河原からこんにちは、滋賀県在住ライターのBUBBLE-Bです。
ここは琵琶湖から流れる唯一の川、「瀬田川」。そして背後にあるのは僕の地元のシンボル「瀬田川洗堰」(せたがわあらいぜき)です。
瀬田川洗堰の勇姿。琵琶湖の水の大半がここに集まる
瀬田川洗堰の上は道路になっていて渡れる。機械がいっぱいあって格好いい!
子供の頃から、この瀬田川洗堰を見て育った僕は、堰やダムという存在が大好きなんです。巨大なのに寡黙で、力強いのに美しい存在感。こんな大きな建造物が人の手によって作られたことにもドラマを感じます。
そしてなにより、ダムや堰には私達の生活にとって大事な役割があります。
近年、毎年のように各地で大きな被害を出している台風や大雨。自然の前では人間など無力に等しく、雨量はいとも簡単に我々の〝想定の量〟を超えてきやがります。
そんな時、ダムや堰は大量の雨が川に流れ込んで洪水にならないよう、ひたすら水を溜めます。そして雨が落ち着き、川の流れが正常になった時にやっと放流するのです。
瀬田川洗堰から轟音で水が流れるダイナミックさは、昔も今も変わらない
パンパンになるまで水を溜めた様子を見ると、お前、よく頑張った!という気持ちになります。
そう、ダムや堰は人知れず、水害から私達を守ってくれているのです。ありがとうダム!ビバダム!
さて、冒頭で紹介した我らが「瀬田川洗堰」も毎日健気に堰を開けたり閉じたりしてるのですが、一体どこの水を管理しているのでしょうか?
……
…………
あ!分かった!!
琵琶湖だ!!
あまりの大きさに忘れかけていましたが、琵琶湖も立派な貯水機能をもつ湖です。
滋賀県の面積の6分の1をも占める琵琶湖、その貯水量は275億立方メートル。日本一のダムである黒部ダムでも2億立方メートルなので、その130倍。
わかりやすく比較すると、黒部ダムが柴犬だとしたら、琵琶湖はカバです(体重がだいたい130倍)。
変な例えをしてしまいましたが、とにかく途方もない水量ですね。ここから京都や大阪へと川が流れているのです。
実は滋賀県では昔から、どの小学校でも必ず琵琶湖についての授業があります。そこで「琵琶湖の水位はしっかり管理されてるから、溢れないんですよ」と言われたのを覚えています。
当時は「へ〜」という程度でしたが、たしかに琵琶湖の水があふれて水害になった、というニュースは今まで一度も聞いたことはありません。
しかし近年、日本各地で起こっている水害のニュースを見ているうちに、琵琶湖のような巨大な湖は一体誰がどのように管理しているのだろう? と興味が湧いてきました。
今回は滋賀県民として、その謎に迫りたいと思います!!
