主夫を選んだ夫と、キャリアを重ねた妻。「育児と介護のダブルケアをきっかけに家庭をチームに変えた」村上さんご夫妻の場合

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千葉県市川市に暮らす村上誠さん・康子さんご夫妻は、祖父、長男、次男の3世代・5人家族。誠さんはお母さまが倒れたことを機に、康子さんのキャリアを優先して主に家事・育児・介護を担う「主夫」を選択し、父親を支援するNPO法人「ファザーリング・ジャパン」や多様な男性のライフスタイルを発信する「秘密結社主夫の友」のメンバーとして講演や登壇をするなど積極的に活動しています。康子さんはベンチャー企業での激務を経て、英語教育に携わりたいと考え、現在では子供向けの英語教室や小学校3校での外国語活動指導員として活躍中。

「妻のキャリアを優先する」「主夫として家事・育児・介護を担う」――その背景には、村上家の合理的でフレキシブルな考え方がありました。13年の結婚生活・家族の暮らしについて伺いました。

家庭を「チーム」と考え、得意分野を活かし、最適化する

村上誠さん、康子さんそれぞれの経歴について教えてください。

誠さん(以下、誠) 僕は大学で建築を学び、都市計画のコンサル会社に勤めていましたが、ちょうどインターネットが普及し出したころに退職し、フリーランスでグラフィックデザインを始めました。Webサイトを作ったり印刷物を手掛けたり。妻は結婚してから正社員になりました。

「結婚してから」なんですね。

康子さん(以下、康子) もともとは派遣社員として秘書を長くやっていました。私は母が専業主婦、父が夜遅くまで働いているような典型的な“昭和の家”で育ったので、「子供を産んだら家に入るだろう」と勝手に思っていたんですけど、夫の両親はまったく逆で、2人で働きながら子供たちを育ててきたので、「妻も働くのが当たり前」というマインドだったんです。結婚して夫の両親と同居したら「私たちが子供を見るから働きなよ」って言われました。「えっ、私働くの? じゃあ行ってきます……」って。

「働きなよ」と言われても、当時「バリバリ働く」イメージはお持ちではなかったんですよね。

康子 まったくなかったです。自分の中にそういう選択肢があることさえも分からなかったくらい。結婚したし安定した仕事をした方がいいと考えて、派遣社員ではなく正社員で、ベンチャー企業の社長秘書として就職しました。そのときはとにかく仕事、仕事っていう環境でしたね。

 ちょうど10年前のそのころ「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」の推進が叫ばれるようになり、その理念に共感しました。私がいたベンチャー企業は若い人が多く、平均年齢は27~28歳。社内にワーキングマザー自体がいなくて、妊娠したら辞めてしまう人もいて。私が実質的に最初の産休・育休取得者でした。

誠 普通は育休後には円滑に復職できるよう、慣れ親しんだ元の部署に戻れることが多いと思うんですが、妻は役員秘書だったのでそのポジションはひとつしかなくて、代わりの人はもういる。英語ができたので、それまでの経歴とは違う「海外事業戦略部」という部署へ配属になりました。本人も頑張ったんだけども、やっぱり子育てしながらの新しい業務は難しくて。

康子 仕事と育児を両立できない会社はきついと思い、ワークライフバランスを推進しようというプロジェクトを社内のビジネスプランコンテストに出したら優勝しまして、そのプロジェクトリーダーになりました。15人のメンバーでプロジェクトを推進し、2年後に子育てサポートをしている企業としての厚生労働大臣の認定証「くるみんマーク」の取得をしました。

ハードな働き方をしていると、自分や家族の人生のことを考えるのが後手後手になってしまいそうですね。康子さんがそのように働く中で、誠さんが「主夫」を選ばれたのはどのようなタイミングだったのでしょうか。

誠 僕の母が倒れて要介護になったのが2008年で、そのとき妻は復職して2年くらい。ちょうどワークライフバランスのプロジェクトが本格始動していたころでした。昔だったら「嫁が介護する」が当然だったのかもしれないけど、これからはそういう時代でもない。自分の親のことですし、今まで親に世話になって迷惑を掛けてきたから恩返ししたいという気持ちもありました。

 また、家族全体のことを考えたときに、妻が自分のやりたいことやキャリアを犠牲にして介護に入ったところで、果たして家庭がうまく回るのか?という疑問もありました。妻は妻で、やっぱり自分自身の人生を生きて輝いていてもらう方が、お互いに精神衛生上良いと考えたんです。母親に何かしらのフラストレーションがあると、子供に注ぐ愛情も減ってしまう。心のコップが満たされていることが、絶対家族の中でいろいろなものの潤滑油になると思ったんです。

康子 結構考えてたんですね?

