずっと「何事も絶対に途中で投げ出してはいけない」と思い込んで育ってきた私は、「会社勤めができないというコンプレックス」も克服しなければならないと感じていた。

私は山小屋を辞めて地元のコールセンターに就職した。その結果は……ここまで読んだ方はだいたい想像がつくだろうけど、案の定あっさりと挫折。ひどく体調を崩し、半年ほどで退職した。外出すると寝込むようになったのもこの頃だ。

その後、山小屋時代から長く付き合っていた恋人と結婚し、夫婦で山小屋に戻った

いいかげん「私にできる仕事は山小屋しかない」と認めてしまえばいいのに、どうしても開き直れない。私は、できないことから逃げただけ。山小屋の居心地の良さに甘えているだけ……。そんな意識が拭えなかった。

根性なしの私が、初めてひとつの仕事をやり遂げた

心境に変化が現れたのは、山小屋生活がトータルで7年目に入った頃。その年から、私たちは夫婦で小さな山小屋を任されるようになった

初めて人に指示を出す立場になり、私は「みんなが気持ちよく働ける環境を作ること」に心を配った。最初のうちは、相変わらずうまくやれない自分にもどかしさを感じ、「人の上に立つなんて私には無理……」とウジウジ思い悩んだりもした。

けれど、投げ出したくはなかった。小さな改善や工夫を積み重ね、新メニューを考案するなど、試行錯誤を続けた。すると少しずつ、同僚や後輩たちに「居心地がいい」「働きやすい」と言ってもらえることが増えてきた。また、これは運の要素も大きいけど、売り上げも伸びた。

根性なしの私が、初めてひとつの仕事を「やり遂げた」と感じた

気づいたら、山小屋生活は10年目になっていた。10年かけて少しずつ、自分が自分にぺったりと貼りつけた「仕事を続けられない根性なし」「仕事ができないポンコツ」というレッテルを剥がすことができた

これでようやく、山小屋生活に区切りをつけられる。

私は、書くことを仕事にするという昔からの夢を追うことにした。

自分の働き方を全肯定はできない。けれど、決して不幸ではない

今でも私は「会社員になりたかったけどなれなかった」という気持ちに対して、折り合いがついていない。

あわよくば会社員ライターになりたい。週5で外出できる身体がほしい。ライターとしての自分の弱さが腹立たしいし、世の中のほとんどの人が自分より優れているように見えて劣等感に苛まれる。何も変わっちゃいない。

ただ、折り合いはついていないものの、目の前に現れる〆切というモンスターをバッサバッサと倒していく毎日は、私にとってそこそこ幸せなものだ。もちろんもっと成長したいけど、断じて今が不幸というわけではない。

苦しいこともたくさんあるし、円形脱毛症はできるし、たまに「人生とは? 幸福とは?」とぐるぐる思い悩むこともあるけど、それはどの働き方を選んだって同じだろう。どうせ同じなら、目の前のことに集中するのみだ。

今日も仕事のあとの缶チューハイを飲んでいる

作家にも会社員にもなれなかったけど、それでも生きている。働けている。それで十分じゃないか!

……とまでは肯定的になれないのだけど、「否定したところでどうにもならないよねぇ」と力なく笑って、今日も仕事のあとの缶チューハイを飲んでいる。

著者:吉玉サキ

著者イメージ

北アルプスの山小屋に10年間勤務したのち、2018年からライター・エッセイストとして活動。生きづらさや働き方に関するエッセイが多い。

note:吉玉サキ|note Twitter:@saki_yoshidama

次回の更新は、2019年5月15日(水)の予定です。

編集/はてな編集部