琵琶湖の歴史、それは水と人との果てしない闘い
まず、琵琶湖の歴史について知るために、大津市歴史博物館にやってきました。
お話を聞いたのは副館長の木津 勝さん。
「今日は琵琶湖の歴史について調べにきました。よろしくお願いします!」
「はい!よろしくお願いします!」
「滋賀県の歴史を語る上で、琵琶湖は欠かせない存在だと思います。今でこそ穏やかな湖ですが、そこに至るまでどんなことがあったのでしょうか?」
「それには長い歴史がありまして……。まず、琵琶湖には460本もの河川から水が流れこむ一方で、出ていく川は瀬田川の1本しかありません。明治頃までは、大雨が降ると瀬田川の流量を超えて琵琶湖の水が溢れてしまい、よく水害が起きていたそうです」
「ふむふむ」
「当時は少しでも瀬田川の流量を増やそうと、川の底の土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)工事をしていました。江戸時代の文献には、幕府に浚渫許可のお伺いを立てたという記録がいくつも残っています」
「江戸時代から水害の対策が行われてたんですね」
「いや、文献として記録に残ってるのが江戸時代からというだけで、奈良時代には、川の流量を増やすために瀬田川に突き出た山を削ろうとしたという伝説も残っていまして。そう考えると、古来からずっと人間は水と闘ってきたんだと思います」
奈良時代に削られかけた山、大日山。明治時代にダイナマイトで削り取られた。
「人類と水との闘いははるか昔から始まっていたと……」
「そして明治29年の9月、10日間で1000mmを越える雨量があり、未曾有の大水害が琵琶湖周辺を襲いました。琵琶湖の水位が急激に上昇し、琵琶湖周辺のほんどの土地が浸水したそうです。それも237日間も」
「237日間も!?」
「さすがにこれはまずいということで、この大雨をきっかけに琵琶湖の管理をしっかりやっていこうという機運が高まっていきました。これくらいの時代になると当時の被害状況を写した写真や『ここまで水位がきた』という石碑が残ってたりします。」
明治29年の大水害の様子。場所は現在の浜大津あたり (大津歴史博物館所蔵)
「人が屋根の上に避難するほどの大水害って、今の琵琶湖では考えられないですね……」
「その後、川を浚渫するだけではなく、川幅も広げて流量を増やし、堰を作って琵琶湖の水位を管理するための改修計画が立てられました。そうして、明治38年に作られたのが初代瀬田川洗堰こと『南郷洗堰』です」
琵琶湖の水位を調整する南郷洗堰の様子 (大津歴史博物館所蔵)
「おお、ついに堰が登場しましたね!」
「そして昭和時代、堰の開閉を遠隔操作で行えるように作り替えたのが、今の瀬田川洗堰になります。かなりざっとした説明ですが、これが大まかな琵琶湖の歴史です」
「琵琶湖の今の平穏は、先人の苦労や工夫を重ねた先に成し得たものだったんですね」
琵琶湖の水を管理する仕事がある!
では、明治29年の大洪水から124年経った現在、琵琶湖の水位を管理している瀬田川洗堰は、どのようにして運用されているのでしょうか?
ということで、瀬田川洗堰のすぐ脇にある「国土交通省 近畿地方整備局 琵琶湖河川事務所」にお話を聞いてみました。
※取材は電話で行いました
「琵琶湖河川事務所では、普段どのようなお仕事をされているのでしょうか?」
「一言で言えば琵琶湖流域の河川の管理です。琵琶湖に入る一番大きな川である野洲川(やすがわ)と、琵琶湖から出て行く唯一の川である瀬田川の管理、そして『瀬田川洗堰』の開閉を行って、琵琶湖の水位を調節しています」
水位を調整するために使われる機械
「水位の調整は、どのように行っているのでしょうか?」
「簡単に仕組みを説明すると、堰を開けると琵琶湖から流れる水量が増して水位が下がります。反対に閉じれば水量が減って水位が上がります。そうやって堰の開閉することで、琵琶湖の水位を適正な高さにしています」
「意外とシンプルな構造ですね!そもそも琵琶湖の水位って、何が基準になるのでしょうか?」
「基本的には琵琶湖周辺の雨量と現在の琵琶湖の水位、この2つのデータを常にモニタリングし、瀬田川の流量を調整しています」
「開閉はこの琵琶湖河川事務所から行うのですか?」
「そうですね。今の瀬田川洗堰が作られたのは昭和36年。いまでこそ開閉はコントロールルームから機械で自動的に行っていますが、その前は人力で開閉していたそうです」
