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はたらく女性の深呼吸マガジン

イーアイデム

「当たり前のこと」ができないと思っていた

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自身が運営するブログ『傘をひらいて、空を』で「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを長年投稿し続けている槙野さやかさん。

淡々と、登場人物の心境を表現する槙野さんの記事は、読み手が共感してしまうシーンも多数。また、家族や恋人、友人との日常生活での出来事を描くものもあれば、職場の人間関係における感情の変化を表現したものもあり、そのジャンルはさまざま。それぞれが独立した物語として、成立しています。

今回『りっすん』では、「働くこと」をテーマに、槙野さやかさんに新たな「伝聞と嘘とほんとうの話」を書いていただきました。

* * *

 当然のことではありますが、と上司が言った。わたしはいつも持ち歩いているメモとペンを取り出した。指につめたい汗が湧いた。どうやって人に変に見られないようにそれを拭うか一秒で検討し、左手にメモを持ち替えて裾を直すふりをした。周囲をそっとうかがった。もちろん誰もメモなんか取っていない。上司が言ったのは「当たり前のこと」の確認にすぎないからだ。今年入った新人も記録なんかしていない。感じよくほほえんで上司の話を聞いている。この場によく馴染んでいる。わたしだけが冷や汗をかくほど必死で、わたしだけが、この場にいるべきではなかった。

 就職して三年が過ぎ、用心深い新人だからメモを取るのだという体裁は通用しなくなった。長い残業が必要なほどの仕事量ではないはずだから、わたしはみんなと同じくらいに帰宅する。そうして一時間も二時間もメモを読み返す。壁にかけたコルクボードにはメモの抜粋がたくさん貼ってある。週のはじめに決して忘れてはいけないことを書き出すことにしているのだ。その数は新人のころから減ることがなかった。

 わたしができないのは仕事のすべてではない。みんなが平然と、否、退屈そうにこなしている「簡単な書類作成」や「いつもの経費処理」が、圧倒的に、わたしにはできない。とても時間がかかり、必ずといっていいほど間違う。それを防ぐためにフォーマットやチェックリストを作り、慎重に事を進める。

 事務作業が苦手なことは自分でもわかっていた。だから事務を専門とする職には就かなかった。それでも、事務的な仕事がまったくないわけではない。わたしはそれが、ほんとうにできない。人の顔や場所を覚えることも、できない。仕事で新しい人と接するたびに、名前を、外見の特徴をメモする。自分が勤めている建物の中でさえ、いまだに迷う。

 どうしてみんなが何もメモせずに「簡単な書類」を作り、自然に人の顔を覚えるのか、わたしにはわからなかった。学生までは笑われて済むことでも、社会に出たらそうはいかない。当たり前のことができない人間は何もできないと思われてしまう。だからわたしは、必死だった。わたしはみんなと同じように当たり前のことができるふりをして、そのことに疲れきっていた。電灯のスイッチを押そうと手を伸ばすと肩まわりが痛んだ。帰ってきてすぐストレッチをしてシャワーを浴びてあたためたのに、メモを読み返すだけでひどくこわばっていた。

 入社して四年目の春に社名が変わった。転職はしていない。会社が合併したのだ。人が慌ただしく動いて、わたしにも辞令が下りた。仕事の本質は変わらなかった。好きで選んだ職種を続けられるのはよかったけれども、事務手続きや書類の書き方が大幅に変わるにちがいなかった。せっかく覚えた「当たり前のこと」が、勝手に更新されてしまう。そう思った。息を吸うたび、からだに悪い成分が溜まっていくような気がした。わたしは孤独だった。そんなことで悩んでいる人間なんかどこにもいなかった。「当たり前のこと」をこなすために努力している人間なんか、わたしのほかにいなかった。


 合併から一年が過ぎて、わたしの評価は大幅に上がった。たった一年前のことなのに、思い返すだけで背中がこわばる。あのころが永遠に続かなかったことが、なんだか夢のように感じられる。よかったねえ、と上司が言った。わたしはちょっと泣きそうになり、それを防ぐためにやたらと無表情な声で、ありがとうございます、と言った。毎年の人事評価面談で使う会議室は変わっていない。それなのに部屋は広く、明るく見えた。

 合併前にあんなに絶望した事務手続きは、蓋をあけてみれば大幅に簡略化され、紙からコンピュータでの作業に変更されたものも多かった。電子化されていれば書き直しは容易で、文言の検索などもできるから、確認作業は驚くほど早く終わった。「当たり前のこと」ができるふりをする労力がわずかになり、本来の仕事に注力できるようになった。薄皮を剥がすようにわたしは楽になった。楽になると不必要な先回りや懸念が減った。疲れているほどたくさんのことが不安の対象になるんだなと思った。苦手な作業はマニュアル化する癖がついていたから、さして苦手でないことも、ルーティンとして捉えられる部分を探して自分向けのマニュアルを作った。

 そうしたら、人が軽々としていることで自分だけが苦労していても、まあいいや、と思うようになった。できない部分を努力で補完できるならそれで問題ないのだ。自分にとって辛すぎたら辞めて合うところを探せばいい。一年前までは、こんなことさえできないならどこへ行ってもだめだ、と決めてかかっていた。そんなことはなかった。同じ組織にいても環境は変化する。たとえばこの職場がなくなったとしても、探せばどこかに自分にできる仕事はある。誰だって世界中を知っているわけじゃないんだから、自分はどこへ行ってもだめだなんて、まったく理不尽で不合理な判断だ。そんなわけないじゃないか。

 会議室を出て歩いていると、リクルートスーツを着た新人とすれちがった。若いねえ、と上司が言った。そうですね、とわたしはこたえた。僕から見たらあなたもじゅうぶん若いよ、いいなあ、戻りたいなあ。上司がぼやいて、わたしは笑った。この上司はよく転ぶ。比喩ではなく、身体的に転ぶ。毎月のように道端や自宅で転んだ話をする。歩くという当たり前のことが円滑にできない。それで少しも恥ずかしそうではない。

 戻りたくないなあ、とわたしは思う。あのころに戻りたくない。するべきことを脅迫的に連ねていた部屋のコルクボードは一度空っぽになり、それから、好きな絵葉書を貼る場所になった。

 わたしは「当たり前のこと」ができない。そして、それ以外にできることがある。みんなにとっての当たり前はわたしにとっての当たり前じゃない。職場の人たちだってほんとうは一人ひとり違うので、「みんな」ということばも、なんだか幽霊みたいだ、と思う。いつも幽霊と自分を比べて怯えていたわたしはばかだなと思う。たった一年前の自分なのに、小さな子みたいな気がする。可哀想だなと思う。

 これからだって自分にはどうしようもないことで自分のできない仕事が増えたり減ったりするんだろう。そうならなければいいなと思うけれども、今回だって自力で環境を変えたわけじゃない。世界は勝手に変わる。わたしが変えようとしなくても、わたしのあずかり知らないところで。それがわたしにとって嬉しい変化か悲しい変化かはわからない。どちらに変わってもわたしは二度と幽霊を信じない。「当たり前」を信じない。「みんな」と同じふりをしない。

著者:槙野さやかid:kasawo

槙野さやか

2009年よりブログ『傘をひらいて、空を』を開始。「愛のもたらす具体的な効用」「作文が終わらない」「友だちの焼豚の話」「涙袋」「鯨骨生物群集 長女」など、「伝聞と嘘とほんとうの話」を織り交ぜたエントリーを投稿している。

ブログ:傘をひらいて、空を Twitter:@kasa_sora