誠 そうですよ(笑)。

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「主夫」は誠さんから提案したんですか?

誠 はい、そうです。僕もうちの父も母も個人事業主で、母が倒れたときに社会保険に加入していたのは妻だけだったんですよ。当時のトータルの収支を考えると、僕がワークダウンし、妻にはそのまま働いてもらって、要介護認定を受けた母を妻の扶養に入れて、扶養控除や医療費控除を受けた方が家計のために良かったんです。控除分の課税対象額が下がったため保育料も下がりました。世帯年収の減少を節税対策で補いました。

康子 消去法でもありました。家庭の仕組みを変えて、そういうチームにしていったんです。

なるほど! チームメンバーの得意なことやメリットを考えた上で最適化をするんですね。

誠 合理的な判断でもあるかなと思います。家事は僕の方が得意だったからね。性別関係なく、それぞれの得意分野を考えたら、村上家では自分が主夫になったという感じですね。

康子 夫は料理がとにかくうまいんです!

その生活を始めてから、おふたりの意見が衝突することはありませんでしたか?

康子 いやー、結構衝突しましたね。「私もう働けない、無理」という話はよくしました。泣きながらのけんかもしていた気がしますね。「私、なんで働いてるの!」って言うこともあったり。

けんかして、衝突もして、最適化の方向を模索した、と。

康子 そうですね。けんかした後に落ち着いて「じゃあやっぱり働きに行くね」なんて。

誠 介護と並行して不妊治療もしました。子供は複数欲しかったんですが、1人目ができたから大丈夫だろうと思っていたら2人目がなかなかできなくて、仕事で忙しい中病院にも通って。

康子 毎日通院し、注射を打ってから会社に行く時期もありました。

不妊治療は身体の負担も大きいと聞きます。仕事しつつ治療もされていたのでしょうか?

康子 そうですね。「不妊治療をしたいけどできない! 辞めます!」と会社で言っていたんですが、異動先の上司が理解のある人で「だったら治療しながら働いてみたら?」と言ってくれまして。そんなに理解がある部署もなかなかないし、首が1回つながったくらいの気持ちで、治療しながら一生懸命働いて、四半期の本部表彰に選ばれました。そしてやっと第2子ができました。

誠 第2子の育休からの復帰後は時短勤務だったんですが、時短勤務とフルタイムで賃金がものすごく違うんです。フルタイムの場合ではみなし残業代が含まれていたので、多少早く退勤しても満額もらえていました。その会社の時短制度は定時退社で、みなし残業代が含まれないため、帰りの電車の中や帰宅後の時間帯にメールの処理などをしていても以前の6割程度の賃金しかもらえない。「同じ業務をするならフルタイムに戻った方がいいんじゃない?」と話し合って、復職から半年くらいでフルタイムに戻りました。

康子 とはいえフルタイムだと仕事がさらに増えてしまって……。当たり前なんですけどね。

離職、病気、介護……人生の転換期に「主夫」を選ぶ人たち

誠さんの「秘密結社主夫の友」での活動の前提として、他の主夫の方との接点があったと思うのですが、どのように活動を広げていったのでしょうか?

誠 妻がワークライフバランスのプロジェクトをやり始めてから「父親の子育て支援・自立支援事業を展開するファザーリング・ジャパン(FJ)という団体がある」という話題が出たこと、妻の同僚が転職した会社にFJのメンバーがいたことで、つながりができて、2008年にFJに入会しました。現在は会員が全国に400人以上います。

 そういう団体にわざわざ入ってくる人は、子育てしている父親の中でもとんがった人たちが多い(笑)。他の人よりはちょっと浮いちゃってるくらい先進的なことをやっている人たちがいます。ファザーリング・ジャパンの“非”公認団体である「秘密結社主夫の友」の活動もそのひとつです。