琵琶湖河川事務所のコントロールルームの様子 (琵琶湖河川事務所提供)
「えぇ、人力で!? あんな大きな堰をどうやって?」
「堰の上から角材を引き上げたり、落とすことで水量を調整していました。全開に丸1日、全閉には丸2日かかったみたいで、とても大変な作業だったようです。すごいですよね、昔の人は」
「ヒェ〜、重労働過ぎますね……。機械が導入された時は大喜びだったんだろうな〜」
一部だけ残っている「南郷洗堰」の遺稿。煉瓦造りがレトロでおしゃれだ
今年7月の大雨は、緊迫した状況を強いられた
「今年の7月は、毎日のように雨が降ってましたよね。雨の合間に瀬田川を見に行ったらすべての堰が全開でガンガンに水が流れてました。やはり、それほどすごい雨だったのでしょうか?」
「そうですね。あの時は琵琶湖の水位もかなり上がったので、かなり緊迫した状況でした」
全ての堰が開ききった瀬田川洗堰の「全開放流」の様子
「あまりにも毎日開いてるから、『大丈夫か?』と不安になったのを覚えています」
「そうですよね(笑)普段、琵琶湖周辺の7月の平均降雨量は200mm程度なのですが、今年はなんと440mmも降ったんです」
「440mm!単純計算、普段の倍以上の雨が降ったわけですね」
「これだけ雨が降ると、琵琶湖の水位が上がって浸水被害が起こる可能性があるため、結果的に17日間連続の全開になりました。こんなに長い全開期間はおそらく初めてでしたね」
普段の瀬田川洗堰の様子。この日は手前と奥の2つの堰から水が流れていた
全開されて「ただの橋」になってる瀬田川洗堰。上の写真との水位の差が歴然
「でもこれだけの量をドバドバと放流したら下流へ流れる量もそれだけ増えるわけですよね? 下流域とは何かしらの調整は行っているのでしょうか?」
「瀬田川洗堰から15kmほど離れた下流に『天ヶ瀬ダム』があり、どちらも同じだけの量を放流するように、こまめに連携をとっています」
京都・大阪の淀川流域の洪水対策を担っている「天ヶ瀬ダム」
「なるほど! 1つの川の中でそれぞれのダムや堰が連携してスムーズに水を流れるように調整しているんですね」
瀬田川洗堰の下流には天ヶ瀬ダムがある
「7月の大雨はたまたま、琵琶湖流域と淀川流域で雨の降るタイミングがずれたので救われましたが、もしも淀川流域でも同じくらいの雨が降っていたら、瀬田川洗堰も全閉せざるを得なかったかもしれません。17日間の全開放流を続けた結果、琵琶湖の水位も留まり、間一髪で助かりました」
「すごい……!そんなあの大雨の中、そんなシビアな判断がされていたとは。まさに大自然との格闘ですね」
「最近は天気予報の精度も上がって、雨量の予測も正確になってきたのですが、我々は琵琶湖に流れる水の量を予測する必要があります。雲の動きひとつで大きく変わるので、その予測はまだまだ難しいんですよね」
「なるほど……。というと、予測が外れることもあるんですか?」
「もう、しょっちゅうですね。昨年の台風21号では、猛烈な風と低気圧による吸い上げで、琵琶湖の水位が北と南で大きく変わるという不思議な現象が起きたこともありました」
「えぇ、そんなことが!? とんでもないパワーですね……!」
「自然の力ってすごいですよね。その結果、南側の水位が堰の高さを下回り、一時的に水が流れなくなったんです」
「普段からそういった現象はよく起こるのでしょうか?」
「いえ、長いこと琵琶湖を見てきましたが、かなり珍しい現象ですね。私達も驚きました」
普段は堰の高さを越えるように水が流れる
「まさに自然の脅威ですね……。そんな自然と立ち向かいながら、共存していくのは相当骨が折れる作業かと思います」
「近年は台風も巨大なものが増え、毎年のようにどこかで水害が発生しております。我々としても水害を未然に防ぐために、できる限りのことをしていきたいと考えています」
「みなさんの仕事があってこその我々の暮らしということを強く実感しました。いつも本当にありがとうございます!」
母なる湖を、これからもずっと愛していく
滋賀県民のこころのふるさと、琵琶湖。その穏やかな景色の裏側には、はるか昔から続く厳しい自然との闘いの歴史がありました。
僕の育った街がこんなにも穏やかなのは、自然との共存に現在進行形で挑んでいる彼らの働きがあったからこそだったんですね。
それを知って、琵琶湖のことがますます好きになりました。
滋賀県民として、琵琶湖とはこれからもずっと幸せに共存していきたいものです!
ビバ!琵琶湖!