「秘密結社」という名前からして確かにとんがっていそうです(笑)。

誠 一般的に主夫というと「専業主夫」と思われがちですが、「秘密結社主夫の友」のメンバーには「兼業主夫」が多いんです。女性の場合だと、「専業主婦」も「兼業主婦」もあるじゃないですか。働いているお母さんはデフォルトで「兼業主婦」で、どれだけ家事・育児をやっているかは関係なく誰でも「主婦」と呼ばれる。でも、男性の場合はそういう言葉がなかなか普及していなくて、ちょっと育児をしただけで「イクメン」と呼ばれてチヤホヤされる、それもおかしいですよね。

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確かに非対称性がありますね。

誠 主体的に家事・育児をやっている意識がある男性なら「主夫」を名乗ればいいと考えています。家事の割合は妻の方が多かったとしても、前向きに家事・育児に取り組んでいれば「兼業主夫」ですよね。誰しも人生の中で、何かしら夫婦、家族の転換期があって、うちの場合は介護でしたけど、人によっては離職だったり病気だったりもします。そういう転換期に「自分たちの家庭をどうしよう?」と考えて家族の最適化を図った結果、男性が家の中のことを主にやるという選択肢を取っただけなんですよね。

そういう転換期は、確かに男女というくくりとはまったく関係なく訪れますよね。

誠 今の若い人たちは男女とも家庭科を必修科目として学んだ世代ですし、一人暮らしを経験する男性も多い。家事は性差よりも個人の意識と経験が大きいですね。「女性だから家事が得意だ」「結婚したら夫が外で働いて妻が家事・育児をやるのが当たり前」といった固定的性別役割分担意識に縛られない方がいいと思います。

 統計上では主夫は急増しているけれども、まだマイノリティで孤立していて、身近なロールモデルもいない。そうであれば、きちんと活動して男性の多様な生き方を発信していこうということになりました。メンバーの1人である放送作家の杉山ジョージが「どうせ発信するなら、面白おかしくした方がメディアウケがいい」と戦略を考えて、「秘密結社主夫の友」と名乗ることにして、でも秘密結社という割にはがんがんメディアに出て面白いことをやる、という路線でやろうということに。

いろいろなつながりがあったんですね。

康子 NPO法人に入ったら濃いメンバーがいっぱいいた、って感じですよね。

誠 珍獣が集まった感じだよね(笑)。子育てをする父親というきっかけでFJにつながり、そこに入ってみたら主夫が結構いた。「父親と育児の関わり」はFJとして10年以上推進しているんですが、「一過性のムーブメントで終わらせず、次にどういう仕掛けをするか」ということを我々はいつも考えています。イクメンの次のステージのひとつは「男性がもっと家事に関わる」だと思っています。それが今、国を挙げて「男性の家事推進」に取り組んでいる。ようやく時代が追いついてきた、動いてきたという感じです。

男性にとっての男女共同参画 | 内閣府男女共同参画局

「いつかは」と思い描く自分のやりたいことで「隠れパラレルキャリア」を作った

康子さんがそれまでの会社勤めではなく英語教育に関する仕事に就いた経緯はどんなものだったのでしょうか?

康子 将来的に何をやりたいかについて、自分の軸に「英語」「海外経験」の2つがあったこと、子供が産まれて子供に触れるきっかけができたことから、「地域に根付いた生き方」「子供に関わる生き方」をしたいと漠然と考えていました。第1子の育休中に危機感を感じて、ひとまず「小学校英語指導者資格」という民間の資格を取りました。

誠 妻はバリバリ働いてはいましたが、そのころから「長時間労働ありきの働き方は、年齢を重ねて体力が落ちてきたら厳しいよね」と話していました。終身雇用が絶対ではなくなった今は、いつ会社が傾いたりリストラされたりするかも分からないのだから、会社にずっと属するという選択肢以外の道もオプションとして考えていく必要がある。そんなときにたまたま、本屋で「小学校英語指導者資格」のことが載っている雑誌を見つけたんです。

康子 第1子の育休当時はまだできて間もない資格だったんですが、小学校では英語を教える場合に資格を持った民間指導員が担当するところが多いので、資格を取っておくとその後に有利かもしれないと思ったんですね。

誠 育児中心の毎日に追われて過ごすよりも、外に目を向ける方がきっと前向きになれて、気持ちも切り替えられる。目の前のことだけではなく、子供が育ったその先の生き方を少し描けた方が、今の子育てにおいても少し肩の荷が下りるかなと思いました。

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康子 育休から復帰しても、資格については「単に持っている」だけで終わるパターンかな……と考えていました。でも長男が私立の認可保育園にいたときに、保育園専属で英語を教えていた外国人の先生が辞めてしまって、ママ友から「そういえば資格取ったんだよね、英語教えてくれない?」と言われまして。「えっ、私が?」と驚きましたけど、そういうチャンスはなかなかない!と見切り発車をしました。

復職後ということは、会社勤めをしながらなんですね。

誠 月1回、週末に長男の保育園での友達数人に教え始めました。

康子 初日は子供たちがずっとざわざわしっぱなしで、すっごく落ち込みました。「子育てはしていても、英語を教える以前に“子供の扱い方”を知らないんだ私!」ってがつんときました。でも保護者の皆さんはありがたいことにずっと私に任せてくれて……。第2子の育休のときに、保育士の資格を取らないといけないな、って思ったんです。

再び育休のときに資格取得!

康子 子育てイベントで子供向けの講座を一緒にやった保育士のお母さんを見ていたら、そんなに声を張り上げていないのに子供たちがみんな注目していたんです。私といえば「聞いて聞いて!」って大きな声で言っているだけ。保育士の知識と経験はすごく大きいのかな、とはっとさせられました。その後勉強を始めようとしたら、保育士の資格を取得しているFJ所属の方が、通信教育の教科書をどさっとくれたんです。それがまた背中を押してくれて……。

誠 妻は育休中も僕が家事・育児をしている間に勉強し、会社に復帰してからも通勤時間で勉強して、3年かけて保育士の資格を取りました。一度合格した科目は3年間有効なのですが、それが無効になる3年目がピンチだったんです。

康子 育休期間だけでは間に合いませんでした。通勤電車の行き帰りで勉強したけど、全然頭に入らなくて……。結局、まだ資格を取れていなかったタイミングで会社を辞めて、時間ができたので、試験の直前にめちゃくちゃ勉強しました。

会社を辞めたことと保育士の資格取得とは、直接はつながっていなかったんですね。

康子 そのころには体力が落ちてしまって睡眠もなかなかとれなくて。会社勤めの最後の方は毎日夜中に帰宅してました。このままだと本当にまずいなと思って辞めました。

誠 社内でも古参のメンバーだったから職位も上がっていて、マネジメント方面の期待もされていて、すごく忙しくなっちゃったんだよね。帰っても子供の寝顔しか見られず、さらに持ち帰った仕事を深夜までこなす日々。終電を逃すこともありましたね。疲れてぼーっとして逆方向に乗っちゃって、もともと方向音痴ではあるけれど「私はどこにいるんでしょう?」って電話で聞かれたこともありました(笑)。

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康子 そういう状態だったので、「いつかは地域貢献を」「いつかは自分の強みである英語で仕事を」というマインドを持ちながら、勝手に「隠れパラレルキャリア」を築いていた状態ですね。月1回の英語サークル活動だとしても、続けていることでコンテンツも増えてきますし、一人ひとりの子供に合った指導法の経験値も上がってきますし。そうこうしているうちに、夫が去年(2016年)、小学校英語指導者の募集を見つけてきてくれて。

誠 市の広報に載っていたのを見つけたんです。

康子 ダメ元で受けたら通って、2016年11月から外国語活動指導員として働いています。通ったときは泣きましたね。10年間「いつかは」と思い描いてきたものが目の前に来たので……。

まさに「やりたいことが結実した」という感じですね。

康子 うれしいですね。自宅での英語教室や短期レッスンも、これまでは知り合いつながりばかりだったのが、「公民館に貼ってあったチラシを見ました」と連絡してくれる人がいて。期待に応えていきたいなと思っています。

誠 10年かけてまいた種がようやく実になってきましたね。

康子 会社の仕事のほかにやりたいことの場数を踏んだのは、とても大事だったと思いました。忙しいときは何もしたくなくなるなど、すごくつらいことも大変なこともありましたけど、ずっと続けたらそれが糧になりました。失敗してもトライアンドエラーで「先月よりうまくやろう」の繰り返しをずっとやっています。会社を辞めたときに意外と新しい道へうまくスライドできたんですよね。「ならし保育」ならぬ「ならしセカンドライフ」というか。

「病院に行くと、お父さんのあり方が変わっているのを感じる」

子供を取り巻く環境の中で、「お母さんが働いていてお父さんが家にいるのって、普通の家とは違う」というような同調圧力はありませんでしたか?

康子 保育園の子供たちは慣れていたと思います。友達が遊びに来ると必ず夫が家にいるので。「お父さんは家にいるものである」という状態でした。

誠 自宅で子供たちが遊んでいるところに「何やってんだ?」って顔を出したりね。

康子 小学校に入って新しいお友達ができたときに、保護者からの「?」という見えない圧力はありました。父親がPTAにすごく参加するし、授業参観日も必ず両親でいる。懇談会でも教室に父母が両方そろうのってやはり珍しくて。でもそのうち慣れました。周りも慣れてくれたようです(笑)。

誠 PTAは「女社会」で、世間と逆だなという印象でした。女性が活躍しようとしたら「男性社会の壁」があるってよく聞く話じゃないですか。それが、地域社会では逆。自分が異質なものとして入っていく感じでしたね。

康子 見かけもこんな感じなので……。でも、慣れちゃうとママ友扱いです。

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誠 「両親が共働きの家庭」と「お母さんが専業主婦の家庭」ではだいぶ考え方が違いますね。保育園では父親の送り迎えも増えていますし、父親の役割が変わってきていると肌で感じるんですけどね。小学校の活動は平日昼間が多く、どうしても幼稚園出身の専業主婦の方々が中心となります。運動会などの行事への父親の参加は増えていますが、学校協力やPTA活動への男性の参画はまだ少ないですね。

康子 2年前に夫婦でPTA活動をやったんです。本来は1人でやる学年委員長を夫婦連名で初めてやったんですが、さすがにそれは異色すぎたみたいです(笑)。

それは最先端ですね……!

康子 育児に関わるお父さんは本当に増えてきたよね。この間子供を連れて病院に行ったら、ほとんどお父さんが子供を連れてきていてびっくりしました。

誠 前はお医者さんに「お母さんはいらっしゃらないんですか?」なんて聞かれたり、「父親じゃ話にならん」という雰囲気だったりしたんですけどね。病院に行くと、やっぱり時代は変わってきたと思います。白い目で見られなくなった。

康子 よく耐えてきたね。

誠 いや、全然気にしてない(笑)。でも主夫仲間の中には、主夫になった直後は自分のプライドがあったり、周りの目が気になったりして、スーツで外に出かけていたなんていう話も聞きますね。

誠さんの、主夫業と仕事との両立はいかがですか?

誠 ワークダウンした後は登壇や講演などNPO法人関係の活動の方が多くなりました。ライフステージに合わせて、自由に、フレキシブルに自分が変化できるようになっておけば、会社に縛られすぎることがないんじゃないかなと思います。夫婦の稼ぐバランスはさまざまでも、両輪で柔軟に動けるようにしておいた方が、何かあったときにも良いですよね。

複数の仕事を持つというのは、康子さんのパラレルキャリアの話に通じるものがありますね。

康子 結婚相手によっては違う働き方や生き方をしていたかもしれないですね。自信がない時期はありましたけど、「結局は実績があれば自信になる」ということがやっと分かりました。「継続は力なり」って、月並みな言葉なんですが、私にとってはとても大事な言葉なんです。継続するってとても難しい。でも続けるために何回も復習や反省をしているわけだから、その分だけ以前の自分より成長していることを実感しています。私はきっと、いろいろなことを止めていないだけです。

この先のプランについて考えていることをお聞かせください。

誠 妻が会社勤めをしていたころは妻の方が高額で安定した収入があったけど、英語教室の運営や学校の仕事ではどうしても減収するので、今は僕の方がメインで稼いでいます。その分、妻には家事の負担を増やしてもらっています。

康子 夫の方が収入の伸びしろがあるので「頑張れ―」「働けよー」って言ってます(笑)。

誠 プレッシャー掛けられてます(笑)。妻が会社の仕事でいっぱいいっぱいだったとき、「誰が稼いでいるの!」って言われたこともありました。「今度こういう請求が来るんですけど……お金が必要なんですけど……」と生活費を要求すると「は?」みたいな反応があったりとか。

康子 悪い意味で男女逆転していた時期がありましたね。お互いのことを理解した上での逆転ではなく、単に逆転しただけの時代があって。「これはやばいね」と自覚したんですよね。

男女の役割固定化という意識が社会に根強く残る反面、病院で子供を連れたお父さんが増えたように、年月を経て変わったところも多いと思います。こういうところがもっと変われば……と思うことがあればお聞かせください。

誠 男女の役割がどちらにせよ、負荷が固定化されている状況はリスキーだと思います。状況に応じて互いに役割を柔軟にシフトして補い合えるチーム体制を準備しておけるといいですね。自分たちは変わってきたし、これからも変わり続けるんだと思います。僕は、どんなタイミングでも「自分がそのときの立ち位置で経験していることを、自分のビジネスや生き方にどう活かせるか」とポジティブに考えた方がいいと思っています。

 今NPO法人で子育て支援の活動をしているのも、自分が実際に子育てに関わっているからこその視点や経験値を商売にしているわけです。女性にとって子育てはキャリアロスやマミートラック(出産・育児休業を経て復職した女性が、子育てと仕事を両立する名目でそれまでと違う仕事に変わり、キャリアアップのコースから外れてしまうこと)に陥るきっかけになりがちですが、妻は子供向けの英語教室運営に、子育てによって得られたことを活かしています。どう活かすかについて考えてきた結果、今の我々がある。子育てはしなくちゃいけない、家事もしなくちゃいけない。しないといけないことを負担に思うのではなく、どう楽しんでいくかですね。

康子 うまくいっていないことやネガティブな話も全部含めて「直面していることを仕事につなげていける方がいい」という考えで動いているところはありますね。不妊治療の話も、自分たちにとっては本当は言いにくいことだけど、それを世間に向けて発信することで「あっ、働きながら不妊治療って意外とできるんだ」と励まされる人もいます。仕事は仕事、家は家と切り離すのではなくて、全部相乗効果です。

誠 周囲を気にするよりは自分たちのスタイルを全部オープンにした方がいいと思っているんですね。オープンにするといろいろ言ってくる人もいますし、理解されないこともある。けど、楽になるし、共感してくれる人もいるし、励まされる人もいる。うちはうち、そとはそと。今、企業ではダイバーシティが求められていますが、同様に家庭のあり方も多様性があっていいと思います。

康子 日本社会の中では、ちょっと他と違うだけでもすぐ風当たりが強くなっちゃいますよね。でも「世界を見たらもっといろんな人がいる」という感覚を持てたら、もっと生き方が楽になるし、他の人に相談しやすくもなると思います。うちはかなりいびつというか、“とんがっちゃってる家庭”になっているかもしれませんが、「こんなにとんがってる家庭もあるんだ!」と知ってもらうことが多様性を持ちたい人にとってのきっかけとなり、少しでも考え方を楽にしてもらえたらいいなと思っています。

ありがとうございました!

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お話を伺った人:村上誠・村上康子

村上誠・村上康子

誠さん:1971年千葉県市川市生まれ。市川市在住。東京理科大学理工学部建築学科卒。グラフィックデザイナー/兼業主夫。NPO法人ファザーリング・ジャパン理事、ファザーリング・ジャパンちば代表、NPO法人孫育て・ニッポン理事、NPO法人いちかわ子育てネットワーク理事、「秘密結社主夫の友」の総統を務める。

康子さん:幼少期からアメリカ、フランス、クウェート、インドネシアに在住。青山学院大学在学中にアメリカへ留学。コロンビア大学にてAmerican Language Program受講。第1子の育休を機に小学校英語指導者資格(J-SHINE認定)を取得、第2子の育休を機に保育士試験に合格。2011年より市川市を拠点に幼児・小学生向け英語教室「Bridge to English」を開講するとともに、親子で英語を楽しめる「エデュテイメント」を商業施設や地域の親子広場にて開催。小学校3校の外国語活動指導員。